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鉄塊は紅く染まる

階段の方からカツカツ、コツコツと足並みのそろった足音が聞こえてくる。

重みのある足音、ハイヒ‐ルの足音。男女一人ずつの、二人分の足音。

やがて頭上の階段に腕を組んだ男女二人組が姿を現した。


一人はフォ‐マルなス‐ツに身を包み、切れ長な双眸からは高い品性と知性が伺えるがどこか猛獣を思わせる。短く整えられた髪の毛はオ‐ルバックで後ろに流され、獅子のたてがみを彷彿とさせた。

首には金のネックレス、腰には銀のチェ‐ン、指には数え切れぬほどの宝石の付いた指輪と上品な顔立ちとは裏腹にジャラジャラと下品な程の装飾品が目立つ。

イケメンが無理やり悪趣味な成金を真似た、そんな印象の男。


傍らの女は腰まで伸びた長い金髪はウェ‐ブを靡かせ、足元まで覆うロングドレスは赤く、大きく開いた胸元の地肌の白さを相対的に引き立たせた。深いスリットから伸びた素足も扇情的で夜に羽ばたく真紅の蝶の如く。


この二人こそがこの館の主人である。直感がそう告げていた。


「今かよ」


思わず文句を述べた。


衝動的に仲間を殺め、血と臓物の中に佇むのは俺一人。

相手は男女とはいえ二人。何より、男の方がまさに格が違う。

荘厳で静謐な雰囲気。纏う空気感がピリピリと肌を刺す。俗に言うカリスマ、とでも言うのか。

初めてアッシュと遭遇した時と同じ気配を感じた。

先程まで相手取ったチンピラの如き隊員共とは生物としての格が違う。そう思わせる何かが男からは感じ取れた。


「あら。意外と驚かないのね」


階上の赤いドレスの女‐‐ビルが口を開く。


「驚いてるよ。やっぱりあんた、女だったんだな」


ビルは目を見開き、時が止まったかのように一瞬呆けるが、すぐ様腹を抱えてからからと笑う。

その姿が隊舎で見た姿と重なり、目の前の赤いドレスの女がビルであることを嫌でも実感させられた。


「本当に、坊やには驚きっぱなし」

「そりゃどうも。驚かせた礼にでも聞かせてくれや。隊にいるあんたと今そこにいるあんた、どっちが本当のビルなんだ?」


ビルに注視しながらも、彼女の隣に立つ男からは視線を外さない。

姿を見せてから常に男の視線は俺に注がれ、肌が粟立つような敵意、殺気と呼べるものをずっと感じている。背を背ければ、視線を外せば襲われる、そんな猛獣と相対するかのような危機感をずっと抱いていたが、ビルとの軽口を言い合う程度の許しはあるらしい。


「本当のビルと言われてもごめんなさいね、そもそもビルなんて人間存在しないの。私の名前はル‐ジュ、よろしくね坊や。そして、さようなら」

「ル‐ジュ、ね。真っ赤なドレスがお似合いで。そんなつれないこと言わず、もっと喋ろうぜ」


真紅、シンクレア・スカ‐レッド、ル‐ジュ。つくづく俺は『紅』と縁があるらしい。


「あらどうも。リップサ‐ビスがお上手ね。お礼に付き合ってあげる」

「本心なんだがなあ。じゃあお言葉に甘えて。なんで裏切った?」

「裏切ったなんて心外ね。言ったでしょう?私はル‐ジュ、ビルなんて存在はいないの」


そもそもがアッシュ側ではなく、ゴルド‐の仲間だってことか。


「なるほどな。じゃあここに招かれる人間に俺は選ばれたってわけか。お嬢は無事なんだろうな?」

「……せめてもの情けよ、隊長には優しかった貴方には教えてあげる。隊長、いいえ、ツヴァイね、彼女なら無事よ。今は、ね」


隊長からツヴァイへと言い換えたのは、彼女なりの決別だろう。あくまで、今は、と。

もし俺が逃げればどうなるか、そう言外に含められている。つまり人質だと。


「本当ありがたいね、こんな立派な屋敷に招待してもらえて」

「喜んでもらえてなによりだわ。貴方達を招いたのは開戦の狼煙、いずれ戦うであろう『剣鬼』の力を削ぐため。未だに戦いに身を乗り出せないでいる甘い私たちの決別の証。そんなつもりで手始めに死んでもいいクズを選んだ‐‐つもりだったのだけれど、貴方でしょう?ブロンを手にかけたのは」


ル‐ジュの発言と共に、傍らの男‐‐ゴルド‐からの威圧が一層増した。


「……なんでそう思う?」

「駄目ね、坊や。頭は回るけれど隠し事が下手、腹芸も学ぶべきよ。貴方はブロンなんて知らないとしらを切ればよかったのに」

「ご忠告どうも。次からはそうするよ」

「ええ、是非そうしなさい。次があれば、だけれど」

「勉強ついでに、そう思った根拠を聞いていいか?」

「確証は今までなかったのだけれど、予感はあったかしら。ブロンの失踪時期と貴方の剣鬼隊の入隊時期、『狂犬』との面識があり、アン姉さん、キリ姉さんとの面識もありそしてブロンが失踪した直後の剣鬼隊の攻勢。貴方の女性への執念。大方、ブロンが女性をかどわかそうとした場面に出くわして殺めた、そんなところでしょう?」

「たまげた。あんた探偵にでもなった方がいいんじゃねえか」

「ええ、止めは私の勘かしらね。私の勘が告げるのよ、ブロンの仇は貴方だって」

「勘、か。女の勘ってやつぁ恐ろしいね」

「そうか、勘か。百の言葉や千の証拠よりも、お前の勘ならば信じよう、お前なら信じよう、ル‐ジュ。恨むなよ小僧。貴様が始めた戦争だ、弟の仇、取らせてもらう」


今まで沈黙を貫いていた男‐‐ゴルド‐が歩みだし、上着に手をかけ、脱ぎ捨てる。

解き放たれた上半身は浅黒く日焼けし、アルフやゴリ程の筋肉質ではないが、しなやかな筋肉が付いている。聞いていた『鉄塊』の二つ名よりも華奢な印象を受けた。

どちらかといえばアッシュのように鍛え抜かれ、研ぎ澄まされた筋肉。

例えるなら、アルフ達が戦車だとすれば、アッシュやゴルド‐はスポ‐ツカ‐だ。

どうやらその印象は間違いではなかったらしい。


上着を脱ぎ捨てたゴルド‐は勢いそのまま身を屈め、踏み込んでくる。

勢いは鋭く、凄まじい。近づいてくると、彼の体の大きさもよくわかる。男性と見間違う長身のビルと並んでいても頭ひとつ抜けた彼の身長はおそらく百八十は少なく見積もってもあり、鍛え抜かれた身体、ガッシリとした肩幅と相まってそれ以上の威圧感が凄まじい速さで近づいてくる。


退がるか、向かうかを一瞬の逡巡のうち、俺は最早反射的に腰の刀‐‐『無明』へと伸びた。

咄嗟に抜ききる前に『無明』とゴルド‐の拳がぶつかり合う。


(堅‐‐ッ!?)


鋼鉄を全力で叩いたかのような反動が『無明』から伝わる。

思わず怯んだうちに、腹部から背中へと突き抜けるような強烈な衝撃が伝わり、思わず口を開き肺の中の空気が吐き出された。

まるで鉄球を叩きつけられたようだ。


「えほっ、ごほっ」


身体をくのじに折り曲げ、気づけば地面を見ていた。

まるで何があったのかわからない。


「驚いた。ゴルド‐の拳と打ち合って折れなかった剣も、倒れなかった人も久々に見たわ」

「鍛錬を重ねているようだな」


階上のル‐ジュの声にどこまでも平坦なゴルド‐の声で何があったのかを悟る。

ゴルド‐の拳と『無明』は確かにかち合ったはずなのに、ゴルド‐の拳はまるで何事もなかったかのように無傷だ。

無類の切れ味を誇る『無明』でさえゴルド‐の拳の薄皮一枚さえ裂いた様子はなく、折れずに済んで幸いだという事態。


「お前は楽には済まさん。そこらの骸のように容易く逝けると思うなよ」

「ゴルド‐!」


余裕しゃくしゃくの態度のゴルド‐に咎めるようにル‐ジュは声を荒げる。


(なんだ……?)


「心配するな」


ゴルド‐はそう言うも、ル‐ジュの顔には未だ焦りが見える。

人に腹芸を学べというものの、何かあるのは明らかだ。


突破口はどこかにあるはず。


「いってえ。拳に鋼鉄でも仕込んでんのかよ」

「試してみるがいい」


言うや否や、ゴルド‐は両の拳をかち合わせる。ゴツンと音が響くが、生身の肉の音だ。

だが、生身の拳で打たれただけで未だにじくじくと痛む腹の痛みは納得ができない。

幸い骨は無事のようだが、痛みひとつ引きずるだけでパフォ‐マンスは落ちる。

早期決着が望ましい。


今度はこちらから踏み込む。

一撃目、胴体を目掛け、水平に凪ぐが拳で弾かれる。またしてもびりびりとした衝撃が手を伝うが、想定内。すぐさま弾かれた勢いを殺し、切り返し斜め上、袈裟斬りの要領でゴルド‐の身体を目掛ける。


(入った‐‐ッ!)


目論見通り、ゴルド‐の身体は対処に追い付かず、『無明』の刃はゴルド‐の肌にめりこむ‐‐こともなく、またしても弾かれる。

驚く間もなく、ゴルド‐の巌の如きの如く拳が振りされるのを咄嗟にバックステップで回避する。

その瞬間のゴルド‐の表情は一片の変化なく、さも当たり前という表情で俺の攻撃を受け、蚊をつぶすかのように反撃に移ってきた。

どうやら俺の攻撃はゴルド‐には一切通用しないらしい。

だからこそ刃物を持つ相手にも躊躇なく踏み込めるインファイトができるのだろう。

普通の人間なら、刃物を持つ相手にはそうそう突っ込んでいけない。

どうやらゴルド‐は自分の身体に絶対の自信があるらしい。


「拳だけでじゃなく、全身鋼鉄かよ、ロボットかてめえ」

「己の身体こそ武器、故に鉄塊。磨り潰して見せよう」

「無駄よ坊や。足掻いても無駄、だから早く諦めちゃいなさい」


ル‐ジュの言葉を無視し、改めてゴルド‐の姿を見る。

拳も身体も傷一つなく、血の一滴も流れていない。皮膚さえ切れていない。


そんなわけがない、あの『無明』だ。念じれば岩さえ貫く刃だ。

そうなるとゴルド‐の身体は岩以上の高度で文字通り鉄の塊なのか。

眉一つ動かさぬその姿だ、確かにロボットなのかもしれないが。

あるいは攻撃の無効化、なんてのもあるのかもしれない。

小僧曰く、ここはゲ‐ムの世界だ。そんなチ‐トもあるかもしれない。


だが、こんな序盤でそんな反則じみた敵を用意してくるか……?


となると……。


「物理攻撃無効、魔法攻撃が有効ってか……?」


初めてゴルド‐の眉が動いた。


「ビンゴか。となると身体の硬質化ってとこか」


通りでアッシュの奴が相性が悪いというわけだ。

ツヴァイやアインは魔剣なんてものがあるらしいが、アッシュには何もない、ただ斬れるものを斬ることに特化しただけだ。


「そう思うとお嬢が人質ってのも、おそらく本格的に敵対する前だな。やりあえばお嬢に勝てるかわかんねえってとこか」

「な……。何をいってるのかしら」


ル‐ジュが戸惑う。


「いくらか正解ってとこか、いいね、一切タネがわからないよりかはちょっとでも情報がありゃあなんとかなるかな」


序盤で無敵のボスを持ってこないだろ、なんてこの世界がゲ‐ムだと知っている俺だからできるメタ読みだが、相手も反則じみているんだ、おあいこだろう。


「ゴルド‐!」

「焦るな、ル‐ジュ。全てのタネが割れたわけではない」

「違うの!やっぱりこの子は不気味よ!何かあるかもしれない!だから何かある前に早く!」

「おいおい、こんな快活な少年を捕まえて不気味なんて傷つくぜ」

「……同感だ。小僧、お前は不気味だ。手早く終わらそう」


初めて、ゴルド‐に怒り以外の感情が見えた気がした。戸惑い。恐怖。

自信に満ち溢れていた男を揺さぶれた。ル‐ジュの反応にゴルド‐の反応。おおよそ俺の見積もりは当たっているらしい。

かといって俺には魔法なんてものも魔剣なんてものもありはしない。

あるのはただ抜群に切れ味のいい刀のみ。

念じれば何でも斬れるという刀のみ。

ならば、鋼鉄さえも裂いてみせよう。


「行くぞ、小僧」

「上等」


相対するゴルド‐のみに集中する。目を凝らし、眼前の男のみを見据える。

男もまた両の拳を握りしめ、ジッと見つめてくる。

息を整え、いざ‐‐


「ル‐ジュ!」


眼前の男が叫ぶ。集中を解き、いつの間にかゴルド‐の背後に二人の人間がいた。

一人の人間がゴルド‐の足元に倒れこんでいた。真っ赤なドレスが広がり、それ以上の赤がカ‐ペットを染めていた。


「しっかりしろ!ル‐ジュ!ル‐ジュ!」


ゴルド‐がル‐ジュを抱き起し、懸命に声を掛け続ける。


「ヒ、ヒヒッ、イヒヒヒッ、やった!やった!俺がゴルド‐をやった!ヒヒヒヒヒヒッ!」


ゴルド‐の背後で血に染まった剣を握り、床に座り込んで笑う醜悪な男がいた。


ゆっくりと、男に近づく。

男は俺の事を一切気に留めず、笑い続けていた。

髪は乱れ、目の焦点は定まらず、口からは涎を垂らし、ただただ笑っていた。


ダストだった。

首を刎ねた。

何の感慨もなかった。


「ル‐ジュ!ル‐ジュ!」


ゴルド‐が声を掛け続けると、ようやっとル‐ジュが目を開いた。

その間もなお、血はだくだくと流れ落ち、命が零れていた。

その光景を見て酷く頭が痛んだ。


「ゴル……ド……」

「しっかりしろ、ル‐ジュ!今すぐ医者のところに!」

「ゴルド‐、血を抑えろ、それから傷口を心臓より高く、少しでもましになるはず」


ゴルド‐はル‐ジュをそっと壁にもたれかけた。


少し、ほんの少しでも。今尚流れ続ける血を止めるために。


「だい…じょう、ぶ、それより…ブロンの仇を……」

「馬鹿を言え!そんなことよりもお前の傷を!」


何度か傷を負ったからなんとなくわかる。


「おにいちゃん……でしょ……?」

「ああ!そうだとも!だが!」


背中から腹を貫いたあの傷ではおそらくもう。


「だったら……」

「馬鹿を言うな!ブロンの兄であるよりもお前の方が大事だ!お前が何より大事だ!」

「ふふっ……もっとはやく、聞きたかったなあ……」

「こんな言葉、いくらでも言ってやる!」

「だったら…お願い、ブロンの……」


うわごとのような、か細い声がもう聞こえない。


「悪かった」

「……なにがだ」

「俺の不始末だ」


とっととゴミはゴミらしく、斬り捨てておくべきだった。


「構わん。お前達の始終を見ていた。捨て置いたのは俺だ」

「そらよかった。早く医者の元へ行こう、口は悪いが腕は良い医者を知ってる」


もう俺の中に戦う意思はなかった。目の前の男への敵意は失せていた。

愚直に鍛錬を重ね、研鑽された拳。何より今死にかけている女が、この男を庇った。

この男を死なせたくなかった。


「ク、クハッ、クハハハッ」


ゴルド‐は額を掌で覆い、哄笑する。


「何を勘違いしている、小僧。水は差されたが、依然お前は俺の敵だ、弟のブロンの仇だ。慣れ合うつもりはない」

「待て待て、今はル‐ジュだろう!今ならまだ間に合うかもしれない!」

「そのル‐ジュが自らよりブロンの仇を討てと言った」

「それは…!」

「妹を奪われ、弟を討たれ、今最愛の人を亡くそうとしている。どれだけ俺から家族を奪えば気が済む…!せめて最後の約束だけは守らせてもらう…!」


ゴルド‐は再び構えを取る。まともに会話ができるようになったのに、これでは逆戻りだ。


「構えろ、小僧。さっきの続きだ」


ゴルド‐は一向に構えを解く気配はない。されど、いつまでも向かってくる気配もない。

律儀に俺が構えるまで待っているのだ。

どこまでも嫌いになれない。


「……そういえば、名前を聞いていなかったな」

「……タツミ。フジ タツミ」

「構えろ、タツミ。一撃だ、ル‐ジュのために、一撃で片を付ける。『鉄塊』のブロン、推して参る」


怒気が。殺気が、収束する。ゴルド‐の身へと。

目に見えぬ何かがゴルド‐の身へと集っていく。

次の一撃に奴は全身全霊を賭してくる。ル‐ジュのために、一刻も早く全てを終わらせるために、一撃に全てを賭けてくる。


ならば俺はそれに応えなければならない。


弟のブロンの仇を討とうとするゴルド‐のために。


そんなゴルド‐を庇ったル‐ジュために。


ル‐ジュのために戦うゴルド‐のために。


大上段に構えを取る。奴の一切を斬り捨てよう。相手は巨大な鉄の塊だ。生半可な力では刃すら通らない。体に熱を。心に火を灯せ。刃に熱を灯せ。イメ‐ジするのはシトリィの剣。手から伝わる『無明』が熱くなった気がした。


「それでいい」


ゴルド‐が笑った。勢いよく踏み込んでくる。拳で振り払うことなく、『無明』の刃を身体で受け止める。

しかし、刃は今までのように弾かれることなく、吸い込まれるかのようにゴルド‐の身体へと向かう。

血飛沫が舞う。男の身体が後ろへと倒れこむ。


「時間…か…」


天井を仰ぎ、呟く。


「見事……」

「そらどうも。えらく饒舌だな」


傷は決して小さくない。喋るだけでも大きな苦痛を伴うだろう。


「ル‐ジュの指示、だ。静かな方が箔が付くとな」

「そうか……」

「元々、口がうまい方ではないのでな」


ゴルド‐はそういうと、身体を起こし、立ち上がろうとする。視線の先には壁にもたれかかったル‐ジュがいる。

どうやら彼女の元へ行きたいようだった。


「肩を貸す」

「…すまんな」


たった数歩、肩を貸して歩くだけだった。重たかった。


「人は死ねばどうなるのだろうな」

「…俺の国じゃあ善人は天国に、悪人は地獄に行くって話があるぜ」

「そうか…ならば俺はル‐ジュと共には行けないな…。人を殺めすぎた…」


ゴルド‐をル‐ジュの横に並んで座らせる。ル‐ジュの表情が和らいだ気がした。


「俺は共に逝けないが、せめてこれを俺だと思って連れて行ってくれ」


ゴルド‐は自らの指にはまった指輪の一つを指から抜くが、震える手から零れ、転がっていく。

立ち上がり、追いかけようとするゴルド‐を制し、指輪を拾い上げる。

他の宝石や装飾の眩い指輪とは違い、地味な銀の指輪だった。

持ち上げると、『無明』がドクンと脈打った気がした。


「これは……」

「気づいたか。それは『贈り物(ギフト)』、俺が鉄塊たる由縁だ。欲しければもっていけ」


一代で財を成す、神様からの贈り物。それが『贈り物』(ギフト)だったか。


「いや…いい」


ゴルド‐の手へと指輪をそっと返す。


「そうか…ありがとう。ついでにこれを彼女の指にはめてやってくれ。もう思ったように体が動かん」


ゆっくりと笑う。初めてこの男の笑みをみた気がした。本心が見えた気がした。


「それはあんたの手でやれ。補助はする」


ル‐ジュの指に指輪をはめる。それは彼手ずからやることに意味がある。

ル‐ジュの傍で屈み、彼女の冷たくなった手を掴み、持ち上げる。


「サイズが合うかはわからんが……」

「馬鹿野郎。こういう時は左手の薬指だろ」

「左手の薬指……くくっ、そうか……」


ゴルド‐はル‐ジュの左手の薬指へと指をはめる。案の定、彼女の指に先ほどまでゴルド‐の指にはまっていた指輪は大きかったようで、ずり落ちようとしていたが、ゴルド‐が彼女の手をギュッと握っていた。


「誓いの言葉を」

「誓い……。例え死が二人を分とうと、俺の魂は常にお前と共にある、愛してる、ル‐ジュ……」

「上出来だ、ゴルド‐」

「……そうか、それならばよかった」


きっと生前の彼女に言えればもっと良かったのだろう。だが、その機会を俺は奪ってしまった。


「そうだ、タツミ。最期に一つ、頼みがある」

「なんだ?」

「妹を、シルヴィアという女を見つけたら、よろしく頼む。一人にさせてしまってすまない、と」

「……任せろ」

「約束だ。もし破れば地獄から戻ってきてやる」


この男との会話は嫌いではない。むしろもっと重ねたいと思うほどだ。

反故にしてこの男が戻ってくるというのならば、いくらでも破りたい、だが俺はこの男との約束を破りたくない、破れないとも思ってしまった。


「わかった」

「代わりと言えばなんだが、そうだな。財宝は持っていけ、好きにしろ」


ゴルド‐は自らの指輪に視線を促す。


「あと二階にはこれ以上の宝がある、こちらはくれぐれも大切にしろよ」

「宝?」

「ああ。俺の大切な大切な宝だ。大切に、くれぐれも大切に頼む。俺は一番の宝を持っていく。柄にもなく喋りすぎて疲れたな、少し休む…。すまない…ブロン…ル‐ジュ…シルヴィア…」


穏やかな笑みだった。

いつの間にかル‐ジュの頭はゴルド‐の肩にもたれかかり、寄り添って穏やかの笑みを浮かべたまま、眠っているかのようだった。


ゴルド‐が上裸な事が気にかかり、彼が脱いでいた上着を拾い上げ、着せる。

ス‐ツ姿の男とドレス姿の女。二人だけの結婚式。そんな風に思った。


「…行くわ」


誰に聞かせるわけでもなく、独り言を呟く。

壁際に寄り添い、手を繋いだまま眠るかのような二人。


男は女のために戦い、女は身を挺して男を庇って死んだ。

ただそれだけの事実が、深く胸を抉った。

どこかで同じような光景を見たことがある。その事を思い出そうとすると、酷く頭が痛くなった。


お嬢とゴルド‐の宝物を求め、二階へと歩を進める。二階には大きな部屋と小さな部屋がいくつかあり、大きな部屋へと向かった。

部屋の外にはバリケ‐ドが作られていたが、壊して部屋に入った。

大きな部屋は、広間だった。


「ゴルド‐さん…?」


広間には数人の女が身を寄せ合って固まっていた。

年は十ぐらいの子供から三十に届くかどうかの年の女がその数、十一人。


「タツミ!」


女たちの中から、見知った顔と声が現れる。お嬢だ。

今はいつもの制服とは違い、髪を下ろし、白いドレスを着用している。いつもと違う服装なのですぐには気づかなかった。


「お嬢。無事でよかった」

「あ、ああ。私は無事だ。お前の方は?」

「俺も無事だ」

「では、ゴルド‐と……」

「ル‐ジュは死んだよ」

「……そうか」


お嬢は肩を落とす。敵だったとはいえ、ル‐ジュはいい奴だった。死を喜べる人物では決してなかった。


「それでお嬢、彼女らは?」


お嬢を除いた十人の女。ル‐ジュが当初語った十二人の戦闘員。おそらくゴルド‐とル‐ジュを除いた戦闘員に当たる十人。部屋数とも一致する。

だが、身を寄せ合い恐怖に震える彼女たちがどうしても戦闘員には見えなかった。


「……お兄さん、彼女らはどうか安全な場所に預けてやってくれないか。もし金が欲しいなら私が稼ぐ、もし女が欲しいなら私の身体を好きにしていいからさ。だからどうか、だからどうか頼むよ、この娘達だけは……」


女達の中から一人、おそらく最年長と思しき女が歩み寄ってくる。血に汚れることをいとわず、俺の腕を掴んで自らの身体を押し付ける。


声は気丈に振舞っていたが、その身体はわずかに震えていた。


「フラウ、大丈夫だ。こいつなら…大丈夫だから…」

「…ああ、安心してくれ。俺はあんた達をどうこうするつもりはない」


お嬢は俺から離れ、フラウと呼んだ女性を俺から引きはがし、そっと抱き寄せる。

得体の知れない男を前に、他の娘たちを守るために自らを挺するその姿はまさにゴルド‐の守りたかったもの達なのだと知った。


(ああ。俺の大切な大切な宝だ。大切に、くれぐれも大切に頼む。)


「……わかってるよ、ゴルド‐」


この娘達はゴルド‐が強引な手段で誘拐してきた女達ではない。この娘達の今の姿はゴルド‐に怯えるそれではない。俺に怯えている姿だ。


なにより、あの男が無理やり女達を連れ去るような男には到底思えなかった。

知らねばならない。

ゴルド‐と彼女達との関係を。信頼を。

伝えなければならない。

そしてゴルド‐の最期を。


「この中にシルヴィアって娘はいるか?」

「あんた、シルヴィアのことまで知ってるのかい?」


できるだけ穏やかな声で女たちの集団に声を掛けるが、返答をくれたのはやはりフラウという女だった。

どうやら姉御気質のようであり、この集団を取り仕切っているのも彼女のようだ。


「ああ。ゴルド‐からシルヴィアのことも、あんた達の事も大切に扱うように釘を差されている、いや…約束してきた。あんた達は奴にとっての宝だと」

「…そう、ボスがそんなことを……」


フラウは驚き、涙を流す。しかし涙を拭い、すぐに気丈に振舞う。


「ボスが約束したってんならあんたの事を信じるよ。それにシルヴィアの事も知っているなら確かだ。だから話すよ。シルヴィア、ボスの妹はここにはいない。行方知れずでボスはずっと探してる」

「行方知れず?」

「そう、ボスはずっとシルヴィアを探している。その過程で見つけたのが私やこの娘らだ。

この娘らは家族に売られたり、家族に襲われたり、そんな娘ばかりがボスに助けられてここにいる。

ボスの世間での悪評もほとんどがそいつらの逆恨み。私らはボスに救われ、ボスは私らの命の恩人なのさ」

「……そうか」


聞いても、驚きはなかった。

あの男ならそれぐらいの事をしているだろうと。そんな正義があるだろうと。


「それで、ボスはどうなったんだい……?」


フラウは震える声で問うてくる。

おおよそわかっているはずだろうに、確認するためだろうか、あるいはそうでないことを願ってだろうか。


「死んだよ」

「そう」


フラウは短く呟いた。


「ゴルド‐さん、死んじゃったの……?」

「やだあ」

「もう頭撫でてくれないの?」

「褒めてくれないんだ……」

「もう守ってくれないのね……」


不安が伝播する。女達からすすり泣く声が聞こえる。

早速約束を破った気がした。

ゴルド‐が地獄から舞い戻り、俺をぶん殴って欲しかった。


「ダメだろ、あんた達。ボスがいつも言っていたじゃないか、俺は悪人だからいつかきっと誰かに憎まれ、殺されるかもしれない、だけどその人を憎んではいけない、悲しむ必要はないって」


フラウが励ますように声を掛けるが、彼女自身が泣いている。誰も泣き止む様子がない。

いつまでもすすり泣く声がやまない。


ゴルド‐は彼女たちにとっての家族であり、英雄であり、正義だった。

そんな正義は俺は踏みにじった。

どこから道を違えたのか。


俺は一体、何のために、誰のために戦って、ゴルド‐を殺したのだろう。






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