初戦
ソレは、想像通りの風貌だった。
百cmに届くかどうかの小さな体躯に、緑色の肌。
後姿ではその顔は確認できないが、鋭くピンと尖った耳。
ソレ等は何かを取り囲み、クチャクチャと何かを咀嚼する音とグッチャグッチャと粘り気のある水っぽい何かをかき混ぜるような音のみが静寂の森の中に響いていた。
異形のモノたちの饗宴。
「あれが・・・」
呆然としながら呟いた言葉は後ろから肩を突かれ、背後のローシの静かに、とのジェスチャーに遮られた。
ゴブリン。
『モンスター』。怪物。異形のモノ。
この世界にはそういったモノが多数存在しており、一番数が多く、一番非力ともされる『モンスター』
その姿は獣とも虫とも、地球上に存在するどの生き物とも明らかに違う。
ソレ等を見ていると、改めて自分の居るこの世界が異世界なのだと再認識させられる。
ゴブリンはラットが言っていた通り、十匹ほどおり、全てがひとつのナニかを囲み、一つの大きな円になっている。
「あれは・・・猪、か?」
ゴブリン同士の僅かな隙間から、横たわる茶色の毛塊が見え、小声でローシに尋ねる。
「おそらく、狩りの成果でしょうね。巣に持ち帰らずにその場で食い荒らすなら女将さんの言ってた通り、『女王ゴブリン』の群れかと。
『ハイゴブリン』ならまずは持ち帰ってボスを優先させるはずですので」
なるほど。
ローシは俺たちの中で一番『モンスター』の生態に詳しい。元々狩人をやっており、森の中で『モンスター』に出くわせば警戒しながら観察していたら自然と詳しくなったそうだ。
臆病だからこそ奏した功ということだろう。
「旦那、どうします?今なら後ろに回りこんで挟撃も」
「多分もう遅いだろ。ローシ、ゴブリンは人間を見たらどうしてくる?」
ゴブリン達は既に数匹、手をとめている。
腹が膨れたのか、あるいは次の獲物を探しているのか、辺りをキョロキョロと見渡しているが、幸い茂みの中にいる俺達には気がついていない。
しかし、俺たちが動けばきっとすぐに気付くだろう。
「群れの場合、数に劣る人間を見れば餌と判断するようです。
ただ、人間が群れの数より勝ると判断するとすぐに逃げ出します」
「数を見分けるぐらいの知恵はあるのか」
「おそらく」
「なら、決まりだな」
「どうするんで?」
「俺がまず囮として前に出る。次にゴリ、ローシとラットは後方で援護を頼む」
「そんな!囮なら俺が・・・!」
「お前は唯一の盾なんだから、後衛を守ってくれ」
「それを言ったら、旦那だって唯一の前衛じゃ・・・」
「あー、めんどくせぇなぁ。隊列とか陣形とか、ゴタゴタ考えるの好きじゃねぇんだよ。まずは俺に突貫させてくれってことだよ」
折角見つけた大事な獲物だ。ゴリたちを見て逃げ出されてはおもしろくないし、まずは俺に手を出させてほしい。なんせ待ちに待った戦いなのだから。
「まずは俺が行く。俺が殺ってからお前らも出て来い。
ローシ、ラットはそれぞれ弓と投げナイフが武器だったな、届くか?」
「十分です」「届きます」
俺が前衛の攻撃手、ゴリも本来は前衛の盾役兼攻撃手だったらしいが、盾以外の装備は手放したらしいので、盾に専念。
ラットとローシは後衛からの援護、支援役という役割分担。
俺以外の三人は役割として変わらず、前衛の俺だけが別人とすげかわっている。
ならば、俺さえ失敗しなければ今更作戦の失敗や隊列の瓦解はないだろう。
そう思うと、自らの双肩に俺以外のゴリ、ラット、ローシの命ものしかかってくるような気がして、ふと体が重くなった気がした。
俺は気ままに戦いのだ。俺以外の命なぞ重石にしかならない。
他人の命の責任、そんなものは余計だ。ここに置いていこう。
そう思い、合図もなしに一人で茂みから歩みだす。
幸い、奴らは未だに気付いていない。
正面のゴブリン共は食うことに夢中で、俯いたままだ。
このまま忍び寄り、何匹かを殺そう、それが今最も効率的な・・・
(違うな。俺がしたいのは、一方的な狩りでも虐殺でもない。
互いに切磋琢磨し合う、接戦なんだ・・・!)
俺は今までのゆるりとした忍び足を止めて、ゆっくりと歩みだす。
すると、すぐさま数匹のゴブリンが俺を見つけ、
「ギィ」「グギャ」「ゲギャア」
潰された蛙のような声で言語なのか、鳴き声を上げてすぐさま呼応するように全員が鳴きだす。
ゴブリンの顔も、想像通りだった。
眼孔から押し出されたかのように飛び出したギョロりとした目は落ち着きなく動き回って周りを見渡し、すぐさま焦点は俺一人に絞られた。
どうやら俺一人だと判断したらしい。
そしてまたしても「ゲギャ」「グギャア」「ギゲギャ」と謎の鳴き声で会話をしている。
その声は仲間に向けられたものなのか、あるいは俺に対するものなのか。
聞き取ることはできても、理解することは到底できそうにもない。
口は耳まで届かんばかりに裂けて、口内にはギザギザとした黄色い歯がビッシリと生え揃っていた。
似ているはずもないのに、声のせいかカエルのイメージが頭から離れない。
醜いはずの様相も、俺を楽しませてくれるための趣向の様な気がしてきて、妙に可愛いらしく感じてきた。
「よぉ、こんにちは」
単なる気まぐれに、声をかける。
「ギ?」「グギャ?」「ゲギャ?」
俺の言葉は通じているのか、声をかけられて戸惑っているのか、ゴブリン達は仲間同士で顔を見合わせており、相も変わらず紡がれる鳴き声は蛙の様だった。
「通じない、か。当たり前だよな。蛙にゲコゲコと鳴いて会話が通じるわけねぇしな」
我ながらくだらないことを考え、行なったものだと自嘲し、僅かに安堵した。
高揚しながらも、我を失うことはしていない。
こんな時でも、やはり俺は俺なのだ。
「ゲーコゲーコ、なんつってな」
ふざけながら、腰に携えた『無明』に手を伸ばす。
「グギャッ」「ゲギャアアア!」
それを見たゴブリン共は呼応するかのように一斉に鳴きだし、どこからか木の棒を持ち出しては走りよってくる。
しかしその走りは緩慢で、依然彼我の距離は縮まることなく、俺は緩やかに『無明』に手をかける。
「なんとも間抜けな開戦の合図なこった。ま、らしいっちゃらしいか。
さて、ゴブリンさんのお手並み拝見、お前さんの切れ味も確かめさせてもらうぜ、『無明』」
走りよるゴブリンは三匹。寸分のずれもなく並走している。
いずれもいかにもこれから攻撃をしますよと言わんばかりに棍棒を振り上げて走ってくる。
俺は右足を前に踏み出し、重心を低く屈め、抜刀の構えに入る。
射程圏内まで三・・・二・・・一・・・!
『無明』を抜き、刃を水平に寝かせ、そのまま横一文字に斬り払う。
「ギャ」「ギィ」「グゥ」
それが三匹のゴブリンの最期の断末魔だった。
三匹のゴブリンは並走したまま俺の射程圏内に入り込むなり、上半身と下半身を斬り分けられ、死んだ。
分断された上半身は音を立てて地面に落下し、直立したままの下半身からは間欠泉のように紫紺の血を噴出し、やがて崩れ落ちた。
「スゲェ・・・」
後方の茂みから驚嘆の声が聞こえる。
「ハ、ハハッ・・・!最ッ高じゃねぇか!やっぱ、おかしいぜッ!相棒よォ!一刀両断かよッ!」
振りぬいた刃は、吸い込まれるかのようにゴブリンの腰に向かい、融けこむかの両断し、ゴブリン共を骸に仕立て上げた。
さながら空を斬るかのように、何の抵抗を感じることもなくゴブリンを両断せしめた。
驚くべきは『無明』の切れ味だろう。
「ハハッ!すげぇ・・・!すっげェなァ!おいッ!」
高揚した気分が更に高まり、際限なく上昇し続ける気がした。
ゴブリンを殺した罪悪感などを感じることももなく、次を、次の獲物をと渇望する。
奴らはゴキブリと一緒だ。
害虫同然に、見つけては殺さねばならない。
それが人のためになるのだから。
だから、殺ろう。斬ろう。切り刻もう。もっと、この『無明』で。
もっと。もっと!もっと!もっともっともっと-ッ!
見下ろした『無明』はゴブリンの紫紺の鮮血に塗れながらも、依然黒々と美しい。
気分は、最高だった。
「ハハハッ!来いよ!次だ!もっと!」
哄笑を上げる俺に驚いているのか、ゴブリン共は「ギ、ギィ・・・」とどこか不安げに鳴き、後ずさる。
「違うだろう?お前らは餌が欲しいんだろう?ほら、こいよ。餌ならここにあるぞ!」
通じないのはわかっている、それでも煽らねば気がすまない。
つまらない。もっと立ち向かって来い、もっと刃向かえ、もっと抗ってみせろ。
お前らの力を見せてみろ・・・!
俺の想いが通じたかのように、残った七匹のゴブリンは戦意を取り戻したのか、数匹のゴブリンが俺を目掛けて横並びに走ってくる。その数は四匹。
先に三匹を一刀で捻じ伏せた、『無明』。ならば、次は・・・!
見せてくれ、『無明』!お前の切れ味を・・・!
奴ら目掛けて疾走する俺の両脇を何かが掠め通り、後を追うかのように風切り音が耳を突いた。
何事かと後ろを見れば、ラットとローシが茂みから立ち上がり、それぞれの武器であるナイフと弓を構えていた。どうやら互いにナイフと矢を放ったらしい。
その証拠に、前方のゴブリンの二匹から悲鳴があがり、頭や目から矢やナイフを生やし、地面に倒れこんだ。
おそらく即死だろう。
「チッ・・・」
これからだ、というタイミングで横から餌を掠め取られた、おもしろくない。
まだ走りよってくるゴブリンは二匹残っているとポジティブに考えたが、その二匹もすれ違い様に斬りつけては一太刀で沈んだ。
相変わらずおもしろいぐらいに容易く斬れるのだが、その前に三匹を一気に斬っているので、嫌でも比較してしまう。
やはり、おもしろくない。
俺を楽しませてくれるはずのゴブリンも、残る三匹。
瞬く間に敵が増え、味方を減らされたゴブリン共はすっかりと戦意喪失しており、そこには規律も何もない、群れではなくバラバラの個体がいるだけだった。
一匹は仲間を見捨てて、俺たちに背を向けて逃げ出したところをローシの矢に貫かれて死んだ。
また一匹は、特攻といわんばかりに無策に突っ込んできてはラットのナイフが刺さり、苦悶の表情を浮かべた末に果てた。
残された一匹は、ただただ呆然と佇んでいた。
何を考えているのか、あるいは何も考えていないのか。
一匹だけ、ましてや闘争心のない敵などは敵に非ず。
せめて仲間と共に送り出してやろう。
つまらない、戦ってみせろ、と心中でゴブリンを罵倒しながらも、『無明』で試し切りができることを唯一の楽しみにし、薙ぎ払った、斬りつけた、ならば次は・・・と『無明』での調理方を考える。
浮かべるのは、神速の突き。
岩にぶつけても折れず、傷つかずだった『無明』ならばゴブリンの頭蓋ごと砕いて穿つのではないか。
すっかり木偶の坊と化したゴブリンと三歩ほどの距離を取り、正面に立つ。
俺とゴブリン。互いに無防備な姿を晒しても、ゴブリンは動く気配がない。
もはや単なる的だった。
数歩離れた位置で向かい合い、『無明』を持った右手を引く。
先程、ローシが番えていた弓矢のように。
『無明』を矢とし、俺自身が弓となるように。
右手と右足を下げて、軸足と残した左足が動かない、ギリギリの距離。
そこから威力だけを求め、全力で踏み出し、突き貫く-ッ!
「ストップです、旦那」
「痛ッ!?」
突き出そうとした右手を肩ごと掴まれ、体だけが持っていかれそうになった。
何事かと思えば、ローシに声で制止され、ゴリに体を羽交い絞めにされていた。
ラットはと思えば、先程までゴブリンがいた位置に立っていた。
「ゴブリンはどうした、ラットに化けたのか」
冗談のつもりだが、そういえば背格好が似ている。さすがにゴブリンは小さすぎるが。まさか本当に魔法で変わったのか。
「何馬鹿なこと言ってんですか・・・横ですよ、横」
ラットが呆れながら、自分のすぐ横を指差し言う。
そこには尻餅をついたゴブリンがカタカタと肩を震わせていた。
先程までは抜け殻のようだったのに、今はすっかりと怯えきっている。
「なんで止めた?ラットが死ぬとこだったぞ?」
「旦那が予想外の行動に出たもので」
「それを言うならこっちのセリフだ。ラットが串刺しになるとこだった」
「ラットならきっと避けますよ、反射神経がいいので。
それに旦那をゴリに止めてもらう手筈でもありました」
どうやら二段構えの策だったらしい。
「しかし、旦那・・・華奢な体の割りに結構力強いんすね・・・」
ゴリが俺を離し、肩をグルグルと回しながら言う。
「やめろ、俺にそっちのケはないぞ」
「ケ?」「なんのことです?」
ゴリとラットが首を傾げながら言う。知らぬふりをして俺を喰うつもりか、その手には乗らんぞ。
「冗談はさておき。旦那にそいつを殺されると困るんですよ」
ローシだけは俺の言ってる意味がわかっているのか、それでも飄々とし、どこ吹く風だ。
「このゴブリンをか?どうしてだ?」
「ラット」
「おうよ」
ローシが声をかけ、ラットは返事をし、ゴブリンの腕を掴む。
持ち上げたゴブリンにナイフを宛がい、切り裂いた。
「ゲギャアアアア!?」
ゴブリンは腕に決して小さくない傷を刻まれて、苦悶の声をあげてのた打ち回る。
「なんだ、結局斬るんじゃないか」
「殺しはしないんですよ、いまはまだ、ね」
ゴブリンは腕を抑え、悶えながらも俺たちを見上げる。
その目には先程の人形のような無機質さはなく、沸々とした怒りが込められていた。
どうやら戦意を取り戻したようだ。
「で、やっこさんがやる気になったみたいだが?」
「今更刃向かってくるほど馬鹿でもないでしょう」
会話をする俺たちをよそに、ラットはゴブリンを立たせ、「行け」と背中を押し出してゴブリンを追いやる。
「逃がすのか?」
「えぇ、奴は餌です」
「餌?どういうことだ?」
「俺たちはあのゴブリンとその痕跡を追いかけます。群れを失い、手傷を負ったゴブリンはどこへ行くと思いますか?」
俺は逃げ出し、姿の見えなくなったゴブリンの痕跡を見る。
傷つけられた腕から滴る血は、森の奥へと続いていた。
「逃げるんじゃないのか・・・?」
「さっきまでの諦めてた奴なら、おそらくそうしたでしょう。
しかし、腕を切られた奴の目には戦意が戻っていた。
ならば次はおそらく・・・」
「仲間を連れて復讐に来る、と?」
「その通りです。毎回毎回、群れを探し出すのは面倒です。
それに日も暮れかけてきたので、ゴブリン共も巣へと引っ込み始めるでしょう。
それまでにできるだけ数を減らすか、あるいは大元のクィーンを叩きたいとこです」
「なるほどな」
「狭い森なので野営の準備もしてきてませんし、今日一日で片をつけるつもりだったのですが・・・」
どうやら、予定より遅れているらしい。
俺の責任ではないな、うん。
「予想より森の奥へと巣を作ってるんですよね。
本来ゴブリンは農村の近くの森などに巣を作るはずなので、栄えた街が近いこの森に巣を作るのもおかしいですが、それでも食料の多い街の近くに作るはず。
それにこの森にゴブリンより強い『モンスター』も獣もいないはず。
ならば森全体へとゴブリンが蔓延っているはずなのに、あまり見受けられない。
随分と森の真ん中へと密集してるんですよ」
ローシは深刻な表情で、見解を述べている。
「森自体が豊富な餌場なんじゃないか?」
「そうも考えたのですが、この森はそんなに獣もいないんですよ。
餌もないのに、食料の遠い森の奥へと巣を作る・・・。まるで何かに追いやられた、追い込まれてそこに巣を作らざるを得なかった・・・?」
ローシは唸っているが、いずれも憶測の域を出ない。論より証拠だ。
「とりあえず、だ。逃げたゴブリンを追おうぜ」
「・・・そうですね」
ゴブリンの血を顎で指し、モヤモヤとした考えを抱えたまま俺たちは再びゴブリンを探し始めた。
鎬を削りあう接戦をと望んだ初の『依頼』はもはや、一方的な狩りと化していた。
(さて、次はどうやってゴブリン共を狩ろうかね・・・)
殺意を一人静かに、研ぎ澄ませる。




