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シンクレア・スカーレット

『女帝の娘』

 それがこの街での私の評価で、名前でした。

 眩い金の糸のような髪も、燃えるような紅い瞳も、お母さん譲り。

 だからこそ『女帝の娘』

 この街で『女帝』と呼ばれ、畏怖と畏敬を集めるジョディ・スカーレットの娘。

 それが私。


 お母さんより一回り小さな体と、母より大きな胸。内気な性格。

 それだけが『私らしさ』

 母、『女帝』とは違う『シンクレア・スカーレット』と判別できる要素でした。

 それらを除けば、まるで鏡写しと言われた私は、本当に『女帝』と同一視されてしまうのではないか。常々そう考えては恐れていました。


「私は『女帝』じゃない。『女帝の娘』でもない。私は、私はシンクレア・スカーレットなのに・・・」


 小さい頃はお母さんに手を引かれて、よく街を歩いていました。

 当時はお母さんも今よりも若く、あどけない少女のようで、私の手をひくお母さんは「親子というよりまるで姉妹のようだね」とよく言われてました。

 幼い私は大好きなお母さんと姉妹のようだと言われて、より仲良くなれた気がしてとても嬉しかったのを覚えています。


 でも、今となっては嬉しくありません。

 むしろ悲しいとさえ感じてしまいます。

 私を見ては誰しもが『女帝の娘』として私を見る。

 いいえ、誰も私を見てなどはいない。

 彼等は私越しに『女帝』を見ているのだと、気付いてしまったから。


 その人の第一印象は「怖い」でした。


「何を、している?」

 暗闇に響く、突然の第三者の声。

 彼らの仲間かと思いきや、その考えは彼らの慌てようから即座に違うとわかりました。

 慌てる彼らのうちの一人がランタンを掲げ、声のした方へと光を翳す。

 私も釣られるように目を向けると、そこには何時からそこに立っていたのか、闇に溶かし込んだような黒一式の一人の青年。歳は私とそう変わらないようでした。

 頭髪から身に纏う衣類のつま先まで、全てが黒。

 髪色も、瞳の色も、全てが統一されたかのような黒一色。

 髪から覗き込める釣りあがった黒い瞳には確かな怒気が感じられました。


 先ほどまで、寄って集って私を嬲り、突然の乱入者に慌てふためく彼らの姿はとても滑稽に映ったのを私は今も忘れません。

 そして、浅ましくも「助けてもらえる」と安堵した私自身に、落胆したことも。


 彼らに襲われて、衣類を破られて・・・。

 その時、獣欲に塗れた目で私を裸に剥く男達より、私自身が誰より興奮していました。

 男達はしきりに呟いていました。

「美しい」「可愛いクレア」「お前が欲しい」、と。

 男性達の内の数人には見覚えがありました。


 体格の良い男、痩せた男、小柄な男。この三人は度々お店で見たことがあります。

 一時は冒険者として一線で活躍し、よくお店にも顔を出していました。

 その時は大体もう一人、野生的な男性を連れての四人で、常連のアルフさんとリードさんと歓談しているのを見かけましたが、最近はあまり姿を見ることがありませんでした。

 噂によれば、四人の中枢でもあった野生的な男性が亡くなり、パーティとして立ち行かなくなった、とも耳にしました。

 どうやらその噂は本当だったようで、残った三人の姿はみすぼらしく、浮浪者と見間違うほどでした。

 この街は冒険者で賑わえど、そういった浮浪者の方々は滅多に見かけません。

 治安もよく、冒険者といった職業は身分が不確かな人間でもなれる職なので、自分の体さえあればやっていける職業だから。


 それでも、見たところ五体満足である彼らでも、冒険者として再起できない程に追い詰められる出来事があったのだろう、と推測しました。


 そんな彼らに、私は求められているのだと。

『女帝』でも、『女帝の娘』でもない。

『シンクレア・スカーレット』そのものとして、私は今彼らに求められているのだと。

 そう思ったら、全身がカッと熱くなり、気分が高揚しているのを感じました。


 憐れにも彼等は追い詰められ、助けを求めている。

 たとえ一時の気晴らしなれど、彼らは私を求めている。

 そう思ったら、彼らの期待に応えてあげたい。そんな想いが頭を過ぎりました。

 彼らを救えるのは私だけ。

 私ならば救える。求められている。応えてあげたい。


(だったら、この体を差し出すべきなんじゃないでしょうか?

 母譲りの美貌。それだけが取り柄のシンクレア・スカーレットが求められている。だったら、この身を差し出して彼らを救ってあげるべきなんじゃないの?

 それができるのは・・・私、シンクレア・スカーレットだけなのだから)


 自己陶酔にも似た英雄願望。

 自己犠牲で救われる人がいるのならば、その身を差し出せと囁く。


 そんな悩みの最中に、彼が現れたました。

 そこからは正直、あまり覚えていません。

 野蛮な男達からの下卑た発言に、黒衣の青年は怒りを隠そうとはしませんでした。

 彼の口ぶりは彼らと同じく、私で自らの欲望を満たそうとしているようでした。


 一瞬、彼らに嬲られるぐらいならば、彼一人の相手をする方が・・・といった考えが浮かびましたが、すぐにその考えは誤りだったとわかりました。


 彼も、一緒でした。


 黒衣の青年は私を見ているようで、私を見ていない。

 視線は男達から離さず、そして私に別の誰かの姿を重ねているのだと。


 彼は彼らに対して怒り、まだ別の何かに怒りを覚えているように思えました。

 それがされるがままである私に対してなのか、あるいは私に姿を重ねた誰かなのか。そこまではわかりません。ただ、何かに対して激しく怒っているのだけは確かでした。


 そして彼は怒りをそのまま体現するかのように、鬱憤を晴らすかのように暴れていました。

 殴って、蹴って、暴れて、暴れて……そして、笑っていました。

 とても楽しそうに、弱者を嬲って嘲笑っていました。

 その姿はまるで暴力の権化のようで、恐ろしく感じました。しかし、楽しそうなのにも関わらず、どこか哀れで悲しげに見えたのは、私だけだったのでしょうか。


 助けたいのか、助けられたいのか、自分でもよくわからないでいるうちに、青年は殴り飛ばした体格のいい男の顔面に踵落としを決め込もうとしていました。

 暴力の権化のような彼が、躊躇うことなく全力で人の顔面に踵を落とせばどうなるか。

 簡単に想像はできました。


 このままではいけない。

 私が束の間とはいえ救いたいのだと逡巡した相手が死んでしまうことも、暴力的な青年がこのまま人を殺めることも。

 このままでは誰も救われないのだと、気付いたから。

 救われないどころか、男を殺めてしまえば、きっと彼自身が後悔することになると思ったから。


 寝転がった男に踵落としを決めようとした青年自身が自らの辛そうな表情に気付くことなく、殺めてしまえばきっと、誰も救われることなどなくなってしまうのだと、気付いてしまったから。


「だめぇっ!」

 そう思ったら、思わず叫んでいました。


 叫んだのなんて随分久しぶりで、彼らも突然の大声に立ちすくみ……そのせいで、黒衣の青年は地味な男性にナイフで背中を刺されてしまいました。


 青年はまた別の苦悶に満ちた表情を浮かべ、黒い服に赤黒い血が広がっていくのが見てわかり、刺されてしまったことに申しわけなさにいっぱいになりました。


 あまりの申しわけなさから逃げ出したくなり、いえ、私はあの時、確かに逃げ出していました。

 地味な男の恍惚とした表情と、生理的嫌悪感を覚えるような発言を背にし、逃げ出しました。


(誰か、助けて……!彼を、私を、誰か…三点!)


 助けて、と願った時に、咄嗟にとある人の姿が浮かびました。

 しかし、即座にその人の姿を頭から消し去りました。


(ダメ、あの人は、あの人はもう……!)


 足腰の利かなくなった体を鞭打ち、引きずって逃げ出そうとしても、すぐに冴えない男に捕まりました。

 男は私を求めるように、更に気持ち悪い言葉を吐き連ねます。

 そんな彼には最早、応えてあげたい、助けたいなどという気持ちは浮かびませんでした。

 これから起こるであろう屈辱的な事に嫌悪感を募らせながら、どうにか逃げ出す術を、彼と私が助かる術は、と必死に考えを巡らせても、いい案は浮かびませんでした。


 そんな時にふと黒衣の青年と視線が重なり、その視線に問われた気がしました。

「それでいいのか、どうしたいのか」と。

 無関係である彼が、痛みを負ってまで助けてくれたのに、私がこのままで良いのか。

 良いわけが、ありませんでした。

 また救われるだけなんて、また守られるだけなんて。

 今までの、自分が求められなかった現状に嘆いただけの私でいたくなどない。

 変わってみせるんだ。守られるだけの私じゃない、誰かを救える私に。

 胸を張れる、シンクレア・スカーレットになってみせるんだ。


 ならばせめて、一矢報いてやろう。

 そう決めて、冴えない男の言葉に反発すると……情けないことに、頬に熱い衝撃が走り、殴られたのだと自覚する前に私は気絶してしまいました。


 それからしばらくは眠っていたのだと思います。

 次に起きたときには、地味な男はいなくなっており、濃密な血の臭いが鼻についたのを覚えています。

 季節は春に変わろうとしていても、未だに朝夜は肌寒く、例によって凍えるような寒さで目を覚ましました。

 身震いして、枕元には暖かな体温を感じました。


 目を開けると、すぐそこには顔がありました。

 男性にしては少し長い髪に、閉じた瞼からは睫毛が。此方もまた男性にしては長く感じました。

 ただ、男性の顔を間近で見ることがなかったので、そんなことはなかったのかもしれませんが。

 鼻は少し低くて、肌は白くて綺麗で、口元はだらしなく歪んでて、口端からは僅かに涎が。

 こうしてみると青年というよりも、少年といった方が適切な気がしました。


 そして、笑いながら暴れまわっていた時はわかりませんでしたが、とても愛嬌のある顔で、可愛らしく、人懐っこそうな顔をしていました。


「これが、私を守ってくれた人……」

 寝静まってる彼の膝枕に甘えたまま、手を伸ばそうとすると自分の体の上の何かがずれて、風が直に肌を撫でるのを感じました。


「きゃっ」

 自分が気絶する前のことを思い出し、自らが全裸だったのを思い出しました。

 しかし、今は体の上に布が被さり、それがずれたようでした。


 何だろう?と思えば、それは彼の纏っていた服でした。

 その証拠に、彼が刺されたであろう場所には大きな血でできた染みがありました。


 その染みが私を守るためにできたもので、私を救ってくれた人が……

 自らの身を省みず、私を助けてくれたこの少年がとても愛おしく感じました。


 この人のことをもっと知りたい、触れたい……。

 そう思ったら、手が伸びていました。

 冷えた手で、彼の頬を撫でる。

 彼の頬は温かく、すべすべで、柔らかく……。

 しばらくそうしていると、彼はくすぐったそうに身をよじらせて、その姿がとても可愛らしくて。

 つい意地悪をしたくなり、またしばらく彼の頬を撫でていました。

 そして頬に飽きてきた頃、彼の唇に触れようとして……


 すると突如か細く、「あの」と後ろから声がかかりました。

 私は突然の声に「わきゃっ!?」と奇声を上げてしまいましたが、特に誰に指摘されることもなく、体を起こして振り返ると、先ほどの地味な男性を除く、三人が居た堪れない様子で並び、立ち尽くしていました。

 すっかり三人共逃げ出していると思い、油断しきっていたところに声をかけられたので、思わず体が強張りました。


 黒衣の少年は未だに、安らかな寝顔を浮かべており、彼だけは私がなんとしても守らないと、そう決意したところに、思わぬ出来事が起こりました。


「「「申しわけありませんでしたっ!」」」


「へ……?」

 思わず、またしても間抜けな声を上げてしまいました。

 なんと、三人の男性が一斉にお詫びを始めたのです。

 それも示し合わせたかのように、三人共が地面に額を擦り合わせんばかりの低姿勢、紛れもない土下座でした。


「いくら魔が差したからと言って、俺達はとんでもない過ちをっ!

 本当に申し訳ない!このままじゃ家族にも、お天道様にも顔向けできねぇっ!

 どうか、クレア嬢ちゃんの気の済むようにしてくれ!

 殴ってもらっても、蹴ってもらっても、死ねと言ってくれても構わんっ!

 俺達全員、言われたままに従おう!死ねといわれたら死んでみせるっ!

 それが俺達が、あんたにできる贖罪だっ!許してくれ、とは言わない!

 どうか気の済むようにしてくれ!」


 大柄の男性が、代表して捲くし立てるように述べてきます。

 中には死ねとか物騒な言葉が聞こえた気がしますが、私はそれどころではありませんでした。

 目の前の男性達はもはや敵意はないようでしたが、それならば何時から私たちの前に居たのか、その疑問一心でした。


(もしかして、見られた……?)


 彼の頬を撫で回し、指で別の場所を触れようとしていたことを見られたようならば、私は羞恥心でいっぱいになり、居た堪れなくなってしまいます。

 なんせ見られていたかもしれない、それだけで顔が紅くなっているのを自覚するほど恥ずかしいのですから。


「あの、もしかして、見ました……?」

 意図せず、震えるか細い声になってしまいました。

「はい?」

 痩躯の男性が聞き返してきますが、何を言っているのかわからない、そんな様子でした。


「見てました……?」

「何を、でしょうか?俺達は起きるなりクレア嬢ちゃんの姿を見つけて、謝らねば、とその一心で……」

「だから、私が何をしていのか、見てました?」

「い、いや、何をしていたかまでは。その人の顔に手を伸ばしてるぐらいしか」

「あ、あぁ、あああああ……!」

「ちょ、ちょっとどうしたんですか、お嬢、変な声あげてっ!?」


 見られた。見られてた。しっかりと、見られてた。

 あまりの恥ずかしさに悶絶。


「なんで見ちゃったんですかぁ……!」

 八つ当たり気味に声をあげます。

「い、いや、そりゃあ謝らないと、と思って……」

「うわああああんっ!いいですか!?この事、絶対この人に言っちゃダメですからねっ!?言わなかったら許してあげますっ!言ったら絶対に許しませんからねっ!?いいですねっ!?」

「へ?それだけ、ですかい……?」

「それだけですっ!わかったら返事っ!」

 男性達は鳩が豆鉄砲を食らったように面食らっていましたが、私はそれどころではありません。

 あまりの恥ずかしさに逃げだしたいぐらいでしたから。

 しかしそれでも、男性達はしっかりと「はい」と各々、了承の返事をくださいました。

 襲われはしましたが、そんなに悪い方々ではないのかもしれません。


「やっぱり、それと……」

「へい、何でしょう?」

「それと、この方のお力になってあげてくださいませんか……?」

 私がこんな事を頼むのはお門違いなのかもしれません、それでも私はこの少年の事が心配になりました。

 とても力強く暴威をふるっていたのに、今ではそんな風には思えずむしろ儚げでとても危うく思えます。

 線は細く、筋肉も薄い華奢な少年。触れれば崩れてしまいそうな、まるで砂上の楼閣のような危うさを。


「それは……」

 さすがにそこまで頼むのは虫が良すぎたのでしょうか。

 体格の良い男性は渋い表情をしていましたが、やがて意を決して、

「わかりました、引き受けます。しかしこれは贖罪などではなく、あくまで俺達の意思です。俺達の意思でこの人の、旦那の力になる。そう決めました」

 そう言ってくださいました。

 私なんかが頼むまでもなく、彼等は彼等なりに少年のことを考えて、力になろう。そう考えていたようです。

 やっぱり、この人達はそう悪い人たちではないみたいです。

 あんなことがあったのに、私はこの人達を憎むことはできなさそうです。


「ありがとう」

 短くそう告げると、頭上からむにゃむにゃと眠たげな声が聞こえます。

 見上げると少年が目を覚ましそうだったので、せめてもう少し、邪魔をしないようにと唇に人差し指を宛がい、男性達を見て「シーッ」と。

 土下座のまま、ぼんやりと呆けていた男性達はハッ、となり再び頭を下げてしまいました。

 しかし、努力の甲斐も空しく、少年は目を覚ましました。


 目を覚ました彼は、先ほどの暴力的な一面はまったく見せず、ちょっとえっちで、ひょうきんな少年でした。

 私はやっぱりあどけない寝顔を浮かべて、人をおちょくるような少年――タツミさんの方が好きです。




 だから――どうか、そんな辛そうな顔をしないでください。

 今にも泣き出しそうな顔で、「自分は化物だ」なんて言わないでください。

 私はあどけなく笑い、眠るあなたが好きなんです。

 だから、どうか――。


「刀から声がする」、そう言って自らを刺し貫いた、貴方の重ねた掌からはあの日のあの熱――膝枕のぬくもりも、すべやかな頬の体温も感じられなくて。

 そうさせてしまった責任の一旦が私にもあって。

 それがとても嫌で、嫌でたまらなくて。

 だから、私はあなたのぬくもりも、笑顔も。全部、全部守ってみせると、決めたんです。


数日間に及び書き連ねたので、少し順序などがおかしくなってるかもです。

もしそうなってたらご指摘頂けると嬉しいです。


クレアちゃんがヒロインのはずなのに、いまいち人間味が薄いと思い補填的な。

そしたら嗜虐心、被虐心共に兼ね備えるという、不安定な歪な娘になっちゃったよ、どうしよ・・・。

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