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秘密

「おとさま、だいじょ―ぶ?」


 傍らを歩くギンから俺を心配する声が聞こえる。

 俺より背の低い彼女を見下ろす形になるが、彼女もまた、俺を見上げていた。

 その瞳は不安に揺れ動き、どこか悲しげだった。


 この娘は本当に優しい娘だ。


 先程まで昏睡していたにも関わらず、自らの身よりも他人を慮れる。その優しさを持ち続けて欲しいと保護者気分で思う。


「はっはっは。ギンは優しいなぁ、おと様は嬉しいぞぉ。大丈夫、おと様は大丈夫だぁ……」

 

 自らに言い聞かせる為にも答える。

 こころなしか、自分の声が震えていた気がした。


「でもおとさま、元気ないよ―?」

「はっはっは、何を馬鹿な―。 おと様はいつだって元気だ……元気だぁ……」

「でもでも……」


 ギンの追求は止まらない。


「おとさま、泣いてるよ―?」

「てやんでえ、江戸っ子が泣くわけねえだろ、ばっきゃろ―」


 こちとら生まれも育ちも東京とは遠く離れた地。気持ちだけはたまに江戸っ子だ。


「てやんでえ? えどっこ? なにそれ?」


 俺の言葉が理解できないギンはしきりに首を左右に傾げ、それに釣られてきらびやかな銀髪も靡く。

 可憐で儚げなその姿はさながら妖精のようである。


 ――見てくださいよ、この可憐な妖精。 俺の娘なんすよ。 血の繋がりはないけど。

 

 どうやら俺は親バカだったらしい。

 新たな一面を見つけてしまった、タツミ大発見、感激!


「う―ん、ギン、よくわかんない。 でもでも、おとさまだいじょうぶ―?」

「大丈夫だぁ……。 これは涙じゃないんだ、ギンよ。 これは……そう。 心の汗とかそんなもんだ。 血とか涙……じゃねぇや、母乳みたいなもんだ……。 心の母乳……なんだそれ気持ち悪ィ」


 涙や母乳は元は血液だとどこかで聞いた覚えがあり、それらしいものを挙げてみたが、なぜかめんたまがおっぱいになっているとんだクリ―チャ―を想像してしまった、大丈夫か、俺。


 どうやら自分が思っている以上に心の傷はでかいらしい。

 

 しかし、意外だった。


「やぁ……まさかあれから断られるとは思わなかった……。フラれちまったなぁ……」


 そう、シトリィの勧誘は玉砕に終わったのだ。





「俺と共にこい、シトリィ」


 勝算はあると思っていた。しかし――


「ん、んぅ……おと様ぁ……? 」


 眠たげな声が聞こえ、次に衣擦れのような音が。

 どうやら気を失っていたギンが目覚めたようだ。


「ッ……」


 その行動に、シトリィはハッと息を呑み、直ぐ様ギンへと向ける。

 その視線はとても穏やかで、慈愛に満ちていた。

 そして、眠たげに目を擦るギンを見つめながら、口を開く。

 ただ短く、「ごめんなさい」とだけ告げて。


「――理由を聞いていいか」


 何故、どうして、と逸る気持ちを押さえつけ、極力声を落ち着かせて尋ねる。


「私も――貴方と一緒なの。ただ、恩や義理があるわけじゃない、守りたい子達がいるの。あの子達は私の妹で、娘で――家族なの。

 あの子達を放ってはいけないわ」


「――そうか」

「……怒らないの?」


 シトリィは怯えたように、上目遣いで尋ねてくる。


「怒る? 怒る理由なんてあるか?」


 彼女を勧誘したのは俺の勝手で、断るのは彼女の勝手。どこに腹を立てる要素があるというのか。


「――まぁ、ガッカリはしたけどな。なけなしの勇気を振り絞って告白したんだがなぁ」


 せめてもの意趣返しと笑いながら告げると、シトリィもまた、「――意地悪」と笑いながら答える。


 ――これでいいのだ。


「しっかりとした理由ありきで断られるっつうなら諦めもつくってもんだわな」

「――諦める? 諦められるの? 私は嫌。だって我が儘だから、欲しいものは絶対に手に入れるわ――なんとしてもね」


 シトリィは挑発的な笑みを浮かべて、大胆な事を言う。

 やはり彼女の気質はその真紅の髪色の如く、情熱的な、燃え盛る炎のようだ。


「そこまで求められるなら男冥利に尽きるってもんだな」

「応えてくれるのが男ってもんじゃないかしら」


 その問答はすでに片がついたはずだ。


「意地が悪いのはどっちだっつうの」

「――ふふっ。それじゃそろそろお暇させてもらうわ、覚悟しておいてね――またね」


 不敵な笑みを浮かべたまま、シトリィはそう言い残し、路地奥の闇へとその姿を溶かし、消えた。


 残されたのは俺と眠たげなギン、そして何も知らぬように安らかな寝顔を浮かべる少女に、物言わぬ骸と化した男だけだった。


「んぅ、おとさまー?」

「起きたのか、ギン」

「うん……なに話してたの?」

「他愛ない話さ」

 

 ギンと会話しながら、骸へと近づく。

 その瞳は驚きに見開かれ、ジッと俺を見ていた。

 骸も瞳も語りはしない。それでも、語っているがした。


 ――お前が俺を殺した――と。


 その瞳を黙らせるように、骸のまぶたを降ろす。


「――わかってるよ」

「ん、おとさま、なんか言ったぁ?」

「なんにも。 さてと、そろそろ帰るとするか。 眠り姫も起きる気配がねぇし、届けにゃならんしな、よっと」


 傍らで寝ている少女を背負う。

 幸い、細身の少女で背負えないほどではないが――


「寝てるから言えるが――思ったよりは重いもんだなぁ。 そういや人間、無意識に重心を

 とってるって話を聞いたことあったなぁ。

 同じ体重でも寝てる奴と起きてる奴じゃあ重みが違う、なんて言ってたっけ――我ながらどうでもいい話を聞いたもんだ」


 本当にどうでもよい話をと思った。

 彼女を起こせば軽くなり、背負わずとも歩いてくれるかもしれないとは思ったが、幸せそうな少女を起こすのもはばかられた。

 せめてもの報酬として背中に当たる柔らかな、ささやかな胸の感触を味あわせてもらうことにしよう。


「多少のしんどさは我慢がまん、彼女を家に送り届けるまでは役得やくとく――ってな。 さぁ、ギン、帰るぞ―」

「はぁ―いっ」


 早くも音をあげそうな足を引きずり、軽快な足取りのギンと共に帰路へとつく。




「――で、なんで愛娘を送り届けた恩人への謝礼がアイアンクロ―なんだったんだろうなぁ、フシギダナァ」

「あ、あはは……」


 未だに冷めやらぬ痛みと怒りを愚痴にすれば、珍しくギンは困ったと愛想笑いを浮かべる。


「出会い頭にアイアンクロ―かます仲の相手って誰だよ、あのおっさん。 なんでどいつもこいつも気が動転すりゃアイアンクロ―かますんだよ、カニか何かなのか。 その手はハサミなのか、飾りかよ」


 思い出すだけでも、腹が立つ。


 重たい思いをしながら少女を教わった家に送り届ければ、開扉一番、突如暗闇からぬっと伸びてきた大きな手に頭を鷲掴みにされ、万力のような力で締め上げられたのだ。


「ありゃあ痛かった……。頭が弾けて死ぬかと思ったぜ……。 娘にザクロの実でも見せたかったのかよ、あのおっさん」


 忘れもしない、塞がりかけた視界の中、涙ながらにギブギブと訴えかけても無視され、表情が死んだおっさんに締め続けられる恐怖を。


「普段から腹を揺らして笑ってそうな、表情豊かなおっさんが能面みてぇな面してやがったからなぁ、ギンがいなけりゃ本当に殺されたんじゃないかとゾッとする」

「あはは……」


 俺の隣で離せと叫び散らすギンに遅まきながら気づいたおっさんは、徐々に顔色を青く染めていき、慌てて俺から手を離していた。


 一方、危うく頭が弾けかけた俺はと言えば、なぜか花畑でゴリと仲良くおいかけっこをしていた。


 なぜだ、こういうのは決まって美女相手が相場だと言うのに。

 ゴリが相手だと途端にターザンごっこになってしまう、ましてやゴリを追いかけるならば花畑ではなく山道ではないか。


 ――冗談はさておき。


「で、でもでもおかげでまた芋をくれるっておじちゃんが……」


 そうなのだ。


 そのあと、自分の失態に気づいたおっさんは大慌てで俺達――特に俺に謝り、また屋台に赴いた際には商品の芋をサ―ビスすることを約束し、ギンの機嫌取りに成功し、まんまと二人がかりで俺はなだめられたのだ。


 危うく俺も芋のような頭になりかけたというのに、本物の芋に目がないギンの前では形無しであった。


 ――おいもう勘弁してくれ――なんつって。


「はぁ、過ぎたこたぁしゃあねぇか……。 帰ったらクレアの芋どころかメロンばりのおっぱいに泣きついてやる……!」

「ん―、でもいいの、おとさま。 ク―ねえさま、きっと怒ってるよ―?」

「クレアが怒ってるって? そりゃまた――」


 なんで、と言う前に思い出した。

 自分がなぜ『夜哭街』へと駆け出したのかを。

 内心、ヤケクソだった。

 苦労して得た報酬を取り上げられ、楽しみにしていた『夜哭街』への立ち入りも禁じられ、せめて一目見てやろうと思ったらそのきらびやかさに吸い込まれるように足を入れてしまったのだ。

 勿論、それだけではないつもりだったのだが、現地のドタバタに巻き込まれ本懐は果たせずにいた。


「――やべぇ。 超やべぇ」


 飛び出す前にはクレアは激おこだった。

 それこそ背後に炎を背負っていると錯覚するぐらいにはファイア―だったのだ。

 それを俺が早くも禁を破ったと知ればどうなるか――。


 女神のような笑みで許してくれるだろうか、それとも、肉親である女将さんのような苛烈さを持って俺を断罪するだろうか。


 ――もしそうなったら、今度こそ俺の頭はザクロでバンっ!かぐちゃぐちゃの芋になりかねないかもしれない――!


「――い、いや、まだだっ! まだ俺が『夜哭街』へと行ったことがバレたわけじゃ――! そうだろっ、ギン! 今夜のことはおとさまとの内緒だ! 秘密だぞ!? 」

「おとさまとの、ひみつ―?」


 ギンは俺の言葉を復唱し、可愛く首を傾げる。

 そうだ、バレさえしなければ問題ないのだ。

 幸い、ギンは俺の娘同然、ならば味方――


「おとさまとのひみつ……。えへっ、でもだ―めっ。 今日のことはク―ねえさまに話すんだ―」

「うええっ、なんで、なんでなのギンちゃんっ!?」


 信じていた娘からの手痛い裏切りだった。


「えへへっ、それはね――」


 ギンは後ろ手を組み、はにかみながらこちらへと振り返り――


「ギンのひみつ―、えへへ―」


 悪戯めいた笑みを浮かべ、楽しげに駆けていく。


 いまいち理由がわからないが、彼女が楽しいのならばそれでいいのかもしれない――なんて事を思いながら、前を駆けていく彼女を見失わぬように、ゆっくりと追いかける。


 暗闇の中へと見失わぬように――夜はまだまだ明けそうになかった。


「――しっかし、帰っちまったら俺に夜明けどころか明日を迎えられるのか不安だわ。――自業自得、って奴かねぇ」


 罰を受ける前から、クレアを怒らせるような真似は極力避けよう――そう思いながら重い足を運ぶ俺だった。

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