ハッチのお散歩
ぬかるんだ泥を踏みしめて道なりに木洩れ日差し込む森を進むと、静謐な森にふさわしくないブゥンという耳障りな羽音が聞こえた。
辺りを見回すと、数メ‐トル隣の雑草の上を巨大な蜂が規則的に飛んでいた。
皆大好き巨大蜂さんだ。
虫嫌いな俺からすると巨大な複眼、刺々しい足、やかましい羽音と嫌悪感マックスである。
直視すると鳥肌が立つからすぐに目を背ける。
「おぉい、なぁんでまだ蜂さんがぶんぶん飛んでんだよ、兵隊さんが駆除したんじゃねぇのか。
かぁ‐、どこの国でもお役所仕事ってのはいい加減でやんなるね!」
「旦那、旦那。巨大蜂駆除は私らの受けた依頼です、取りこぼせばのちの信用問題になるかと」
「あ‐うっせうっせ!正論なんざあごめんだ!」
そもそもこの広大な森で生物の根絶など土台不可能だと思うのだが、依頼を受けたどころか報酬さえいただいたならば最低限の努力はせねばならない。
よって見つけた蜂を看過することはできない。
「つっても、生き残りがあの一匹だけとは限らねえよなあ」
「もしかするとまだ巣が残っているかもしれませんね」
あんなでっけえ蜂が収まる巣があんのかよ、おぞましい。
そう思って、気がかりがひとつ。
「なぁロ‐シ。巨大蜂ってのは通常の蜂の生態系とみていいのか?」
以前、巨大蜂達がギンに行った『蜂球』という特性。あれは蜂の中でも特定の種しか行わなかったはず。
しかし、巨大蜂の外見はその種とは異なる種であることは明らか。
やはり現実の常識や生態系をこちらの世界に当てはめるべきではないようだ。
「そういえば旦那にはまだ説明してませんでしたね。
魔物には『幻想種』と『変異種』と呼ばれる種類があり、『幻想種』は文字通り、空想上の生物として語られていた生物たちです。ゴブリンやドラゴンといったのがわかりやすい例ですね。
そして『変異種』は既存の生物たちが変異したもの。この森の巨大蜂はおそらく通常の蜂が変異し、巨大化したものです」
「蜂が変異し巨大化ってでっかくなるにも程があんだろ」
どんな異常きたせば小児並みの蜂になんだよ。
「『夜』の到来以来、この世には不可思議なことが増えました。魔法と呼ばれる奇跡、天稟、天賦の才を持つものは増え、魔物や精霊の出現。この世の終わりだと嘆く者が後を絶たないわけですよ」
なるほど。この世界も色々大変らしい。適応するまで色々な苦労もあったんだろうなぁ。
まったく誰のせいでこんな世界になったのかどこぞのガキは反省すべきだ。
「ま、いいや。
んで、どうすりゃいいと思う?」
「言った通り、おそらく巣があると思っていいでしょう。
そうなると後を追う方がいいでしょうが…」
「空を飛ぶ蜂を追う、か。見失う気しかしねぇが…」
そういえば昔、捕まえた蜂の足を紐を結び付け、それを目印に追いかけるという術を見たな。
「よっし、あのでっけぇ蜂捕まえて目印付けるか!」
「いい案ですね。では早速、あの蜂を捕まえましょうか」
「よし!任せた!」
「なんでだ!?」
ぽんっとアルフの肩を叩くと、流れるようなツッコミ。やっぱいい反応だなぁ、こいつ。
「いや、俺虫嫌いだし。正直蜂見てるのすらきつい。触るとか論外」
「いやいやいや!俺も蜂は嫌いなんだよ!昔、ケツを刺されてだな!」
「おい、ギンの前でケツとか汚い言葉使うな、お尻って言え」
ギンが私のケツが‐とか言い出したらどうすんだ。品行方正な娘に育てるつもりなんだぞ。
ただでさえお前と一緒に行動して馬鹿が移らないか心配なのに。
「あ‐、そんなこともあったなぁ。あの時は本当に傑作だった」
リ‐ドが懐かしんで笑っている。お前ら一体どんだけの付き合いなんだよ。
「え‐、しゃあねぇなぁ。 じゃあこんなかで蜂触れる奴いるか‐?」
仲間内に声をかけ、見回す。
促した結果、上がった手は細く小さい。
「おとさま、はいっ!」
声高にギンが叫ぶ。さすが森育ち。虫を触るぐらい屁でもないらしい。
「え‐、なんだよお前ら。大の大人が揃いも揃って蜂触れねぇとか情けねぇなぁ」
「お前、自分のことを棚に上げてよく言うな!」
「俺は俺、お前らはお前らだからいいの」
「意味がわからん!」
「俺ができないのは仕方ない、じゃあお前らがやれ」
「無茶ぶりがひどい!」
アルフといいリ‐ドといい切れのいいツッコミするなぁ。
「おとさま、はいっ!」
無視をし続けていたら、ギンが二度目の声を張り上げた。
「だめです」
「なんで!」
「獣化、禁止。そのままの姿だと危ない」
「うぅ‐…」
ギンがスカ‐トの裾を握りしめて唸るが、意見を変えるつもりはない。
狼となることで身体能力が上がるのは確認済。
普段の姿だと人間に獣の耳や尻尾が生えているものの、獣人とは異なり、身体能力等は人間に勝るが賢狼の影響がないとは言い切れないという話を女将さんから聞いている。
極力ギンは戦闘から遠ざけるべきだ。
「些か過保護すぎやしませんか、旦那」
「うるせぇ、過保護でも保護は保護だ。面倒みねぇよりましだ」
「いやん、タッきゅんお父さんみたいッスね‐、じゃあウチがママッスかね‐?
ほ‐れギンちゃんよしよしよ‐し」
「さ‐わ‐る‐な‐!」
シトリィがギンの頭を撫でまわす。
ギンは嫌がっているが、後ろめたい気持ちが和む。シトリィなりに空気を読んでくれた結果だろう。助かる。
「さて、振り出しだな。あの蜂を捕まえて足に紐を結ぶ。できるやついるか?」
沈黙。全員あのでっけえ蜂をどうこうしたいという奇特な奴はいないらしい。
「あ‐、タツミわりぃ!ケツの話したらうん」
「はい黙れ。品性のない発言禁止、トイレ行きたきゃいってこい」
なんて空気の読めない馬鹿なんだ。シトリィの爪の垢を煎じて飲ませるか。
「わりぃ!」
片手を上げながら蜂がいるのとは反対の茂みへと走っていくアルフ。
「ん‐、じゃあじゃんけんで決めるかぁ。アルフの馬鹿が戻ってきたらじゃんけんな‐」
古今東西、決め事と言えばじゃんけんに限る。
アルフの背中を見送ると、ふと思い出した。
「そういやさ、単純な奴ってグ‐を出し勝ちって話あるよな」
「パ‐を出す、という話もありますね。出しやすいのでしょうね」
「それいうとアルフとか典型的なアレだからなぁ、グ‐ばっか出しそうだよなぁ」
「まさか。さすがにアルフといえど」
「いや、待てよ……?
そういえばアルフの奴、確かにグ‐ばかり、というかグ‐しか出してない気が……」
笑い声を混じらせ、軽快なノリで話す。そんななか、リ‐ド一人が神妙な面持ちで顎に手を当てて考えている。なまじ顔がいいだけに絵になっているのが若干ムカつく。がしかし、本題はそこではない。
「いやいやいや、待てって。さすがにアルフの馬鹿でもグ‐しか出さないわけ…」
「あ、ああ、そうだよな。さすがに……」
そういうリ‐ドだが、不安が拭えきていないのはありありとわかる。
「まぁ、でもさすがにな? アルフだってグ‐以外の手を出すこともあるよな?な?」
「お、おうおう」
「わ‐、なんとなくアルフ君の扱い悪そうだな‐って思ってたッスけど、割とまじで頭の弱い子扱いなんスね‐、ウケる‐」
ギャルかよ。ウケてやるなよ。
「ははは、まぁでもな?アルフの奴が帰ってきたらじゃんけんするからわかるよな?
まさかアルフがグ‐しか出さないなんて信じねぇよな?」
自らに言い聞かせるように、仲間内にも伝える。
「は、ははは、まさかぁ」
リ‐ドの奴が動揺しまくり。声は上擦り、震えて目が泳いでる。より一層の信憑性を帯びた。
「おうおうおう、戻ったぜ‐」
がははと大きな笑い声をあげて、渦中の人が戻ってくる。
「お、おう、アルフ。公平を期すためにじゃんけんで負けた奴が蜂に紐を結ぶってなったんだけどよ、公平のためにじゃんけん」
そう。公平のためなのだ。
「こ‐へ‐? なんだかわかんねぇけどじゃんけんな!いいぜ!」
そう。公平なのだ。
誰ともなく最初はグ‐と声を出し、全員が一斉に拳を出す。
出された手はパ‐ばかりだった。
ただ一人を除いて。
グ‐だった。紛れもなくグ‐。しっかり力を込めて握られた拳、グ‐。出したのはもちろん、アルフだった。
「ぷっ」
シトリィが堪えきれず、笑いを漏らす。
グ‐を出しながらもアルフの頭はパ‐だとはからずと察してしまった。
公平だったはずなのに、妙な罪悪感が芽生えてきた。
「ちくしょう!俺の負けかよ!」
事前のやりとりを知らぬアルフ本人だけが悔しがっているが、その姿を全員が気まずそうに目を逸らし、直視することができずにいる。きっと全員が罪悪感を抱いているのだ。
俺達は皆、共犯と化した。
しかし、罪を明るみにすることはしなかった。
「くそっ、蜂かぁ‐、嫌いなんだよなぁ!触りたくねぇし見たくもねぇ!」
俺達の心情を知らぬアルフは未だに疑うことなく、負けを心底悔しがっている。
その姿が俺達の罪悪感を肥大化させていく。
「ま、まぁじゃんけんの結果だし、仕方ないよな!ほら!早く蜂を捕まえて来いよ!」
がしかし、俺の虫への嫌悪感の前に罪悪感は負けた。
「旦那。蜂ならばここに」
いつの間にやらロ‐シとラットの足元にでかい蜂が全身をピクピクと痙攣させながら転がっていた。
いつの間にどうやって気絶させてどうやって運んできたんだよ、と問いたい。
つうかそこまでやったならお前らが蜂に紐を結べよ、とも思う。
じゃんけんの意味がなくなるから言わないが。あとアルフの反応も楽しみた‐‐見てみたい。
「お、おう、さんきゅう」
疑問をかき消し、労う。
「…いえ、なんのこれしき」
そう言いながら、ロ‐シとラットは目を背ける。
どうやら罪滅ぼしのつもりらしい。ずるいぞお前ら。
「げぇ‐、まじで蜂に結ぶのかよ……」
蜂から目を逸らしながらも、ロ‐シからロ‐プを手渡され、尻込みしながらも蜂へと歩み寄るアルフ。
大の大人が怯えながら挑む姿というのはなんか胸に来るな。
「あうふ‐がんばえ‐」
舌っ足らずの幼女風に応援してみた。
「あうふ‐がんばえ‐!」「がんばえ‐ッス‐」「がんばえ‐!」
ギン、シトリィと次いで悪ノリについてくる。このノリの良さ、俺は好きだ。
でも二人以外に俺の真似したの誰だよ、怖いな。
「うげぇ‐!今こいつ動かなかった!?動いた!?動いたよな!?」
そら生きてんだから動くわ。押すなよみてえなノリだなあ。
「わっ」
「ぎゃ‐!」
背中を叩いたら、跳ねて驚く。本当におもしろい。
度々アルフを驚かし、やっとの思いで蜂の足にロ‐プを結んだらやがて蜂は意識を取り戻し、離れてみていた俺達に気づかず、蜂は飛び去る。
しかし、でっかい蜂に結びつけられた紐がでっかい成人男性の手元に伸びている絵面は中々愉快だった。
緩やかな足取りで蜂を追う俺たちはさながら犬を散歩をする気分でもあった。
「こうやってロ‐プを辿るだけで巣に辿り着けたらありがてえ話だがなぁ。
しっかし、アルフの奴、思いのほかご機嫌じゃねぇか。巣に着いた頃には愛着湧いてたりしたら笑えるな」
「旦那、さすがにそれは…」
「ハハハハ‐、待てよハッチ‐」
俺達の少し先をえらくご機嫌でスキップを交えながら歩く大男。
そんなアルフを見てロ‐シもさすがのアルフもそこまで単純ではないと思いたいのだろうが。
成人男性のスキップなんて初めて見た。それがまた強面のでかい図体の男だというのだから事情を知らない人間が見たら不審者にしか見えないと思う。
そんな不審者があまつさえ蜂に名前を付けて呼んでいるのだ、子供が見たら卒倒するレベルだ。
「ないと言い切れるか?」
「ないと言い切れないのが恐ろしいですね…」
「だろう?」
そんなやり取りを交わしながら、数分歩いた先で蜂は動きを止めた。
昨日訪れた場所と同じく、さながら闘技場のように開けた場所。焦茶色の土を囲むように木々が生えるもそれ以外には何もない。
そんな場所の中央で蜂は停止し、木々から抜け出し乾いた土を踏みしめた俺達の後にヴヴヴとくぐもった羽音とガチガチと硬質な物同士をかち合わせたかのような音。巨大蜂の威嚇音。
やがて森の中から巨大蜂が多数出現する。その数は二十といったところだ。
「あらやだ、巣という巣もみあたらねぇけど、蜂さんがいっぱい。なにこれ、誘い込まれたみたいな感じじゃない?」
「これは驚きました。本当に誘い込まれたようになりましたが、巨大蜂にそのような知性があるとは到底思えませんが」
少なくともアルフがハッチと名付けたロ‐プを結び付けた巨大蜂は俺達の存在はおろか、脚のロ‐プにすら気づいた様子はなかった。
ならばこの状況は偶然か?
「ほへ‐、こんな状況でも呑気なもんッスねぇ。なんか対策とかあるんスか?」
「いや全然」
「いえ全く」
「わぁお、頼もしい知恵袋さん達っスねぇ」
「あぁん?舐めるなよシトリィ。こんな言葉があるんだぜ、三十六計逃げるに如かず、ってな」
「なんかムツかし‐言葉っぽいッスけど、つまり?」
「逃げるが勝ちってなぁ!」
「まんま蜂さんに囲まれてる状況でどこに逃げるってんスか?」
やれやれ、と呆れ顔で首を振るシトリィ。
切迫した状況であるものの、どこか余裕のある態度だ。
「そうは言うけど、そういうお前はなんかあんのかよ、打開策」
「よくぞ聞いてくれました」
剽軽な成りを潜め、その整った口をニィと歪める。
開かれた口からは犬の獣人らしさ溢れる尖った犬歯がむき出しになり、彼女の凶暴さを伺わせる。
三下ぶった口調とひょうきんな態度で忘れがちだが、忘れてはいけない。
彼女はシトリィ・レトリバ‐。
夜哭街で『狂犬』と称された腕利きだということを。




