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魔法

「アッシュって、あのアッシュか?」


 アルフが驚き、呆然とした様子で確認してくる。

 この世界で『アッシュ』という名がどれほどいるかわからないが、俺の知るアッシュはかなり有名らしい。

 それにあのツンツン頭がそんなにいるとは思えない。居たら、髪の毛が凶器と化した悲しい事件が頻出するだろう。


「多分、そのアッシュだと思うぞ」


 口ぶりから察するに、小人――ゴブリン退治に出張ってきたらしいが、そいつらは先日、俺達がおおよそ駆除した。ここで蜂や俺達に出くわしたのも偶然のようだ。


「そうか、あのアッシュが出張ってくるか!喜べタツミ!あのゴブリンはそれなりに大物だったらしいぞ!」

「まぁ、確かにかなりサイズは……」

「そういう意味じゃないっ!」


 どうやら、思わぬ加勢に俺達にもゆとりができたようだ。リ―ドなんかは早速突っ込んでくる。現金な奴だ。ボケる俺もだが。


「騒がしい声だけは聞こえる辺り、まだ生きてはいるようだな。面倒臭い。

 死んでいてくれたならば諸共駆除してやったものを」


 どうやら俺達の声はヴェールの外にも聞こえるらしく、アッシュが声を張る。

 相変わらず嫌味ったらしい言葉。誰に対してもこんな調子なのか、こいつ。


「あぁっ!?聞こえてんぞ、針ネズミ!」

「……ハリ、ネズミ?それにその耳障りな声、どこかで……」


 おい、こいつ本当に見えてないのか?中にいるのが俺だって気付いてんじゃないのか、そう問い詰めたくなるような物言いだった。


「――まぁいい。中にいるのが誰であろうと、冒険者であるというのならばどうなろうと知ったことか――と言いたい所だが、蜂共を放置するわけにもいかん。

 ――精々、巻き込まれて死んでくれるなよ、冒険者共」


 その言葉を皮切りに、場を静寂が支配する。

 誰も声を発さず、蜂の羽音さえも耳に届かない。これまでの喧騒が嘘のように静まり、変化が起きる。


 ――空気が、変わった?


 これまでの喧騒が嘘のように、静寂な荘厳な空気。似たような空気を、空間をタツミは知っていた。


 足元に、クルクルと小さく、回るナニ(・・)かを見つける。


「これは……独楽(コマ)?いや――」


 ソレは小さく、クルクルと回り続ける。

 ――クルクル、クルクルと。

 土を巻き上げ、落ち葉を拾い上げ。徐々に大きく、勢いを増していく。


「つむじ風?まさか――」


 リードは独楽のような小さなつむじ風を見つめ、何かを思い出したかのように、ハッと息を呑む。


「全員、吹き飛ばされるなよっ!巻き込まれたら俺達もどうなるかもわからんっ!来るぞ――魔法がっ!」


 魔法――(ことわり)を超えた、超常の力。


「見れるってのか?魔法が……!」


 自分には使えないと言われた、この世界のみの力。在る、とは聞いていたがこうも早く(まみ)えることになるとは。いつかの少年が高揚した気分で、誇らしげに語っていたものをと出会えた。胸の昂ぶりを止められない。


「ぐっ……!」


 最初は肌を撫でる程度だった風が、徐々に勢いを増し、速度を速める。

 巻き上げられた枯木が飛び交い、乾いた風に目も開け続けられぬほどになり、踏ん張らねば人さえも巻き上げんばかりの暴力的な強風が轟々と吹きつける。

 無明を地面へと突き刺し、巻き込まれぬようにと堪え続ける。


 天変地異を感じさせる、人為的な竜巻。


「これが魔法――こんなのが人の力で起こせる、ってのかよ……!?あいつ、本当に俺等ごとやる気じゃねぇだろうな!?」


 我武者羅に声をはるが、仲間達の耳には届かないようで、誰一人として言葉は返ってこない。全員が吹き飛ばされまいと、ただただ耐えていた。


 暴風の只中に晒され、漆黒の蜂のヴェールを囲う竜巻の外にいるであろう男を思う。

 自分達は今、こうして土草に塗れているというのに、外にいる男はどんな顔で立っているのだろう。どうせ仏頂面を晒し、俺達の事など何も考えていない、そう思ったら無性に腹が立った。

 しかし、この竜巻の中、身じろぐことすらろくにままならない。

 せめて狼の無事を確認しようと目を向ければ、狼を囲っていた蜂の塊は徐々に風によって引き剥がされていっている。


 天空へと巻き上げられる蜂は、羽をもがれ、原型を留めることなく風によって切り裂かれる。

 この風に身を任せれば、次にそうなるのは自分の身体――恐怖心が心を支配する。

 例え、不死の身体でも痛みは感じる、それは前回身をもって学んでいた。


 ――せめてあの蜂が全て引き剥がされた時、その時になればこの風は止む。それまでの辛抱だと自らに言い聞かせ、踏ん張りが利かなくなった四肢に言い聞かせ、鼓舞する。耐えろ、と。


 永劫に感じられる時はやがて収束を迎える。


「ハァ、ハァッ……」


 先程まで吹き荒れていた風は何事もなかったかのようにピタリと止み、跡には荒らされた草葉やなぎ倒された樹木、そして断片的な蜂の部位だけが取り残される。


 アルフやリ―ド、ゴリ達を見れば、二人は肩を貸し合い、ラットとローシはゴリにしがみついている。幸い、大きな傷もなく、あれれほどの暴風に晒された割には無傷――それこそ奇跡と言っても過言ではないほどだ。


 ――奇跡、魔法だ?


 先程の暴風を起こしたであろう主、アッシュの姿を近くに確認する。

 相も変わらず、何の感情も抱いていないような鉄面皮で俺の姿を見つめて、つまらなそうに「フン」と鼻を鳴らす。

 何もかもがムカつく。その顔も、態度も。そして、行いも。


「アッシュ、てめぇ……!」


 傍らに刺した無明を掴み、駆け寄る。


 いつかの夜、奴が俺に剣を向けたように、奴の喉下を目掛け、無明を突き刺す――つもりだった。


「んだよ、てめぇら……。邪魔すんな」


 アッシュへと駆け寄り、間合いを詰めて喉下を目掛け腕を伸ばした俺の前を横切る二つの影があった。

 一つは俺の腕の下に潜り込み、伸ばした無明の軌道を逸らすように自らの剣で無明を持ち上げる少年。

 二つめは俺の傍らに立ち、冷たい剣の切っ先を俺の喉下へと突きたてている女。

 当てられた箇所に、僅かな熱と痛みを感じる。おそらく斬れているのだろうが、その剣がこれ以上刺さる様子は見られない。警告のつもりだろう。


「下がれ――下郎が」

「あ、あはは……」


 女が声を発する。静かで抑揚のない声、しかし明らかな侮蔑、負の感情が込められている。折角の綺麗な顔が台無しだ。

 その声に対して、少年は困ったように笑うも、剣を引く様子もない。


「構わん。――それにしても、やはり貴様か。確か、タツミ――といったか」


 アッシュが片手を挙げ、そしてすぐさまその手を下ろす。

 すると、二本の剣も俺から離れていく。


 剣の主、――俺の下に潜り込んでいたのは、赤毛の青年だった。

 歳は十代後半といったところで、ショ―トソ―ドを持っている。気弱で大人しそうな顔をしているにも関わらず、剣を振るう相手の懐に瞬時に潜り込む辺り、相当腹が据わっているのだろう。


 そしてもう一つの影、俺の喉に剣を充てていたのは、美しい女性だった。

 明るめの薄い水色の髪を後ろで括り、怜悧な瞳で俺を蔑むかのように睨んでいる。薄氷を感じさせるような、二十幾許の長身の女性。

 麗しい女性が多いこの世界でも、一定の水準を上回っているのは明らかな美人。

 背は高く引き締まっているが、些かグラマラスさに欠ける、スレンダーなモデル体系。色々と少しだけ残念な美人。そう内心で評価した。


 二人は剣を鞘に戻し、アッシュの背後に戻っていく。

 女性の方は俺を睨んだまま、少年は俺を見て困ったように笑い、ぺこりと小さく一礼して。

 アッシュの背後には、同じような装備――といっても銀色の胸当てをつけただけだが――の者が、他にも数名見受けられる。中には、ロ―シと歳のあまり変わらなさそうなジジイまで。多種多様の兵隊、そんなところか。


 中でも、一人だけ異彩を放つものが居た。

 アッシュのすぐ背後に控え、全身をゆったりとした黒いロ―ブとフ―ドで覆い隠し、一切の素肌を晒していない者。いかにも『魔法使い』といった様相。

 その姿はロ―ブの上からでも細く華奢なことがわかり、枯木を思わせた。

 そいつを眺めていると、ふと目が合ったような気がした。


(見ていることをとがめられた?――いや、俺を見ている……?)


 黒ローブの顔は影になっており、此方からは見ることができないが、確かに見られている。長い間ジッと。まるで品定めするかのように。

 ただただ不気味だった。


「チッ……」


 少年の愛想笑いに毒気を抜かれ、ロ―ブの者の不気味な視線に間の悪さを感じ、誤魔化すように舌を打つ。

 あの日の晩の意趣返しをしようにも、邪魔な者が多すぎた。


「遊んでやっても構わんが、急いでいるのではないか?ツレが待ちわびているぞ」


 遊び――脅威にすらなっていなかった。


 アッシュはまたしてもつまらなさげに、顎でゴリ達を示す。

 彼らの足元には未だに数匹の蜂が張り付いた狼がおり、彼らは懸命に蜂を引き剥がしていた。かといって、既に狼の地肌――といっても毛だらけだが――が晒されており、全てが引き剥がされるのもじきだった。


 ゴリ達の下へ歩み寄り、狼を見下ろす。

 目を閉じ横たわってはいるが、生きてはいるようだ。良かった。


「ロ―シ、そいつはどうだ?」


 念のため、狼を触診する様子のロ―シに問いかけるが、表情にあせりはなく、安堵している様子。


「幸い、手遅れになるような事態は免れたようです。意識はないですが、おそらく軽い熱中症のようなものかと。水源は……遠くはないですが、これなら街へ連れ帰ったほうが良いかと」


 熱中症ならば、一刻も早く冷やせということだろう。

 女将さんの店ならば、酒場でよく冷えた酒やら氷の入った水などを見る。

 連れ帰って事情を話せば、氷と冷えた場所も提供してもらえるはずだ。


「わかった。なら俺達は蜂、蜂の巣の駆除は一旦諦め、狼の介護のため街へ戻る。異論のある奴はいるか?」


 一応、確認の体を取るが、異論や反論は見られない。

 全員の疲弊した様子と、狼を気にかけている様を見ると当然と言ったところだろう。

 とにかく、全員が無事でよかった。


「……よし。なら、帰ろう。俺達の街へ」


 俺の言葉に全員が無言で頷く。一番大柄なゴリが何も言わずに狼を背負い、他の皆が彼を囲むように隊列を組み、歩き出す。


「旦那……?」

「気にするな、すぐに行く」


 いつもは最前列を歩く俺が未だに動き出さないのを気にしてロ―シから声がかかるが、先へ行くようへ促す。

 俺にはまだやらねば、言ってやらねばならぬことがある。


「……おい」


 しばらく経ったあと。

 未だに無言で佇む集団に声をかけ、先頭にいる男に睨みを利かす。


「てめぇ、さっきの魔法。中にいるのが俺だってわかってやったな?」


 灰髪の男――アッシュ。


「……だとしたら、どうした?」


 アッシュは一貫し、つまらんことを聞くなといわんばかりの舐めた態度。つくづく癇に障る。


「本当に俺達ごとやる気じゃなかっただろうな……?」


 加減のない人口の嵐。あんなものに巻き込まれたら、ただの人間ならばひとたまりもない。そう、ただの人間、ならば。


「最初から言っているだろう。お前らのことなぞ知ったことか、と」


 それは俺や、俺達の命がどうなろうと知ったことではない、と。

 蜂に襲われ死のうが、風に裂かれようと知ったことか、と。

 こいつが俺のことを気に食わないのは見ていてわかる。俺もそうだ。こいつが気に食わない。

 だが――だからといって、殺そうとまでは思ってはいない。


 しかし、こいつは。


 どうでもいいのだ。

 俺のことも、ゴリ達の命も。

 一切合切、どうでもいい、と。

 そう言ってのけた。


「てめぇ、ふざけんじゃねぇぞ……!」


 頭にカッと熱があがり、気がつけばアッシュの胸倉を掴みあげていた。

 今度は誰の邪魔も入らない。

 全員がそう言われ、あるいは命じられたかのように停止している。

 しかし、全員の表情には怒気が感じられ、中には腰に刺した剣や握った獲物に力を込めた様子が見られる。


 それ以上手を出せば、問答無用で切りかかる――そんな警告の意思が確かに伝わってきた。


 殴りかかろうとした握り拳を解き、軽く浮いているアッシュを下ろそうとする。

落ち着いてみると、持ち上げたアッシュの体は随分と軽く感じる。

 長身の割には軽い――ハリボテのようだ。


「――待て」


 耳元にアッシュが顔を寄せ、ソッと呟く。

 他の人間、アッシュの背後にいる兵達には聞こえぬように。


「女王、しかもハイをやったそうだな。――よくやった」


 短く、それだけを伝えると未だに掴んだ俺の手を振り払い、


「離せ、冒険者風情が。――これより、この森の魔物の掃討に移る。ゴブリン、蜂などが生存していると確認されているが、全て狩り尽くせ。四人一組(フォ―マンセル)で動き、巣は見つけ次第報告せよ。各自、散開ッ!」


 背後の兵隊達にそう伝えると、兵達は即座に散り散りに動き始め、場に残ったのは俺とアッシュ、黒ロ―ブの一人だけだった。


「――いつまでいるつもりだ、冒険者。とっとと街へ帰れ、邪魔だ」


 それ以上話すことはないと、背を向け俺の存在を無視し始め、黒ロ―ブはずっと押し黙っていた。

 このままここにいてもすることはなく、狼の身体も心配だ。俺も帰るとしよう。


 そう決めて、踵を返し帰路に着く。

 狼の身体も心配だが、気がかりなことはいくつかあった。


 アッシュの言葉――ゴブリン討伐に出向いてきた、そういった割には女王の存在と死を確認しており、賞賛の言葉を浴びせ、すぐさま邪険に扱う。背後の兵達には気付かせず。


 それに、あれほど大量に居た蜂を即座に蹂躙せしめた力――魔法。

 おそらく、行使した人間は唯一人――例の黒ロ―ブだろう。

 結局、言葉を発することは一度たりとてなかったが、どうも俺はあの人間を知っている、見たことがあるような気がする。


 だが、あんな臭い容貌の人間は、一度見れば忘れることはないだろう。

 ならば、素顔で出くわしたか、あるいは単なる気のせいか。考えても仕方がない。


 それでも、やはり気持ちが悪かった。不愉快だった。


 ふと例の少年の言葉が思い浮かんだ。


『魔法はあるよ』


 目をキラキラと輝かせ、楽しげに語った少年。


 俺自身、その力を見ることを楽しみにしていた。

 にも関わらず、今ではそんな気持ちはない。

 わだかまりだけが残り、なんともいえぬ気持ちが去来する。


 奇跡の力――魔法、か……。あれじゃあ単なる――


「……チッ」


 なんとも言えぬ気持ちの悪さに、堪らず舌を打つ。

 一人で歩く帰路には、その舌打ちも嫌に耳に残った。

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