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帰る場所

 深夜の寝室にうら若き男女が二人っきり。

 これだけ聞けば、間違いの一つや二つでも起こりそうな話だと思うだろう。しかし、今のこの部屋はそんな状況下でも、とてもそんな空気ではない、そう思うのは俺だけだろうか。


 対面するクレアの面持ちはどこか暗く、不安を帯びている。

 階下のゴリ達と、俺のことでも話していたのだろうか。アルフやリードの懸念もそのままクレアに伝わったとしてもなんらおかしくない。


 むしろ隠すべきではなく、俺が化物であることを彼女にも早く知ってもらっておいた方がいいという気持ちも今はある。

 その方が・・・その方が俺もまだ諦めがつくかもしれない。クレアとより親しくなって、いざ知られて拒まれて傷つくより、今のほうがまだダメージも少ないだろう。


「タツミさんは・・・」

 入るなり、沈黙を保っていたクレアが重苦しく口を開く。


「タツミさんは、不死者なんですか・・・?」

 ほら、やっぱりな。


「あぁ、そうだよ」

「そんな・・・」

 信じられない。そんな表情で俺を見るクレア。


「信じられないか?」

「正直・・・はい。今も、皆さんで私をだましてるんじゃないか、って」

「女将さんもか?」

「・・・はい」

 このまま、全てがクレアに対する嘘だったならばいいのに。

 俺は人間で、今までのことは全て夢か偽りであったならば。


 もちろん、そんなわけがないというのは俺自身がよくわかっている。

 この声が、確かに告げている。全てが性質の悪い夢などではなく、現実なのだと。

 今も喧しいほどに騒ぎ立てる、この声が。


「そうか。信じられないのか」

 俺の言葉にクレアは何も言わず、顔をうな垂れる。

 どうか、そんな顔をしないで欲しい。お前は何も悪くないし、誰もが真実を語り、誰も悪くなどないのだから。

 それでも、全てが信じられないというのならば、唯一つ。見せるしかないのだ。


「ふぅ・・・」

 ため息と共に、息を整える。

 鞘に収めた『無明』を抜き取り、眺める。

 闇夜の中でも、その黒々とした刃は異彩を放ち、激しく自己主張をしている。

 この刃はいつだって美しく・・・禍々しい。


「タツミさん、何を・・・?」

 突如として抜刀した俺をクレアが不思議そうに見ている。


「ずっと、声がするんだ」

「声・・・?」

「あぁ。喧しいぐらいの声で、ずっとずっと喚き散らしてるんだよ。

 斬れ、裂け、殺せってな。全部、全部、全部、殺してしまえってな」

「え・・・?」

 彼女の目には、一体俺はどのように写っているのだろうか。

 人間だろうか。あるいは狂人だろうか。それともやはり・・・化物だろうか。

 それを知るのが怖くて、俺には彼女の顔を見ることができなかった。

 今も、そしてきっと、これからも―――――。


「だから、てめぇはいい加減黙ってろッ!」

『無明』を逆手に持ち、自らの腹に突き立てる。

 突き立てた刃は勢いよく突き刺さり、腹に刺さるだけでなく、背を突き破り、貫通する。

 ごぷっ、と勢いよく口から血が吹き出るのみに関わらず、体中がかっと熱くなり、痛み出す。

 もはや体全体が痛み、痛みがどこにあるのかさえ途端にわからなくなった。


「えっ・・・?い、いやああああああああ!」

 クレアは大きな悲鳴を上げる。

 きっと、今の彼女には背中に刃が生えた奇妙な化物が見えているのだろう。


 彼女の悲鳴と共に、脳内では大きな笑い声が聞こえてくる。

「ギャハハハハッ」と喜び、楽しそうな笑い声。


(どうだ、これで、満足か・・・?)

 問いかけてみても、笑い声は応えず、楽しげに笑い続けている。

 どこまでも忌々しい声だ。


「ほらな、死なないだろ?」

「な、何をしてるんですかっ、タツミさんっ!なんで、なんでなんでっ」


 クレアに問いかけても、彼女は返事もなく、うろたえるばかり。

 俺が死なないということは事前に知識として持っているはず。なのに、なぜそんなにあわてることがあるのか。

 もっと脅えたり、気味悪がったり、嫌悪感を示すべきだろう。

 なのに・・・。なのに、なんで。


「なんで、そんな悲しそうな顔をするんだ・・・?」

 声と共に、血が口から溢れ出す。

 血が衣服を汚すが、既に体中血まみれなので、今更気にならなかった。

 それよりも気になるのは。


「当たり前じゃないですかっ!なんで、なんでこんなことするんですかっ!

 どうしたら、どうしたらいいの!?まずは抜かないとっ!」

 クレアは彼女らしからぬ早口で諌めるように言いながら、『無明』に手を伸ばし、引っつかむ。


「ぐぅっ」

 痛みに思わず、うめき声が出る。


「あぁっ!ごめんなさいっ、痛いですよねっ!でもでも、どうしたらっ、どうしたらいいのっ!」

 彼女はパニックになりながら、泣きそうな顔をしている。


「なんで・・・」

「あぁもうっ!血が、血がっ!止まらないっ!本当にどうしたらいいのよもうっ!やっぱり、抜くしかっ!」

 腹を突き破り、貫通しているならば、突き破っている『無明』を下手に動かしてしまえばかえって傷口が広がったりなどして悪化しそうなものだが、傷もすぐに治る俺には無関係だろう。

 猛烈な痛みに気をやりそうだが、思考も思いのほかクリアなため、そんな心配もないだろう。


「どうして・・・・」

 俺の度重なる呟きもクレアの耳には届かず、今でも必死に傷口である俺の腹を止血しようと一生懸命押さえながら、しきりに「どうしよう、どうしよう」と泣きながら訴えている。

 当事者である俺以上に狼狽していた。


「クレア、落ち着け」

「落ち着いてますよっ!むしろタツミさんこそなんでそんなに落ち着いてるんですかっ!」

 ムチャクチャだな、おい。十分パニクってるじゃねぇか。


「わかった、わかったから。まずはこの腹の抜いてくれねぇか?

 さすがに喋るたびに痛むんじゃ、ろくに話せん」

「当たり前ですよっ!そもそもなんで刺したりしたんですかっ!」

 ごもっとも。

「ぐ・・・。その話はまたあとで。俺と一緒に、せーので引っ張ってくれねぇか?」

「わかりましたっ!」

 クレアは鷹揚に頷くと、両手で『無明』を掴む。

 俺もクレアの手に自分の手を重ね、「よっしゃ、行くぞ?」

「はいっ、大丈夫ですっ」

「「せーのっ」」


 二人で同時に『無明』を引き抜こうとすると、体中にまたしても激痛が走る。

 視界は明滅し、またしても痛みでどうにかなりそうだった。

「うぐっ・・・!」

 意図せず漏れた呻きに、クレアは涙でぐずぐずになった瞳で見上げてくる。

 俺は視線で「気にするな」と告げ、重ねた掌に更に力を込める。

 彼女は視線を汲み、『無明』を抜くことを続行してくれた。

 痛みで体はくの字に折れ曲がり、体がちぎれんばかりの衝撃だったが、二人がかりでようやっと『無明』を抜き取る。

 そのまま脇のベッドへと倒れこんだ。


「ハァッ・・・ハァッ・・・フゥ~・・・」

 死にそうな思いを耐え、息を整える。


「なんで・・・」

「ん?」

 ベッドに倒れこんだ俺を追いかけるように、クレアが俺に馬乗りになり、ベッドへと飛び込む。ベッドは軋み、衝撃が傷に障る。思わず顔を顰めた。

 俺を見下げる顔は涙と鼻水でぐずぐずに濡れそぼっており、くしゃくしゃになっていた。

 うら若き乙女が男に見せるべき顔では決してなかった。


「なんで、あんなことしたんですかっ!?死んじゃうところだったんですよっ!?」

 泣きじゃくり、拙い言葉でクレアは俺を諌める。

 その泣き顔には、怯えはなかった。

 あったのは、不安・・・そして、悲しみ。


「言っただろう?俺は不死者だと。死にはしねぇよ。仮に死んだとしても、すぐ生き返るさ」

「でも、だからって・・・!」

「信じられなかったんだろ?だからほら、見てみろよ」

 俺は血で濡れたTシャツをまくりあげ、『無明』の刺さっていた腹の辺りを見せる。其処はまだ縦長の傷があったものの、瞬く間にジュー、という肉を焼くような音と白煙と共に肉が盛り上がり、傷は徐々に癒えていく。


「ほらな?死んだら傷は塞がり、生き返る。俺は、紛れもない不死者・・・化物なんだよ。それにこの刀、『無明』は俺の自我を乗っ取って、何もかもをブッた斬ろうとしてる。俺がもし、そうなってみ?死なない殺人鬼の完成だよ」

 死なずに死をばら撒く怪物。それではまるで、死神だ。


「そんな・・・じゃ、じゃあこの刀を手放せば・・・!」

「そうもいかないんだよ。俺は、こうなった体を元に戻さなきゃならん。

 それがどうしたら治るのかはわからんが、わかるのはこいつ(『無明』)が唯一の手がかりだってことだな」


 俺は、死ななければならない。

 生者必滅の理にならい・・・天国にいるであろう、彼女(・・)に会うために。


「でも、だからって・・・!なにも、何も自分を刺すことなんてなかったじゃないですかっ!」

「それは・・・」

 そうするのが、手っ取り早かったからで。

 まさか、彼女がここまで取り乱すとは思っていなかった。


「なんで、もっと自分を大事にしてあげないんですかっ!

 死なないからって痛くないわけじゃないんでしょうっ!?

 死なないからってっ、自分を傷つけてっ、自分で死んでっ、自殺なんてしていいわけがないじゃないですかっ!」


 俺を見下げたまま、涙をぽろぽろ流すクレア。

 彼女の熱い涙が、頬にかかる。

 なぜこんなに必死になるのか、わからない。


 戸惑っていると、ふと脳裏にとある言葉が思い浮かぶ。

「自殺は悪いことだから、地獄行き」

 根拠も、要領も得ない言葉のはずなのに、なぜか妙にしっくりくる。



「自分を大事に、自殺は悪いこと・・・か」

「え?」

「なんでもねぇよ。その、悪かったな・・・」

 俺の言葉にクレアは目を見開き、そのまま何も言わず、俺の胸に倒れこんでくる。


「え、あ、おいっ!?」

「本当にですよ・・・」

「ん?」

「本当に、死んじゃうんじゃないかって思いました。血もいっぱいでて、顔も真っ青で・・・」

「あー、その、悪かった・・・」

 確かに、目の前の人間が突如自分に刀をブッ刺せば、戸惑いパニックになるのは必然だろう。

 俺自身、取り乱していたと言わざるを得ない。

 そして、そこを指摘されれば一方的に悪いのは俺であり、ばつが悪くも謝るしかない。


「皆が、タツミさんは人間じゃないんだって口々に言ってきて、私にはわけがわからなくて・・・」

 俺の胸に顔を埋めたまま、ぼそぼそと文句を垂れるクレア。

 口調からして、普段の彼女とは少し違う。

 今は黙って話を聞いたほうが賢そうだ。


「確かめに来たら、さっきみたいに自分を刺して、刀を抜いたら傷は塞がってって・・・。私、怖かったんです。

 タツミさんが死んじゃうんじゃないかって。

 タツミさんもいなくなっちゃうんじゃないかって。

 せっかく、せっかく助けてもらったのに、恩返しもちゃんとできないまま、いなくなっちゃうんじゃないかって・・・」

 彼女の口調はまたしても次第に涙声になり、か細くなっていく。

 いかに彼女が不安だったのか、嫌でもわかってしまった。


「馬鹿だな。俺は別に恩を着せたくてお前を助けたわけじゃないし、十分返してもらったよ。

 こんな得体の知れない化物の俺に住まいを、食事を、仕事を与えてくれたんだから。

 だから、もう十分だよ。ありがとう、クレア。だから、もう十分なんだ」

「違いますっ!それは、私じゃなくて、女将さん・・・お母さんがしてくれたことですっ!だから、だから私は・・・ちゃんと、タツミさんに恩返ししたいんですっ!あなたを、私が助けたいんですっ!」

「いや、だから十分・・・」

「違いますっ!」

 クレアはつんざくようなヒステリックに声を荒げる。

 いかん、感情が昂ぶっておられる・・・。

 かと思いきや、次第にしゃくりあげる。喚いたり、泣いたりと本人でも感情を如何ともし難いようだ。


「あー・・・わかった。俺が悪かった。また、何かあったら助けてくれ、な?」

「本当ですねっ、本当ですからねっ。全部、全部タツミさんが悪いんですからっ」

「わかったわかった。わかったから、泣き止めよ。折角の可愛い顔が台無しだから、な?」

 クレアはひっくひっく、としゃぐりあげたまま、泣き顔を見せまいと俺の胸に顔を埋める。

 彼女の柔らかな体とぬくもりを体中に感じる。

 細い金糸のような髪からは石鹸の臭いが鼻腔をくすぐる。

 意識し始めると、自分の中の情欲が鎌首をもたげる。


「髪を、撫でてください・・・」

 胸元に顔を埋めたクレアがぼそぼそと何かを呟く。

「ん?」

「髪を、撫でてください。そしたら、落ち着きますから・・・」

 未だに泣き止まぬ彼女の、子供のような要求に思わず苦笑する。

「わかったよ、お嬢様」

 指を僅かに立てて、彼女の金色の細い髪を梳くながら、髪を撫でる。

 さらさらと流れる髪は、枝毛もなく、指が突っ掛ることもなく、撫でる此方も気持ちよかった。

「んぅっ・・・」

 クレアは心地よかったのか、呻くようにくぐもった声を上げる。

 どうやら、お気に召したようでよかった。


 互いに無言のまま、髪を撫でる音だけが聞こえる。

 数分間、そうしていると、落ち着いたのかクレアが顔を横にそむけ、尋ねてくる。

「声は、聞こえますか?」

「ん。声か、そういやすっかり忘れてたな・・・」

「ということは・・・」

「あぁ、ありがとう。すっかり聞こえなくなってるよ」

 言われてみれば、左手で『無明』を握ったままにも関わらず、頭に響く声は聞こえなくなっていた。

 たまたま黙っているのか、聞こえなくなっているのかはわからない。

 あるいは全て幻聴だったのか。


「それは・・・よかったです」

「ありがとう。全部クレアのおかげだな」

「本当ですか?」

「あぁ、クレアのおかげで助かったよ」

「私の、おかげ・・・」

「あぁ」

「私が、タツミさんを・・・。えへへ・・・」

 クレアは今度は俺を見据えて、はにかむ。

 その表情は子供のようにあどけなく、心底嬉しそうだった。


「また、声が聞こえても、私が絶対助けますからね・・・。

 私が、タツミさんを見失ったり、しませんから・・・。

 声が聞こえても、私がそれ以上の声で、ずっとタツミさんを呼び続けますから・・・。絶対、絶対に見失ったり、させませんから・・・。

 タツミさんは、化物なんかじゃ・・・ないんですからね・・・」

 クレアはまたしても俺の胸元に顔を埋めると、ボソボソとうわ言のように言うと、すぐにスー、スー、と寝息を上げ始める。

 どうやら泣きつかれたようで、これではまるで本当の子供のようだった。


「俺は、化物なんかじゃ、ない・・・」

 彼女の髪を梳き、頭を撫でたまま、反芻するかのように彼女の呟きを繰り返す。

 数人かに化物呼ばわりされても、ゴリは俺を人間だと言ってくれた。

 クレアが化物なんかじゃないと言ってくれた。


 ようやっと、自分が人間だと胸を張っていえる気がした。

「ありがとうな、お姫様・・・」

 すやすやと自分の体の上で寝息を上げる少女に感謝を述べる。

 生きる理由として、守ると決めたはずだったのに、実際は逆だった。

 彼女に守られて、救われた。

「ちゃんと、俺が守らないとな・・・」

 改めて決意すると、ふっと疲労が体に襲い掛かる。

 どっと疲労感を感じるものの、クレアの小さな体と不釣合いな大きな乳房が下腹部に押し当てられて、むにゅりとした柔らかさを感じる。

 またしても、なりを潜めていた情欲がわきあがる。

 しかし、無邪気な彼女の寝顔を汚すのもはばかられ・・・。


「動けもできねぇし、寝るのも難しそうだ・・・。今は辛抱の時ってか?

 とんだ生殺しじゃねぇか、おいおい・・・」


 首だけを動かし、除いた窓からは外が見える。

 夜は明け始め、空が白けはじめた。

 しかし、朝になろうというのに、未だに眠れそうにはなかった。




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