この紙袋いっぱいの愛を
バレンタインになると、いつも思い出すことがある。
小学生のときに、クラスで一番チョコをもらっていた彼。
彼は、元気だろうか。
◇◆◇
私が小学校のとき、マラソン大会でずっと一番だった彼はいつも、ものすごい数のチョコレートをもらっていた。
四年生のときは、ついに紙袋を持ってきた。
親に持たされたのか自分で持ってきたのはわからないが、結構大きな紙袋、それを見たときはさすがに私も「うわぁ。」と思ったものだ。
子どもは正直だ。
かけっこが速いから。
他の子よりもたくさんもらっているから。
それがモテる理由になる。
子どもらしくて微笑ましい――かどうかはともかくとして。
とにかく彼は、その紙袋に足るくらいのチョコをもらっていた。
それは彼の才能でもらったチョコかもしれない。
あるいは、彼の努力で勝ち得たチョコかもしれない。
どちらかはわからないが、彼はやはり五年生でもマラソン大会で一番になった。
だから来年も彼は紙袋を持ってくるのだろう。
そう思った。
しかし、その予想は思いもよらない形で覆されることになる。
五年生の最後の頃、転校生がやってきた。
彼もまた、足が速かった。
六年生のマラソン大会では、一番にはなれなかったが、二番になった。
その後のバレンタインは、すごいことになった。
一番になった彼のチョコの半分が、二番の彼に移った。
一番の彼はその年も紙袋を持ってきたが、それはいっぱいにはならなかった。
いっぱいにならなかった紙袋を提げて、一番の彼は学校から帰っていった。
子どもは正直だ。
かけっこが速いから。
まだまだ知らないことの多い、外から来た転校生だから。
それがモテる理由になる。
彼は努力したのかもしれない。
はたまた、才能だったかもしれない。
子どもだから、そういったもので大きく左右されるのだろう。
けれど結局、それは大人でも似たようなものだろうと思う。
中学にあがるとき、その二人は別の学校に行ったが。
その後の話は、二人とも聞かない。
では、あの紙袋はどうなったのだろうか。
それは、私にはわからないが――。
◇◆◇
バレンタインになると、いつも思い出すことがある。
甘い匂いに、きらびやかな包装。
子どもも大人もひがんだり、笑ったり、もらったもらわないで様々な感情がうずまくその日に。
紙袋を見つけると、ふとその記憶がよみがえる。
小学生のときに、クラスで一番チョコをもらっていた彼。
彼は元気だろうか、と。