3.最初の帰り道
初冬の陽は足が速い。実行委員の会議を終えて学校を出ると、辺りには既に夜の帳が降りかけていた。
「意外とやる事が多いんだな、実行委員って」
「そうだねぇ。去年も大変だったよ~」
ポツポツと街灯が灯る道を歩きながら、俺と貫森は文化祭実行委員の事を話していた。
「資料もなんか分厚いし……」
「あはは、まぁねぇ。私、去年半分くらいしか読まなかったよ、それ」
俺が持つズッシリとした重みのある資料を指して、貫森は朗らかに笑う。
「俺は半分も読む気しないなぁ」
ペラペラと資料をめくる。とりあえず大きな項目に関しては、先ほどの会議で話していた事が書かれている事は分かった。しかし少し詳しく内容を読み進めていくと、そこには憲法のような文体で細かい文字がところ狭しと躍っていて、甲が乙とか乙が甲とかいう文まで出てくる始末だ。理解する気を根こそぎ奪われる。
「これ書いたの絶対に教頭だな」
「あー、教頭先生、こういうの書きそうだもんね」
学内では堅物と知られている教頭がせせこまとこの文章を打ち込んでる姿を想像してみると、ものずごくしっくりきた。ついでに谷崎が教頭に怒られている姿も想像して、その原因となった朝の事を思い出してしまう。その事を頭から追い出す為、落ち着かない気持ちで俺は別の話題を振った。
「しかし楽しそうだな、貫森は」
「え、そう?」
「ああ。すごくイキイキしてるように見える」
貫森はその言葉に「うーん」と唸りながら、顎に人差し指を当てて暗い空を見上げる。妙に似合う姿だな、なんて思った。
「まぁ、大変だ~って言ってもさ、こういう行事が好きだからね。それにさ、ちょっと忙しい方が楽しくない?」
「ん、ん~……、そうかもな」
「前園君はこういうの、楽しくない?」
「そうだなぁ、楽しいかどうかだったら断然楽しいけど……でもやっぱり面倒だな。やる事多くて」
「その面倒を楽しんでこそ! だよ、前園君」
そう言ってにこやかにサムズアップしてみせる。沢村の場合は憎たらしかったけど、貫森のその動作は何だか元気をくれた。
「……そうだな。折角だし、楽しまないと損だよな」
「そーそ。おもしろき、こともなき世をおもしろく……だよー」
住みなすものは心なりけり~、と誰だったかがつけた下の句まで詠い、貫森は「にひひ」という擬音が可愛らしく似合う笑顔を浮かべる。本当にこういう行事が好きなんだな、と俺はぼんやり思った。
「じゃあ早速、少し文化祭について何か決めるか」
「うんうん、その意気だよ」
貫森の言葉を受けて、俺は会議で聞いた事とホームルームで決めた事を思い出す。
「とりあえず、ウチは出店をやるって方向で決まってたよな?」
「うん、文化祭の王道だね」
「って事は、みんなに衛生管理の検査をやってもらうようだな」
「それから出店で何を作るのかっていうのも決めないとね」
「だな。結局、今日は全く決まらなかったし」
「それも明日決めるとして、そしたら借りる器具と材料の予算なんかも決めないと」
「うーん、やっぱりやる事が多いな……」
こうやって話してみると、やる事が次から次へと出てくる。それを全部こなしていかなきゃいけないとなると、やっぱり少し面倒だと思ってしまう。
「多く感じるけど、一個ずつクリアしていくといつの間にかに無くなってるものだよ?」
「そういうもんかね」
「そういうもんですよ」
貫森は自信満々に頷いてみせる。それを見て、確かに貫森とならそうなるかもな、なんて少し思った。こんなに楽しそうな女の子と共同作業が出来るのも、もしかしたらかなりラッキーな事なんじゃないかとも思えた。
それから貫森と、明日の内に決める事をまとめながら歩く。大体は真面目に、たまに貫森がおかしな事を言って、それに俺がツッコミを入れて……なんて、そんな風に。それはすごく穏やかな時間で、うまく説明は出来ないけど、何だか心が温かくなるようだった。
「…………」
「…………」
こんな時間がずっと続けばな、なんてらしくもない事を考え始めたけど、時間は止まらずマイペースに進み続ける。……朝に出会い頭の事故を起こした交差点まで歩き着き、俺たちはそこで気まずくなって黙ってしまった。
「あー、えっと……貫森の家はあっちだよな?」
「うん、そう、だよ……」
照れくさそうに少し俯いている貫森は、俺が指した方を見て頷く。
「俺は駅だからここでお別れだけど……その、送ってこうか?」
「や、大丈夫、大丈夫だよ。私、こう見えても昔はお転婆で有名だったんだから」
「そ、そか」こう見えてもっていうか見たまんまだろ、とか何とかツッコミの言葉が頭に浮かんだけど、口から出たのはそんな言葉だった。「それじゃあまた明日な、貫森」
「うん。また明日ね、前園君」
別れの挨拶を済ますと、貫森は小走りに走り去っていく。その後ろ姿をしばらく眺めてから、俺は一つため息を吐く。
「なんていうか……」
呟いてから駅への道を歩き出す。ローファーがアスファルトを叩くコツコツという音。それが、もう夜の暗さに支配された街並みに溶けていき、その残響を物寂しげな風がさらって行った。
「……実行委員も悪くないかな」
そして黒い夜空に向けて、俺はそんな現金な言葉を吐き出すのだった。