夏野優輝――Ⅲ
『藍さんが入室しました』
「ぉ……」
優輝は小さくそう呟くと、すぐに挨拶の言葉を入れて藍に話しかける。
『こん』
藍は、最近このチャットで優輝が仲良くなった人物で、ほぼ常連の優輝とは逆に、まだ来てから数日間ぐらいしか経っていない。しかし、藍は優輝と同じ年齢なうえそこそこ話も合う為、こうして話すようになったのだ。
『今日は何をしてたの?』
とりあえず、当たり障りの無い質問を投げかける。
『今日は学校が無かったから、いつも通り秋葉でうろうろしてた。優輝は?』
返信が返ってくる。それも見て、優輝は少し驚いた。秋葉といえば、たった今優輝が居たところではないか。なんと、そこに藍も行っていたらしい。
『そっかぁ。僕も今日は学校が無かったから、外出してたよ。しかも、偶然にも秋葉!』
『まじで!? 俺はついさっき帰ってきたんだけど。もしかしたら、優輝とニアミスしてたかも……』
『ありえる! それで、恭介は何をしに行ったの? 僕は、ちょっと今やっているオンラインゲームの特典が欲しくて、秋葉の電気屋でゲームのソフトを買ってたんだけど』
『俺は別に目的は無いよ。暇だったから、ちょっとぶらぶらして秋葉を散策してただけ。学校行ってもあんまり楽しくないしね。特に趣味とかも無いから。それで、優輝が言ってる特典っていうのは、あのこないだ聞いたゲームの?』
――――暫くそうして話をしていると、不意に電車の電車のアナウンスが優輝の耳に入ってきた。大分熱中していたようで、周りの乗客は他の駅で降りたのか数が減っている。座席にもぽつぽつと空白が目立つようになってきた。
「あ、やば……」
電車がゆっくりと減速していき、やがてその動きが完全に停止した。先ほどアナウンスされた駅は、丁度優輝が帰るために降りなければならないところだ。
『はいはーい、それじゃ落ちる』
優輝は話をキリのよいところで中断させると、退出ボタンを押してチャットから出た。携帯の電源ボタンを押してインターネットとの接続を切ると、携帯を閉じてポケットに入れる。
ドアが閉まってしまわないうちに優輝はすぐに電車から降りる。すると、すぐに冬の寒さが優輝の身体を襲った。電車の中は暖房が良く効いていてとても心地良かったのだが、外に出れば一転身を引き締めるような寒さ。
「寒い……最悪……」
優輝は身体を温める事も兼ねて少し走り気味に駅から飛び出た。優輝の家があるこの街は、秋葉から一時間ほどの場所にある、伏見という名前だ。一応首都圏の範囲内であるのだが、この街だけはまるでその時代の変化に取り残されたようだった。あまり開発が進んでいないおかげで、周りには緑がかなり残っていて、まさしく都会の中の田舎といった感じだろう。
ぽつぽつとまばらに田んぼが広がっていて、その間を縫うようにして広がっている道を優輝は駆け抜けていく。
何人かの人とすれ違う。どの人もラフな格好で、のんびりと散歩を楽しんでいるようだった。
恐らくは、観光客だろう。優輝はその人達を見ながらふと考えた。
この街は比較的空気も良く、星も良く見えるため意外に観光客は多い。
それに、主要な街へも電車で行けるので交通の便も悪くは無い。特別何か特産等があるわけではないが、この街で営業している旅館はそこそこ儲かっているのだろう。
優輝は少し走る速度を落とす。冬であるにも関わらず、額からは一筋の汗が伝ってきていた。当初の、身体を温めるという目標は達成出来たものの、流石に疲れが出てきた。しかし、優輝はその足を止める事は無い。
汗が着ている服を湿らせているおかげで、冬風が余計に身に染みる。
これでは本末転倒だ。優輝は小さく息を吐くと、また足に力を込め一気に走り出す。
綺麗な夜空の下に、小さな呼吸音と軽いリズムを奏でている足音が響いていく。優輝は額に当たる風を心地良いと感じながら、田舎の道を走っていく。
ところどころにある民家からは灯が漏れている。この街の人口はやはりあまり多くなく、恐らくは百人程度しかいない。それでもこの街にそこそこ人が見られるのは、旅館の従業員であったり、観光客であったりが多いからである。それ故に、そういった人の活動が怠惰になる朝方や、夜遅くになるとこの街は一気に静まり返る。
さっきは人を見かけたが、後一時間もすれば外を歩く人は見かけなくなるだろう。
――優輝はそんな人気の無い道を五分間程走り続けると、やがて足を止めた。
目の前に見えるのは、この街に唯一あるマンション。優輝が住んでいるマンションだ。現代風な造りをしている七階建ての物件。もちろん、賃貸だ。
優輝は元々、この街に住んでいたわけではない。
しかし、二年前に優輝の父親がこの街に惚れ込んだおかげで、夏野一家はここに引越しすることになったのだ。当初は、優輝と優輝の母親が反対したのだが、このマンションは数年前に建設されたもので、そこまで古くは無いうえ、母親の通勤、優輝の通学にも不便が無いため、二人も渋々ながら了承したのだった。
今となっては、この街もそれなりに過ごしやすいから不満は無いのだが、強いて言えばやはり若者にとっては何も無いというところがネックだった。
優輝はマンションの中に入ると、自動ドアのロックを鍵を差し込んで開けた。念のため、近くに誰かが居ないかを確認する。
といっても、この時間帯に出入りする人なんてほとんどいないだろう。
優輝は閉まり始めるドアに慌ててその身を滑り込ませる。