饗宴の始まり
日暮れ。夕暮れ時。黄昏時。
日が沈み、暗くなり始めた頃。
この時間帯を言い表す言葉はいくつもあるが、一番好きな言葉がある。
逢魔が時。
『夜哭街』に戻り頼み事をしておいたラットと合流し、さらに色々あった後、ゴルド‐の屋敷『真紅』へと戻ってきた。
窓辺から紅い陽が差し込み、直に夜になる。
待ち合わせたわけでもないが、相手は来る、すぐにでも。そう確信めいた予感がある。
いつ来るやもしれぬ相手を、ホ‐ルの階段で一人座して待つ。
「‐‐来た」
静寂を打ち破り、雑踏が押し寄せる。
この館『真紅』はゴルド‐が娘達のためを想い、人を避けた路地に作られており、普段から人通りは少ない。そんな場所に人が大挙して押し寄せるなど、滅多なことではない。必然、意味がある。
立ち上がり、来客に備える。
外からホ‐ルの扉が開く。扉を開き、ゾロゾロと男達が続々と許可もなく入り込む。
しばらくすると、全員が入り込んだのか、扉が閉まる。
落ち着いて眺めれば、年齢も背格好も全てバラバラの集団。おそらく三十人はいるだろう。それほどの人数が収まってなお、余裕のあるこの館のホ‐ルの大きさにも驚かされる。
秋にさしかかり肌寒かったホ‐ルにも熱気が立ち込め、部活終わりのような男臭さが鼻につく。
女の園だった屋敷の良い香りがむせ返りそうな程の汗臭い男臭さに溢れる。
「よう、兄弟」
人ごみを掻き分けて、馴れ馴れしい声を掛けながら一人の男が現れる。
「よう」
誰だっけ。
「いやあ、大変だったぜえ、この人数を集めるのは」
いやあ、顔は知ってるのよ。昨日はゲイルのクソ野郎のお供で、今日酒場で会ってるしね。
ただ、名前は知らん。
「すげえなあ、今日声かけたもんをすぐにこんな集めてくれるなんてたまげたなあ」
改めて集まった人員を眺める。
全員がゴルド‐の名を聞き、集ったのだろう。俺のことなんて大して意識してないようで、全員がニタニタと笑みを浮かべて、いかにも『こんなガキ眼中にありませんよ』と嘲りが見える。
それでいい。
「人望には感服するよ」
「まあ前置きはいいじゃねえか。ゴルド‐、いやさ、俺達もボスって呼んだ方がいいのかね、ボスはどこだ?」
名も知らない男は挨拶もそこそこにゴルド‐に挨拶をしたいらしい。
いきなり乗り込んできて社長に合わせろ、なんて剛毅な社員さんだ。俺なら即刻クビにする。
まあでも社員になってくれって頼んだのはこちらだ、多少の不遜な態度は大目にみよう。
男の発言を聞いて彼の背後の男達は声を上げて笑った。
本当に何がおもしろかったのか、人の考えることはよくわからないね。
「ああ、ボス、ゴルド‐なら上にいるよ。待っててくれ、呼んでくる。新たな仲間達との新たな門出だ、全員でお祝いしねえとな」
身を翻し、男達に背を向ける。
「それにゃあ及ばねえよ」
男の発言と共に背中に衝撃を受け、灼けるような痛みがじわりと全身へ巡る。
背を向けた瞬間、急所を一突きだ。
「なんて--」
「ひゃっはあああっ!」
「あとは動けねえゴルド‐を始末しちまえば金も女も俺のもんだああっ!」
「ふざけんなっ、俺のもんだろっ!」
「待て待て待てって、ゴルド‐の野郎は金を稼ぐ才能があるっ、うまく取り入ってうまい汁吸いつくしてからだっ」
男達が嬉々とした声で喧々囂々と喚く。男達は『とにもかくにもゴルド‐を襲撃する』という目的のみが一貫して、その後のことは後回しだったらしい。
それほどまでにゴルド‐の存在が目障りだったということだろう。
ゴルド‐が負傷したという一報のみで一日でこれだけの人が集まったのだ。
彼の悪名も相当のものだ。
なんて。
嗚呼。
「‐‐なんて予定通りなんだろう」
「は?」
すぐ後ろにいる男にだけは俺の声が届いたのだろう。
すでに亡きゴルド‐の負傷という虚報を大々的に知らせ、彼の宝を略奪しようと画策する畜生共を一掃する。
たった一日でこれほどまでの畜生が集まったのだ。あるいは俺の隣で呆けた顔をしているこの男が存外優秀だったのかもしれない。
ゴルド‐の悪名を踏み台にし、俺は名を馳せる。彼の遺した宝物を守るために。
この畜生共はその踏み台だ。
「さて、集まってもらった皆様は仲間ではなく、略奪者だったというわけだ」
振り返り、階段を数段登る。下にいる者共を一瞥し、俺を刺した男は呆けている。
背中に刺さったナイフは決して短くない。今尚深々と刺さっている。おそらくは心臓を一刺しと油断なく俺を仕留めたつもりだろう。
痛みで意識を飛ばしそうになる。本来であれば死ぬような傷だ。
そう、俺でなければ。
だが、俺が一体何度アッシュの奴に殺されかけたか。幾度殺されたか。
死に慣れすぎて、死ぬような傷でさえ死なず、何度意識を保ったまま殺されたか。
この男達は知る由もないだろう。
「おいおい、ガキは殺すんだろ?」
「何やってんだよ」
「おい、あのガキ、背中にナイフ……なんで痛がりもしねえんだよ……?」
「馬鹿な、俺ァ確かに心臓を」
未だに多くの人数が状況を飲み込めず、嬉々と騒ぐ者と戸惑う者が半数といったところだろう。
状況判断が遅い。鈍い。
ならば、奴らに選択を促そう。
そのためにはまず。
「お役目ご苦労さん。じゃあな」
『無明』を抜き、階段の高低差を利用した勢いそのまま男を唐竹割で一刀両断せしめる。
林檎が木から落ちるように、重力に従うまま『無明』はすんなりと男を真っ二つにする。
『無明』は木を切り倒し、岩を穿ち、人を切り裂く。だが、それだけではまだ足りない。
切り裂かねばならない、貫かねばならない、そう、『鉄塊』さえも。
--できる。今の俺なら斬れる。鋼鉄も鉄塊も。斬り伏せられる。
「ずっと嫌いだったぜ、兄弟。口が酒臭くてたまんねえや」
ビチャビチャと血飛沫が舞う。ボトボトと真っ赤な何かが零れ落ちる音がする。
「‐‐は?」
「おいおいおい、何してんだガキィっ!」
「人間が真っ二つ!?ミノタウロスですら見たことねえぞ!?」
一撃に、歓声の代わりに悲鳴が聞こえる。
人を斬った高揚感と畏敬の籠った視線に全能感を覚える。今の俺ならば何でもできる。そんな気がした。
「話がちげえっ!俺は帰るぞっ!」
臆したのか、戸惑ったまま身を翻し逃げ去ろうとする男がいた。
圧倒的な数の利さえ手放し、いち早く立ち去ろうとしていた。
だが、逃がさない。
「ぎゃあああああっ!」
ホ‐ルの扉に手をかけた途端、男は悲鳴を上げながら全身を炎に包まれる。
やがて黒焦げになった男だったものはドサリと大きな音を立てて崩れ落ちる。
暑苦しかったホ‐ルが一層熱くなった。血の臭いを更に肉の焦げる異臭が上塗りし、恐怖が伝播する。
「う、うわあああっ!」
「なんだっ、何が起こってんだよっ」
逃げようとした男を隠れていたシトリィが斬りつけ、彼女の魔法によって男は燃え盛った。
タネとしてはたったそれだけのことだが、狼狽える男達にはそこまでの考えが及ばない。
姿を現しているシトリィに気づいたのは一部の人間で、大多数はシトリィが現れたことにさえ気づいていない。
人間が暗闇を恐れるのは本能だ。暗闇とは未知だ。暗闇の先に何があるのか。何が潜むのか。それがわからないこそ人は暗闇を恐れる。ゆえに未知とは恐怖だ。
何もわからぬまま未知を抱いたまま死んでいけ。
お前らのような畜生には恐怖こそがふさわしい。
「ひ、ひぃっ、『狂犬』!?」
「嘘だろ!?」
なんて内心気取っていたのに、珍しくフ‐ドを取り払って素顔を晒したシトリィに気づいた人間がいたようで、悲鳴が上げる。
確かに赤毛の獣人なんて人間はこの街では珍しい上に、火を扱うともなればシトリィだと決め打つには十分だろう。
逃げようとした者を斬りつけろとのオ-ダ-通りだが、素顔を晒すと思わなかった。
ちょっと演出が変わったじゃないかと内心でケチをつけ、シトリィを見る。
シトリィと視線がかち合うが、彼女はずっと不服そうな顔で俺を見つめている。
「私、機嫌が悪いです」、と口には出さないが表情が雄弁に物語っている。一体何に怒ってるんだ。
仕方がない、文句は後で聞くとして、演出と展開を変えよう。
「さて、略奪者諸君、退路は断った。目当てのゴルド‐も宝も、階段を登った先、俺を超えた先にある。俺を打ち倒せば、全てくれてやる。富も、女も、全て、な」
「舐めやがってっ!」
先走った男の一人が剣を抜き、階段に足を掛ける。
俺の背後から鋭い風切り音が鳴り、頬の横を一瞬で矢が駆け抜ける。矢が男の顔面へと吸い込まれるように着弾し、鈍い音と共に男の顔が潰れる。
男は一瞬で絶命し、片足を浮かせたままで体勢を崩し横へと倒れこむ。
「ひっ」
倒れこんだ男の顔を見た別の男が喉から情けない悲鳴を漏らす。
場の空気が冷え、シンと静寂に包まれる。
振り返らないが、シトリィ同様、今頃は階段の上からロ‐シが立っているだろう。彼は見事に演出通り成功させてくれた。ここは順調だ。
「まだ説明の途中なんだ。説明は最後まで聞いてくれよ。さて、俺を抜けば富も名誉も得られる。しかし、御覧の通り、諸君らの行く道を塞ぐ障害を紹介しよう。
まずは俺の後ろにいる狩人、ロ‐シ。無策に突っ込んで来ようものなら俺を斬るより先に彼の矢が諸君らを射抜く。
そして諸君らの背後、退路は断った。彼女の名はシトリィ。『狂犬』の通り名をこの街で知らぬ者はいないだろう。通り名の通り、彼女は気まぐれで人の手をかみちぎる。今は相当気分が立っているようで、彼女に近づくのはおすすめしない。飼い主としての親切心だ」
かなりひどい紹介だが、俺の演出を台無しにしてくれた意趣返しだ。
「くそっ」と悪態をついた男がシトリィの横を掠めるように走り抜ける。
シトリィは表情を変えず、素早い動きで男の服を斬りつける。
斬りつけられた男から炎が立ち上がり、すぐさま全身を炎に包まれる。
男は悲鳴を上げる間もなく、絶命した。
「ひいっ」
「なんだっ、人が燃えたぞっ」
シトリィの動きが早すぎて、まともに視界に捉えられた者が何人いるだろうか。
いや、この様子なら誰一人としてシトリィの動きは見えなかったのだろう。
「ボス」
男達の悲鳴の上がる中、凛とした鈴の音のような声が透き通る。
思えば、彼女は戦う時、常に笑っていた。
燃え上がる業火を眺めながら、楽しそうに。
だが今やつまらなさそうな顔をし、抑揚の読めない声で俺を呼ぶ。
名を明かすまではお互いを呼ぶなとのル-ルを守ってはくれているようだ。
「なんだ」
「あとでお話があります」
冷たい、彼女から出たとは思えない氷のような声。
「今じゃダメなのか」
「あとで、お話が、あります」
男達の騒ぐ声などが耳に入らない程、彼女の声だけがよく耳に残った。
妻に離縁状を叩きつけられた夫はこんな気分なんだろうなあ。
三行半は勘弁願いたい。気分が下がるなあ。
だが、道はあと二つ。
興が削がれたが、まだ二人の紹介が残っている。
シトリィは扉へと背を預け、腕を組みながら目を閉じる。積極的に動くことはないが、扉を守るという役割だけは守るという意思表示だろう。
一体彼女は何に怒っているのやら。
「さて、階段脇の道は左右に一つずつ。そちらから逃げようとも--」
「よ-う」
幅が広く、分厚い鉄板のような大剣を引き摺り、暗がりから大男が現れる。アルフだ。
「あいつ……」
「アルフだ……」
男達から声が上がる。どうやらアルフの事は知っているらしい。
「あんな馬鹿でけえ剣……馬鹿力のアルフだ……」
「馬鹿のアルフだ……」
どうあっても馬鹿で認知されんだなあ。
「なんだよ、見知った顔もあんじゃねえか」
アルフは欠伸をしながら、頭をゴシゴシと掻く。
彼自身、『夜哭街』に通っているというし言っちゃあなんだが、街の住人というより『夜哭街』の粗暴者の方が気質が近しい。この中には友人もいるだろう。
「アルフ!俺だ!助けてくれよ!」
群衆の中から一人の男が飛び出し、助けを乞う。
「ああ?」
「一緒に酒を飲んだ仲じゃねえか!見逃してくれよ!」
「あ-、わりい。覚えがねえや、名前は?」
「ゴミッカスだ!」
「知らん。一緒に酒飲んだ奴なんざごまんといる。名前の知らん奴ぁダチじゃねえ、わりいがこれも仕事なんだわ」
「そんな……」
アルフは懇願を一蹴し、男はこの世の終わりのような顔をし、膝から崩れ落ちて座り込む。
アルフの中では名前を知っているかどうかで友人といった線引きがあるようだ。
「じゃあ悪いが、どいてくんな」
ブンと音が鳴る。ゴオと風が唸る。ゴオンと獣の咆哮を思わせる衝突音に屋敷が震える。
瞬く間にゴミッカスと名乗った男が頑丈そうな屋敷の壁にめり込み、その名の通りゴミのような有り様で生涯を終えていた。アルフの無骨な鉄の塊のような剣に吹き飛ばされた男は全身を血だらけにし、ぐちゃぐちゃな肉団子の様になっていた。
「へ?」
目の前で起きた出来事を信じられないといった風に、男達は呆けていた。
アルフの奴は、馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、どうやらネジが数本抜けた化物染みた馬鹿力のようだ。
アルフ自身の登場で弛緩した空気を己が手で見事、恐怖で締めなおしてくれた。
とてもいい演出となった。
「うわあああああっ、嫌だ嫌だ、死にたくねええっ!」
「どうなってんだよおっ!」
屋敷の中が再び悲鳴で満たされる。
自らの悪行のツケを支払う時だというのに、往生際が悪い。
他人の宝を略奪しようと企む畜生共の鳴き声はとても聞くに堪えない。
騒動から遠ざけるためにフラウや娘達を別館の『白銀』へ移して正解だった。
「さて、馬鹿力のアルフのおかげで諸君らに対話は無駄とわかってもらえただろう。
そして当然、残されたもう一本の道には--」
夕闇に包まれた暗がりからゆっくりとリ‐ドが現れる。その手には長剣が握られている。
「あいつは……」
「誰だ?」
「二馬鹿のアルフがいるなら」
「誰だ」
「リ‐ドだろ」
男達が再びざわつく。しかし、悲嘆にくれていた男達の声はどこかコミカルだった。
さっきまでの悲鳴はどこへやら、どうも二馬鹿が絡むと空気がおもしろおかしくなるな。
人の演出を台無しにしてくれんなよ、この馬鹿共。
「さて、二馬鹿のアルフがいるなら、当然相棒のリ‐ドがいる。彼の紹介といえばそれで十分だろう」
「誰だ、消去法で俺を当てた奴は……俺はアルフのおまけなのか……」
リ‐ドの奴が肩を落とし、落胆している。
彼自身決して馬鹿ではないが、どうしても相棒のアルフのせいで馬鹿のレッテルが付きまとう。
面倒見のよさやお人好しっぷりでは確かに馬鹿が付く程だ、二馬鹿も間違いではないと思うが、本人は決して認めやしない。諦めの悪さも馬鹿ということだろう。
俺の考えが読まれたわけはないだろうが、リ‐ドの奴が恨めし気な視線を送ってくる。
またコミカルな雰囲気で台無しにされるより、再び恐怖で場を支配することにしよう。
「さて、言った通り退路は全て断った。略奪者諸君に残された道は二つ、俺達に殺されるか、あるいは俺を超えて上にいるゴルド‐の元へと辿り着いた者だけは生かす。その者には全てくれてやる。地位も名誉も女も金も、全て」
当然、嘘だ。
ゴルド‐は上、二階にはいない。
上に、天国にいるであろうゴルド‐の元へはこの中の誰一人辿り着かせない。
こいつらには地を這ってくたばり、地獄へと向かってもらう。
さあ、舞台は整った。狂騒を始めよう。
「では、改めて自己紹介をしよう。俺は彼等彼女等を束ねる組織、『夜行』が長」
この者らに刻み込め。魔を。恐怖を。死を。
「諸君らにとっての最後の魔、人生の夜をもたらす者、『フシ』だ」
夜は心地いい。
静寂の夜は、ふさわしくない。
断末魔の響く夜こそふさわしい。
暗がりの中で血飛沫の舞う黒こそふさわしい。
俺はこの狂騒の夜を行く。
「では『夜行』の諸君、鏖殺しろ」
逢魔が時を過ぎ、夜が来る。
恐れ慄け、夜が来るぞ。
ポツリと、畜生共の中から声が聞こえた。
「魔王『夜を導くもの』……」




