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戦後処理

「……ん」


 微睡んだ意識が不意に覚め、閉じた瞼の隙間から陽の光が差し込み、目覚めを促される。

 早朝からドタバタとし、最悪の気分を転換しようと昼寝をすれば、時刻は昼を回った頃。

 丁度いい昼寝をかましたおかげで陰鬱だった気分も外の天気ほどではないにしろ、程々に上々の気分にはなった。

 不意に肌寒さを覚え、身震いをする。温かな夏は終わり、季節は秋口に差し掛かっていた。

 そういえばと蝶を逃がすために窓を開け放ったままだと思い、心地の良い椅子から名残惜しさを感じながらも立ち上がると、身体からはらりと何かが舞い落ちる。可愛らしい柄物のブランケットだった。

 自分で被った覚えはなく、寝てるうちに誰かが被せてくれたようだ。

 窓をみればついでとばかりに、閉められていた。

 どうやら昼寝中に来客があったのは間違いないようだ。


「お嬢でも来たのかね。あとで礼言わねえとな」


 一眠りしたおかげか、頭痛も治まり、原因でもある『無明』からの声も聞こえない。おそらく鞘から抜けばいつもどおりだろうが、一旦は静かになってくれて助かった。


「ふう」


 気分も落ち着いたが、一階はどうなっているのだろう。

 今はまだゴルド‐達を悼む彼女達に顔を合わせる気分になれなかった。原因となった俺が今更どんな顔をすればいいのかもわからない。

 思考を巡らせると、再び落ち着かなくなる。

 手持無沙汰を誤魔化すために、再び椅子に腰かけ、机の引き出しを漁る。

 収納もろくにない部屋の唯一の収納スペ‐ス、一体どんな物があるのかと思えば、ろくに物はなかった。

 あるのは最低限のペンや書類、大したものはなかった。

 改めて、部屋の主の物への執着のなさがよくわかった。


 この引き出しには、この部屋には、何もなかった。


 せめて何かはあれと願いながら、最下段、鍵の付いた大きな引き出しに手をかける。

 施錠はされておらず、空だった他の引き出しとは違う手応えと重みを感じ、期待を込めて引き出しを開ける。

 中には無造作に放り込まれた大量の紙幣と、可愛らしい文字で『ゴルド‐さんへ』と書かれた柄の違う封筒が数枚、大事そうにしっかりと束ねられていた。


 この引き出しには、金銭と、それ以上に大事そうに束ねられた数多の、誰かの願いがあった。


「不用心すぎだろ、馬鹿野郎……」


 知れば知るほど、ゴルド‐という男がいかに誰かを大事にしていたのかがよくわかる。

 同時に自分の過ちと後悔が深く、大きくなっていく。


 アッシュに討てと言われたから。『無明』の殺せという声に唆されたから。

 誰かのせいにし、気持ちだけ逃げてもいい。だが、そうはしたくなかった。

 俺の意思で、俺の選択でそうしたのだ。責任は俺が負わなければいけない。

 自らの行いには自らが責任を負うべきなのだ。


「いかんいかん」


 後ろを振り返り続けては、いつまで経っても先には進めない。

 どう思い、考えたところでゴルド‐は、死人は生き返らない。

 ならば俺がすべきことは、彼との約束を守ることだ。


「確か、シルヴィア、だったか」


 行方不明であるゴルド‐の妹。彼女にはゴルド‐の遺言を伝えねばならない。

 そのために彼女を探し出し、遺言を伝えるのがひとつ目の約束。


 二つ目。

 彼の宝、財宝を大切に。

 彼は宝が何かと明言することはなかったが、ここまでくれば嫌でもわかる。

 二階にあると言った宝の在りか。

 自らの指にはまった指輪には何の執着も見せず、また無造作に放り込まれた金の数々。

 片や自らが持っていくといった一番の宝。引き出しに金銭と共に仕舞われた金よりも大事そうに扱われた封筒。


 彼が遺した宝は、自らの愛した女達だ。


「くれぐれも大切に、か。お前は下の女達を嫁に出すまで見るつもりだったのかよ」


 思えば、彼にはまった指輪の数々も、下の女達と数が合う。一人一人に指輪を渡すつもりだったのではないか。そんな気さえもする。


「なんだよ、結構ロマンチストじゃねえの」


 今際の際、ル‐ジュのどの指へと指輪をはめるか戸惑っていた姿を思い出し、和やかな気持ちになった。

 せめてどうか二人が同じ場所へと行けた事だけを願った。


 物思いに耽っていると、控えめに「コンコン」と扉をノックする音がする。

 不在の家主に変わり、引き出しを戻してから「どうぞ」と伝えると、これまた控えめにゆっくりと扉が開く。

 現れたのはフラウだった。

 彼女は「邪魔するよ」とだけ言い、机を挟んで俺と対峙する。


「起きたんだね」

「おかげさまでな。もう大丈夫なのか?」

「ああ。皆も落ち着いたしね」


 何事もなかったかのように毅然と振舞う彼女の紅く染まり腫れた頬が気になった。


「あ……すまん」


 呆けていると手が無意識に彼女の頬へと伸びていた。どうするつもりだったのかもわからぬ手を慌てて引っ込める。

 俺の手を見て、彼女の肩がビクリと震え、体が強張ったのを察した。

 眠る前、彼女が男に殴られ、恐慌状態に陥ったことを忘れたわけではないが、ふと彼女の綺麗な顔についた傷が気になってしまった。

 故に何故か手を伸ばしてしまい、結果、再び彼女を怖がらせてしまった。


「いや、本当にすまない。貴方を怖がらせるつもりはなかった。ただ貴方の頬が気になってしまった。

 痛むだろうに、なぜか手を伸ばし、触れようとしてしまった。怖がらせてしまって本当にすまない」


 怯えさせた彼女へと自らの意思を明確に告げる。

 どうやら俺も大人の階段を上ったことで、女性とのパ‐ソナルスペ‐スの距離感がおかしくなっているらしい。大して親しくもない女性へと気安く触れようなどとどうかしている。


「……ふふっ。急にかしこまって、変な人だね」


 フラウは一瞬呆け、すぐに笑みを浮かべる。

 どうやら気には触れなかったようだ。


「聞いてたよ。あんまりはっきりと覚えてるわけじゃないけど、でも、確かに聞こえてたよ」

「何をだ?」

「女の手はいろんなものを包んで守るんだってね」

「……やめてくれ、こっぱずかしい」

「男の手は、女を包んで守ってくれるんだっけ?」


 フラウは宙ぶらりんだった俺の手を掴み、自らの頬へとあてがう。


「……ああ」


 彼女の柔らかくなめらかな頬を指で撫でる。フラウは目を細めた。


「ふふっ、くすぐったいね」

「痛くはないのか?」

「ちっとも」

「悪かったな、守ってやれなくて」

「いいんだって、言ったろ、痛くないって。虫にでも刺されたと思ってるよ」

「なら今後は悪い虫が寄らねえようにしねえとな」

「ありゃ、それは今後も守ってくれると思っていいのかい」

「任せろ。約束だからな。なんと言われようと俺は約束は守る男なんでな」

「約束……そうかい。なら下心はないと。安心だね」

「それとこれとは別。あわよくばとは思っている」

「おや。ならツヴァイに言わないとね」

「……なんでお嬢が?」

「恋仲だろう、あんたら」

「いやいやいやまさかそんなわけないでしょう」

「とぼけても無駄だよ、わかるんだよ、女にはそういうの」


 疑いとかではなく、しっかりバレテ‐ラ。女って怖い。


「男は誤魔化せるというか気づかないだろうけど、女はそういう距離感みたいなの、しっかりわかるからね」

 女って怖い。


「キヲツケマス」

「はは、別に私はどうでもいいんだけどね」


 あわよくば男の夢、ハ‐レムなんて思ってた時期が僕にもありました。


「ちなみに他に女を囲もうなんてのも思わない方がいいよ。大体女同士で拗れて下手すれば刃傷沙汰になるからね。男は多数の女を愛せるだろうけど、女は一人の男しか愛せないし、独占欲強いから。男を共有するなんてまっぴらって奴がほとんとだよ」


 昔、どこかで男は個別保存、女は上書き保存、なんて言葉を聞いたことを思い出した。

 男は何人かの女を同時に愛せるが、女は同時期に男を一人しか愛せないという意味合いだったか。


「ふふっ、しかし坊やもしっかり男なんだね。ゴルド‐さん程じゃないにしろゴツゴツして、硬くて大きい」


 フラウは俺の手に頬を擦り付け、うっとりと目を細める。もしや男のフェチだったりするのだろうか。


「しかし今ゴルド‐さんの名前を出すのはなんか違いません?」


 ちょっとやらしい雰囲気が台無しです。


「おや、嫉妬してるのかい?でも残念、言ったろ。女を囲もうなんて思わない方がいいって」


 どうやらお前に脈はねえぞ、と予防線らしい。

 女って怖い。


「はは、坊やはわかりやすくておもしろいねえ。でも、これでやっぱり私らを守るのはなし、なんて言わないよねえ? 言ったもんねえ、約束は守る男だって、ねえ?」


 うっすらと目を開き、流し目を向けられる。いや、これはそんな艶めかしいものではなく、蛇に睨まれた。大蛇の獲物を捕らえた視線だ。


「はい、僕、約束、守ります」

「ははっ、よかったよかった。私も下の子らを守るためなら体ぐらいは差し出すつもりだったけど、その手間は省けたってもんだ」


 フラウは俺の手から離れ、快活に笑う。

 楽しそうに笑う彼女とは裏腹に俺の肝は冷えっぱなしだ。

 こんな強かな女性とやりあっていたとは。


 ゴルド‐、あんたってすげえよ。


「さてはて、さて。ゴルド‐さんは死んじまったし、今後の事、下のツヴァイや剣鬼を交えてじ‐っくりと話し合うとしようか。

 ねえ、ボ‐ス?」


 フラウは部屋を出て、後ろを振り返りまたしても流しで俺を見る。

 先程までの艶っぽく色めかしい桃色雰囲気はどこへやら。


「女って怖い」


 俺はただただ怯えることしかできなかった。



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