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『神童』

(アイン)から目を離すな。


自らにそう言い聞かせ、無明にかけた手に、指に力を込める。

お互いの武器を見比べても奴の獲物よりも無明の方が長い。

間合いは俺の方が有利だ。ならば奴が間合いに入り込んできた隙を突く。


ふと頭に問いが浮かぶ。

忘れるな、あいつと初めて対面した時。

奴は何をした。

わからなかった。

気づけば横にいて首筋に刃を当てられていた。

気づけないほど速かった。


ならばこそ見逃せない、奴の初動を。

気づけば首を刎ねられていた、なんて笑えない。


奴は死だ。死そのもの。

俺に振りかかる死を具現した死神だ。


目の前のアインは笑みを浮かべたまま、ただ立っているだけだ。

なのになぜか妙な圧力を感じる。

この圧力を知っている。


ギンと共に酒場に帰った俺を出迎えた金色の眼。

女将さんと見間違えた‐‐いいや、自らに違う、と言い聞かせた紛れもない女将さんだった化け物。


違う‐‐今はそんなことはどうでもいい。

あの化け物は確かに女将さんだった。化け物の正体は女将さんだった。それだけだ。ただそれだけ。


だが眼前のアインの圧力は、恐怖は女将さんに比べるとまだ耐えられる、戦える、抗える。


「動かないんですか?」


両手を広げ、余裕を見せる。

自身の勝利を疑わないその姿勢が鼻につく。


「うるせぇ。こっちが待ってやってんだよ」


震える足を誤魔化し、強がる。


「そうですか、じゃあこちらから行きますね」


そう言いながらもアインは動かない。


時が止まったと錯覚するほど何も起こらない。

目の前に見えるアインは微動だにせず、何も聞こえない。

永劫の時に取り残されたかのような焦燥。

心臓が跳ねる。脈が上がる。汗が噴き出る。

拭う余裕すら無く滴る汗が額を伝い、目へと侵入する。

一瞬のまばたきの後の瞠目、目を開いたときにはアインの姿が見当たらず、


「下っス!」


横から聞こえた言葉に反応し、視線を下に移すと上半身を屈めたアインが懐へと入り込んでいた。

十歩に満ちる程の間合いを一瞬で迫られ、奴の手は上半身に隠れて見えない。

握られた剣が右から来るのか、左から来るのか、どのような軌道を描くのか。

左目の隅でアインの右肩がわずかに上がる。咄嗟に上体を逸らと逸らす目の前を白銀の剣閃が煌めく。

切り捨てられた前髪がハラハラと舞い上がり、散ってゆく。


初めての時と同じく、首を執拗に狙った確殺の一撃。


背骨を持っていかれかねない全力の仰け反りに足がもつれるが、なんとか後退する。

一拍置いてカチンッと甲高い納刀の音が聞こえる。


「ん‐、やっぱり隊長みたいにうまく行かないなぁ。やっぱり首狙うよりあの位置なら腕か脚を刈った方が確実だったなぁ」

なんでもなかったかのように呟く。


「お前っ、なぁ!どこが痛い目だっ、全力で殺しに来てんじゃねぇかっ!」


二撃目が来ないと踏み、息を整えると共に文句。


「避けれたので良かったじゃないですか。あれで死んでたらそこまでだった、避けれて良かったですね‐」


「うっわ、うっぜ。余裕かよ、腹立つ。やっぱ俺お前嫌いだわ」


どうしてこうあのハリネズミといい人の神経を逆撫でしてくるのか。


「そうですか? 僕は貴方のこと嫌いじゃないですよ。てのかかる子犬みたいで、キャンキャンと」


要は良く吠えるやかましい犬ってことかよ。


「呼んだッスか?」

「呼んでないからでっかいワンちゃんは黙ってて」

「了解ッス!」


聞き分けのいいでかいワンちゃんだ。つうか犬扱いでいいのか、シトリィの奴。


「あははははっ、やっぱり面白いなぁ、貴方たち。

あまり酷いことしたくないし、嫌われたくないので大人しく帰ってくれません?」


二回も首刎ねられかけて自分がまだ好かれてると思ってる辺り頭がどうかしてる。


「オォイ、なぁにしてんだおまえら」


森の奥から粘着質な声。

いつも通りならアッシュの野郎だ。行く先々であいつと出くわすから、なぜか。

だけど今回は違う。アッシュではない。


「おい、ツヴァイ、アイン、招集だあ。アッシュの野郎が呼んでんぞ、ったく。老体をこき使うんじゃねぇっての、馬鹿野郎」


悪態をつきながらゆっくりとした足取りで向かってくる男。

灰と白の入り混じったボサボサの頭髪に汚れのついたヨレた白衣。しまいにはズボンのポケットに手を突っ込み咥えたばこと来た。


絵にかいたようなヤブ医者といった体の齢五十、六十程の男。


「…あぁん? 誰だ坊主、見ねぇ顔だな。それに……ちっ」


男は俺の顔を見るなり後ろのシトリィ達に視線を向け、ロ‐シの顔を見るなり、ばつが悪そうに舌打ちし、視線を逸らした。


「ご無沙汰してます」

「……うっす」


ロ‐シ、ゴリ、ラットと共に頭を軽く下げ会釈する。

男の対応は舌打ちと気まずいそうに頭を掻くだけ。


「先生、招集とはどういうことですか」

「……おう、アッシュの野郎が呼んでるぜ、ってまさかまたお前ら揉め事か? 抜いてねぇだろうな、事後処理は俺の仕事になんだから勘弁しろよ」

「あははは、やだなぁ、先生。抜剣なんかしてませんよ。仲良くお話してただけですよ、ねぇ?」


何事もなかったかのように話を振ってくるアイン。

首ちょんぱ目前まで剣を突き付けておいて仲良くお話してたで済むらしい。


こいつとは今後とも仲良くお話していきたいと思う。死ぬまで。


「あ‐はいはい。お前はそう言うだろうよ。詳しくはツヴァイから聞くからいいわ。

んで、いいからとっとと来い、めんどくせぇ」

「はい。ですが先生、我々はここの封鎖を命じられてますが…」

「ほっとけほっとけ、俺が言われたのはお前らを呼んでくることだけだ。あとのことなんざぁ知ったこっちゃねぇ。行きたきゃ行け、ただし自己責任だからな。わかったらとっとと行くぞ、おら」

「はい、わかりました」

「は‐い」


片手をひらひらと靡かせ、アインとツヴァイを引き連れていく先生と呼ばれた男。

なんともいい加減だが、砕けた感じに好感を持てる。


「そうそう、坊ちゃん嬢ちゃん。連れは選んだ方がいいぞ。おせっかいな爺さんからの忠告だ」

「失礼します。ではまた」

「また会いましょうね、お兄さん方‐」


男はロ‐シ達を眺めながら、ツヴァイを軽く頭を下げ、アインは笑顔を振りまきながらと思い思いの行動を繰り広げ、立ち去っていく。

なんとも突飛で胸中では嵐が去ったような気分だ。


「はぁ‐……」


溜息とともに足が崩れ、地面に大の字で倒れこんだ。


「旦那、大丈夫ですか」

「タッきゅん、死んだッスか‐?

「おと様‐?」


各々が近づき、声を掛けられる。口調で誰が喋ってるかわかりやすくて助かる。

しかし、しんどすぎて言葉を返すのがだるい。


「あ‐いってぇ、背骨がどっか行った、海老になったわ」

「なんで海老」

「なんだよあれ、速すぎでしょ、人間じゃねぇんじゃねぇのあいつ」

「無視された!」

「さすが『神童』と称されるだけありますね」

「出た!二つ名さんだ!」

「二つ名さんってなんで敬称」

「バッカおめぇ!二つ名さんだぞ!どんだけお世話になってると思ってんだ!」

「出たぞタツミの変な病気が。たまにこいつ壊れるよな」

「アハハハハッ、やっぱタッきゅんおもしろいッスね‐!」

「だろ‐?俺も嫌いじゃない!」

「自分で言うのかよ!」

「アハハハハッ」

「……で、もうよろしいですか? どうせ旦那のことですから説明を求めるでしょう?」

「……はい」


よくわかってらっしゃる。

しかし、ロ‐シのジト目とは珍しい。ゆえによく効く。


「『神童』のアイン。若くしてアッシュと渡り合い、見初められての『ネ‐ムレス』への入隊。

一撃必殺を主とするアッシュと数合とはいえ打合った数少ない人物です。

アッシュの研鑽された居合に対し、身体能力のみで渡り合ったアインはまさに天稟ある『神童』。

本人も才能だけではアッシュに敵わぬと思い、技術を磨いているという話でしたが…。

旦那、アインの初動を旦那にはどう映りましたか?」

「どう、ねぇ。一瞬消えたかと思ったぜ。汗に目が入った瞬間、瞬きの間に足元いるんだからビビったビビった」

「瞬きの間…付け焼刃でも確かに技術に間違いなく。相対し、相手の瞬きの合間に動き始めて消えたように錯覚させたんでしょうね。生来の速さに加えて努力、技術を磨くとは厄介極まりないですね」

「は‐つうかなに、あの速さも生まれ持ってってまじ化け物かよ。どんな理屈だ」

「魔法と一緒ですよ、旦那。目視できる奇跡、理から外れた事象。そこに理由や理屈はありあません。ただそこにあるという事実を受け入れるのみ。理屈っぽい旦那には苦手でしょうね」


まったくだ。しかし、便利だなぁ。ロ‐シ大辞典。


「ふぅん、で、だ。あの先生とか呼ばれてたやつ、知り合いか?」

「……ええ、まぁ」


煮え切らない返事。しかしそれ以上喋りたがらない。

どうやら複雑な関係らしい。


「そうか。ほんじゃま、色々あったけど、行きますか。ギンの姉さん探し」


立ち上がり、膝についた埃を払う。

結局、どこに行こうとアッシュの奴が先にいて、先を行く。

どこまでもついてまわる奴との縁。

女将さんを敬いクレアを想うアッシュに、奴を慕う奴ら。

渦中にはアッシュがいて、奴がすべての中心になっている気がする。

そこに俺がどう絡んでくるのか、何を為せばいいのかはわからないけれど、とにかく今はギンを救うことが最優先だ。


「ほんじゃま‐、突撃お宅訪問と行きますか‐」


再び魍魎溢れる森へと。



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