月下の咆哮
気がつけば一月経ってました。
好きなメーカーさんから出たゲームに気がつけば三週ほど費やし、その直後に高難易度と謳ったアレなイベントが始まり怒涛の一月でした。
正直、エタると思っていました。つうかエタってもいいじゃないの、だってry
とりあえず茨木ちゃんはくっころでもしてればいいのに。
――誰かを殺す覚悟?
「へへっ、犬っころ。そいつの剣をこっちに持ってこい」
「はぁ?なんでウチがそんな小間使いみたいな真似をしなくちゃいけないんッスか?ウチの仕事はあくまで護衛ッスからね」
冷めた思考の中、自問する。
「…チッ。つくづく使えない犬っころだな。高い金を払ってんだから相応の仕事をしろよ、クソッ」
「その金もあんたのモンじゃないッスけどね。あんま舐めたクチばっか利いてっと……殺すッスよ?」
女の脅しに男がビクリと肩を震わす。明確な上下関係。
「……チッ、おいガキ。その剣をとっととよこせ」
『無明』を納刀する。
男はそれを見て安堵し、迂闊にも此方に近づいてくる。
手にはナイフを持ち――眠っている少女を、置き去りに。
「……イイコト教えてあげるッス。過ぎた欲は身を滅ぼすッスよ」
獣人の女が呟く。誰に向けた言葉なのか――。
女は動く気配を見せない。
「何を言って――」
男は小言で呟いた女を一瞥する。
一つ目の好機――だけど、まだだ、まだ早い。
「――貴様ら、そこで何をしている?」
暗闇に突如響く、威圧的で冷淡な声。
どこから聞こえたのか、誰の声なのか――知っている。俺はこの声の主を。
(なんでここに――いや、なんでもいい。必定だろうと偶然だろうと……今がチャンスだ)
「だ、誰――」
予期せぬ声に男は動揺し、声の出所であろう方を見た――見てしまった。
それが俺にとって二つ目――絶好の好機だ。
『無明』を抜かず、渾身の力を込めて男の顎を目掛けて殴りつける。
刀の持ち味は当然、その切れ味だ。だが、長柄の棍棒としても十分に凶器足りえる。
硬質なもので相手を殴りつける。
独特な感触が手に残るが不思議と嫌ではなかった。
(それどころか――少し、心地よいと思っちまうのは、マズいんだろうなぁ……)
衝動的にはないにしろ、暴力に身を委ねる――それは立派な狂気だ。
狂気が人を狂わせるのか、人が狂気によって狂うのか。どちらにしろよくない兆候だ。
(こんなことをどこかで――あぁ。初日でも思ったんだっけか)
ゴリ達と対峙した時も同じように対処し、同じようなことを思った気がする。
果たして俺は、あの時より成長し、強くなり――自らの正義を――女を守るという正義を貫ける力を得たのだろうか。
それを俺は、今から証明せねばならない。そんな気がした。
「はがっ、があっ、はがああああっ!」
振りぬかれた『無明』は容赦なく男の顎にぶち当たり、男は軽く吹き飛ぶ。
今や地面を転がり、顎を抑えながら痛みに悶え苦しんでいる。
一見、歯が折れたりどうこうした様子はないがはが、はが、と悶える様はどこか滑稽だった。
――手応えは確かにあった。『無明』が三尺近くに鞘を入れると重みは二キロちょっとだろうか。まぁ立派な棍棒だこと。
「――あはっ!あははっ!」
雇用主が殴られたというのに、護衛であろう獣人の女は何がそんなに楽しいのか腹を抱えて笑っている。
「べべぇっ、ばびばらってばがるっ」
男がもんどりをうって倒れ、まともではない言語を言い放つがいまいち何を言っているのかよくわからない。
「あはははっ!何言ってるかわかんないッスけど、笑えるッスよ!気持ちよく吹き飛んだッスねぇ!」
そんな様子の男を獣人の女は指を指し、ゲラゲラと笑っている。
そのうるさい位の笑い声の主が先程までギンとの苛烈な戦いを繰り広げていた相手とは別人のようで――その無邪気な笑みはまるで子供のようだった。
「ぶるべぇっ!ごのグゾあまぁっ!どっどどだずげろぉっ!」
「あはははっ――はぁ。あんた、馬鹿ッスねぇ。救いようのない馬鹿ッス。笑えない馬鹿ッス。今更ウチが助けると思うッスか?」
男は獣人の女に救いを求める。
しかし、女はその救いを顔色ひとつ変えず、無表情で切り捨てた。
「ぐ、ぐうぅっ…!」
男の瞳が――揺らぐ。
自らの優位を信じ、自らを強者と錯覚していた愚者が目を覚ます。
この場で誰が強く、誰が弱いのか――男の目はそれを悟り、怯える。
それでも、まだ男の瞳には強い憎悪が、怒りが、敵意が宿っている。
ならば俺はその敵意を――折ろう。どこまでも――。
この男に己の無力を悟らせよう。なんとしても――。
「ぐ、ぐぞっ……」
男は足掻く。生きようと。地を這い、己が手を離れたナイフを掴もうと。
俺は『無明』に手をかけ――抜く。
何度も何度も繰り返し、抜刀したおかげかもはや見ずともその黒い刀身はつっかえる事もなく引き抜かれる。
「ぐぞっ、ぐぞっ、どいづもごいつもばがにしやがって……!」
男は悪態をつく。これから自らの身に起こるであろうことも考えず。
今ここでは呪うべきではなく、媚びるべきなのに。
無様にも地を這い続ける。
「あ、ああっ――」
男の目は爛々と輝く。
手を伸ばし、目前にあるナイフを手に入れ、力を得たと。反撃の術を得た、と。
だが――。
「あ゛ああああっ!?」
男の絶叫が木霊する。
五月蝿いぐらいに耳朶を打つ、濁った低音。
俺はその希望を打ち砕く。
男の伸ばされた掌へと杭を打つように、奴の掌へと『無明』へと突立てる。
「い゛でぇ!?い゛でぇよおっ!?」
男は絶叫を上げながら、地面を転がる。
「ヒュ―。おに―さん可愛い顔してなかなかエグいッスねぇ」
獣人の女はニヤついた笑みを浮かべ、白々しく口笛を吹いている。
おそらく、こいつは俺がこうすることをわかっていたのだろう。
「あ゛ああっ、いでぇ、いでぇよぉっ」
男は滂沱の涙を流し、みっともなく転げまわっている。もはやその目には微塵の敵意も見られない。
こいつの心はいとも容易く、あっけなく折れた。
「なんで、なんでだよぉ…俺が何したってんだよぉ…」
男は俺を見上げながら泣き言をぼやく。
「そうだな…。そういえば、お前が何かしたところ、俺は見てないんだったな…」
「そ、そうだろぉっ!?だ、だったら助けてくれよぉっ!女か!?金が欲しいのか!?どっちもやるからよぉっ!」
男は媚びるように、にへらと笑みを浮かべ俺のご機嫌をうかがいはじめる。
「うっへぇ。典型的なこものッスねぇ。もうちょっと楽しませてくれると思ったんスけど――まぁ、こんなモンッスよねぇ」
女は肩をすくめ、やれやれなどとボヤいている。
先程までは仲間だった――一応は――というのに、薄情というか、散々な言われようである。――かといって男に同情も何もないのだが。
「な、なんだよぉっ、金か!?女か!?ち、違うのかっ!?じゃ、じゃあ酒だってあるし――」
男は俺の無言を催促と思ったのか、あるいは見込みがないと察したか、先程よりも早口で捲くし立てる。
列挙される物がこの男にとっての価値あるものなのだろう。
金に女に――酒。
「――酒、か」
「そ、そうっ!酒だよ!こう見えてオレぁ酒にうるさくってよ!イイ酒を知ってるし、持ってんだ!一緒に呑もうぜっ、なっ!?なんなら兄弟の杯だって交わしていいし、ボスに紹介してやってもいいっ!オレと一緒にここででっかくなろうぜ!?」
男は瞳を爛々と輝かせ、語る。
今なら全てを忘れ、共にのし上がろう、と。
「なぁ、アンタ。酒って、美味いのか?」
「なんだよ兄弟!酒も呑んだことねぇのか?だったらオレがこれからいくらでも呑ませてやる!」
「おっと、いいんスか?おに―さん。どうせこいつの呑む酒なんてゲロみたいな安酒ッスよ?」
「うるせェッ!てめぇは黙ってろ、アバズレがよぉ!」
男は俺とのやり取りに口を挟む獣人の女に激昂する。
先程までは認識していたかも怪しいものだったのに随分と余裕ができたものだ。
「――ハァ。まぁ、こっから先はおに―さんの領分ッスし、好きにするがイイッスよ。でも、本当に命が惜しいなら、それら全部おに―さんに捧げるぐらいしないと釣り合わないんじゃないッスかねぇ?」
「う、ぐぅっ…」
女はそれだけ言い放ち、男を睨むと我関せずと口を閉ざす。
睨まれただけだというのに、男はそれだけで脅え竦んでいる。さながら蛇に睨まれた蛙、といった様相だがつくづく絵に描いたような小物っぷりで、ここまでくるといっそ清清しくもある。
「別に、酒なんて呑みたくもねぇよ。美味い酒だってあるんだろうが、単に俺が嫌いなだけだ。嫌いだから価値がない、なんていうつもりもねぇ。だけど――そうだな。酒を片手に女を侍らす、なんてもの悪くねぇのかもな」
「だ、だろっ!?いい女を侍らせていい酒を呑むなんて最高じゃねぇかっ?な、なっ!?溺れるほど酒を呑んで女に溺れようぜ!?な!?」
「それで、その酒はどうやって得る?金は?女は?」
「そ、そりゃあ俺らでがっぽり稼いで――」
「どう稼ぐって聞いてんだよ」
「人攫いッスよ。女をどこかから攫ってきて、この街で売っ払う。金を払わせて好きでもない男に抱かせる。何度も何度も。それこそあそこが擦り切れるまで、擦り切れても使わせる。こいつらはそうやって何人も女を攫って、何人も売り払って、何人もの女を壊す。こいつらにとって女なんて替えの利く消耗品でしかないのよ」
再度口を開いた女は、今までとは口調が変わっていた。
今までの人をおちょくったような態度は鳴りを潜め、特徴的な口調さえも代わり、今やその声色には明確な敵意、憎しみといった嫌悪の情が確かにあった。
「――仲間じゃないのか?」
「まさか。言ったでしょう?私はあくまで雇われの身。それも上から言われて無理矢理、ね。だから正直、この男は大嫌いだし、死ねばいい。そうとさえ思ってるのよ」
「――そうか。っつうか、口調変わってんぞ。そっちが素か?」
「おっと、いけねぇいけねぇッス。うっかりッス」
女は握り拳を作り、自らの頭にコツンとあて舌を出す。
てへぺろ、といったところで間抜けに見えるものの、この女がするとどこか憎めず、愛嬌がある。
「燃えるような赤毛の犬の獣人。おどけた態度の二刀使い――そうか、貴様が『猟犬』か」
カツカツと軍靴の音を響かせ、灰色の髪をした男が近づいてくる。
「おや、ウチを知ってるッスか?いやぁ、有名人は辛いッスねぇ」
女は近づいてくる男に視線だけを向け、闖入者に特別構う様子も見せない。
「一方で享楽主義の殺人鬼、『狂犬』などと呼ばれていることもな」
「酷い言われようッスねぇ。確かにウチは享楽主義者で、快楽主義者ッスけど、『狂犬』は心外ッスよ。アッシュ――いや、ここは『剣鬼』さん、とお呼びした方がいいッスかね?」
『猟犬』と呼ばれた女と、見慣れた灰髪の男――アッシュが互いに言葉を交わし、一触即発の空気を醸し出す。
互いに牽制しあい、抜き身の刀身のような――触れれば切れる――そんな剣呑さが辺りに漂い始める。
「ア、アッシュ……!?灰髪の『剣鬼』がなんでこんなとこにきやがんだよ……!?」
今まで沈黙を保ち、静観するだけだったアッシュの乱入に、ようやっと落ちついた男は再び取り乱し始める。
こんな場末のチンピラのような男でもアッシュの名を知り、取り乱すようだ。
実際、アッシュは街の治安を守る、いわゆる『兵隊さん』らしく、取り乱すのは街を乱すチンピラゆえかもしれないが――そんな関係は今やどうでもいい。
「犬だろうが鬼だろうが、何でも、どうでもいいんだよ。お前らがどんぱちしてぇなら好きにすりゃあいい。俺はこの胸糞わりぃちんぴらをどうにかしたい。邪魔すんな」
「ひ、ひっ――あぎゃあ゛あっ」
『猟犬』とアッシュに一瞥をくれ、チンピラの掌を刺し貫いた『無明』を軽く捻る。
それは勘違いさせないためだ。
この場でこのちんぴらの命を握っているのは、『猟犬』でもなく、アッシュでもない。
お前の眼前に立つ俺なのだと、はっきりと認識させる。
「な、なんでだよぉっ。俺が何したってんだよぉっ、助けてくれよぉっ」
男は顔中を涙と鼻水に塗れ、俺を見上げて命を乞う。その様が酷く無様でみっともなく思った。
「さぁな。お前が今までどんなことしてきたかなんて俺は知らん。興味もない。ただお前がムカついた」
「なんでだよぉっ!謝るからぁっ!そこの女も、酒も金もやるからぁっ!助けてくれよぉっ!」
「――うるさい。今まで、助けて、とそう泣き叫ぶ女たちをあんた達が助けたことはあった?逃がしたことはあった?」
「しらねぇよぉっ!俺は単に女をつれてこいってボスに言われて――俺は悪くねぇよぉっ!」
「――なら、私もこう言わせてもらうわ。お前の命なんぞ――知らない」
「あ、ああ゛っ、う、う゛わああああああっ!」
苦し紛れであれこれ捲くし立てる男に、女は嫌悪感を強く滲ませ、吐き捨てる。
男はこの場で唯一仲間であった存在に明確な拒絶を受け、今度こそ全てを諦めてついには言葉を交わせぬほど泣きじゃくり始めた。
(――みっともない。そう思うほどの生への執念。でも――)
だから、許す――決してそうは思えなかった。
『猟犬』の話では、こんな風に、あるいはこれ以上に生への執念を見せた女たちが居たのだろう。
だが、この男はその話を俺は知らない、ただその言葉で一蹴した。
俺はただそれが気に食わない。
「――その辺で勘弁してやったらどうだ?」
その一言は予想外の男から放たれた。
「勘弁……?」
「あまり弱者を嬲るような真似は好かん。十分反省もしているようだし、そろそろ解放してやればどうだ?」
意外だった。
この男はもっと怜悧で、冷徹な男だと思っていたが、思いの外優しいらしい。
「――解放?」
「馬鹿を言わないで。今更このクズを助けるなんてすると思うの?」
アッシュの言葉に、『猟犬』は犬歯をむき出しにし、怒りを露にする。
「――いくらここが『夜哭街』、治外法権などと呼ばれていようとここは俺の守る街の一部だ。無秩序な殺しは看過できん」
「――何を今更ッ!ここは『夜哭街』ッ!そう言って切り捨てたのは貴様らだッ!その言葉で私たち女を見捨てたのは貴様らだッ!」
「貴様――」
『猟犬』の悲鳴じみた慟哭に、アッシュは憐憫にも似た視線を向ける。
『猟犬』の言葉の意味はよくはわからないが、どうもここ『夜哭街』は貧民街のような街らしい。
実際、夜の街中でありながら、少し路地に入っただけでこんな喧騒が行なわれているというのに誰一人やってくる気配もない。
誰しもが我関せずを貫くか、きっとここではこんなことが当たり前なのだろう。
『夜哭街』――夜に哭く街。女たちの街。弱者達が辿り着いた、最終地点。
救いの手も向けられず、法にも見捨てられた女たち。
男に食い物にされるだけの彼女達を一体誰が守ってやるというのか――。
「私は絶対許さないッ!私たちをこんなところに押し込んだ奴らを!こんな所でもなお、私たちを食い物にする下劣なクズ共をッ!私たちを力ないと嘲け、女であるということだけで罵るクズ共に!本当の弱者が誰なのか、私たちは決して弱くなどない――!」
僅かな月光に照らされ、女は猛る。
天を仰ぎ、月に向かって吼える。
その様は気高く、美しく、力強く、まるで――
(――これじゃあ犬の獣人ってより、狼だな……)
そんな事を呑気にも思ってしまった。
人一人の命を懸けたやり取り。
男を逃したいと思う男、男を殺したい女。
しかし、この場でその男の命を握っているのは誰か――。
「え―-あ、い、嫌だ……!」
寝そべった男が俺を見上げ、涙を流している。
掌にはトクトクと脈打つ心臓の鼓動が伝わってくるようだった。
掌を刺し貫いた『無明』を難なく抜き取り、次には男の左胸――おおよそ心臓があろう場所――を目掛け、掌を刺したように左胸を穿つ。
刺した場所から鮮血が迸り、赤黒い血がぴちゃりと頬にかかる。
ゴブリンや巨大蜂の血には感じなかった、猛烈な嫌悪感を抱く。
穢れた。穢れた血で汚された。拭わねば。拭わねば俺が穢れる。
そんな不快感を抱く。
「い、嫌だ、嫌だ、嫌だ、死に……たくない、死にたく……」
口端から血を流しつつ、子供のように駄々をこね、やがてゴポリと大量の血を吐き出し、男は事切れた。
(……あっけない)
「な――」
驚愕の声が聞こえる。
「え――?あ、あはっ、あははっ、あははははっ!」
歓喜に酔いしれる笑い声が聞こえる。
場には狂ったような笑い声が響く。やかましいほどの笑い声なのに、この場を酷く静かに感じた。
静かで、穏やかで――どこか、酷く虚しく感じた。
「タツミ――貴様、何をしたのかわかっているのかっ!?」
アッシュの怒号が響き渡る。この男には珍しく、怒りを帯びた声。
「――見てわかるだろう?殺したんだよ。俺が殺した。ムカつく男を俺が殺した。俺が――」
口に出してから、後悔した。
実行に移すまで、戸惑いも躊躇いもまったくとは言わないまでも、多少はあった。
それでも踏みとどまっていた。
その踏みとどまっていた一線を、容易く踏み越えた。
ゴブリンを殺したように。
巨大蜂を殺したように。
いや、それ以上に迷わず、殺した。
ただムカついたから。
(なんで……なんで、なんで……)
殺すつもりがなかったわけではない。殺したいほど、ムカついた。
だけど、そんな刹那的な殺意で俺はこいつを殺したわけじゃない、はず……。
自らの『殺意』がわからなくなる。
「俺が、殺した……」
頬についた血を指で掬い、ジッと見つめる。
ドス黒く、紅い血――ゴブリンとも巨大蜂とも違う色の、穢れた血。
「俺の手で殺した……」
だけど、俺の意思で殺した、とはなぜか思えなかった。
これは悪い夢だ。これは俺の身体じゃない。俺はまだ、人は殺していない。
そう思って、現実から逃避したくなる。
この夢から覚めれば、いつものように女将さんに叱られ、クレアと喋り、仲間たちと笑い合える。
そんな現実が待っている。
そうだ、これは悪い夢だ。
「ハ、ハハッ、アハハハハッ」
わかっている。こんなのは苦し紛れの現実逃避だ。
きっといずれ、俺は人を殺すときがくる。そんな覚悟もしていた。
なのに、その時は俺の覚悟なぞ一蹴するように、容易く訪れた。
気がつけば、俺は人を殺していた。




