駅のホームにて
死ぬ気になればなんでもできる?
‐‐そんなのは嘘だ。
俺は死ぬ気だった。
‐‐死んでもいい。だから彼女を救ってくれ。
なのに、結果はどうだ。
俺は無様に生きている。
守りたかった彼女に守られ、無様に。
死ぬ気で守りたかった彼女だけが死んだ。
俺なんかよりも、彼女が生きていた方がよかったのに。
もし神様がいるとするならば、頼む。頼むから。
俺の大好きな彼女を生き返らせてくれ。
‐‐俺の命と引き換えにでも。
横に美少女がいる。
腰までかかるほど伸びた長い綺麗な黒髪。
目鼻立ちはくっきりとしていて、今は退屈そうに手元のスマホを覗いている。
‐‐気持ちはよくわかる。暇だよなぁ。
電車を待つ満員のホームの最前列。
きっと俺だって同じことをしていたはずだ。スマホのバッテリーさえ切らしてなければ……。
仮にあったとしてもどうでもいいニュースを見ながら退屈してただろうが。
‐‐つまらない。
どうして俺の人生はこんなにつまらないのか。
俺の人生で楽しかったことなんてあっただろうか。
‐‐あいつがいた頃は楽しかったな。
幼馴染みを思い返す。
明るく元気で持ち前のリーダーシップでよく皆を引っ張っていた。明朗活発、天真爛漫。
常にニコニコとしており、まさしく太陽のような娘だった。
‐‐今思えば、女版ジャイアンみたいな奴だった。
しかし、太陽にだって翳りはある。
彼女は虐待を受けていた。
父親は絵に描いたようなクズで酒にギャンブル、放蕩に明け暮れていたそうだ。
母親はそんなクズの元から娘を置いて逃げ出し、娘はクズの暴力をその小さな体一身で受け止めていた。
クズは何でもエリート街道から外れ会社をクビ。
母親はそんなクズの金にしか興味がなかったらしく、金がなくなるや否や見切りをつけたそうだ。
彼女は「お酒を飲んでいないお父さんは優しくしてくれるから」と誰にも虐待を知らせることはなかった。
‐‐いや、俺だけは知っていた。
俺ならばきっと、助けることができた。もっと上手くやれば。もっと大きければ。もっと賢かったならば。
今ならばきっと救えた。
ただ、あの頃の俺は子供だった。単なるガキだった。
彼女はきっとおびえていたのだろう。
母親に見捨てられ、唯一となった肉親の父の家庭内暴力が露見すれば、父もきっとただではすまない、社会的制裁が与えられるのは日の目を見るより明らかだった。
当時の俺は、そうするべきだと、暴力を明らかにするべきだと言った。
しかし、彼女は頑なに受け入れなかった。
「一人ぼっちは嫌だから」
彼女は孤独になる恐怖よりも、肉体的な苦痛を受け入れた。
その結果、死んだのだから。
あの時、言ってやればよかっただろうか。
「お前は決して一人ぼっちなんかじゃない」
そう言ってやれば、彼女は助かったのだろうか。
人に言えば、過ぎたことだと言うだろう。
だけど、俺にはずっとずっと。
これまでも、そしてこれからも抱えるべき後悔だ。
昔を思い出し、悔いる。
「あの…」
我ながら陰気なもんだと自嘲気味でいると、ふと脇から遠慮がちに声がかかる。
「うん?」
見れば、横に居た美少女がこちらを不思議そうに伺っている。
「どうかしました?」
しまった、と思った。
さすがに相手が美少女だといえど、ジロジロ見られていい気分ではないだろう。
ましてや見ているのも知人に「お前といるとキノコが生えそうだ」とも言われたことのある俺だ。
そいつには「安心しろ。お前の頭のキノコは天然ものだ。刈り取ってもきっとすぐ生えてくるさ」と返しておいたが。
翌日、そいつはご自慢のマッシュルームヘアーを刈り取り、「経過観察よろしく」とかのた打ち回っていたのは余談である。
ともかく、そんな陰気な俺に見られていては彼女の不快感は計り知れないだろう。
「いや、失礼。あまりにもお嬢さんがお綺麗だったので、つい見とれてしまっていたよ。はっはっは」
所詮行きずりの相手だ、どうとでもなれと半ばやけっぱちの冗談をかましていると、少女はポカンとしている。
‐‐しまった、さすがに軽薄すぎたか。
少女は徐々に表情を柔らかくし‐‐笑った。
「フフッ」
決して俺への嘲笑ではなく、楽しげに。
本当だぞ。嘲笑じゃないぞ、と誰ともなく自らに言い聞かせる。
大事なことなのでもう一度。
決して馬鹿にされているわけではない、本当に楽しげに笑っている。
少女はフフフッと笑いながら右手の人差し指を鼻の下にあてがい、口元を隠して笑っている。
‐‐なんだその笑い方、漫画でしか見たことないぞ。
しかし、容姿端麗な美少女が行うことでとても自然に絵になっている。
「あー、おかしい。
もしかして私、口説かれてたりするんでしょうか。
ナンパってやつですしょうか」
ひとしきり笑い終えた彼女が愉快そうに尋ねてくる。
一見、凛然とした彼女だが笑うと可愛いらしい。
重たげな黒髪といい、ク‐ル系な彼女だが本人は結構陽気で可愛らしい印象を受ける。
「ああ、いや、うん。君みたいな娘が彼女だったら人生楽しそうだなぁと思って」
美少女はキョトンとしている。
‐‐受けがよかったので調子に乗ったが、今度こそ軽すぎたか?
ちょっとした後悔を抱きながら、彼女の顔色を窺う。
「人生が楽しそう、ですか…?」
軽いノリで吐いた言葉だが、彼女には思うことがあるらしい。
「あぁ、まぁそうだな」
「今は、あまり、楽しくないんですか…?」
たどたどしい口調で問われる。
‐‐人生、楽しい、か。
太陽とも呼べる幼馴染を失って以来、俺の世界は灰色だ。
何をしても楽しめない、没頭することができない。
彼女の質問、それはもちろんイエスだ。
「それなり、かな」
しかし、初対面の相手に「人生が楽しくない」などと相談するつもりもない。
相手が美少女ならばなおのことだ。
「そう、ですか…」
彼女は俺の答えに得心いかなかった様子だが、一応の返事はしている。
先ほどまでの笑顔と一転、伏し目がちだが。
‐‐これは頷くべきだったか…?
「だけどさ」
「はい?」
「可愛い娘、それこそ君みたいな娘と付き合えたらもっと楽しそうだなって思ってさ」
「…あははっ」
一瞬呆気にとられたようだが、美少女はまたしても笑い声を上げる。
どうやら彼女は軽薄なこのノリを嫌ってはいないようで助かる。
「うん、やはり君は笑っているほうが可愛いな」
「…もうっ!さっきから綺麗だとか可愛いだとかってあんまり言わないでください。
嬉しいですけど、その、照れるじゃないですか…」
‐‐可愛い。照れる様子が超可愛い。
少女は顔を伏せている、が先ほどまでの悲しげではない。なんせ耳が真っ赤になっている。
長い髪に隠れて表情までは伺えないが、耳と同じぐらい赤くなっていることだろう。
照れて真っ赤になったお顔が見れないことが非常に残念だ。
残念すぎて、背後から聞こえる露骨な舌打ちさえも耳には入らないぐらいだ。
あぁ、残念だ。
内心でニヤニヤとほくそ笑んでいると、ふと彼女の胸元に目がいく。
「おや、その校章は…」
「はい?」
「なんと。その校章は我が懐かしき母校の」
彼女の制服の胸元には俺と同じ高校の校章が縫いこまれていた。
「我が懐かしきって、同じ制服をきているじゃないですか」
俺は少女に言われて初めて気がついた、という体で自分の体を上から見下げていく。
「気がつかなかった、君は俺と同じ高校だったのかっ!」
「え、今まで気がつかなかったんですか?」
「うむ。なんせこの辺の高校の制服はどれも一緒に見えるしな。校章ぐらいでしか見分けがつかんよ」
俺は芝居がかった台詞を鷹揚に紡ぎたてる。
「そうですか?校章以外にもいろいろ違うと思うんですけど…」
俺の台詞を少女は否定する。
先ほどまでの仲睦まじさから一転、彼女との温度差を感じる。さすがに白々しすぎたか。
少しさびしい。
「まぁ、なんだ。制服なんて色は大体一緒だろ?だから見分けつかん」
俺は寒々しい演技を程ほどにし、通常通り会話する。
「そういうことにしておきましょうか」
俺が演技をやめると、彼女は慣れない手つきで腕組みし、ムンと胸を張る。
程よい大きさの胸が自己主張している。
うむ、俺好みのよい乳だ、Dカップぐらいありそうだ、などと考えていると少女は少し不安そうだ。
ノッてやらんとかわいそうだな。
「ははぁ、ありがとうございます」
敢えて棒読みを意識した俺の言葉に彼女は嬉しそうだ。
「うむ、苦しゅうない。褒美をとらす」
どこのお偉いさんだよ。
彼女は時代劇が何かで見たのだろうか、妙な芝居を始めている。
明らかに使い慣れてない言葉をたどたどしくつむぐ彼女は小動物的可愛さだった。
胸は決して小動物ではないが。
「ありがとうございます。俺は不二、不二 巽と申します。
お代官様のお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
我ながら強引な、下心丸出しな自己紹介だと思いつつも、相手の反応も悪くない。
さらには同じ高校と来た、ならこれを機に女子と仲良く、などと淡い期待を抱いていた。
「うむ、楽にせい。私は‐‐」
うまくいった!と内心ガッツポーズ。
すると無粋なアナウンスが響く。
それとほぼ同じくして、彼女は口を閉じる。
アナウンスが聞こえるようにとの配慮だろう。
場所も忘れ、彼女との茶番に没頭していたが、俺たちは電車を待っていた。
アナウンスは電車の来訪を示していた。
アナウンスが響くと、俺たちの後ろで混雑していた集団がザワザワと騒ぎ、蠢きだす。
電車もすでに視界に入り、もはや目と鼻の先だった。
しかし、どこの馬鹿がとちったのか、アナウンスが下がれと言ったにも関わらず列は大きく前に動き、俺たちは押し出された。
「うおっ」「きゃっ」
大きなうねりは俺たちを押し退け、線路へと押し出す。目の前の美少女を。
今なお、電車が走っている線路へと。
‐‐まずいと思った。
ホームに入り速度を緩めたとはいえ、電車はまだ走っている。きっと間に合わない。
仮に間に合ったとしても、あの態勢では線路に全身を打ち付け、どうあっても無事では済まない。
そう思ったら咄嗟だった。
咄嗟に少女の手を掴み、強引にひっぱりあげる。
少女の手は温かくて柔らかいな、とか肩が痛いなだとかいろいろと思った。
ただ、死にたくないな、とは思わなかった。
だって仕方がないじゃないか。
彼女を引っ張り上げる際に、俺自身が落ちていた。
それなら仕方がない。
彼女を助けようとして、俺が落ちた。
そう、仕方がないんだ。
だから、これは自殺じゃない。
‐‐だから、いいだろう?
これなら俺もそっちに行ける。
‐‐そうだろう、郁?
「タツミさんっ!」
美少女の泣きそうな叫び声だけが聞こえる。
‐‐しまった。名前、聞きそびれたなぁ…。
そんな暢気なことを考えて、俺は意識をなくした。
短編で何か書きたいなぁと思ったものの、あまり筆が乗らず。
だらだらと数話だけあげてみようかなぁ。
・・・連載は続く気がしません・・・。