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1.始まりはそんな感じ

夏くらいに書き終わった冬の話です。書き溜めって便利。

 例えば桜を見て春だと思う事。例えばセミの鳴き声で夏を感じる事。例えば金木犀の香りで秋を感じる事。例えばストーブの匂いで冬だと実感する事。それらの事は当たり前でありきたりな感傷で、誰しもが何らかの形で、三、四ヶ月ごとに思うだろう事だと思う。

 でもそこから少し離れ、例えば春一番でいちごパンツに恋したりだとか夏祭りで浴衣姿の異性の同級生にドキッとしたりだとかイモを食べたらオナラが出ただとかコタツでオナラをしたら中にいたネコが飛び出してきただとか、そういう事になると、ほとんどの人が体験した事がないものになっていくんだと思う。

 日常では確かに起こりうるだろうけど、多分その発生率はそこそこ以上に低いものなんだ、と。俺はそう思う。いや、思っていた。

 だからこそ、こんなお粗末でありきたりな、お約束な、絵に描いたような、空想のような展開には頭が着いていかなかったんだと思う。

「……それで、何をしているんだ、お前は」

「何って……何だろうね? お馬さんごっこ?」

 ――冷気が容赦なく身を刺す冬の午前八時、高校への通学路、見通しの悪い交差点。

 歩道に仰向けに倒れる俺。Tシャツ、Yシャツ、ブレザー、セーター、コート越しにアスファルトの冷たさが伝わってくる。唯一防寒具のない頭にはゴツゴツとした感触が直に伝わってくるので少し痛い。別の意味でも少し痛い。

 そんな俺のお腹の下辺り。そこに一人の女学生が馬乗りになっている。女の子特有の柔らかさと人肌の温かさが厚い防備を貫いてくる。ついでにスカートから覗く足がかなり際どい部分まで露になっている。いわゆる見えそうで見えない、という非常にエマージェンシーな状態だ。

 努めて灰色の空を見るようにして、もう一度女学生に尋ねる。

「……それで、何でこうなったんだ、お前」

「何でって……何でだろうね? 見通しの悪い交差点での衝突事故?」

 変な会話をする俺らを尻目に、同じ高校に通う生徒たちが通り過ぎていく。今までお喋りをしていたグループやカップルも、一様に俺たちの近くを通る時は無言になって。

「なぁ、これってさ……いわゆる一つの……」

「うん、曲がり角で衝突、そして騎乗位へ……ってやつだね」

 マジかよ、そんなのが現実であり得るのかよ、確率的にこういうのって何分の一で起こるんだ……と思考が現実から目を逸らそうとするが、踏み止まる。それよりも、今は柔らかさとか温かさとか見えそうで見えないせいで、下半身にいるもう一人の自分が自己主張を始めそうで怖かった。

「とりあえず立たないか、貫森?」

「あ、うん、そうだね、前園君」

 俺……前園拓郎(まえぞの たくろう)に跨がっていた女学生――貫森春乃(ぬくもり はるの)は、その言葉を受けて立ち上がる。そして少し恥ずかしそうに俯きながら、制服についた砂ぼこりを払う。

 それを確認して俺も立ち上がる。ついでに貫森が立ち上がる際に見えた白色について、記憶から消すべきか悠久に残しておくか少し悩んだ。

「おはよう、前園君」

「ああ、おはよう貫森」

 とりあえずその件に関しては保留……だけどいつか答えを出すために残しておくとして、立ち上がった俺たちは朝の挨拶を交わした。

「今日も寒いね」

 何事もなかったのように他愛のない話をしてくる。

「ああ。でも空気が澄んでて爽やかだな」

 俺もそれに合わせる。

「じゃ、学校行こっか」

「そうだな」

 そして恋人のような(?)会話を交わして、俺たちは学校へと向かった。



 貫森春乃は俺の同級生で、同じクラスの女の子だ。性格は明るく前向き、小さな事は気にしないタイプ。それから少し飄々……というか、掴みどころがない一面があり、真意が読めないところもある。身長はクラスの女子の中で七番目に低い。つまり平均的。バランスがいい、と表現するのが一番だろうか。また、彼女のまとう不思議な雰囲気のせいか、男連中の人気がそこそこ高い。俺個人の評価も結構高い。

 そんな俺の気持ちを知らず、先ほどのやり取りはなかった事として、貫森は屈託なく俺に話しかけてくる。それに対してやや投げやりな受け答えをしながら歩く。

 二人が事故った交差点、やや長い上り坂、色々なルートが合流し生徒で賑わう校門、陽の差し込む昇降口、約十メートルの高度を登る階段、ちらほら顔見知りのいる廊下。それらを通り過ぎ、俺と貫森は三年A組の教室にたどり着く。そして室内に足を踏み入れた途端、何人かの目がこちらに。

「ほんじゃね、前園君」

「ん、ああ」

 貫森はそれらを意に介さず、パタパタと自分の席へ駆けていく。俺ものんびりと自分の机へと向かう。

「や、また会ったね前園君」

「ん、ああ……席、隣だしな」

 自分の机に鞄を置くと、実は席が隣同士の貫森に再会の挨拶をされた。どこかおかしな会話だ。そんな事を思いつつ、仲の良い女子グループの元へと向かう貫森を尻目に、俺はコートを脱いでたたむ。

「よーよー、前園拓郎君」

 と、どこかのヤンキーみたいな口調で俺に話しかけてくる男子が一人。

「……何かな、沢村君?」

「ちょっとちょっと、お兄さん見ちゃいましたよぉ」同じように君付けで返してやった俺の言葉に、今度はおばさんのような口調になる。「爽やかな朝の交差点で熱ーいひと時をお過ごしだったでしょう?」

 大方の予想はついていたけど、やっぱりその話か。

「あれは事故だ、事故」

「……事後?」

「事故! 言葉を濁すな!」

 とんでもない事を言ってのけたこの男の名は沢村という。一年生の時から同じクラスで、よくツルんでいる悪友のような存在だ。黒の短髪に精悍そうな顔つきと、一見すると爽やかスポーツマンといった外見をしている。しかし中身の方は出歯亀というか野次馬根性丸出しというか、とにかく人の恋愛話が大好物という困った性格をしているのだった。

「え~、事故かよぅ。でも事故であんなんになるのか?」

「普通はならないと思う。思うけど……相手は貫森だぞ?」

「……あ~、じゃあなるかもな」

 納得した様子の沢村。自分で言っといて何だけど、それで納得される貫森が何気にすごいと思う。

「しかし拓郎。事故とは言えどもあんなおいしい状況になって、得るものがあったんじゃないのか?」

「…………」あんな人の多い場所で晒し者のような状態になって得るものなんてあるか、と言いたい。しかし残念ながら、あの柔らかさとか温かさとか白とか、それなり以上に得る物はあった。……が、実際にそれを素直に言うのは人としてどうかと思うので、曖昧に答える事にする。「……それはそれだ」

「ふふん、おませさんめ」

「とりあえずお前には言われたくない」

 俺はそう言って、たたんだコートを教室にあるロッカーへしまいに行く。その途中、ポニーテールを作ろうとしているのか、髪の毛を後ろ手で纏めている貫森と目が合った。すると彼女はピョコピョコと纏めている髪を左右に振ってきた。

「…………」

 普通に手を振り返してみたら、不服そうな表情をされた。……どうしろと言うんだ。

「しかし、お前もなかなかすごいよな」

 首を傾げながら自分の席へ戻ると、沢村が神妙な顔つきで俺の机に腰掛けていた。

「何がだよ?」

「ほら、お前、何つーか……貫森とばっちり話せてるからさ」

「話せてるって……別にみんな普通に話してんじゃん」

「いや、確かに話せるんだけど、何かが違うんだよなぁ。どこかズレるんだよ、俺と貫森が話すと。だけど拓郎とは自然っていうか、波長が合ってるというか……」

「それ、俺がズレてるって言ってないか?」

「ああ、そう言ってる」

「……少しは言葉を濁せよ」

「まったく、お前はああ言えばこう言うタイプだな」

「うん、本当にお前にだけは言われたくない」

 そう言って机から沢村をずり落とし、それから先ほどの言葉について考える。

(普通に話せる……ね)

 俺としては別に特別な事をしているつもりはないけど、周りからはそんな風に見えるんだろうか。というか、俺は貫森並みにズレてるんだろうか。

「ま、何はともあれ、だ」沢村は床に打った尻をさすりながら立ち上がる。「もしも何か甘酸っぱいものがあるならいつでも言ってくれ。力になるぞ」

 その言葉に少しドキッとする。確かに俺は貫森の事が、好きとまではいかないにしろ気になっている。顔がどうとか性格がどうとかいう訳でなく、彼女の纏う不思議な雰囲気に惹かれている。まぁ、だからといって何か行動を起こす訳でもないのだが。ただ、隣の席になれた事や今日の朝のようなハプニングを嬉しく思うだけに留まっている。……だけど『自然だ』なんて言われてしまうと、俺にもこれ以上の仲に進展するチャンスがあるのかも、なんて思ってしまうのも確かだった。

「……機会があればな」

 そんな本心を悟られまいと、俺は沢村に曖昧な言葉を返した。


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