彼の居ない狭間で
先程までからかい甲斐のある少年、不二 巽が眠りにつき、居なくなったのを確認する。
これでここにいるのは・・・。
「これでよかったのかい、郁ちゃん・・・?」
先程まで巽君の居た場所に入れ替わるように、少女が姿を現す。
「・・・はい、ありがとうございます」
少女は、現れるなりペコリとお辞儀をし、礼を述べる。
「気にすることはないよ、それに、本当によかったのかい?」
「はい。タッちゃんならきっと、やってくれると思いますから」
少女は顔を上げ、ニコリと笑う。
「ふぅん・・・。信頼してるんだねぇ」
あまり面白くないね・・・。
「信頼・・・って言うんですかね。でも、もしかしたら無理なんじゃないかなぁって気もするんですよ・・・」
「おや、珍しく自信がないじゃないか」
いつも自信満々な彼女らしくない、おもしろいことを言ってくれるじゃないか。
僕はおもちゃを見つけたような気分でほじくり返す。
「あくまで気がするだけですよ。タッちゃんならきっとやってくれます、多分・・・」
僕の様子にムッとしながら、頬を膨らませる、がしかしやはり自信はないようだ。
信頼しているのか、していないのか。
その関係も彼女たちの特別の関係なのだろうね・・・。
おノロケを聞かせられるのはあまりおもしろくないなぁ。
「どうだろうなぁ・・・できると思うんだけどなぁ・・・でもタッちゃんだし・・・結構チキンだしなぁ・・・」
郁ちゃんは未だにぶつぶつと巽君のことを言っている。
内容は殆ど馬鹿にしたような内容であり、巽君が聞いていれば文句のひとつやふたつも出ていたことだろう。
「・・・ふふっ」
そう思うと、不思議と笑みが零れた。
「あれ、どうかしました?」
僕の笑いが聞こえたのか、郁ちゃんが近づき、僕の顔を覗き込んでいた。
「いんや、なんでもないよ。ただ、巽君が聞いていたらどうしたんだろうなぁって思ってさ」
「きっと、怒ったと思いますよ。「馬鹿にすんなよ、できるし、やってやる!あとチキンじゃねぇ!」とか言ってきますよ」
郁ちゃんはニコニコと笑いながら、自らの額に二本の指を立てる。
どうやら鬼の角を模したらしい。
そう思うと、先程までの少年が顔を赤くし、鬼のように怒っているのが想像できた。
「なるほど、鬼・・・といっても、精々子鬼程度だろうけどね」
「鬼、ですか?タッちゃんが?」
「うん。まぁ、そうだね、さしずめ天邪鬼《あまのじゃく》、といったところだけどね」
「天邪鬼《あまのじゃく》・・・」
「「ぷっ」」
僕らは同じことを想像したのか、どちらともなく笑いあう。
「あはは!タッちゃんが天邪鬼ですか!違いないですね!」
どうやら間違いなく、巽君の子鬼姿を想像したようだ。
「くくっ・・・、素直じゃ、ないしね!なるほど、確かに違いない!
どうやら僕の発言は的を射たようだ!」
ふたりでひとしきり巽君のことで笑いあう。
「ところで、本当に彼にできると思うかい?」
「できると思います、タッちゃんですし。それに、もう始まってしまった以上、やるまで終わらないんでしょう?お代官様」
郁ちゃんは悪戯な笑みを浮かべる。どうやらごっこ遊びに興じるようだ。
こうして見ると、やはり年相応の少女だと思う。
「まぁね。始まった以上、やってもらわないと終わらない。そのためにわざわざ呼び戻したんだしね。
僕が言いたいのは、本当に彼でよかったのか、ということだよ、越後屋?」
僕も同じように邪悪な笑みを浮かべ、悪代官ごっこを演じる。
「・・・はい。タッちゃんには楽しんでもらいたいですから」
「・・・それ同等、あるいはそれ以上につらい事もあるかもしれないのにかい?」
「それでも、きっと今までよりかはずっと楽しいと思ってくれると思うんです。
今までは辛かったみたいですし、今までが辛かったのなら、せめてこれからは楽しくあって欲しいじゃないですか」
それが彼女の、彼を選んだ理由なのだろう。
今までが辛かったのならば、せめてこれからは幸せに。
天秤を量るということか。
「それに・・・ちょっとぐらい痛い目に合ってもいいかなぁって」
「・・・うん?」
今までの慈愛に満ちた表情とは一転、突如物騒なことを・・・
「だって、嫌じゃないですか。タッちゃんが私以外の女の子を庇って死ぬなんて。
私が助けたのは、女の子を助けさせるためじゃないんだけどなぁ・・・」
郁ちゃんはプクーッと頬を膨らませ、文句を言う。
もしかして、本音はそっちなんじゃないかい・・・。
しかし、そうか・・・嫉妬かぁ。
古来より、女の嫉妬は恐ろしいものだ。
女神でさえも嫉妬し、別の神に報復を与えるなんて神話はさして珍しくもない。
そう思うと、彼の今後は存外恐ろしいものかもしれないねぇ・・・。
未だに頬を膨らませる少女に軽い怯えを覚え、旅立った少年には同情するしかなかった。