贖罪
厳かに、密やかに式は進んだ。
神父や坊主、進行役などは一切いない、ただ二人の新たな門出を祝う、結婚式であり、葬式であり、お別れ会。
アッシュの指揮の元、二人の遺体は運び出された。
その様子を娘達は泣きながら、笑いながら家族を見送っていた。
そんな彼女達を見ながら、自分のした事、自分のしたい事を改めて考えていた。
俺は誰かを思いやり、誰かを守れる、そんな女達を泣かせたくないのだ。
彼女達の大事な一員を傷つけ、失わせた俺自身の手で償いをさせて欲しい。
きっと彼女達は俺にそんなことを望みはしないだろうが、ゴルド‐自身の望みであったため、どうか彼女達を守るのは俺でありたい、そんな事を考えていた。
ゴルド‐達が運び出され、アッシュ達もいなくなり、広々とした屋敷のホ‐ルには俺やフラウを筆頭としたゴルド‐の忘れ形見である娘達が粛々と佇んでいた。
数人が顔を伏せ、数人が落ち着きもなく辺りを見渡す。
どうしよう。全員から言葉がなくとも、そんな雰囲気を醸し出していた。
パンパン、と。
途方に暮れていた面々の静寂を打ち破るがごとく、小気味よい音がホ‐ルに響いた。
音の出所を見れば、フラウが両の掌を打ち叩いていた。
「辛気臭い顔はここまでにして、今後の私らの話をしようじゃないか。ご存じの通り、ボス、ゴルド‐さんとル‐ジュはいなくなっちまったが、私らは変わらずここで生きてかなきゃいけない。明日も、明後日も、ずっと。だけどこのゴミ溜めみたいな場所で女だけで生き抜く難しさを他ならぬ私らがよ‐く知ってる。だろ?」
数人の娘達が互いの顔を見合わせたり、気丈に振舞い一人で頷く娘、恐怖から自らの身体を抱きしめる娘等、反応は様々だが、フラウの言葉は概ねその通りらしい。
似た境遇の娘達が集まっただけあって、似たような経験も経ているのだろう。
「だったら、私らも新しいボスを頼らなきゃいけない。新しい寄る辺を作らなきゃいけない。わかるね?」
フラウから出た言葉の続きを予想した何人かの娘の視線が俺へと集う。
怒り。不安。期待。反応は様々だ。ゴルド‐の仇。信用できない。頼ってもいいのか。
そんな揺れ動く感情が彼女らの視線から汲み取れる。
「だったら私はこの坊やを推薦するよ」
フラウの紹介を受け、一歩踏み出し前に出る。
「坊やはやめろって、タツミ。フジ タツミだ」
「フラウ姉さん、正気?」
気の強そうな金髪の少女が反論を述べる。
俺へと向ける視線は敵意むき出しだ。
「こいつがゴルド‐さんを殺したんだよ?」
一切の配慮もない、敵意同様のむき出しの真実。
「もちろん、そんなのは百も承知さ。ゴルド‐さんの仇を恨むなって言葉を鵜呑みにするわけじゃないし、私自身、この坊やに思うところは過分にあるよ。だけど、感情の赴くままで生きていくのは簡単じゃない。酸いも甘いも嚙み分けて、憎いも辛いも飲み下してでも私らは生きていかなきゃならない。わかるだろ?」
「でも!」
「ゴルド‐さんの身体、見たろう。綺麗なもんだった。ゴルド‐さんを憎んでる奴らの手にかかってたら、もっと酷い目にあってたかもしれない。最期を見ることすらできなかったかもしれない。その点では私はこの坊やでよかったと思ってるよ。それに、この坊やはゴルド‐さんに勝った、あのゴルド‐さんにだよ?
そのうえ、私らの事やシルヴィアの事までゴルド‐さんに託されてるんだ。ゴルド‐さんの人を見る目を私らは信じてるはずだろう、だったらあの人が最後に全てを託して信じた人を私らが信じないなんて、あの人への裏切りになっちまうじゃないか」
「う……」
「そりゃあ私だって、誰かに頼らず、自分達の手で何とかしたいさ。だけどごめんね、やっぱり立ち直ったつもりでも、私はまだ男が怖い。あんた達の前で格好良く守ってあげたかったけど、逆に醜態を晒しちまう始末さ」
フラウは自らの手を見つめる。その手は、全身は、傍から見ると恐怖で震えているようだった。
「そんなことないよ!」
「姉さんはいつも私たちを守ってくれてる!」
「かっこよかったよ!」
娘達はフラウの言葉を否定し、全員がフラウへと走り寄って一丸となる。
その姿だ。誰かを守ろうとするその優しさ。姿勢を俺は守りたいと思えたのだ。
「改めて名乗らせてくれ。フジ タツミだ。しがない冒険者をやってる、まだ無名だが『夜行』っつうパ‐ティで一応頭を張らせてもらってる。あんたらをどうしようだとか敵意やら害意はない。ただ、俺自身がガキの頃から片親で、母親の顔しかろくに知らない。その母親がとにかく、強くて優しくて、俺は大好きだった。そんな母親に俺は恩返しすることがもうできない。でも、誰かを守ろうと自らの身体を張った貴方達の姿勢に、俺は母を重ねた。好感を覚えた。素晴らしいと思えた。だからどうか俺に貴方達を助けることを、せめて一助でも担うことを許してくれ。それが俺の母への、貴方達への、そしてゴルド‐への贖罪をさせてくれ。貴方達の末席に加えてくれなどと烏滸がましいことは言わない。ただ、手を出させてくれ。どうか、お願いします」
気づけば自然と言葉が出ていた。誠意を見せようと頭を下げていた。
ぶっきらぼうに紡いだ言葉はいつしか改まり、いつの間にか心中を包み隠さず喋っていた。
マザコンかよ、と言われてしまえばそれまでだ。
恩を返したいと思っていた母を一人、故郷に残してきた。
ずっとずっと俺をたった一人で守ってくれていた、強く、弱い母をたった一人にさせてしまった。
これ以上ない親不孝者だと思う。だが、そんな母でもきっと、誰かを救うことを絶対にやめはしないだろう。なれば、俺もまたそんな母に背くことなく、救いたいと思ったものを、救おう。
それが親不孝な俺の唯一の親孝行だ。
「だってさ、あんた達。どうする?」
俺のありったけの思いのたけはもうぶつけた。これ以上に頼むことはもうない。
娘達にも俺の本気は伝わったようで、反対の声はあがらないが、歓迎の声も出てこない。
全員が戸惑ったように顔を見合わせていると、突如間抜けたぐうという音がホ‐ルに響いた。
音の出所は探るまでもなく、頭を下げた俺の腹の中からだった。
思えば、日も暮れかかっているのに、朝起きてからろくな食事をとっていない。
「クスクス」と忍び笑いがいくつか零れた。
顔から火が出るとはこのことだろうか。顔を上げることすらできないほどに恥ずかしい。娘達を直視することができない。真剣な場面が台無しだ。
「プ……フフッ」
堪えきれなかったフラウが笑っている。
「あ‐、おかし。真剣な話してたはずが腹の虫のせいで台無しだよ。でもまあ、あんたも人の子だと思うと、なんだか妙に安心したよ。で、坊やは食事のあてはあんのかい?」
そういえば、食事の提供をしてくれていた『剣鬼隊』からは離脱し、少ない金銭も隊舎に置いてきたまま。
家出同然で飛び出してきた女将さんたちやクレアのいる酒場『女帝』にもまだ戻りづらい。
「どうやらなさそうだね。どうだい、あんた達。坊やをボスにするかどうかはあとにして、とりあえずご飯にしようじゃないか。腹を空かせた坊やをほっとくほど薄情じゃあないよね?」
「それはまあ」
「もちろん」
「ねえ」
「それじゃあ一旦、食事にしようか。ほら皆、行くよ!」
フラウの呼び声と共に一団がわいわいがやがやと騒ぎながらキッチンへと去っていく。
追いていこうとすると、いつの間にか傍らに立っていたクリアに袖を引っ張られる。
「おっと、坊やは部屋で待ってな!客人は手出し無用!こっから先は女の戦場だよ!」
フラウは高揚してきたのか、袖を捲りながら言うが、「よく言うよね‐」「姉さんは大したことできないのに」「また前みたいに指切ったって騒がないでよね」「ちょっと!言うんじゃないよ、恥ずかしい!」
フラウの後ろを追う娘達が笑いながら茶化す。どうやら真っ先に担架を切っていた割に料理はそれほど得意じゃないらしい。
どうやらフラウは姐御気質のようだが、しっかりといじられ、愛されているらしい。
そんな一面もまた微笑ましくなる。
去っていく一団を眺めていると、またしてもクリアに袖を引っ張られる。
クリアへと目を向ければ、彼女は二階を指差し、フラウのいうようにまたゴルド‐の自室へと案内され、待機するようと部屋へと押し込まれた。
立っているのもなんだと椅子に腰かければ、クリアもまた室内から出ていく様子がない。
「もしや見張りかい、クリアちゃん」
尋ねたら、コクコクと首を縦に振る。思えば、彼女が喋っている姿を一度しか見ていない。
単に無口なのか、会話できるほど彼女と馴染めていないのか。
「心配しなくてもどこへも行かないさ。立ちっぱなしもなんだから座ったらどうだ」
座るよう促しながらも、この部屋にある唯一の椅子は俺が座っており、ベッドにでも座りなおそうかと思案している間にクリアがトコトコと歩み寄ってきて、椅子に座っている俺の膝の上へと座り込む。
「……おぉ、なるほど。自分が座ると同時に俺の身動きを封じるという作戦か。そなた、やりおるなあ」
膝上に乗っかってきたクリアを冗談めかして褒めると、フンフンと鼻を鳴らしながら薄い胸を張り、表情はどこか誇らしげだ。
どうやら俺はそこまで嫌われてはいないらしい。
しかし、クリアは口で褒めるだけでは不服なのか、俺の腹へとグリグリと頭を押し付けてくる。
どういうことかと困惑していると、俺の手を掴み、自らの頭へと乗せる。
どうやら撫でろ、ということらしい。
ゆっくりと掌を彼女の頭を滑らせていると、目を細め、満足げにムフ‐と鼻を鳴らしていた。正解だったようだ。
こうしていると、まるでギンをあやしているような気分だった。
この館の面々を見ていると、ゴリやロ‐シ、ラットやアルフ、リ‐ドにクレア、女将さんハクとギン、それにシトリィといった『女帝』の従業員や『夜行』のメンバ‐に会いたくなるような郷愁に駆られる。
ここの娘達が血のつながらない家族であるように、いつの間にかゴリ達も俺にとってのこの世界の家族のようなものになっていたのかもしれない。
一人しんみりしていると、膝の上のクリアがフンフンと鼻息荒く抗議してきた。どうやら撫でる手を緩めるなということらしい。言葉がなくとも、意思疎通が図れるようになってきた。
「はいはい、すみませんでした、お嬢様」
再びムフ‐と鼻を鳴らす。お嬢様呼びも気に入ったようで満更ではないようだ。
ずっとこんな時間が続けばいいのに、などと思うほどに穏やかな時間だった。
考えることをやめ、しばらくの間ひたすらにクリアを撫でていた。
「入るよ」
突然、勢いよく扉が開く。そのままフラウが部屋へと入ってきた。
「きゃあ、えっち!」
「え?」
「ちょっと!着替え中よ、出てって!」
「どこが?」
真顔でのマジレスである。おもしろみのねえ女。
「ノックしようぜ、姉ちゃん。親しき中にも礼儀あり、だぜ。俺がもし取り込み中だったらどうすんだよ。今みたいに」
「それはごめんよ。ところでえらくクリアに気に入られたみたいじゃないか」
椅子に座る俺と俺の膝の上に座るクリアを見ながら、ニヤニヤと微笑むフラウ。
フラウに見られて妙な気恥しさを覚えた俺だが、撫でられているクリアは微塵も気にした様子はなく、心地よさそうに目を細めたままだ。我関せずの姿で一切動じた様子がない。肝が据わっているというか、なんというか。
「まあいいさ。ご飯ができたから下に降りといで」
「それはご丁寧にどうも。身動き取れないから持ってきてもらうとかってあり?」
正直、娘達と顔を突き合わせながら飯を食うのに抵抗がないわけではない。
どの面下げて、なんて気持ちもあるからだ。
「だあめ。ご飯はみんなで食べるってのがここの鉄の掟なんだよ。ほら、いくよ、クリア」
フラウはクリアを抱き上げ、クリアもまたされるがままだ。扱いが雑。
「ほら、ぼさっとしてんなよ、坊や。早く行かないと私が厨房で役に立たないだけじゃなく、人を呼ぶ事さえろくにできないのかって馬鹿にされちまう」
「何その悲しい告白。厨房で何したの」
「役に立たないし狭くなるから出てけって追い出された」
「なんかごめん」
「謝んな、余計みじめになるだろ」
余計ってことはちょっとみじめだと思ってるんだ……。
ダメだ、この姉ちゃん計算高いのかと思ったら思いのほかポンコツだ。
案内された部屋は大広間。探索の間は何もない広間だったが、今や大きな食卓に十数人が腰かけれるように椅子が並べられ、俺とクリア、フラウ以外の全員はすでに座っており、大きな食卓には所狭しと彩り豊かに様々な料理が並べられていた。
料理に見惚れていると、入り口から一番遠い椅子、最奥の一席へと座るようへと促される。
戸惑っているうちにフラウとクリアは指定の席があるようで、必然残った奥の席へと腰かける。
「さて、じゃあ皆揃ったことだし、いただこうか。はい」
フラウのはいの言葉を合図に、全員が手を合わせ、俺へと目を向ける。
俺も見様見真似で、やりなれたはずの、この世界に来ては初めての合図を思い浮かべる。
「「「いただきます」」」
聞きなれた合図が全員の声から聞こえる。
ゴリ達がしていたのを見たこともないので、異世界故にいただきますの合図のない文化だと思っていたのだが、ゴリ達は見るからに粗暴でがさつな連中だからこそ、彼らがしていなかっただけなのか、フラウ達の中では食事毎に必ず、全員で行うらしい。
久々に行ったいただきますの合図に、胸の奥底にすっと、形容し難い熱がこみあげてくる。
合図を終えたものかと思えば、またしても全員は手を合わせたままで食事へと手を付けない。それどころかまだ俺を見ている。どうやら俺も言わなければいけないらしい。
「いただきます」
「「「いただきます」」」
俺が唱えたあとに、全員が再度復唱し、ようやっと各々が食事へと手を伸ばす。
大皿に乗ったおかずを一人一人が小皿へと移して食べている。
「クリア!ピ‐マンを残すな!」
「ちょっと!私の魚取ったの誰!?」
「もごもごもご」
「何言ってんの?」
「こら!口に物入れて喋るなって何度も言ってんだろ!」
「姉さん叫ばないでよ!ツバが入っちゃう!」
十人近くが喧々囂々と騒ぎ立て、料理を奪い合ったり、嫌いなものを押し付けあったりと、その様は大家族の食卓といった様子で、全員が楽しそうに笑い合っている。
俺はただ、雰囲気に呑まれて呆然とその様子を眺めていた。
この光景、これもまたゴルド‐とル‐ジュが守りたかったものだったのだろう。
見ているこちらが幸せに、楽しくなる。そんな光景だった。
「ほら、坊や。ちゃんと食べ……って、驚いた、あんたなんで泣いてるのさ」
「え?」
フラウに指摘され、指で頬を拭う。濡れていた。
「いや、なんっ…でっ…」
泣くつもりなんてなかった。泣くことなんて許されない。
「ちょ、なんで泣いてるのっ」
「姉さん!何したの!」
「待て待て待て、なんで私が泣かしたことになってんのさっ」
「いやっ、ごめん、ごめんっ、なんでっ」
声が震える。涙が止まらない。
「ちょっとちょっと!誰か拭くもの!」
「机拭いた布巾ならあるけど」
「新品持ってこいっ!」
「ちょっと坊や、どうしたのさ」
「いや、ほんっとごめんっ、この光景をあの二人は、見てたんだなって、守りたかったんだろうなって、考えてたら……」
今更、後悔しても、自責の念に駆られようと全て手遅れで、彼女達に打ち明けたところできっと怒りしかないだろう。何よりゴルド‐を手にかけた俺が泣いていいわけがない。贖罪にもならない。
どうあがいたってゴルド‐を手にかけた罪は贖えない、犯した罪は消えはしない。
そんな俺が二人のことで泣いていいわけがない。なのに、涙が止まらなかった。
温かな手に頭を抱き寄せられ、顔に柔らかな髪の毛がかかり、くすぐったい。
「クリア」
フラウの呼び声に反応し、顔を見上げる。
俺の頭を抱きしめるクリアと目が合う。歪んだ視界の中で、彼女の瞳も大きく揺らいで見えた。頭をクリアの細く華奢な腕に抱きしめられ、更にグッと力がこもった。
クリアの体温が心地良かった。
「ごめんっ、ごめんなっ、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
俺が全て台無しにした。謝っても取り返しはつかない。
「なんだい、あんたもちゃんと見えない傷を負ったんじゃないか。本当に馬鹿だね、男は。何かあればやれ死ねだの殺すだの、物騒ったらありゃしない。子供じゃないだから、死ねばどうなるかわかるだろうに。本当に、馬鹿だね」
反対側から、更に抱きしめられる。
頬に、自分の物ではない涙の感触が当たる。
俺は間違えたのだ。
邪魔なものは排除すればいい。殺せばいい。
その選択は最短の解決策かもしれない、だけど最適ではない。
殺すことを最初の解決策してはいけない。あくまで最終だ。
何せ殺せば、人は一度死ねば全て終わってしまうのだから。
「ちょっと……なんであんたが泣いてんのよ」
「そういうあんただって」
「私は泣いてないよ」
「うそつけ。鼻水まで垂らしてるくせに」
「いいから、ほら。みんな、おいで」
フラウが言うなり、俺へとかかる圧が増す。
すすり泣く声が、鼻をすする音が、泣き声へと変わる。泣き叫ぶ声へと変わる。
気が付けば、全員で団子のように一塊になって、抱き合って泣いていた。
食事もほっぽいて、声が枯れるまで泣いていた。




