呪縛
「ギンが、死ぬ…?」
まさか。なぜ。はつらつを絵に書いたような彼女が。
「腕を変化させてから呆然としてたと言ったね?
それは賢狼と器の意識が混濁してる証拠さね。
このままだとそう遠くないうちに器の意識が呑まれるか、身体の変質が始まる。
どちらにしろ、行き着く先は確実に器--あんたがギンと呼ぶ娘の自我は消える。無くなる。死ぬ」
女将さんはギンの行く末を何とも思っていないかのように平坦な口調で告げる。
しかし、その女将さんの言葉を、思っていたよりも冷静に、自らを冷徹と思うほどに平然と受けとめれた。
酷くショックは受けたが、まだ可能性は残されているのだと、救いがあるのだと頭の片隅で理解していた。
「ギンを救う--死なせずに済ませる方法は」
「--私が思い付く限りで方法はふたつ。
ひとつは獣憑きの儀式で、今の体から別の器に移す。
ただし、移した先を賢狼が気に入らなければ結局戻ってくる可能性が高いのと何より獣憑きの儀式が今や情報がなく行えないため、現実的じゃあない」
「--二つ目は」
「奴--賢狼の願いを叶えること」
「願い--?」
「そう。奴が他人の体に取り憑いてまで生きたいと思ったその根源を絶つ」
「願いを叶える、か。それは、他人の人生を台無しにしてまで叶えたい願いってのは一体、どんなもんなんだろうな……」
呆れと嫌悪感。様々な負の感情が込められた俺の言葉は侮辱と取れたのだろう。俺を見る女将さんとロ-シの目が険しいものになる。
「--不死のあんたにゃあわからないかもしれないね。
自分の命を、例え周りの人間全てを不幸にしてでも叶えたい願いってのは--あんたは甘いんだよ」
「例え死しても叶えたい願い--あるやつにはあるもんなんですよ、旦那」
わからない。
二人に諭すように語られても俺にはわからない。
その願いの先に何がある。幸せか、達成感か。死だ。
願いを叶えて死ぬ。
そりゃあ願いを叶えずして死ぬよりかはましだろう。
遅かれ早かれ死ぬのならば、前者のがましだろう。
しかし、その代償は命だ。
文字通り死んでまで叶えたい願い--生憎と俺にはそんなものはない。
『本当か』
静かに声だけが響く。
聞こえはしない、しかし脳内で反響するように繰り返される問い。
『お前にもあったはずだ。死してまで叶えたい願い。しかし、お前は忘れた。
死してまで会いたい者、されど自らでその命を絶つことを禁じられた。お前はその戒めを一途に守り続けた、呪いと化すまでに』
ずっとその声は、存在は確かに感じてはいた。
しかし、ソイツはずっと沈黙を保っていた。
希薄な存在感を滲ませながらも、静かに座してジッとしていた--俺の身体の中で。
『今までダンマリだったくせに、今日はえらく饒舌じゃねぇの。
気分転換にお話でもしたくなったかよ』
軽口を交えながら対話を望む。
『……』
返事はない。
『またダンマリかよ……』
消えてはいない。
今までのように、黙っただけだ。
あるかもわからない目でただただ俺を見つめている。
そしてまた、気まぐれで声をかける。
そんな得体の知れぬ存在が、自らの身体の中にいる。
なんとも言えない感情だ。恐怖や不安、だろうか。
今なら多重人格者の気持ちがわかる気がする。
思えば、こちらに来てから幻聴に馴染み深くなったものだ。
自分の中のナニかに、無明から聞こえてくる狂気。
これらは別な存在だと確信しているが、何らかの繋がりがあるとも確信している。
まったくわからないことだらけだ。
「…ったく、不安要素だらけでヤになるぜ……」
「どうかしましたか、旦那」
俺の独り言につい先程までの剣呑さを潜めたロ-シが尋ねてくるが、俺にはそれに平穏無事な答えを返せる気がしない。
「何でもねぇよ、はぁ-あ。
クレアのスト-カ-もまだ片付いてねぇのになぁ。ギンの中の賢狼の願いをなんとかしろだって?
ハ-ドモ-ドな気しかしねぇなぁ。……ちなみにその願いってなんだろうなぁ」
「……さぁね」
だと思った。
「--ただ、奴はずっと何かを待っていた。
時を待っていたのか、あるいは……誰かを待ち望んでいたのか」
「待つ……?」
「奴はずっと賢狼の森にいた。片時も離れずに。そして私が知る限り、巫女もまた。だけどなぜか今、ギンはあそこを離れた。それは時が来たのか、それとも……」
女将さんと目が合う。
クレアと同色の緋色の目が俺を見透かすかのように、ジッと見ている。
「待ち人来たれり--ってことなのかもね」
女将さんはぼそりと小さな声で独りごちる。
俺に聞こえるかどうかの僅かな声量で--しかと俺の耳に届いた。
(待ち人--ねぇ)
「 ま、何にせよ事態は確実に進んでる。決着は遅かれ早かれいずれ着くだろうよ--それが良しか悪しかはわからんがね。
とにかくあたしから言えることはギンに賢狼の力の使用を控えさせることと、少しでも詳しく知りたいなら『先代』の獣憑きの巫女でも訪ねるこった」
「『先代』……?」
どういうことだ?
そいつが死んだから代がギンに移ったのではないのか。
それに、器が生きたまま移すのは術がなく不可能だと先程女将さんが言ったばかりではないか。
「--詳しくは当代の巫女様本人に聞きな。ほら、おでましだよ」
女将さんは顎で階段をクイッと示すと、いつものようにグラスを拭い始めた。どうやら話はこれで打ち切りらしい。
「ギンちゃん、おはようございます。 具合はどうですか?」
「ク-ねえ様、おはようっ! 寝たらよくなったっ!」
指し示された先には、挨拶を交わす二人。
「ギン……」
「おとさまもっ!おはよっ!」
「あ、ああ、おはよう」
「どうかしたの? おとさま、怖い顔してる」
そんなつもりはないのだが。
ギンが上目使いで俺の顔を覗く。その際に彼女のトレ-ドマ-クとも呼べる耳がピクピクと動いている。
「……現金なもんだよなぁ」
あれほど可愛いと思えたものが、今はただただ--忌々しい。
「ギン--」
「なぁに?」
可愛らしく首を傾げるギン。俺の言葉を聞き、彼女の反応はどんなものだろうか。怒るだろうか、悲しむだろうか。
--嫌われたくはねぇなぁ。
言わなくても良いのではないか。そんな魔が差しかかる。
「--その耳を、賢狼の耳と尻尾をしまえ」
「--え?」
ギンは硬直した。俺の言葉が理解できない、したくないとばかりに。
--ほらな、やっぱり予想通り……いいや、予想以上じゃねぇか。
彼女があの耳に特別な思い入れがあるだろうことは昨晩にわかっていたじゃないか。
耳がなくとも可愛いと、綺麗だとほめた彼女は嬉しそうにはにかんでいたではないか。
『ありがとう、おとさま』
今でも照れ臭そうに笑う彼女の姿を鮮明に浮かべることが出来る。
しかし、今やどうだ。
「え……おとさま、なんて、なんで……」
その瞳に涙を溜めて、自らの衣服を弱々しく握っている。まるで世界の終わりを悟ったかのようだ。
「その耳と尻尾をしまいなさい」
「--だっ!やだやだやだっ!やだぁっ!」
それはまるで赤子のようだった。
泣きじゃくり、腕を振り回し、追いすがる。
聞き分けのいい彼女らしからぬ、子供じみた反抗。予想外ゆえに。
「やだじゃないっ!聞き分けろッ!」
つい感情的になってしまった。
「お、おい、タツミ」
「旦那、心配なのはわかりますが……」
「なんだなんだ、どうしたよ」
「タツミさ…わっ、ギンちゃん、どうしたのっ!?」
リ-ドやロ-シのみならず、俺の声にアルフやクレアなどが集い始め、何事かとゴリやラットさえもやって来て、全員が集まる。
「ふっ、ふぐうっ、だ、だっていいって言ったもんっ!可愛いって言ったもんっ!」
「おいおい、どういうこったよ」
「ギンちゃん泣かないの、落ち着いて」
「だっておと様が…その耳はやめなさいって…可愛いって言ったのに…」
ギンはうつむき、自分の服の裾をぎゅっと握りしめ細々と喋る。
耳と聞いた全員はギンの頭の上についた白銀の狼の耳を注目する。
その耳はギン同様、シュンと力なく倒れ、項垂れているようだった。
(ぐ…、不覚にも可愛いじゃねぇか……!)
もうこのままでもいいんじゃないか。そんな気さえする。
しかし、そんなわけがない。何せ懸かっているのは彼女の命だ。
「可愛いのは認めるが、その耳を出し続けるとどうなるかわかってるのか」
「うわ、タツミの奴、嬢ちゃん泣かせてやがるぞ……」
「前々から色んな意味で酷い奴だと思ってたが、やっぱり酷いな、色んな意味で」
泣き止まぬギンに自らの状態を確認する意味でも問いただす。と、視界の隅でアルフとリ-ドの二人が肩を寄せあって俺を見ながらぼそぼそ会話している。
丸見えなうえに丸わかり。やはり二馬鹿は伊達ではない。
「ちゃっかり可愛いのは認めるとかなんだよ、ノロケかよ、空気読めよ、死ねよもう」
「クレア嬢ちゃんと妙な空気を醸し出してるが、本命はギン嬢ちゃんの方だったのか……事を起こす前にアッシュにでも斬ってもらうか?」
「……」
ギンは泣き止まない。クレアは宥めながらも俺を目で責めたてる。
ゴリ達三人もギンの周りで狼狽えながら、俺を無言で責める。
女将さん、変わらず無干渉。乾いたグラスがキュッキュッと小気味良い音をたてる。
「いやいや、アッシュの前に俺達が殺ろう。仲間としての優しさだ」
「嘘をつけ。本当は最近奴の周りで女っ気が増してるのが気に食わんだけだろう」
「……」
「そのとおり、よくわかってんじゃねぇか」
「ふっ、何年やっていると思っている」
笑顔のアルフにリ-ドもニヒルな笑みを浮かべ、互いに見つめあう。これだけ見れば青春映画の一幕のようだ。
「「よし、殺るか」」
台無しである。
「笑顔で人を殺るかとか言ってんじゃねぇよっ!この馬鹿共がっ!死ねっ!てめぇらが死ね!ひがんでんじゃねぇっ!てめぇらが空気読めよっ!」
堪忍袋の緒が切れた。
「うおっ、びっくりしたっ。急にでっけぇ声出すんじゃねぇよ!」
「なんだ、聞こえてたのか。盗み聞きとは趣味が悪いぞ、趣味が悪いのは女だけにしておけ?」
「うっせぇよ!女の趣味が悪いだぁ?んなわけねぇだろっ!俺は美少女好きだわぼけっ!」
「いやぁ、ガ-ディアンに手を出した奴に言われてもなぁ……」
「出してねえっつってんだろ!?いつまで引っ張んだよっ!」
「わかったわかった。彼女らに手を出した奴は大体そういうんだよ」
駄目だこいつら、聞き耳を持ち合わせてねぇ。
「それを言ったら全人類が奴等を抱いたことになるじゃねぇかっ!」
「はっはっはっ、馬鹿を言うなよ、タツミ。ガ-ディアンに好んで手を出す奇特な奴がそう居るわけないだろ。なぁ、アルフ?」
「……お?お、おう……」
その間はなんだ。
「お、おい、アルフ?」
冷や汗を一滴垂らし、アルフを見るリ-ド。
「な、なんだよ」
しかし、アルフはリ-ドと決して目を合わせようとはせず、視線があっちこっちと落ち着きをなくし、しまいには額にはダラダラと大量の汗をかきはじめた。
「まさか……アルフ、手を、出した……のか?」
馬鹿、踏み込むんじゃねぇよ。
「……ま、まさか。ガ、ガ-ディアンに手を出すわけ、ね、ねぇじゃねぇか……」
言葉は震え、視線は泳ぎまくっている。決まりだな。
「居たな、奇特な奴。お前の隣に」
リ-ドに対して言うと、二馬鹿の二人は気まずそうに無言で佇んでいた。
なんというか、墓穴である。
「……さて、馬鹿共の馬鹿話はさておいて。落ち着いたし、ゆっくり話をしよう、ギン」
馬鹿の相手をしているうちに、さすがにギンも涙を止め、鼻をすするぐらいに落ち着いている。
「俺だってその耳が可愛くないから嫌いってわけじゃないんだよ」
「……ほんと?」
相変わらず耳をションボリさせながら、上目遣いで俺を見るギン。
当たり前だ。可愛いギンによく似合っている。
「よく似合っている、可愛いよ。だけど、その耳は賢狼のものだろう?」
「……うん」
「その耳と尻尾を出しっぱなしにしとくと良くないことが起こる。おと様はそれを避けたいんだよ、わかってくれるか?」
「よくないこと?」
「そうだ。ギンには難しいかもしれないが、ギンがギンじゃなくなっちゃうんだよ」
「……知ってる。でも、それがギンの役割だから……」
歪んでいる。
「……誰が決めた。そんな役割」
「わかんない。でも、お母様もおばあ様も、みんなみんな……お姉様もそれが私たちの役割だって言って、皆そうして死んじゃったんだって」
馬鹿げている。
「違うんだよ、ギン。皆がそうだから、無理に皆と一緒である必要なんかないんだ。大事なのはギン自信がどうしたいのかだ」
「私がどうしたいか……」
「そう。ギンはどうしたい? 何がしたい?」
「ギンは……おと様と一緒がいい。一緒にいたい」
「……もちろん、俺もだよ。だけど、ギンの体に賢狼がいると俺とずっとじゃいられなくなっちまう。短くなっちゃうんだ。だから、一緒に探そう。賢狼を追い出して、二人で長くいられる方法を」
「追い出す……」
「そうだ」
「わかんない、おと様。ギンにはわかんないよ、おと様……だってお母様もおばあ様も、お姉様だって言ってたもん、賢狼様はずっとずっと一緒なんだって……」
それは長年に渡り刷り込まれた呪縛だった。
彼女の親達がどんな想いで賢狼を継がせ、そう言いくるめたのか俺にはわからない。
希望だったのか、絶望だったのか。
賢狼という毒を体に宿し、自我を食われるか、身体の変容を遂げるか。
彼女たちの末路は必ずしもそのどちらかだった。
しかし、唯一かも知れないその末路を免れた存在。
「……なぁ、女将さん。その『先代』とやらはどこにいるんだ」
「『先代』を訪れてどうするんだい」
「別に。ちょっと話を聞くだけさ」
「そうかい。……なら、薄々はわかってるんだろうね。『先代』--即ちギンの実の姉は賢狼が生まれた『迷宮』、賢狼の森の中の聖域と呼ばれる場所に引きこもってるさね」
妹を餌にして、自らの延命を計ったかもしれない姉の面を拝ませてもらうことにしよう。




