9.恋心
時刻が午後五時を過ぎた頃。陽もほとんど沈み、にぎやかな屋台や人並みも引っ込んでしまい、街にはいつもの静けさが戻ってきていた。その中を、俺と貫森は並んで歩く。
「夜には何もやらないのか、ここのお祭りって」
「うん。夏にはやるんだけどね、冬はどうしても寒いから」
張り巡らされた提灯を片付ける人、分解した屋台の骨組みをトラックに積んでいる人。それらを尻目に家路を辿っていくと、不意に吹いた北風が身を切っていった。
「そういえば冬なんだよなぁ」
それに季節を思い出しながら、今日一日を振り返る。貫森とクレープをもう一つ食べてからは、文化祭の参考という考えを捨て去って、普通にお祭りを楽しんでいた。とりあえず食べたい物を買おうと、俺はお好み焼きを、貫森は綿あめを買って食べる。それから射的でどちらがいい景品を穫れるか勝負したり、寒い中ヨーヨー掬いで手を濡らしたり、漫才大会を鑑賞したり。貫森はそのどれもで楽しそうな表情をしていて、それを見る度に俺もなんだか楽しくなった。こうしてみると、本当にデートみたいな一日を過ごしたのだが、不思議と変な意識は全然しなかった。ただ二人してハシャいだ事が純粋に楽しくて、何故だか嬉しい気持ちになったのだった。
「んー、冬だねぇ」
オウム返しのように呟き、貫森は暗くなりかけた空に白い息を吐き出す。その横顔を見ながら、彼女は今日一日どんな気持ちだったんだろうか、なんて考える。
「ん、どうかした? 前園君」
「……いや、今日は色々あったな、なんて思って」
視線に気付いた貫森は、首を傾げて聞いてくる。俺は適当に誤魔化した返事をする。
「あーそうだね。途中から文化祭とか関係なくなってたし」
「その割には、これは文化祭の重要参考資料だ、とか言って色んなもの食ってたけどな」
先ほど『文化祭接待費』を計算してみたところ、今日一日、二人で五千円も使っている事が判明した。食いすぎじゃね? とは思ったが、それでも学校から出た文化祭費用の二十分の一しか使っていない。なので二人の見解は、学校からの軍資金は出過ぎという証明になった、なんて結論に落ち着く事となったのだった。
「えー、前園君も食べてたでしょー」
「まぁな」
「ふふん、共犯者だね」
「別に誇れる事じゃないだろう」
「まぁね」
そこで貫森はテヘヘとわざとらしい笑顔を浮かべる。「まったく……」なんて呟きながら、俺も自分の頬が緩むのを感じる。
「それにしても……」貫森が話題を変えるように呟く。「出店の件、みんな納得してくれるかな?」
「あー、どうだろう。一応ちゃんとした理由はあるけど……」
クレープ屋、というまったく新しい意見を出し、それをあの濃いメンツが納得するかどうか。正直分からなかった。
「まぁ……どうにか納得させるさ」
「……ふふ」
しかしどうすればいいだろうか、と考えていると、不意に貫森が笑い出す。
「どうかしたのか?」
「いや、前園君も実行委員が板についてきたなって思って」
「ん、そうか……?」
「そうだよ~。うんうん、いい傾向だね」
貫森は頷いて見せるが、自分としてはそんな実感が湧かなかった。
――それから、出店の事をどうクラスメートに説明するかを話しつつ、俺と貫森は歩く。その間に夕陽は完全に沈んでしまい、街灯の光だけが道を照らす。最近はこうやって歩く事が多いな、なんてぼんやりと考えだした頃、見覚えのある道――いつも俺が使っている通学路に出た。
「そういえば、貫森の家ってどの辺なんだ?」
「ん? どったの、藪から棒に」
「いやほら、今は何となく駅まで案内してもらってる感じだけどさ、貫森を遠回りさせてないかと思って」
「あ、そういう事なら大丈夫だよ」そう言って貫森は明るい笑顔を浮かべる。「私ん家、いつも別れる交差点のすぐ近くだから」
「そっか。ならいいんだけどさ」
今いる場所からいつもの交差点までは歩いてすぐだった。しかしそれでも、俺を案内してなかったら、彼女がもっと早く帰れるルートがあったんじゃないかとも考えてしまう。
「ふふ、優しいね。前園君は」
「え?」
「何でもないですよー」
別に聞こえなかったから聞き返した訳じゃなく、俺のどこに優しさが感じられるんだ、という意味で発した疑問の言葉。しかし貫森はおどけてそう言う。それを聞いて、これ以上この話題に踏み込む事は何となく憚られた。
(しかし、優しい……優しい、ね)
俺としては「冷めてる」とかは言われた事があったが(ていうか昼間にそういう話題が挙がったが)、「優しい」と言われたのは初めてだ。なんだか新鮮な感覚がする。するのだが……。
「交差点に到着~」
考えているうちに、貫森の言葉通り、いつもの交差点に辿り着いた。
「ああ、到着だ。案内してくれてありがとうな、貫森」
「いいって事ですぜ、ダンナ。……それより、今日中に出店の案が纏まってよかったね」
お礼に対し、時代劇のようなセリフを返してくる。それからいつもの口調になる貫森。
「まぁでも本当に大変なのは明日からだけどな」
「そうだね~。でもそれも楽しいよ、きっと」
「そうだな。そうなるといいな」割と本心からそう言い、俺は手を上げる。「それじゃあまた明日。気を付けて」
「うん、また明日。前園君も気を付けてね」
同じように手を上げた貫森の姿を見て、俺は踵を返して駅への道を歩き出す。
「……前園君!」
と、その足が三歩目で止まる。
「文化祭の準備、頑張ろうね!」
振り返ると、貫森が近所迷惑なにするものぞ、と言わんばかりの大きな声を出す。
「……ああ、頑張ろう」
それに対し、自分としては大きめの声で同じような言葉を返す。貫森はそれを聞くと、大きく手を振ってから、俺に背を向けて走り出した。その後ろ姿が見えなくなってから俺も駅への道を再び歩き出す。
「……ふぅ」
そして夜空へと白いため息を吐き出した。
(多分、俺が優しいっていうのも、優しいって言われるような事をするのも……)
そこまで考えて、嫌が応にも自覚してしまった。
「貫森だからだよなぁ……」
彼女の仕草や表情の些細な変化がやけに気になり、色々な姿を見られる事が嬉しい。俺にかけられる言葉の一つ一つに対して、その意図や気持ちを妙に考えてしまう。そして何よりも、今日のように二人でいれる事が楽しくて仕方がなかった。
多分、結構前から思ってた事だけど、今になってようやく気付いた。というか照れとかそういうのを抜きにして、素直に受け入れられた。
俺、貫森の事が好きだ。