夜明け
「くぁ~。朝、か……」
窓から差し込む日光が眩く、目が焼けるような錯覚を覚える。
どれもこれも寝不足のせいだと悪態をつきながら、再び欠伸をかみ締める。
寝不足で眠たく、それでも身体は軽く感じる。好調どころか、絶好調だ。
「これが幸せの重み、って奴かね?」
一人で呟き、温かく柔らかな質感を堪能する。
視線を下げ自らの胸元を見やると、日光よりも眩い金髪の少女がいる。
少女は幸せそうな寝顔を浮かべ、「スー、スー」と規則的な寝息を立てており、快眠を邪魔するのも憚られ、しばらくじっと見つめていると、胸の内が満ち足りていく気がした。
紛れも無く、幸せだった。
昨晩の出来事がまるで夢のようで、煩わしい声は何処かへと消えさり、聞こえない。しかし、それでも昨晩の出来事は確かにあったのだと、胸元の少女が証明している。
「俺は化物じゃない。……人間だ。これで、いいんだよな?」
少女に言われたことを、一人復唱する。自らに言い聞かせるように。
俺の不死を知った女将さんは「化物」と蔑んだ。
ゴリ達は知ったうえでなお「人間」だと認めてくれた。
そして昨晩、クレアは「人間」と呼び、認めてくれた。
これだけで、十分じゃないか。
女将さんは人間として生きるのを見届けてくれて、ゴリやクレア達が俺を支えてくれるというのだ。だったらいつまでもウジウジ考えず、俺は人間だと胸を張って生きる。それでいいのだと、そう思えた。
恩人である少女の重みに、感謝と幸福が絶えない。
少女は今なお、胸元で安らかな寝息を立てて寝静まっている。
その様子は嬉しそうで、幸せそうで、とても美しかった。
大きな乳房は自らの胸元に押し付けられてその重みと柔らかさを十二分に堪能させ、何処からか少女特有の甘い香りが漂う。
薄桃色したぷっくりとした唇からは、官能的な吐息が零れる。
意図せずゴクリ、と生唾を嚥下する。
どうしてこうも彼女の姿は自らの劣情を駆り立てるのか。
抜群の美少女と同衾し、昨晩は互いが嫌っていないとわかった。むしろ、自分に好意的であろうことを察した。
ならば、目の前に無防備な寝姿を晒す彼女は同意の上ではなかろうか。
「据え膳食わぬは……なんとやら、ってか?」
自らの半身とも呼べるモノは朝からとっくに健全に「準備はOK」だと激しすぎる自己主張をしている。
(い、いかんいかん……。俺は何を考えてるんだっ。寝てる相手に手を出すなんて……!これじゃあゴリ達を怒れんっ)
気まずさから視線を泳がせると、昨晩から床を転がっているであろう『無明』が目に付く。
剥き出しの刀身は相も変わらず黒々と輝いている。
「呼んだ?」
ふとそんな幻聴が聞こえた気がする。
声の主を探せど、室内には誰もいない。
紛れも無い幻聴だと気付き、ため息を着くと、相も変わらず自らの半身は元気で。
(もしや……お前か?)
呼応するかのように、トクンと脈打つ。
(俺の股間の『無明』がコンニチハ……。いや、コンバンハ、か?)
朝から下らぬ下ネタを考えれるぐらいには、絶好調だった。
いや、あるいは不調なのかもしれないが……。
しばらく無防備な寝姿を眺めつつ、そのうちにあまりジロジロ見るのも失礼だと感じ、見飽きた頃には無心を貫いた。
その頃にはすっかりと劣情は静まり――。
「ん、んぅ~……」
「起きたか。おはようさん」
クレアが胸元で動き出し、目を開いたのを確認し、声をかける。
彼女はしばらく目をしばたためて、いずれ完全に目を覚ました。
「あ……。タツミさん、おはよう、ございます……」
眠たげな声を絞り出して挨拶を交わす。
「おう。ゆっくりできたか?」
「私、昨晩はその、あのまま、寝ちゃったんですね……」
クレアは顔を上げて、俺を見上げる。
その顔はどことなく赤みを帯びて、やがて蛸のように真っ赤になった。
赤くなっただけなのに、湯気が立つような熱気も伝わってきて照れている彼女を見ている自分自身も妙に恥ずかしくなった。
「あ、あぁ。まぁ、そのなんだ、ゆっくり寝れたか?」
「え、えぇ。おかげさまで……」
互いに赤くなった顔を逸らし、ぎこちない会話をこなす。
事後の睦言であったならば、もう少し気の利いた言葉をかけれるのか、かけるべきなのだろうと考えるも、タツミ自身には幸か不幸か、そういった経験は未だ無く、ぎこちなくなるのも仕方がないと思った。
だがしかし――。
「プ……ククッ」
「くすっ……あ、あはははっ」
「なんだろうなぁ。もっと気の利いた言葉はあったろうになぁ、ハハッ」
「あははっ。私は、いいと思いますよ。タツミさんらしくて。あははっ」
どちらともなく笑い出し、二人でさっきの妙な会話を笑う。
「そうか。俺、らしく、か。なんでだろうな、そういわれると悪い気がしねぇんだよなぁ」
「それで、いいんだと思います。誰だって、自分を飾らずに生きれたら幸せだと思いますから。自分らしく生きる、自由でいいんです」
「自由に生きる、か。悪くねぇなぁ。クレア、ありがとうな」
「支えになりたい」そう言ってくれた少女の言葉は、存在は紛れも無くタツミの心の支えとなった。
救ってくれた少女に対し、一切の嫌味も無く、純然たる感謝を口にした。
それに対し、少女は……「はいっ!」と眩しいほどの笑顔で応える。
その笑顔は明るく、眩しいほどに輝いて見え、タツミに太陽を彷彿とさせた。
「朝……だな」
「朝、ですね」
「そろそろ起きねぇと、マズイかね?」
睡眠不足の体は未だに睡眠を欲しているが、時間にルーズなこの世界でも時間に五月蝿い人間はやはり、いる。
この家の家主、そして酒場『女帝』の店主である女将さんなどはその最たる例であると言えるであろう。
「マズイと思います……。あ、やっちゃったなぁ……」
「ん?どうかしたか?」
まずいと呟いたクレアはどこか酸っぱい顔をしている。
そしてしきりに「やっちゃった、どうしよう……」と呟いている。
「いえ、その、私あのまま寝ちゃったんですよね……。ゴリさん達の給仕しなきゃいけなかったのに……」
「あ~……。」
そういえば、昨晩はゴブリン駆除の打ち上げだとゴリ達は意気込み、夜通し呑むぞと意気込んでいた。
そしてその打ち上げは閉店後に行なわれ、残っていた従業員といえば店主兼コックである女将さんとその娘、給仕であるクレアだけだったはず。
そのクレアが欠けていたとなると……。
「もしかして、やらかしたかね……?」
「……はい」
改めて事態の深刻さを覚悟する。
寝オチしてしまった彼女の責任だと丸投げするわけにもいかず、彼女を昂ぶらせてしまった俺にも責任の一端がある。
というよりも、おおよそが俺のせいだろう。
ならばきちんと責任を取って頭を下げねばなるまい。
(あの女傑が頭を下げて容易く許してくれるとは思えんがなぁ……。こりゃあ、死んだな……)
文字通り、死を覚悟した。
「いや、まぁ責任は俺にあるしな。俺のほうから頭下げとくから……。
俺が先行くから、クレアは支度だけして、ほとぼりが冷めたら降りてこい、な?」
「そんな。寝ちゃった私が悪いんですから、私だけでいいですよ。
それに、昨晩タツミさんの部屋に行くように言ったのも女将さんですから、そこまで怒られないとは思いますし、多分……。多分」
クレアは徐々に語尾を絞らせていく。彼女の言う、多分はおそらく、願望なのだろうなとわかる。
しかし、妙な言葉が聞こえた気がした。
「ん?そうなのか?」
「はい。昨晩、タツミさんの様子がおかしいって皆さんが気付いてましたから。
だから、代表して私が様子を見て来いって、女将さんが」
その心遣いは純粋に嬉しかった。
血縁も知人もいない世界で、自分は孤独なのだと覚悟しているつもりだったが、自らを見て、気遣いしてくれる人間がいたのだ。
自分は独りではない。見守ってくれる、気遣いしてくれる人間がいる。
そうわかっただけで温かな気持ちになった。
「そうか。皆、俺のこと、見てくれてたんだな……」
「はい。タツミさんは、私と、おか……女将さんにとって家族のようなものだと、私は思ってますから」
「……ありがとう」
家族。その言葉はむず痒かったが、嬉しかった。
「さて、今度こそ起きるか」
「はい!」
気まずさから逃れるように、起床を促すとクレアは天真爛漫な笑顔で返事をする。
体を起こした彼女の金髪に、陽光が反射し、眩しかった。
二階にあるという自室に一度戻るといって、階段の前でクレアと一度別れる。
女将さんに二人で謝ると約束し、一人一階の店舗へと顔を覗かせる。
「う……。なんじゃこりゃ……」
そう呟かざるをえないような、ひどい荒れ様だった。




