(14)食べっぷりでの婿判定
この作品は、2014.11.29~12.08にWeb拍手お礼SSとして掲載後、こちらに再収載した作品です。
美恵が、婚約者同伴で帰って来る日の午前中。家族全員揃って朝食を取り台所で後片付けを済ませてから、一心不乱に調理している美子に向かって、美野が控え目に声をかけた。
「あの……、美子姉さん」
「美野? どうかしたの?」
手を止めて軽く背後を振り返った美子に、美野が恐る恐る問いかける。
「さっきから何を作っているの? 今日のお昼は、どこかに頼まないの?」
その問いに、美子は明るく笑って答えた。
「あら、お昼はちゃんと頼んであるわよ? これは夕飯の分を早めに作っているだけだから、気にしないで」
「そうなの……」
「ここは手伝わなくて良いから、お客様が来るまで好きにしていなさい」
「……はい」
そうして素直に頷いた美野が引き下がり、廊下で待ち構えていた姉妹と合流したが、三人揃って難しい顔になった。
「てっきり、手料理でもてなす方針に切り替えたと思ったのに……」
「結局、美子姉さんがどこに頼んだのか、美実姉さんは知っている?」
「探りを入れたけど、全然駄目。薄笑いで完全黙秘」
「寒気がしてきたわ」
「私も、頭がちょっと痛くなってきたような……」
そんな弱気な事を呟いた妹達を、美実が軽く睨み付ける。
「二人とも、仮病は無しだからね?」
「本当だってば!」
「一応、熱を測ってみても良い?」
そんな娘達の会話を通りすがりに耳にした昌典は、軽く肩を竦めてリビングへと入った。
「やれやれ、大変だな。しかし本当に、美子は何をやっているんだ? 夕飯の支度は、客が帰ってからでも良いだろうに」
入って来るなり独り言の様に口にした昌典に、ソファーに座りながら美樹をあやしていた秀明が苦笑を返す。
「午後に、料理をする状態では無くなると予測しているのか、料理をする気が無くなると思っているのか、その他にも何か理由があるんでしょうか?」
「いずれにしても、穏やかでは無いな」
「同感です。詳細については全く聞かされていませんが、なるべく騒動が拡大しないように心がけます。最悪、力ずくで引き剥がしますから」
「頼む」
どうして結婚の挨拶だけでこんなに揉める予感がするのかと、秀明も昌典も理不尽な思いに駆られたが、両者ともそれをわざわざ口にしたりはしなかった。
そしてほぼ予定通りの時間に、美恵は男性を引き連れて帰って来た。
「ただいま。連れて来たわ。康太、姉さんよ」
「はじめまして。谷垣康太です」
なんとなく機嫌が悪そうな美恵が、横に立つ真っ黒に日焼けした五分刈りの男に美子を紹介した。それを受けて谷垣が頭を下げると、美子が笑顔で促す。
「まあ、わざわざいらっしゃいませ。どうぞお上がり下さい」
「ほら、上がって」
「失礼します」
そして美恵と谷垣が靴を脱いで上がり込むのを、美実達は少し離れた廊下の陰からこっそり窺いつつ、心の中で率直な感想を思い浮かべた。
(本当に美恵姉さん、随分趣味が変わったわね)
(日焼け、してるのよね? 顔も手も、黒いんだけど……)
(凄い大きいし、体つきもごっついなぁ。でも冒険家だけあって引き締まった体型だし、運動神経は良さそうだよね)
そんな三者三様な感想を妹達が抱いていると、美子の横に立って美恵達を出迎えていた美樹が谷垣を見上げ、次いで小首を傾げながら不思議そうに一言漏らした。
「……くま?」
物珍しそうに何度か瞬きしている美樹に視線が集まり、その場に沈黙が漂う中、少し離れた場所に隠れている彼女の叔母達は、密かに焦りまくった。
(美樹ちゃんっ!)
(どうしてそんなストレートに!)
(食べられちゃうから!)
しかし熊呼ばわりされた男は怒りだす事は無く、満面の笑顔になって足元を見下ろし、次いでしゃがみ込みながら美恵に問いかけた。
「お? 可愛いな。美恵の姪っ子か?」
「え、ええ。姉の子供よ」
「そうか」
「ちょっと康太! 何するの、止めてよ!」
しゃがみ込んで美樹と視線を合わせたと思ったら、谷垣がいきなり美樹の脇の下に両手を差し入れ、掴んだまま立ち上がった為、美恵は瞬時に顔色を変えた。しかしそんな制止の声など聞こえない風情で、谷垣が美樹を上下に抱え上げる。
「ほぉ~ら、くまさんだぞぅ、高い高~い」
すると一瞬驚いた様に目を見開いた美樹は、泣くどころか満面の笑みになって、上機嫌な声を上げた。
「きゃあ~! くま~、たか~!」
「お? もっとか? ほれっ!」
「うきゃぁ~っ! く~ま、たか~たか~!」
「ほい、ほいっと!」
「きゃはははっ!」
挙句の果て、美樹を空中に軽く放り投げては受け止める動作を繰り返し始めた谷垣に、美恵が癇癪を起こした。
「康太! いい加減に止めなさいっ!」
その叱責に、谷垣は手の動きを止めて、美恵に不思議そうな顔を向ける。
「あ? 何でだ?」
「今日は美樹ちゃんと遊びに、ここに来たわけじゃ無いのよっ!」
「名前は美樹ちゃんって言うのか。俺は別に、この子と遊ぶだけでも構わないんだが?」
「……あのね」
怒りでぷるぷると全身を振るわせている美恵の横で、これまで唖然とした表情になっていた美子は、ここで笑いを堪えながら妹を宥めた。
「美恵、そんなに怒らないの。美樹も下りなさい。そちらのくまさんは、大事なお客様なの。まずご挨拶しなさい」
そう言い聞かせられた美樹は、素直に谷垣に声をかけた。
「く~ま。した~」
「おう」
そして廊下に下ろして貰うと、谷垣に向かってぺこりと頭を下げる。
「こんに~ちゃ」
「ああ、こんにちは」
「こっち」
「美樹ちゃんが案内してくれるのか? お利口だなぁ」
奥を指差してとことこ歩き出した美樹に、谷垣は顔を綻ばせて大人しく付いて行った。更にその後を歩きながら、美子が小さく笑いを漏らす。
「なかなか面白い方ね」
「全く……、来る早々何をやってるのよ」
美子に並んで歩きながら美恵が頭痛を堪える様な顔で呻いたが、それは彼女の妹達も同様で、コソコソと二人の後に付いて座敷へと向かった。
「ど~ぞ」
「ありがとう、美樹ちゃん」
そして座敷に辿り着いた美樹は、早速空いている座布団の一つを谷垣に指し示した。それに礼を言って谷垣が座ると、正座したその膝に美樹がちょこんと座り込む。その間に遅れて入った美恵が谷垣の隣に座り、座卓の向かい側に座っている昌典に挨拶した。
「お父さん、お義兄さん。ただいま戻りました」
「ああ。美恵、今日はそちらの方を紹介してくれるそうだな」
そこで昌典の横に座っていた秀明が、谷垣の膝の上に居座っている美樹に笑顔で声をかけた。
「美樹、お客さんの膝に座っていないで、こっちに来なさい」
「や! くま!」
「…………」
しかし谷垣が妙に気に入ってしまったのか、美樹があっさりと秀明を袖にした為、秀明は忽ち笑顔を消して無言で両眼を細め、美恵を初めとする義妹達は揃って肝を冷やした。
(いきなり義兄さんの心証を悪くしてどうするのよ!?)
(美樹ちゃんっ……)
(子供だから仕方ないけど!)
(お願い、もう少し空気読んで!)
そんな中、谷垣は冷静に美樹に「ちょっとごめんな?」と声をかけ、軽く抱き上げて自分の横に座らせた。そして昌典と秀明に向かって、神妙に挨拶する。
「初めてお目にかかります。谷垣康太です。美恵さんとは一年程前から、お付き合いさせて頂いてます」
それを受けて昌典は笑いを堪える表情になりながら、機嫌が悪そうな秀明以下、一列に並んで座っている娘達を紹介した。
「丁重なご挨拶、ありがとうございます。こちらは長女の夫の秀明で、他は美恵の妹になります。こちらから順に美実、美野、美幸になります」
すると、谷垣も会釈しながら視線を走らせて、楽しそうに口元を緩めた。
「皆さん、初めまして。しかし美恵から聞いていた通り、バリエーション豊かなお嬢さんみたいですね」
「ほう? 美恵が他の娘達の事を、どう言っていたと?」
「それはですね」
「ちょっと、康太!」
「失礼します」
何やら聞かれては拙い事でも話していたのか、美恵が慌てて会話を遮ろうとしたところで、襖の向こうから声がかかって美子が姿を現した。それで否応なしに会話が中断し、美子は落ち着き払った動作で谷垣にお茶を出す。
「どうぞ。粗茶ですが」
「ありがとうございます」
「こちらが長女の美子です」
「はい、先程玄関で出迎えて頂きました」
「美樹、ジュースを持って来たわ。お食事の時に困るし、そろそろ谷垣さんの膝から降りなさい」
「うん」
そして挨拶が済んだ後は、再び谷垣の膝の上にちゃっかり座り込んでいた美樹を秀明の横に座らせ、それぞれの前にジュースや茶碗を並べた。そして緊張しきっている妹達に声をかける。
「美実、美野、美幸。そろそろ頼んだ物が届く頃合いだから、運ぶのを手伝ってくれない?」
「分かったわ」
「はい」
そして素直に立ち上がった三人を引き連れて美子が台所に戻ると、折良く誰かの来訪を告げるインターフォンの呼び出し音が鳴り響いた。
「あら、タイミングが良いわね」
そして受話器を挙げて短いやり取りをしてから、作業用のテーブル上に並べておいたお盆を三人に持たせて玄関へと向かう。そして戦々恐々とする妹達を玄関に残し、美子だけ門まで行ってそこを引き開けた。
「ご苦労様です」
「いえ、たくさんご注文頂き、ありがとうございます。中まで運びましょうか?」
「玄関先で結構です。妹達に奥に運ばせますので」
「そうですか。それでは早速お運びします」
白い作業着を着た若者が、ライトバンの後方から大型の岡持ちを二つ持ち上げて、軽々と玄関まで運び入れた。そして唖然とする美実達の目の前で次々と中身をお盆の上に並べてから、美子から代金を受け取って「まいどあり!」と上機嫌に去って行く。
「……美子姉さん」
「何?」
「本当に、これを出すの?」
お盆に乗せられた物を凝視しながらの美野の問いかけは、姉妹全員に共通の物だったが、美子はそれを一刀両断した。
「当たり前でしょう。ほら、ぼやぼやしてると冷めるから、さっさと運んで頂戴」
「……はい」
そして大人しくお盆を抱え持ちながら歩き出した美実達は、手元を見下ろしながら暗澹たる気持ちになった。
(これは駄目かも)
(美子姉さん……)
(やっぱり怒られても、今日は出掛けていれば良かった)
そして暗い表情で三人が客間に戻ると、どうやら残った面子でそれなりに話は盛り上がっていたらしく、昌典が機嫌良く声をかけてきた。
「お待たせしました」
「ああ、それじゃあ美恵。食事にするから、茶碗を片付け……」
そこで昌典が不自然に言葉を途切れさせたのは、娘達の手にあるお盆に乗せられた代物を目にしたからである。他の面々も当惑して黙り込んだが、美子は全く気にせずに冷静に指示を出した。
「美実、まずこちらに置いて」
「……はい」
そして座り込んだ美子は、持参したお盆を畳の上に置き、乗せていた金属製の長方形のバットの蓋を開けた。更に美実から受け取った蕎麦丼の蓋を取り、その麺の上にバットから菜箸で取り上げた海老天を二本と薬味を乗せる。
「じゃあ最初に谷垣さんにね」
「分かりました」
そして美子から準備ができた丼を受け取った美野は、神妙に谷垣の前にそれを出した。
「どうぞ」
「……なによ、これ」
(かけそばじゃなくて、まだ良かったかも)
(あんな大きな海老天が二本乗ってるから、一応一人前千円は越えてるだろうし)
(美恵姉さんの顔が怖い……)
こめかみに青筋を浮かべている美恵を見た妹達は、本気で肝を冷やしたが、そんな彼女達とは裏腹に、谷垣が歓喜の声を上げた。
「うわ!! 天ぷらそばですか!? 嬉しいな。好物なんですよ!」
「そうでしたか? それは良かったですわ。どうぞ、温かいうちに召し上がって下さい」
「はい! 頂きます!」
そしてこの間に美幸が揃えておいた箸を取り上げて、谷垣は猛然と蕎麦を食べ始めた。その様子に皆が唖然としている中、美子が他の者用の蕎麦を整えながら笑みを零す。
「上手い! これ、きちんと出汁を取ってますよね。やっぱり日本は昆布と鰹節の国だなぁ」
一気に半分ほどを食べてしまった谷垣がしみじみと口にすると、美子が笑いを堪える様に尋ねた。
「最近では海外でも日本食のお店は多くなった筈ですけど、やはり国内とは違いますか?」
「頑張ってる店には、偶に入りますがね。そういう店に当たった時は、嬉しくて泣いてしまう位ですよ」
「そうでしょうね。ご実家が料亭で、舌が肥えていらっしゃるみたいですから」
何気ない口調で美子が口にした内容に、谷垣は手の動きを止めて不思議そうに彼女を見やった。
「あれ? 俺の実家の事、美恵から聞きましたか?」
「いいえ、谷垣さんが開設しているブログを拝見しました」
「でもあの中で、実家の事とか書いてましたかね?」
尚も首を捻っている彼に、美子が笑いながら述べる。
「直接的には書いてありませんでしたが、話題に出されていた内容を総合的に判断すると、和風旅館か料亭かと推察しまして」
「そうでしたか。いやぁ凄い洞察力ですね、お姉さん」
本気で感心した視線を向ける谷垣に、美子は穏やかに笑いかけた。
「暫く海外に行かれていたみたいですし、今日は和食をお出しした方が、喜んで頂けると思いまして」
「ええ、もう、こんな本格的な蕎麦、最高です! 海外で食べるとただ真っ黒な汁や、明らかに市販のめんつゆを使ってる様な物を出される事もありますしね」
「ブログにも、随分腹立たしいコメントが載っていましたね」
「この海老天も衣がサクサクで、海老自体も身がプリプリしてて旨味を感じるし。本当に感動モノです!」
「喜んで頂けて何よりです。それからそのお蕎麦の他にも、お食事を用意してありますの。召し上がりますか?」
「はい、是非!」
美子の申し出に、嬉々として頷いた谷垣だったが、ここで美恵が慌てて会話に割り込んだ。
「ちょっと姉さん!? これだけじゃないの?」
「あら、当然でしょう? それでは少々お待ち下さいね」
後半は谷垣に告げて立ち上がった美子に、妹達は更なる不安を煽られた。
(絶対、気に入らなかったら、蕎麦だけで返すつもりだったわよね)
(やっぱり午前中に作ってたあれ、お昼用だったんだわ)
(取り敢えず良かったけど……、美子姉さんの事だから、まだ安心できない……)
「じゃああなた、美樹に食べさせていてね? ちょっと準備してくるから」
「……ああ」
そして蕎麦を配り終えた美子が立ち去って十五分程して、彼女が大きなお盆を手に再び客間に戻って来た。
「お待たせしました」
そうして谷垣の目の前に出されたお盆の上には、ご飯とお味噌汁は勿論の事、小皿や小鉢に六品並べた、質量共になかなかの物だった。
「うわ、久しぶりだな、こういう純和風のお惣菜。いただきます!」
「はい、召し上がれ」
空になった丼を回収して美子は自分の席に着いたが、その間も黙々と食べていた谷垣が、感心した様に感想を述べた。
「う~ん、胡麻和えも揚げ豆腐も、良い素材使ってますよね。一切手抜き感が無いのが良いなぁ。出汁もしっかり取れてるし」
「でもおもてなし料理とは、少し違いますでしょう?」
「いやいや、手の込んだ料理を食べたかったら、金を払って食べに行きますって。普段食べるなら、こういう寛いで安心できる料理ですよね。この茶碗蒸しも旨いですよ」
手に持っていた器を軽く上に上げつつ谷垣が述べると、美子は少し困った様に言葉を返した。
「ありがとうございます。でもご実家で食べておられた物の方が、美味しいのではありません?」
「それはまあ、食べ慣れている物の方が愛着はありますし。でもお姉さんの料理の腕もなかなかですよ?」
「それは嬉しいのですが、生憎美恵はあまり料理が得意ではなくて。私並みに作れると思われると、少々可哀相なのですが」
「……姉さん」
わざとらしく頬に右手を当てながらしみじみと述べた美子に、美恵は怒りの形相になり、その他の者は一斉に顔を強張らせたが、谷垣は平然と笑い飛ばした。
「そんな事はとっくに分かっていますから、大丈夫ですよ? 美恵は手抜き料理は上手いですが、手の込んだ物はいつも俺が作っていますから」
「……康太」
「あら、それなら良かったわ」
「ええ、安心して下さい」
一人顔を引き攣らせた美恵を無視するように、美子と谷垣が意気投合して「うふふ」「あはは」と笑い合い、傍目には問題なく谷垣が綺麗に料理を平らげていく光景を藤宮家の面々は眺めていたが、不穏な気配を隠そうともしない美恵を意識して(これで良いんだろうか?)と密かに頭を抱える羽目になった。
そして谷垣と美恵が帰った後、夜の時間帯になって美子の携帯に美恵から電話がかかってきた。
「今日のあれは、一体どういう事? 姉さん並みに料理ができなくて悪かったわね」
かなり棘のある口調にも動じず、美子は冷静に言い返した。
「本当に気にしていないみたいだから、良かったじゃない。それにやっぱり茶碗蒸しが好物みたいね」
「それがどうしたのよ?」
「結婚前に、先方の家にご挨拶に行くんでしょう? 一通り挨拶をしたら、谷垣さんのお宅の茶碗蒸しの作り方を教わって来なさい」
「は? 何よ、それ?」
いきなり脈絡の無さそうな事を言い出した姉に、美恵は困惑気味に問い返したが、美子は淡々と話を続けた。
「ご実家の料亭は、ご両親と妹夫婦で営んでいるから、未だにフラフラしている一人息子が万が一戻って来たりしたら、もの凄く面倒なのよ。分かるでしょう?」
「それは……、本人からも『帰省する度に肩身が狭い』とかの話は聞いてたし」
「だから自分で稼ぐから生活費の心配は要らない、風来坊の夫で構わない嫁なんて、家事がからきしでも諸手を挙げて歓迎してくれるわ」
「……何か今日で一番、ムカついたんだけど」
押し殺した声で告げて来た美恵に、美子が追い打ちをかける様に話を続ける。
「それにあなたは今まで周りからちやほやされる事ばかりで、仕事上では分からないけど、プライベートでゴマをすったり愛想笑いなんて芸当、まともにした事は殆ど無いでしょう?」
「ほっといてよ」
「だから茶碗蒸しのレシピを教えて貰いながら、それについての会話だけしていれば、無愛想な女なんて言われないわよ。それに『長く日本を離れた後に帰国した時位、美味しい茶碗蒸しを食べさせてあげたいので教えて下さい』とか言えば、なんていじらしい嫁だと泣いて喜んでくれるかもよ?」
そう言って小さな笑い声を漏らした美子に、美恵はもの凄く懐疑的な口調で問い返した。
「…………そんな事位で陥落させられる、チョロイ親だと思うの?」
「何か賭けましょうか?」
「止めておくわ」
即答した妹に美子は苦笑いしてから、口調を改めて話題を変えた。
「それから結婚したら、住む所はうちから徒歩三十分圏内にしなさい」
「何なの? その命令口調?」
「谷垣さんはあてにできないし、子供ができても働くんでしょう? 忙しい時や病気の時は預かってあげるわ。一人見るのも二人見るのも大差ないしね」
すると美恵は少し面白く無さそうに、ぼそりとある事を告げる。
「最寄駅の隣の駅から、徒歩五分のマンションを借りたわ。来月引っ越すから」
どうやら最初から当てにしていたらしいと分かった美子は、笑いを堪えながら、表面上は素っ気無く通話を終わらせた。
「そう。じゃあせいぜい頑張ってね。おやすみなさい」
そうして携帯を耳から離すと、正面に座って美子のやり取りを聞くともなしに聞いていた秀明が、苦笑しながら声をかける。
「あれはそれなりに気に入ったか?」
「そうね。蕎麦と言っても馬鹿にしないで、きちんと味わって食べていたし。何より食べ方が綺麗だったわ。汁物や掴みにくい煮豆をを食べたのに、箸も先から二cmしか濡らしていなかったし。料亭を営んでいる位だから、きっとご両親が厳しかったんでしょうね。稼ぎが無くても根性が曲がってないなら、大した問題は無いでしょう」
それを聞いた秀明は、正直(そんな事で納得するのか)と呆れながら感想を述べた。
「本当に、意外な所で豪胆だな」
すると美子は、何故か面白がる様な表情になって、僅かに身を乗り出しながら囁いた。
「ちょっとした秘密を教えてあげる」
「何だ?」
思わず内緒話をする様に、秀明も僅かに身を乗り出すと、美子は笑いを堪える様な表情のまま告げた。
「お母さんはね、お父さんの箸遣いが上手で綺麗に食べる所が、一番先に好きになったんですって」
その言葉に、秀明は一瞬当惑した表情になったものの、すぐに小さく噴き出した。
「なるほど。先達の教えに従ったって事だな。やっぱりお義母さんは偉大だ」
「そう言う事。美樹、くまさんは叔父さんになるみたいよ。今度来たらまた遊んで貰いましょうね?」
「うん! くま~!」
会話の内容は分からないまでも、また遊んで貰えると分かったらしい美樹が美子の横で元気良く頷き、秀明は(確かに子供にあれだけ懐かれるなら、変な人間ではないだろうな)と考え、次いでかなり自分らしくないその考えに、再度笑ってしまった。




