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腰巾着‐2

 舗装された街路を抜け、緑が目立つようになった道を歩む頃。

 鬱蒼とした森への入り口に二人の男女が見えた。


 二人とも同じような服装で、何よりも胸を覆うハ‐フプレ‐トが目立つ。

 いかにも兵士、歩兵、といった装いで、腰には共通の片手剣。

 男の方は武骨な鉄の剣の他に、女の方の氷細工のような透明とも青ともとれる色に納まった剣の二本差しが目立つ。

 素人目にもわかる、人工ではない人外の手が加わった氷細工のような剣と鞘。


 そして何より二人の容姿。忘れもしない。

 以前、アッシュと共に現れた二人組だ。


 年の頃は俺と同じ、十代後半の常に愛想笑いを顔に張り付けた赤毛の少年と対照的な能面のような無表情のこれまた透き通った水色の髪をポニ‐テ‐ルに結った二十頃と思わしき女。

 二人とも整った顔立ちな上に印象的であり、対面すれば好感を得られるだろうが、何よりも俺にとっての出会い頭が印象的すぎる。

 何せ初対面の人間に挨拶もなしに首筋に剣をあてがってくれるような人間だ。

 忘れられるわけもない。


「‐‐よぉ、こないだぶり」


 出会いは最悪だが、人間関係は円滑を心がける俺だ。挨拶は忘れない。


「どちら様でしたっけ? この先は立ち入り禁止なんですよ‐」


 女の方の返事を期待したが、相変わらずへらへらとした愛想笑いのまま男が答えた。

 女の方を見るとつまらなさそうに俺を見て、ふっと鼻を鳴らすだけでそっぽを向かれた。

 その態度にいらっとしたし、何よりこいつらが俺を忘れてる風なのも気に入らない。


「おいおい随分なご挨拶じゃねぇか。 こないだ俺ちゃんの首筋に冷たいもん押し付けてくれちゃった仲じゃねぇのぉ?」


「ん‐、そんなことありましたっけ? というか冷たいもんってなんです?」


 素で答えられた。


「わぁお、タッきゅん凄いッス!溢れ出るチンピラ感!隠せない小物臭!何があったかは知らないッスけど相手の記憶の片隅にも無いッスよ!素で忘れられてるッス!」


 シトリィが横で感嘆の声を漏らす。

 こいつの場合、素なのか煽っているのかわから‐‐あ、にっこにこで言ってる辺り煽ってるはこいつ。

 またスッススッス連呼する後輩口調だとより一層むかついてくる。


「うっるせぇ!シトリィ黙ってろ!」


「いやん!そうやって感情のまま怒鳴っちゃう辺りがより一層小物っぽいッス!」


 え、まだ煽ってくんだけどこいつ。

 こいつ俺のこと好きだよね?好意的だったよね?

 俺こいつ嫌いだわ……。


「はいはい、シトリィ嬢は少しお静かに。旦那も落ち着いてください。

 立ち入り禁止とはどうしてです? 先日までは普通に入れたはずですが」


 俺たちを制止し、ロ‐シが二人に歩み寄る。


「え‐、あ‐、あれ、何ででしたっけ」


 赤毛の男は頭部を困ったとばかりに頭を掻いている。

 愛想笑いと言い、見た目通り陽気な奴なようだ。


「馬鹿者。最近の魔物の活性化の原因解明の現地調査だろうが。

 故に一般人の立ち入りを禁止している、ご理解いただけだろうか、ご老公」


 ロ‐シに呼応するように女が前へ歩み出る。


「へぇ、でもよ姉ちゃん。 生憎とそうもいかねぇんだわ。 入れてくんねぇ?」


「……」


 無言。

 なんだろう。無言のはずなのに、視線でしゃべるな、黙れ、と視線で訴えられている気がする。

 要するにめっちゃ冷たい目で睨まれた。


「あの、すんません、入れさせてください」


 無言。


「お願いします!入れさせてください!」


 無言。


「わぁお、すげぇッス!タッくん!ガン無視ッスよ!今日日これ程気持ちいいガン無視、夜哭街の客引きでも見ないッスよ!」


 女の冷ややかな対応とは裏腹にシトリィは大興奮。やめてほしい、俺のメンタルを殺す気か。


 仕方がない。これだけは使いたくなかった…!


「お姉さん、どうかお願いします! 森に入れさせてください!」


 渾身の土下座と懇願。

 これに応えない奴には良心がない、人の心がない、人間じゃない。


「……」


 返ってきたのは無言の圧とこれ以上ないほどの冷たい視線。その髪色がごとき氷を感じさせる視線のみだった。


「やっば! めっちゃやばいッス!タッ君ぱねぇッス!ガン無視!わははははは!」


 シトリィの爆笑に俺は何も言えず、静かに立ち上がり踵を返す。


「「どんまい」」


 ゴリとアルフに肩を叩かれて慰められる。


「……うるせぇ」


 もうやだ、おうちかえる。


「……はぁ。旦那に代わって話を続けましょうか。

 立ち入り禁止とは困りました、この森にはこの娘の生家がありますのでお二方にはこの娘に家に帰るな、と申されますか」


 ロ‐シがギンの肩を掴み、押し出す。


「その娘‐‐獣人か?

 しかしご老公、この森には民家はなかった。疑うようで申し訳ないが、本当にこの森に住んでおられるのか?」


 ロ‐シと普通に会話する青髪の女。 あれぇ。おかしいぞぉ……。


「疑いはごもっとも。しかしお忘れか、この森の名前を」


「……ふむ、なるほど。 その耳、狼か。それにその白銀の毛色、確かに伝聞通り。

 しかしご老公、我々もこの森への悪戯な立ち入りを封じろとの命を隊長から受けているので‐‐」


 一瞬、ロ‐シの雰囲気が変わる。女はその空気を感じ取り、しまったと顔を歪める。

 それでは遅い。


「‐‐ほぉ。悪戯な立ち入り、ですか。

 先ほど述べたようにこの娘の生家がこの森に、むしろこの森こそがこの娘の生家であり、この森の主とも呼べる。主が帰るのに誰の許可がいりましょうか」


 水を得た魚のようにロ‐シの弁舌が勢いを増す。

 それに対し女の表情は依然苦々しいままだ。


「し、しかしご老公。

 今やこの森は魔物の巣窟と化している。もはや主の手に負えないからこそこうなったのではないか。

 ゆえに我々が来ているわけで……」


 しかし、でも。

 その言葉の出番が増えるときは押されている時、劣勢の時だ。


 もう一押しだ。


「ええ、そうでしょうね。

 主の手に負えなくなった、故に助力を乞われて我々が出向いたわけです。

 でしょう? ギン嬢、旦那」


「‐‐うん」


 ロ‐シに話を振られ、ギンが顔を上げる。

 その表情には戸惑いや不甲斐なさ、情けなさ、そんな負の感情が読み取れるが、視線だけはまっすぐと女を見据えていた。会話のすべてをわかりながらも、口を出さなかった。

 賢い娘だ。


「ぐ……。

 さぞ名のある方々とお見受けしました、無知の私に是非名前をご教授いただきたく」


 女が一人一人を眺める。

 俺やロ‐シ、ギンを眺め、ふとシトリィに視線が止まった。


「赤毛の獣人‐‐それに犬の獣耳、焦げ茶色のロ‐ブ‐‐もしや噂に聞く『狂犬』か?」


「‐‐へぇ。 実は私も有名だったりするんスかね? 照れるッス」


 笑っている。

 女が『狂犬』の名を口に出したとき、シトリィは一瞬固まった。

 それで何か変わった。

 表情は依然、ニコニコとしているが違う。

 内包する何かが変わった。


 つくづく俺の周りには腹芸が得意な奴が多い、女は特に。

 笑顔のうちでどす黒い何かを考えている。だからこそ女は怖い。


「‐‐失礼した。『狂犬』とは侮蔑であると知りながらも口に出した私の無礼、お許しいただきたい。

 夜哭街で実力のみで名を馳せた貴殿を私は尊敬している。

 武人でありながら、女でありながら。私も同じ武人として、女としてそのようになりたいと憧れてすらいる」


 女はシトリィへと一礼する。

 そこには確かに敬意と謝罪、それ以外の一切を消した淀みない仕草。


「へぇ‐。なんかそこまで言われると照れるッスねぇ。

 ウチ、お姉さん気に入ったッスよ。 シトリィッス。ウチの名前、お姉さんには『狂犬』ではなく、シトリィと呼んで欲しいッス。 あともちょっと柔らかく喋ってくれると嬉しいッス」


「ありがたく、シトリィ殿。

 私はツヴァイ、どうか気軽に呼んでもらいたい」


「呼び捨てで構わないッスのに。ツヴァイ。ならツ‐ちゃんっすね」


「ほぉ、貴女が噂に聞くツヴァイ殿。 ならば連れの方は‐‐」


 三人の会話が弾む。

 ロ‐シがツヴァイと名乗った女の話を聞き、つまらなそうに横であくびをかます赤毛の男を見る。


「ツ‐ちゃん。 ええ、こちらが弟のアインです」


 水色の髪の女ツヴァイが姉で、赤毛の男、アインが男。

 どこかの国の数字、アインス、ツヴァイと一、二の数え方だったはず。

 それが姉弟で逆転しているのか、覚えにくいとも思ったが、姉が腰に剣を二本差し、弟は一本と思えば覚えやすい。


「あ、姉さん。 話終わった?」


「まだだ」


「長いなぁ。 姉さん話すの下手なんだからとっととやめたらいいのに」


「お前に言われたくない」


 話すの下手って。

 もしやあれか、俺が散々無視されたのは話すの下手だからなのか。

 そう思ったら元気出てきた。


「まぁなんでもいいや。

 そんなわけでとっとと帰っていただけますか?」


 どんなわけだ。

 せっかく友好的に進んでたのに、お前は何を聞いてたんだ、全部台無しにする気か。


「おい、アイン……」


「そ‐だそ‐だ、姉ちゃん言ってやれ!」


「……」


 黙んないで。俺が喋ったとたんすげぇ怖い顔で睨んでくるのやめて。黙んないで。


「もうやだ、おうちかえる……」


「あっはっはっはっは、おに‐さんおもしろいなぁ。

 そうそう、早く帰ってくださいな」


 姉に対して、弟には気に入られた。違う、男から好かれたいわけじゃない。

 第一俺はお前が嫌いだ。


「そうだ、シトリィ殿、ご老公、そしてお嬢さん。

 お三方はまだ納得できるが、それ以外の方々はその、何というか夜哭街の方々か?」


 暗にお前らどこのチンピラだ、ってことか!


「いえ、私たちは…」


「『夜行』だ」


 ちょうどいい。前々から考えていた。


「『夜行』?」


 ここにきて、初めてツヴァイが俺と会話した。


「そう、『夜行』。いまはまだ無名だが、『狂犬』の所属するパ‐ティ。きっと有名になる。する」


 アッシュの二つ名『剣鬼』、そしてアイツの部隊『ネ‐ムレス』、シトリィの二つ名『狂犬』。

 名を通すだけではない、恐れや憧れ、侮蔑。

 二つ名が通るとは有名になるだけではない、様々な根性が籠る。


「ふむ、『夜行』ですか。初耳ではありますが嫌いではありません。

 意味などはありますか、旦那」


 ロ‐シが長い髭を梳きながら楽し気に問う。

 別に深い意味などはないが、全てを見透かされたような気がする。


「…別にたいして意味なんざぁねぇよ」


「そうですか。しかし奇遇ですね、昔東方の方でこんな言葉を聞いたことがあります。

 確か百鬼夜行、と言いましたかね。読んで字のごとく百の鬼が群れを成して夜を行く。

 ふむ、鬼が夜を行く、ですか。たまたまの一致ですかね」


「ロ‐シ、お前いい性格してるよなぁ」


 全部お見通しだった。それをあえて口に出された。

 余計なおせっかいだ。


「はっはっは。年を取ると世話を焼きたくなるもんです。

 皆若すぎる、ゆえに世話野焼きがいもあるってもんです。

 ついでにツヴァイ殿、貴女も素直すぎる。すぐに表情に出るのでわかりやすい」


「……肝に銘じておきます」


 そういったツヴァイの顔はまさに苦虫を噛み潰したようだった。


「つうかよぉ、タツミィ。 夜っつうのはあれほど忌み言葉っつったろうよ。

 なんなら夜を明かすとか夜明けを迎えるぐらいの気概でいろよ」


 リ‐ドが呆れたように言う。口酸っぱく言われたからなぁ。


「あ‐、うっせうっせ。どうせそんな奴らごまんといんだろ。俺が勇者だ‐だとか俺が夜を明かすんだ‐とかいうエリ‐ト意識持った奴ら。生憎と俺はそこまで意識高くねぇんだよ。

 そんな時代の変革者様になってやるって程自惚れてねぇんだよ。おとなしく俺ぁこの時代をのうのうと生きる、そんなもんでいいんだよ」


「おもしろい奴だな」


 ツヴァイが初めて俺を見て、感想を述べる。

 不本意な感想だが会話する気になったのならば悪くないどころか重畳。


「へぇ、そりゃあどうも。

 ようやっと会話する気になってくれたかよ」


「そうだな、話す価値ぐらいはあるかもしれん。

 得るものがあるかは不思議だが、話すのも悪くない。

 まずその口調を改めて欲しいものだが」


「なんであんたが上から目線なのかも不思議なもんだがねぇ。

 年功序列がそこまで染みついてなくて悪いなぁ」


「そういうならば少しは悪びれろ」


「あ‐、話終わった? 姉さん」


 ツヴァイと会話する中、弟のアインがつまらなさそうに割り込んでくる。

 その表情にはうんざりといった様子が汲み取れる。

 ツヴァイからは好意的な反応が返ってくるようにはなったが、アインからは終始仕方がなくといった様子が色濃い。


「面倒くさいなぁ。 えぇっと何だっけ、『夜行』の皆さん? とにかく、この森は今危ないのでお引き取り願えますか」


「おい、アイン」


「姉さんは黙っててよ。 この森への立ち入りを許すなって隊長の命令でしょ。事情とかどうでもいいじゃない」


 諫める様子のツヴァイをアインは受け入れない。

 二人の今までの対応が逆転したかもとれるが、元からアインはすべてどうでも良さそうだった。

 元々俺たちへの興味が薄いのだ。


「もしこのまま強引にでも立ち入るっつったらどうすんだよ?」


「危ないから入るなって親切に言ってるんです。何なら入りたくない、って言わせてやってもいいんですよ?力づくで」


 アインは笑顔を崩さず、静かに腰の剣に手をかける。

 ケガをさせないため、といいながらケガを負わせて追い払うとは本末転倒。


「物騒なこというなぁ。これじゃあどっちがチンピラかわかったもんじゃねぇ」


 ふと知りたくなった。

 アッシュの元で名を馳せた男がどれほどの強さなのか。

 自分の力がいかようなものなのか。どこまで通用するのか。


「上等。何が何でも押し通らせてもらうぜ」


「謙虚かと思いましたが、傲慢。傲慢甚だしい。貴方ごときが僕に敵うと思っているその心積もり、へし折ってあげます」


 腰に差した『無明』に手を伸ばし、抜刀する。

 対峙するアインは未だに剣に手をかけたまま。

 ワンモ‐ションの差。動作は一手間、時間にして数秒。

 まばたきの優位を保ったまま、開戦する。

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