報酬
「おかえり」
「あ、皆さん。おかえりなさい!」
カランコロン、と来客を告げる鈴の音が響く。
戸を開け、住まいでもある酒場『女帝』に入ればいつものように女将さんは皿を拭き、クレアは円卓を拭いて回っている。何とか、開店前には間に合ったようだ。
「ただいま」
「ただいま帰りました」
俺の挨拶に次ぎ、続々と仲間たちが挨拶を交わす。
「皆さんお怪我はありま――って、え?えぇ!?」
「素っ頓狂な声をあげてどうし……おや」
真っ先にクレアが気付き、追随するかのように女将さんが驚きの声をあげるが、クレアとは違い、随分落ち着いている。二人ともゴリの背中の狼に気付いたらしい。
「おおお、狼っ?!」
「白い狼……どうやら――だね」
未だに狼狽するクレアの声に、女将さんの声が掻き消されながらも、ボソリと呟いたことだけが辛うじてわかったが、何を言ってるのかはわからなかった。
「ん?」
「それでその狼、どうするつもりだい?まさか飼おうってんじゃないだろうね?」
「う……」
聞き返そうとした矢先、言葉よりも先に鋭い眼光を浴びせられる。
こ、こえぇ……。その眼光だけで蜂はおろか、狼さえも睨み殺せるのではないか。
それほどまでに恐ろしかった。
――なんなの、その眼力。魔法なの?魔眼なの?
「い、いや、その、こいつには森の中で助けられたんでその借りを返そうと思って。どうも熱中症みたいなもんっぽいんで、せめて少しだけ氷をもらえないかなぁ、なんて」
しどろもどろになりながらも、何とか言葉を紡ぐ。相変わらず女将さんの眼光は鋭い。これはだめか、そんな気さえしてきた。が、しかし――。
「はぁ。無駄飯食らいが増えるわけじゃないなら構わないよ。だけど寝かせるならタツミ、あんたが間借りしてるあの部屋にしな。あそこが一番風通しがいいからね。それと恩があるってんならそれ相応のもてなしをしな、わかったね?」
女将さんはため息をつきながらも、甲斐甲斐しくと色々教えてくれる。
しかし、無駄飯食らいは無いんではないだろうか――一応対価として労働はこなしてるつもりなのだが――そんな俺の不満を視線で感じたのか、女将さんは言う。
「なんだい、不満そうだね。あんたらの働きが十分だと思ってんのかい?こないだ皿を割った馬鹿は?常連と揉めてた奴はどいつだったかね?」
「すんませんしたぁっ!無駄飯食らいの大飯食らいの穀潰しですんませんしたぁっ!」
「そこまで言ってないんだがね……。まぁよくわかってるならいいさね。クレア、氷と水を用意してやんな」
「え?狼?え?え?」
「いつまでうろたえてんだい、あんたは。狼なんて街の外じゃ珍しくないだろうに」
「女将さん、ここ街の中です」
「あんたは黙ってな」
冷静に突っ込んだロ―シが冷静に切り返されてしょんぼりとしていた。ドンマイ……。
「ほら、しゃきっとしな」
「え?でも女将さん、狼ですよ!?」
「こいつらが助けられたってんだ。何も起きるなり食われる事もあるまいよ」
「そうですけど……う、うぅん」
クレアは不承不承といった体のまま、店の奥へと氷と水を用意しに行き、狼を背負ったままのゴリはそのまま二階の俺の部屋へと向かった。
しかし、なんだか妙なわだかまりというか、しこりのようなものを感じる。
――狼狽……うろたえる……ハッ!
「狼を見て狼狽!そういうことかっ!」
「いきなり大きな声をあげたと思ったらいきなり何を言ってんだい、あんたは……」
「旦那、お疲れのところ非常に申しわけありませんがギルドへの依頼報告へ参りましょう。リ―ドさん、同行を願えますか?」
「心得た」
「さぁて、んじゃあ残った俺らは酒でも呑むとすっかー!」
ジト目で呆れる女将さんやロ―シの冷ややかな対応に納得いかないものの、急かされてギルドへと向かう。
もう間もなく日が暮れる――そんな時間だった。
「此度の此方の不手際、誠に申しわけありませんでした」
ギルドに入り前回同様、入り口正面のカウンター、フ―の受付へと向かうなり頭を下げられる。
行く所があるといって姿を消したロ―シを除いた二人、リ―ドと共に呆然とするしかない程の綺麗なお辞儀だった。
「「お、おう……」」
「突然、賢狼の森の警邏と申されまして。あれほど以前から森のゴブリンの繁殖、魔物の活性化の危険性を具申し、出動の要請を出しておいたのに無視を決め込んでおきながら、何を今更。ようやっと重い腰を上げたと思ったら森への依頼を撤回しろだのと無茶無謀ばかり。挙句森で冒険者と出くわし不快な思いをしたとグチグチグチグチ。あらかじめ予定を申してくれればこちらとて森を封鎖することだって出来ましたのに、突然森へ赴くなんて言い出したのは其方でしょう、どの面下げて私たちへ文句を言ってくるのか、本当に兵隊様ってのは何様なんでしょうね」
早口で事情を話し始めるフ―に戸惑いながらも話を聞くと、最後のほうは愚痴へと変わっている。どうもギルドは冒険者と兵隊様とやらの板ばさみになるらしく、さぞストレスが溜まるそうだ。お役所仕事、お疲れ様です。
お兄さん的には彼女がやつれてただでさえない胸がまな板になってしまわないか、大変心配です。
ちなみにギルドを代表するおっぱいちゃん、金髪エルフさんは既に帰宅済みらしい。残念である。
「そしてあなた方への森での『巨大蜂』退治の依頼でしたが……」
「まさか、巣を潰していないので違約金を徴収、とかじゃないよな……?」
「え、違約金なんてあるのか?」
「当然だ。引き受けた以上、できませんでした、では済まされん。此方が何らかの事情で依頼を果たせなかったりした場合、埋め合わせは必要だ。じゃなければ信用を失うし、仕事が回って来んからな」
初耳なんですけど―……。
困った。生憎と現金の類は持っていない。
もし金が必要になるならば、最悪女将さんに借りるぐらいしか手は浮かばないが、先程無駄飯食らい呼ばわりされた直後だ。
そんなタイミングでお金を貸してください、なんて頼めるわけが無い。
どうしたものか、と頭を抱える。
「安心してください。最初に説明したように今回は此方の不手際ですので、違約金は発生しませんし、成功報酬――よりかは僅かに劣りますが、謝罪の気持ちも込めて色を付けてお渡しさせていただきます」
そう言って、フ―は机の上に何かを置く。厚みを帯びた茶封筒。それも結構な厚みだ。
「え、手渡しなの、これ。ゲンナマ?ゲンナマって奴なの?」
渡された茶封筒を受け取り、中身をそっと覗くと紙幣がびっしり。
この世界の金銭はデザインは違うが、一円、五、十、五十、百、五百の硬貨と千、五千、一万の紙幣となっており、物価もおおよそ現実とそう大差なく感じる。女将さんの店ならば酒の一杯、数百円で呑める。
「え、これ全部紙幣なんだけど、万札っぽいんですけど―」
「ほ、本当か?さすがに全部一万ってことはないだろ?結構な厚みがあるぞ」
二人で戸惑いながらも封筒の中身を取り出そうとすると、フ―がちょいちょいと手招き。もっと近くに寄れ、ということらしい。
「ん?」「なんだ?」
リ―ドと共に顔をフ―の近くへ寄せる。するとすぐさまフ―も顔を寄せてきて彼女の顔が目と鼻の先に。彼女の黒髪から石鹸の香りが鼻腔をくすぐり、どきりとするが、彼女は気にする素振りもなく。
「確認したところ。三十万はありました」
「さんじゅ!?」
「た、たかが蜂でか?!」
「はい。名前は伏せますが、どうも依頼主の方はあの森の地主様だったらしく、元々割りのいい仕事だった上に、此方のお侘びもいくらか添えましたので」
「ま、まじか……」
「で、でもいいのか?本来ならおそらく蜂の根絶が依頼なんじゃないのか?」
「はい。ですがその仕事は彼らに引き継いでもらうことにはなりましたが、依頼主様曰く、色々とお世話になりましたので今後とも是非ごひいきに、とのことでした」
「お世話に、ってした覚えもないんだが……」
「というか……」
「「あの森って、私有地だったのかよ……」」
あの莫大な森を管理していたり、買い上げる財産、そして途中で打ち切られた依頼にも関わらずポンと三十万を払う資金力。
もはや驚きを通り越し、軽い恐怖を覚えた。
「紹介した私にも感謝してくださいね」
「もちろん。俺に適当に依頼押し付けたわけじゃないもんな?」
「……」
俺の言葉にフ―は気まずげに目を逸らし、黙り込む。わかりやすすぎんだろ、こいつっ!
「もちろん、違うよな?」
「……」
ダメ押しをするが、目を逸らすばかり。だめだ、こいつ。
「ま、まぁいいや」
「お礼のほうは期待してますね」
「しっかりしてるね、君ぃ……」
お礼にこじつけてデートでもどうでしょうか、お嬢さん。
「ちなみに一人が好きなので、ここでお金くれてもいいですよ?」
「……そこは奢らせようよ……」
「まぁ、期待してますね。ちなみにそのお金、ここでは出さないことをお勧めします」
さすがに素行が宜しくないで評判の冒険者の前で現金、しかもそこそこの大金を出す度胸はない。一介の高校生に過ぎなかった自分には持ち歩くにはなかなか勇気の必要なものだ。盗まれないように気をつけねば。
「よ、よし帰ろう、リ―ド。持ち帰って全員で分けるぞ」
「お、おう」
「言った途端に封筒抱えて挙動不審になるなんて盗ってくださいって言ってるようなものじゃ……。まぁいいです。精々お気をつけください」
「おう、じゃあな。また来る!」
そう言って立ち上がり、控えめに手を振り見送ってくれるフ―。
その動作が人目を引いたのか、俺達はコソコソと逃げ帰るようにギルドから出る。
屈強な男達のいぶかしむ様な目が突き刺さるが、この金は俺のもんだ!やらんぞ!
「お待たせしました、旦那。って、やけにキョロキョロしてどうしたんですか?」
外に出てすぐに、ロ―シと合流する。
そんなにきょどっているだろうかと不安になり、辺りを見回すと冒険者には見えない一般人にすら僅かに注目を集めている。
くっ、俺が大金を持っていることが早速ばれているのか……!情報が早すぎる!見方にスパイがいるぞ!
「シッ。あまり目立つんじゃない、ロ―シ!敵がどこにいるかわからないんだ、金を失えばたまったもんじゃないぞ!」
「金……?あぁ、成功報酬ですか。いくらあったんです?」
「聞いておどろけ!」
「なんと、三十だ!」
「ふむ、三十ですか。蜂にしてはかなり破格ですね」
リ―ドとノリノリで言えば、ロ―シはつまらなさそうに自らの長いひげを撫でている。あれ……?
「あれ、三十って凄いよな?」
「結構な。それに蜂狩りで三十だからな」
「にしては……」
ロ―シの反応が、つまらない。
「いえ、結構驚いてますよ。蜂如きで三十万ですからね」
蜂如きで三十万。確かに驚いたような口ぶりだが、そこまで……といった雰囲気がにじみ出ている。
「つっまんねぇ!もっと驚けよー!」
「いえいえ、ですから驚いてますって。ところで旦那はいつまでその遊びをするんです?」
「い、いやいや。遊びじゃなくて結構まじで三十万って大金じゃん?持ち歩くの怖くね?」
「旦那って変なところで小心ですよね……」
「もう少し肝が据わった奴だと思ってたんだが……」
彼らの中で俺の株が下がっている。三十万と俺、どちらが高いだろうか。
三人で街を歩く。時刻は夕刻。
この街は、時間帯によって練り歩く人々の職業層がよくわかる。
朝は一般人や商人――昼にはちらほらと冒険者の姿が垣間見え、夕刻からはすっかりと冒険者の街へと成り代わり――夜には、ほぼゴーストタウンへと成り果てる。
それも『夜』と呼ばれた苛烈な時代の名残だという。
なんでも魔物や魔王は夜行性らしく、場所によっては夜の村中で襲われるという事件が相次いだらしい。
人々は恐れ、ただひらすら家に篭り、魔物を、夜が通り過ぎるのをジッと待ち続けるのだという。
夜には『ほぼ』人がいなくなる。
ではそのほぼ、に当てはまらないイレギュラーは誰か、当然冒険者である。
それは『夜』を恐れぬ無謀な冒険者。それは『夜』を知らぬ無謀な冒険者。
でも、いずれ人は思い出す。思い知る。
『夜』は怖いものだと、恐ろしいものだと。
人は夜を恐れる。それは『本能』だ。




