掃討
それは戦いと呼ぶには烏滸がましい、一方的な虐殺だった。
鮮血と共に千切れた手足が宙空を舞い、紙切れのように命が舞い散る。
剣戟もなく、鍔迫り合うことさえ許さない圧倒的な武力の、暴力による蹂躙。
アルフの大剣が地を這う横薙ぎの一撃を剣で受け止めようとした男が、剣はおろか全身でさえ受け止めきれずに吹き飛び、幾人かを巻き込んで壁に激突する。
「どんな馬鹿力だよ。ゴブリンの女王より凄いんじゃねえの」
全身を贅肉に包まれた醜悪な緑の怪物を思い出す。
あの怪物のこん棒による一撃も身体を吹き飛ばし、全身を粉々に砕かれるような一撃であったが、アルフの剣による一撃も見劣りしない。
身体の大きさでは劣るものの、怪力では引けを取らない。
同じ人体でありながらも自分とはこうも力が違うと、ゴブリンよりもよっぽどアルフの方が怪物のようだ。
そして怪物染みた怪力といえば、我らが誇るゴリラも負けてはいない。
逃げ出そうとする奴らが盾を構えるゴリへと押し寄せるが、巨大な鉄板のような盾を地面へと構えたゴリは逆に彼らを数人押し止めている。それどころか盾を押し出し、壁へと押し付ける始末。
凄いや、ゴリ。彼がいれば綱引きも楽勝だ!
「ぐえっ」
「せめえよ!クソッ!」
壁に押し付けられた数人は身動きもろくに取れず、壁と盾に挟まれて苦しそうに喘いでいる。
大都会の満員電車とかこんな感じなんだろうなあ。
「おい!誰だよ、変なところ触ってる奴!」
「お゛ん゛っ」
痴漢もおるんかい。地獄かよ。
このままなら圧死か窒息死を免れないというのに元気なものだ。
「旦那」
不意に呼ばれ、後ろを見やるとこちらを見ることなく、ロ‐シが黙々と矢を番えて放っては相変わらず吸い込まれるように矢は悪党共へと刺さる。
「どうしたよ」
「……いえ、特にどうとは。旦那こそ、何かありませんか。痛みなどは」
ロ‐シにしては珍しく煮え切らぬ返事。
口では何ともないというが、態度では明らかに何かある様子だが、付き合いの長からぬ俺では彼の真意を汲み取れない。
ならばせめてと表面的な問いに返事を返す。
「あ-、特に痛みはないな。刺された傷も剣を抜けば塞がるしな」
自らの胸を撫でる。衣服にべったりと付いた血に嫌悪感を覚えるが、肌にざらつきもなく傷もない。
刺し貫抜かれた感触の後味さえも。まるで本当に何もなかったかのようで、心底不思議な体験だ。
「……そうですか。では戦闘には参加されますか」
ロ‐シの言葉には応えず、階下の戦闘へと目を移す。
下では相変わらずゴリとアルフが怪力で蹂躙し、リ‐ドとロ‐シが武器を持つ者や集団を取りまとめようと声を出す者などを優先的に排除している。
戦闘はとうに殲滅戦へと移行し、全滅は免れないだろう。
そして出入り口と階段を塞ぐシトリィや俺へと向かってくるものはなく、俺は暇を持て余している。
「いんや。俺は向かってくる奴だけ相手にするよ。乱戦に巻き込まれんのも御免だしな」
この場合、敵よりも味方が吹き飛ばしたものに巻き込まれる方が怖い。
敵も向かってくる様子はないので、ゆっくりと腰を据えさせてもらおう。
「かしこまりました。では旦那は心置きなくシトリィ嬢のご機嫌を伺う方法をお考え下さい」
入り口で門番の様に待ち構えるシトリィを見やる。
仏頂面で腕を組み、足踏みをしている。露骨な不機嫌ム-ブ。俺の視線に気づいたのか、シトリィと目が合う。
鋭い射殺さんばかりの視線で睨まれた。
怖すぎて腰が抜けかけて膝が笑う。なんならちょっとチビりそうになった。こわひ。
……チビってないよ?本当だよ?嘘じゃねえって。
「……なあ、ロ‐シ。俺もここから逃げたいんだけど、どうしたらいいと思う?」
「……さあ。彼女を退かせるしかないと思いますよ」
「無理でしょ、どう考えても」
「彼女の機嫌を取られてはいかがですか」
「わっかんねえなあ、そもそもなんで怒ってんのかわかんねえ。シトリィって戦闘狂のイメ-ジだし、こういう時、嬉々として敵を斬りつけにいきそうだよな」
「ええ、間違いないでしょうね」
「でも別に今回は戦闘は禁止してねえしなあ、敵さえ逃さなけりゃそれでいいし」
今回、彼女に課した課題はあくまで敵を出入り口から出すな、とだけ。
それさえ守ってくれれば、移動して敵をどれだけでも斬ってもらって構わない。
実際彼女の機敏さを持ってすれば常人がいかに必死こいても絶対に逃げ切れない。
にもかかわらずシトリィは不動を決め込んでいる。
戦闘にも参加せず、私は機嫌が悪いです、と黙して語っている。
それがとてもおっかない。敵よりも味方である彼女が一番おっかない。
「わかんねえなあ、女心」
「そうでしょうか、私にはなんとなく察しがつきますが」
「まじか、教えてくれよ」
「断ります、旦那自身で気づくべきですよ」
「ケチ。シトリィの機嫌の機微なんて俺にわかるかよ。世間で狂犬呼ばわりされてる理由がちょっとわかったかもしれん」
「そうでもないと思いますよ、私からしてみればそう呼ばれるよりよっぽど慈愛に満ちていると思いますが」
「そんなロ‐シさんも俺に是非慈悲を」
「お断りします」
「はああ、やだなあ。仲間が俺に優しくない、シトリィの心がわからない。女心と秋の空っていうやつかなあ」
鉛のような臭いが鼻をつく。館内は閉じ切ったはずなのに、どこからか風が吹き抜けたような気がした。
男達の阿鼻叫喚、断末魔はいつの間にか減り、館は静けさを取り戻しつつある。
事態が落ち着けば、未だ鋭い視線で俺をねめつけてくるシトリィに詰め寄られる事になるだろう。
背中に冷たい汗が伝う。暦は秋に入りかけ、涼しくなったはずなのに、未だに汗はかく。
かといって俺の汗は気温によるものではないだろうが。
「俺にとっての地獄はこれからかねえ」
「これまでの事を何事もなかったかのように振舞う旦那にはただただ驚嘆するのみですよ」
表情一つ変えずに淡々と射殺すばかりのロ‐シこそ恐ろしい。少しは顔色変えるなり、驚くなりしてほしい。
あるいは俺を助けて。
「さて、旦那。お時間ですよ」
その言葉通り、シトリィの奴が俺を見据えたまま歩き出す。
玄関の門番はいなくなったというのにわずかに生き残った敵達はそこから逃げ出そうとはしない。
それどころかシトリィの気迫に気圧されて尻餅を付き、後ずさる始末。彼女から逃げるように左右へと分断している。
さながらモ-セの十戒のようだ。あの海が割れてるやつ。
正面からそんな気迫をぶつけられる俺の身にもなってほしい。
誰か教えてくれ。俺が一体何をしたというのだ。彼女は一体何に怒っているんだ。
「なあ頼むよロ‐シ、俺は一体なんでシトリィを怒らせたんだ」
「さすがに少し同情しますよ、旦那。ですがやはりご自身でお考えください。きっとクレア嬢も同じように怒ります。あとはせめて立ち上がってシトリィ嬢を迎えることをお勧めします」
「鬼!悪魔!ロ‐シ!」
俺は尊大な悪役が階段でヒ-ロ‐を迎えるように堂々とした悪役らしい振る舞いをしたかったんだ!
シトリィの怒気にびびって膝が笑うのを誤魔化していたり、腰を抜かして立てなくなっていたわけではない!断じて!決して!そんなわけはない!
震える膝を無理やり抑えつけ、何の頼りにもならないロ‐シの助言だけでもせめてと立ち上がり、シトリィへと立ち向かう。
彼女の紅い髪と瞳が、怒気を表すかのように爛々と輝いている。
一歩一歩と歩きながらも、心なしか早足のシトリィは瞬く間に階段に足をかけ、俺の目前で立ち止まり、相対する。
「タッきゅん」
「はい」
無理やり怒気を抑え込んだかのような、抑揚のない平坦な声色。
いつもの彼女らしからぬ声に、思わずかしこまった返事をした。
「うおっ」
返事をするなり、彼女の手が全身を這う。
両手で顔を抑えつけられ、ペタペタと触診をされたかと思えば両肩を叩き、腕、腹、足と下って行ったかと思えば、胸に戻ってくる。かと思えばガバリと上着を勢いよく捲られる。
「きゃあ、えっち」
一心不乱に俺の全身をまさぐるシトリィを笑わそうとボケてみたが、彼女は意にも介さない。
未だに無言で、どこか泣きそうな顔をしたまま俺の胸や腹をなにかを確かめるように触り続ける。
ちょっとくすぐったいのでやめてほしい。
「よかった」
満足がいったのか、彼女はホッと一息をつき、俺の胸へと頭を預けてくる。
そこまでされてようやっと気づく。どうやら彼女は俺を心配してくれていたらしい。
やはり彼女は戦闘狂ゆえに『狂犬』などと呼ばれるにはふさわしくないほどに、優しい。
俺の胸へと頭を、全身を委ねてくる彼女を今ならば階段のおかげで見下ろすことができる。
こうしてみると、その肩は華奢で全身は小さく弱々しく映る。可憐な女性そのものだ。
そんな彼女へと愛しさがこみ上げてくる。
思わず抱きしめようと彼女の背中へと腕を伸ばそうとすると、腹部から体の内側を揺らすような猛烈な鈍痛が背中から突き抜けるような衝撃を伴って襲ってきた。
何があったのかを把握する前に、シトリィは俺から離れ、かくいう俺は膝から崩れ落ちた。
「な、なぜ……」
俺から一歩離れたシトリィはなぜか拳を突き出し、鼻息をムフ-と吹き出しながら満足げな表情だった。
「お見事。的確なレバ-ブロ-……。世界を狙える一撃です」
「ハッ、わかってないっスねえ、おじいちゃん。ウチが世界を狙うんじゃなく、世界こそがウチを求めてるんスよ」
ビッ、と勢いよく中指を突き立て、悪童じみた笑みを浮かべる。
お前、そんなファンキ-なキャラだったか……?
「お‐い、タツミ、ちょっといいか-?」
アルフが大声で俺を呼んでいるが、痛みで息が荒くなった俺はうまく声を出せず、コヒュコヒュと空気が漏れるような音しか喉から出てこない。
「失礼、旦那は」
「タッきゅんは今はポンポンペインらしくて動けないらしいっスよ‐」
ロ‐シの言葉を遮るシトリィ。
なんだろう、余計な事を喋ればお前もコロス、そんな思惑が垣間見えた気がした。
あと今の俺の状態はそんなゆるいキャラクタ-みたいな言葉で表していいものじゃない。
痛みで膝はがくがく震えているし、視界は涙で滲んでいる。
満身創痍もいいとこだ。
「……だそうです。暫くそのままお待ちください」
何かをあきらめたかのようなロ‐シの悲し気な声。
「うぐおおお……」
俺は情けなく、呻き声しか出せなかった。
やはり、この女は優しくない。




