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目指すは

「うっぐ、えっぐ――おえっ」


 涙よりも先に口から魂出そう。

 足を止め、息を整える。後ろから誰かが追ってくる様子はない。振り切ったかあるいは――最初から誰も追ってきていなかったか。やめよう、考えたら悲しくなる。


「はあぁ―、久々に走った気がする。疲れた、いかんね、歳は取りたくないもんだ」


「だね―」


「しっかし、俺に対して冷たすぎる!ちったぁいなくなった俺のありがたみって奴を味わうがいいさ」


「だね―」


「うん、ところで何で居るのかな?」


 傍らにはいつの間にかギンがおり、辺りをキョロキョロと見回しながら並行していた。


「おとさま、かわいそうだったから……」


 ギンはそれだけ言うと、耳と頭をシュンと、元気なく項垂れる。

 その仕草だけで、彼女が真摯に俺を心配してくれたのだとわかった。

 幾度の死線を共にした薄情な奴らとは違い、たった一度肩を並べただけの彼女の方がよっぽど俺を思ってくれていた。


 ――ええ娘や……!


「わっ」


 彼女を元気付けるように頭を撫でる。驚いたギンの耳はピンと張り、顔を上げる。

 彼女の絹糸のような銀髪が指に絡み、くすぐったくも心地よい。


「おとさま……?」


「ギンはいい娘だなぁ。どこぞの薄情な奴らにも見習わせたいもんだ」


「ギン、いい娘……?」


「ああ。いい娘だ」


「ギンはいい娘……えへへっ」


 ギンは俺に髪をクシャクシャに撫でられているというのに、嬉しそうにはにかむ。褒められたのがよっぽど嬉しいらしい。

 そんな彼女の無邪気な純真さがとても愛らしい。


「しかし、こうして見ると本当にこの街は夜になると変わるんだなぁ……」


 日が沈むと、街行く人々は物騒な人間ばかりだ。

 帯剣するのは当たり前、中には重そうな甲冑のようなものを纏った人間までいるが、誰も物珍しがらない。

 昼間に比べると人は減り、歩く人間も多少まばらながらも、街はまだ賑わいを保っていた。


「本当だね―、あっ!見て見てっ、おとさまっ!」


 ギンは物珍しそうに辺りを見回し、何かを見つけたのか、慌てて駆け出す。


「こらこら、急に走ると危ないぞ―」


「だいじょ―ぶ―!」


 人混みに向かって駆け出したギンは、何度か人とぶつかりそうになりつつも、器用に避けて駆けていく。

 今は人のなりをしているが、狼でもあることをよくわかる。

 このままでは置いていかれかねないと、自身も慌てて駆け出す。


「おっと、あぶねぇぞ、坊主っ!」


「すんませんっ!」


「ってぇなっ!?」


「すんませ―んっ!」


 ギンのように器用に避けれず、何度か人とぶつかりながらも数十メートル程を駆ければ、すぐにギンの姿を見つけることができた。

 どうやら屋台に噛り付いてるようだ。


「おや、嬢ちゃん、どこの娘だ?ここらじゃ見ねぇ顔だが……しかも獣人とは珍しいなぁ」


「んっとね―、森の方から!」


「おお、そうかそうか。森の方から来たのか―」


 ギンはビシッと森の方を指し、屋台のおっちゃんは微笑ましそうにギンを見つめている。


「こ―らっ、ギン。急に走ったら危ないだろ」


「あ、おとさまっ!見てみてっ、ジャガイモっ」


 慌てて駆け出し、何事かと追いかければ何てことのない屋台だった。見れば、焼いたジャガイモの上にバターを溶かしたシンプルな屋台料理だ。


「お、なんだい嬢ちゃん。兄貴と一緒か?」


「ううんっ、おとさまっ」


「なんでぇ、兄貴じゃねぇのか。随分若ぇ親父――っておめぇ、女将さんとこのじゃねぇかっ!」


「ん?おっさんどっかで見たこと――ってあぁ、常連のおっちゃんじゃねぇか」


 よく見れば、頻繁にうちの店に来てはくだをまいてるおっさんの一人だった。


「こらたまげた。おめぇさん子持ちだったんか!どっちだ!?女将さんか、嬢ちゃんか!?」


 おっさんは禿頭をペシリと叩き、しきりにたまげた、たまげたと口ずさんでいる。


「おいおい、おっさん。そんな頭を叩くとハゲるぞ」


「うるせぇ、もうハゲてらぁ!って、ハゲじゃねぇ、こりゃあ坊主だっ!」


「さて、ハゲと坊主、何が違うんだろうな?」


「うるせぇやいっ!で、坊主、この嬢ちゃんはおめぇの娘っ子か?どっちだ、どちらとの娘だっ」


「違う違う。この娘は……まぁ、妹みたいなもんだ。俺はまだバリバリの独身だっつうの、言わせんな」


「かぁ―、なんでぇなんでぇ、驚かせやがって!しっかし兄ちゃん、その歳でまぁだ独身か?俺がおめぇさんぐらいの時には――」


 なぜこうもおっさんというのは若い頃の自分を語りたがるのだろうか。惜しめど、過去には戻れぬというのに。フサフサだったあの髪の毛はもう戻ってこないのに。実に不毛である。


「――っておいっ、兄ちゃんっ!聞いてるかっ」


「あ―、聞いてる聞いてる」


 実際は話半分――も聞いてなかったが、最近は物騒だとか俺は若い頃ぶいぶい言わせてたとかそんな話だろう。あといい育毛剤は俺は知らないぞ。

 そんなことよりおっさん、焼いてるイモはいいのか、焦げるぞ。


「ほぁ―……」


 一方、俺とおっさんのやり取りなど聞こえていないのか、ギンは網の上で焼かれているジャガイモに興味津々で、今も溶けゆくバターに爛々(らんらん)と目を輝かせている。


「なんだ、ギン。欲しいのか?」


 先程、あれほど食べたというのにまだ食べるのか。


「え?そ、そんなことないよっ」


 よだれを垂らしながら言っても説得力は皆無である。


「ギン、よだれ垂れてるぞ」


「えっ、えっ」


 ギンはゴシゴシと袖で口の端を拭うが、垂れてる方とは逆側であることに気付きはしない。

 これは拭ってやったほうが早そうだと、指でギンのよだれを拭う。まるで赤子のようだ。


「あう……」


 ギンはよだれを垂らしていた事が恥ずかしかったのか、耳まで真っ赤にし、うな垂れる。

 しかし、全裸で飛びついてきたくせに、妙なところで恥じらいを持っているらしい。つくづくわからない娘である。


「ん―。うまそうだし、買ってやりたいんだがなぁ……」


 いかんせん今は手持ちがないのだ。


「なんでぇ、チラチラと物欲しそうにこっちばっか見やがって」


 物干しそうとは失礼だな。くれないかな―って見てただけだ。


「一個、三百円だぞ。高いどころか安いもんだ、妹ちゃんに買ってやれや、兄ちゃん」


 確かに、決して高くはないし、先程までその何百、何千倍の金があったのだが今はクレアの懐にある。

 喧嘩して出てきたというのに、イモが欲しいから金をくれ!などとヒモ男みたいな真似はしたくない。


 しかし、欲しがっているのは俺を父と呼び慕うギンだ。

 娘のような存在のために頭を下げれるか――これもひとつの試練である。


 ――仕方ねぇ、こっからそう遠くはねぇし一度金を取りに行くか……。


「チッ、しゃあねぇなぁ」


 おっさんは舌打ちをし、ポリポリと頭を掻く。そして、逆の手には紙に包まれたジャガイモ。


「ん……?」


「ほら、嬢ちゃんにやんな。ったく、妹を食うに困らせるんじゃねぇよ……」


 おっさんはボソボソと悪態をつきながら、そっぽを向いている。どうも照れ隠しらしい。


「おっさん、いいのか?」


「いいっつってんだろ。女将さんにゃあ世話になってるし、その、なんだ……。俺も娘がいるんだが、今はそうでもねぇが昔は苦労させたからな、他人事にゃあ思えねぇんだよ」


「おっさん……」


「いいからっ、とっとと受け取れっ、冷めるだろっ!」


 おっさんは文句を言いながら、ずいっと俺の胸元にジャガイモを押し付ける。

 バターのいい香りが鼻につき、食欲をそそる。


「おっさん、あんがとな、あとで金払いに来るから」


「ば―か、やるっつってんだ。気にすんじゃねぇよっ」


「よっ、おっさんっ!ふとっぱらっ!」


「おうよ!」


 おっさんはノリノリで自らの腹を叩き、付きすぎた肉がぽよんと弾む。実にノリのいいおっさんである。


「ギン、ほら。おっさんがくれたぞ」


「おっちゃん、いいの……?」


 ギンは遠慮がちに俺からのジャガイモを受け取り、おっさんを上目遣いで見つめている。可愛い。


「おうっ、特別だからなっ!熱いから気をつけろよっ」


 おっさんはにかっと笑い、白い歯を覗かせる。この気前なら確かに、昔はハゲずに太っていたのならばさぞモテただろうと思わせる男前な笑顔だった。


「ありがとうっ、おっちゃんっ!」


 ギンは礼だけ言うと、早速ジャガイモにかじりつき、小さな頬一杯にジャガイモを詰めて、もっきゅもっきゅとハムスターのようにジャガイモを咀嚼している。一口で半分ほどのジャガイモが消える、でかい一口だった。


 じっくり噛んで、ごくん、と大きな音を鳴らし、ジャガイモを飲み込んだギンは、


「おいしいっ!」


 と、大きな声で叫ぶ。


 しかし、口にものを入れたまま喋らなかったり、きちんと礼を言えたりと、とても俗世間と離れた森で暮らしていたとは思えず、育ちのよさが窺えたりとつくづく不思議な娘だ。


 ――一度、きちんと素性を聞いたほうがいいかもしれないな……。



「そりゃよかった!やった甲斐があるってもんだ!」


「うんっ、おとさまもはいっ!」


 ギンは笑顔のまま、残ったジャガイモを差し出してくる。どうやら食え、ということらしい。


「かぁ―!本当にいい娘じゃねぇかっ!」


 おっさんが感動しているのを傍目に、差し出されたジャガイモを受け取る。


「ありがとうな、ギン。おっさん、いただきます――うん、うまいな」


 半分ほどになっても、まだ大きめのジャガイモを一口齧れば、バターの芳醇な香りが口いっぱいに広がるも、ホクホクとしたジャガイモの食感、ピリッとした黒コショウのスパイスがほどよいアクセントでお世辞なしに美味かった。


「うん、コショウが利いてていいな」


「お、兄ちゃんわかってんじゃねぇかっ、くぅ―、嬉しいねぇ!」


 たまらず一口、一口と齧り続ければあっという間にジャガイモはなくなる。

 シンプルだが、実に癖になる味だった。

 食べ終えたあとに、もう一つ、と欲が出てくる。


「おっちゃん、もう一つ!」


「あいよ―、っておめぇ金ねぇじゃねぇかっ!」


「はははっ!冗談だよ。でも、それぐらい美味かった!」


「言ってくれるじゃねぇか!」


「じゃあおっちゃん、俺、次はおっちゃんの娘さんとやらが欲しいな……」


「はははっ!ば―か、嬢ちゃんを養えるようになってから言いにこいっ!」


 男二人、しょうもないことを言い合い、ゲラゲラと笑いあう。しょうもないが、楽しいものだ。


「な、なぁ親父、俺にもその芋をくれよ」


「お、俺も!」


 二人して笑っていると、傍から控えめな声がかけられ、背後を振り返れば結構な人だかりができていた。どうやら騒ぎすぎたらしい。


「お?お?なんでぇ、芋なら一個三百円だぞ?」


「買うよ!嬢ちゃんが食ってんの見てたら腹が減ってさ!」


「俺もだ!臭いがたまんねぇ!」


「お、おうおう。待て待て待てっ!まずは順番に並べって!」


 俺達が来るまでは閑古鳥が鳴いていた店だったが、今や人が殺到しており、おっさんはあわただしそうに動き始めた。


「ん、じゃあ俺達はそろそろ行くわ、おっさん。芋、あんがとな!」


「お―う!おめぇらのおかげで繁盛したわ!また来いよ―!」


「ばいば―い、おっちゃ―ん!」


 人ごみに巻き込まれぬようにと、ギンの手を掴み屋台をあとにすると、ギンは背後を振り返り大きく手を振った。


「お―う、ちょっと待て―!」


 おっさんの呼び声で踏みとどまると、おっさんの手から何かが投げられる。


「おっとっと」


 慌てて受け取り、紙包みを剥がすと大きなジャガイモが一つ。またしてもくれるらしい。


「繁盛の礼だ!また来いよっ!」


「おう!」


「ありがと―っ、今度こそばいば―いっ!」


 おっさんの振り上げた手に応え、俺達は屋台を後にする。


「なんだ、獣人の娘行っちゃうのか―」


「俺のホクホクのジャガイモ、食べて欲しかった……」


 背後からギンを惜しむ変な声が聞こえたが、気にしないことにした。


 俺達が帰っても屋台からは当分、人が減ることがはなかった。





「いいおっさんだったな」


「うんっ!」


 ギンと手をつなぎ、道を歩く。

 日は沈み、かなり暗くなってきたが、店屋の看板の明かりや松明のおかげで真っ暗ではない。


「ギン、芋に夢中でこけるなよ?」


「うんっ!」


 ギンはおっちゃんからもらった熱い芋を、一口一口とかみ締め、味わっている。


「さっきはすぐだったのに、今回はえらくゆっくり食べるんだな?」


「んとね、おとさまもあったかいのが食べたいだろうと思って!」


 どうやら、もらった段階で分けることを考えていたらしい。

 聞けば聞くほど、実にいい娘である……。


「はぁ―、本当にギンはいい娘だなぁ―……」


「ギンはいい娘、ギンはいい娘……えへへっ」


 他愛ない話を続けながら、ギルドの方へと足を運ぶ。

 しかし、目的はそこではない。日が沈み、姿を現す街――夜哭街(やこくがい)だ。

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