狂気と理性
「あぁ。…楽しみだな」
俺は脳裏で聞こえた声に静かに答える。
幻聴だったのかもしれない、あるいは本当に誰かの呟きだったのか。
今の俺にはどちらでもよかった。
ただただ、目の前の奴らに俺の鬱憤をぶつける。その一点に期待を膨らませていた。
体は依然重たいが、力が入らないわけではない。
こいつらを殴ることには何ら支障はない。
手をグー、パーと繰り返し、握り拳を作る。
(人を殴るときは親指は・・・拳の内だったか、外だったか。・・・確か、外か。内なら親指が折れる痛めるとか、なんだったか?)
随分と初歩的なことを、とは思いつつもどこかで聞きかじったことを思い出す。
俺は握り拳の具合を確認し終えると、次に敵の様子を確認する。
奴らは俺への興味を失くしたのか、目の前の裸体に下衆な視線を向けている。
しかし、一番近くにいた鼠男と小心そうな仙人はやはり気にはなるのか、時折チラチラと俺に怪訝な目を向けている。
どうやら、二人とも見たまんまの小者、小心者らしい。
幸いここは狭く、人が手を広げて通れるかどうかの小路。
相手は複数いるが、ここで一度に複数を相手取ることはなさそうだ。
そうなると相手の多数いるというアドバンテージはあまり功を成さない。
(各個撃破、あるのみ・・・か)
頭の中でいかに敵を打ち倒すかシミュレートするも、喧嘩慣れしていない俺ではあまり想像できない上に、実現するかも危うい作戦ばかり。
こればかりは泥臭く、殴り合いになる事は必至だと思えた。
(殴り合いの喧嘩・・・青春かよ。縁のない事だと思ってたんだがなぁ)
男同士の本気の殴り合い・和解・友情、なんて青臭い言葉ばかりが思い浮かぶ。
(目の前の男たちと本気で殴り合えば友情でも築けるのかね?いや、お断りだな)
こいつらは明確な俺の敵だ。
今更許す気もないし、許してほしいとも思わない。
俺はただただこいつらを殴りたい。
名も知らぬ女を助けたい、なんて高尚な目的もない。
ただムカつく。ただ殴る。
(暴力を行使する、目的はその一点のみ。返り討ちにあうかもしれない?上等。あぁ、・・・楽しみだ)
ふと「楽しんでね」と誰かから言われた言葉を思い出す。
その言葉の主は誰だったか、思い出そうとするも、思い出せない。
俺にとってその言葉の主が大事だったのかもしれない、あるいはその言葉自体が大事だったのかもしれない。
しかし、今ではその主が誰だったかと思い出すことはできない。
ならばきっと後者、その言葉自体が大事だったのかもしれない。
「楽しんでね」・・・あぁ、わかったよ。
今の俺のこの獰猛な攻撃性はきっと狂気と呼ばれる類だろう。
しかし、今は楽しむために俺はこの狂気に身を委ねよう。
「さぁ、楽しい饗宴の始まりだ」
誰に聞かせるでもなく、自らに言い聞かせるようにひとりごちる。
俺の呟きが聞こえたのか、最寄の鼠男が振り返る。
「アァ?なんだてめぇ、さっきからぶつぶつ言いやがって。気味が悪ぃ」
「いや、すまんすまん。その女を犯すのか?俺も混ぜてくれよ、もちろん最後でいいからさ」
鼠男は未だ険を含んだ目を向けていた。
しかし、俺の言葉にゴリラ男を見るような、好色家を見るような軽蔑の眼に変わったのを見逃さない。
俺はゴリラ男と同じ変態扱いされるのに、不快感を覚える、がしかし、今はこれでいい。
(油断、したな。俺をお前らと同じ、下衆と・・・!)
そう仕向けたにも関わらず、不快感、憤りは止まらない。
(まだだ、こいつらにぶつけるまでは・・・!)
俺は逸る気持ちを堪え、一歩、一歩と前に出る。
その際、腕は小さく、小さく。振り子のように前後に揺らす。
(まだだ・・・まだ加減しろ。目立たせるな、あくまで故意で揺らしているのではなく、歩いているから揺れている程度に・・・)
「ケッ、クズが。誰がてめぇなんかにいい思いさせるかよ」
鼠男が俺を罵倒するが、すぐさまゴリラ男が俺を見ることもなく、女の傍らにしゃがみ込んだまま声を発する。
「まぁいいじゃねぇか。楽しいパーティーなんだ。せっかくのいい女、皆で楽しもうぜ、な?」
ゴリラ男はどこまでもヤることしか頭にないらしい。
今ではかえってそれが助かる。なんとも扱いやすいゴリラか。
ゴリラ男の声に鼠男は振り向き、悪態をつこうとしたのだろう。
しかし、俺はそれを待っていた。
歩み寄っていた俺は鼠男の横を通り過ぎ・・・ることもなく、握り拳を奴のどてっぱらにぶち当てる。
効果はあったのか、振り子のように腕を揺らし、油断しきっていた鼠男の腹に下方からぶち抜く。
「ガッ・・・カハッ」
矮小な鼠男の体はその衝撃に耐えれず、口から空気を吐き出し、体をくの字に折り曲げて俺にもたれかかってくる。
(想像ならアッパーを食らわせたらそのまま吹き飛ぶ、ぐらいの演出を期待したんだがなぁ・・・。ふむ、やっぱり漫画のようにはいかんか)
人体に自らの全力の拳を打ち込む。
威力は想像通り、とは行かなかったが、その感触は想像以上だった。
(あぁ、なるほど・・・。これは確かに、気持ちいいな)
自らの拳一撃で敵が沈む。一撃必殺。なんとも嬉しくも楽しい気分だった。
(拳で語り合った友人や、ボクサー達が後に和解する気持ちもわからなくはないな)
俺に体を預けるこの男とも後で和解できるだろうか?などと考えて、一瞥くれてやる。
しかし、男は意識を朦朧としつつも、口をパクパクと動かせて反抗的な目を向けてきていた。
(あぁ、これは和解は無理そうだな。まぁこれはスポーツでもないし、喧嘩でもない。・・・暴力、だな)
願ってもないことを考えて、あほらしくなってやめた。
(とりあえず・・・次、だな)
鼠男の腹に当てた拳をそのままに、腹に押し込んだままもう一押しと腹の肉ごと捻ってみる。
(腹の肉ごと巻き込んで、ブチブチと断ち切るように・・・うへぇ、グロぉ)
自分で想像して、軽く、いやかなり引いた。
しかしこれもやはり想像通りとはいかず、鼠男は「カハッ」と空気と共に赤黒い液体を口から吐き出して、ドサッと大きな音と共に地に伏した。
鼠男が地面に転がり、咽び込んでいるのを確認して顔を上げる。
(いやまぁ、想像通りにならずによかった。とにかく、一人、クリア・・・と)
顔を上げ、次の目標である仙人を目で捉える。
すると、仙人は先ほどのやり取りを見ていたのか、俺と目が合い「ヒッ」と短く悲鳴を上げる。
(しまった、見られてたか。まぁ、無抵抗で一人目を倒せただけ上々だよなぁ)
脳内プランでは二人目まではバレることなく、隠密裏に始末するつもりだったが作戦は早々に瓦解する。
悔しさや悲しみよりも、何よりも楽しかった。
(親から隠れてイタズラしてるみたいだな・・・。さて、次はどうしようか)
仙人との距離はそこそこあるうえに、あちらは既に俺に気づいている。
しかし、鼠男と俺のやり取りに怯え、うろたえているのが見て取れる。
腰はすっかり引けており、攻勢に転じることもできないようだ。
(こいつにできるのは精々仲間に助けを求めるぐらいだろう。
・・・なら、ばれる前に仕留めるか)
自らに目標を立てて、駆け出す。
慌てて駆け出したので、仙人への攻撃方法を考えなかった。
(さて・・・どうしようか?勢いはつけたものの、場所は狭く細い路地。派手な動きはできんし、音もあまり立てたくはないが・・・)
ドタドタと足音を立てながら駆けているものの、ゴリラ男たちは未だ此方に興味もないのか、振り向き気づくことさえない。
どれほど女に夢中になっていて、あの大きな背中の前で一体ナニが行われているのかと気にはなったが、不快感に顔を顰めて考えるのをやめた。
目の前の敵の位置を確認すると、壁に背中を預けて俺を見て怯えていた。
(仙人か・・・。ふむ・・・)
俺は仙人と名づけた敵の様相を再確認し、長い髪を見て攻撃方法を思いついた。
(走る勢いそのままに・・・
仙人の横で・・・奴の髪を掴み、駆ける・・・!)
髪をつかまれた仙人は体勢を崩し、そのまま俺に引きずられる形・・・にはならず、「ブチブチッ」と音を立てて手には仙人の髪が残った。
「ぎゃあああ!」
仙人は頭を抑えて、地面に転がり「髪が、髪がぁ!」と泣き喚いている。
(おや・・・。作戦通りなら髪を掴んで壁面で顔を擦りつけるつもりだったんだがなぁ・・・。ままならんなぁ・・・。
しかし安心しろ、仙人よ。お前はまだふっさふさだ。ハゲに悩む必要はない、まだ)
俺はまたしても作戦が頓挫したことに今度ばかりは落胆し、足を止めて手の中の髪をパラパラと地面に落としながら心の中で仙人に謎の励ましをする。
ままならない。しかしそのもどかしさもまた楽しい。
(楽しい、あぁ、楽しいなぁ・・・)
なんともいえない悦楽に酔いしれていると、さすがにゴリラ達も仙人の悲鳴に気づいたのか慌てて立ち上がっている。
鼠男と仙人の醜態を確認するなり、「てめぇ・・・」呟き、怒りを孕んだ目で俺を睨みつけてくる。
こいつは鼠男のように一撃で沈むことのなさそうな屈強な体を持ち合わせている。
こいつは仙人のように怯んで無様にまんまとやられることのなさそうな強い心を持ち合わせている。
きっと、こいつとはいい戦いができそうだ。
「さぁ、ボス戦の始まりだ・・・!」
うへぇ。
予定より前倒しになりました。
修正点・・・ひいぃ!