帰還 2
やがて目の前の景色だけじゃなく、俺自身も歪み始めた。身体の全部が溶け出すって感じだ。ハンパなく気持ち悪い。いかにメリットがあるからと言われても、俺は二度とゴメンだ。今回のことは不測の事態だとしても、こんな移動を何回も繰り返してるビクトールの神経が解んねぇ。
その内、辺りの景色が定まり始めた。やはりそこは病院のようだ。二人部屋みたいで、しかもなにげに豪華っぽい。状況を考えたら自損事故だろ? 病室が他に空いてなかったのかもしんねぇけど、こんな部屋で俺たちいったい何日くたばってたんだ? 俺はここを出た後の借金生活を考えて思わずため息をついた。
【お疲れさまでした。もう動いても大丈夫ですよ】
ビクトールの声に促されて、俺は改めて部屋を見回した。扉に近いベッドの方には何だか祈っているようなポーズの宮本が固まっている。その横には同じ女顔の魔術師。結構シュールな光景だ。にしてもお前、そんな格好をして、こっちでも魔法使うつもりか? 大体、魔道書もなしで何唱えられるってんだ。ぷっと吹き出した俺は、次に俺のドッペルの様子を見てぶっとんだ。
【てめぇ、何してやがんだ! そいつはフローリアじゃなくて薫だ!!】
俺のドッペルはあろう事か薫とキスしてやがる。俺はあわてて薫を王子から引き剥がした。
【ビクトール、こいつは状況が解んねぇから眠ったままにしてんじゃなかったのかよ!!】
そう怒鳴った俺に、ビクトールは
【落ち着いてください鮎川様】
と、何とものんきな返事をしやがるが、俺の目の前で、しかも俺のドッペルに薫の唇が奪われる。そもそも俺はまだ、こいつとキスした事なんてねぇんだよ。コレが落ち着いてなんかいられっかよ!!
【まだ、唇はくっついてませんでしたよ、未遂です】
未遂とかそういう問題じゃないだろっ! それって俺たちが一瞬戻って来るのが遅かったら、終わりってことじゃんかよ!!
【殿下へのSleepの魔法はちゃんとかかってますよ。それにおそらく位置づけから考えると、どうもフローリア様の方から殿下に唇を寄せていると言うのが正しいのではないでしょうか】
【何で薫の方からキスしなきゃなんねぇんだよ。それに、どうでもいいけど、こいつの名はフローリアなんかじゃなくて、薫だ】
【あれ? 殿下とフローリア様がご成婚されたのですから、鮎川様とフ、カオル様でしたっけ、その方も近々ご結婚されるのでしょう? 行き着くところまで行ってしまうのは問題ですけど、キスぐらいは、されないんですか?】
鮎川様は意外と真面目なんですねぇとビクトールはちょっっとびっくりした様子でそう言った。ふんっ、婚約者なら当然ありだろうけどよ、薫と結婚する予定はねぇよ。それどころか、付き合ってもいねぇ。大体、ただの会社の同僚の薫が俺の病室にいて、宮本の見てる前でキスをする。何がどう転がったらそんな事態になるのか、俺が一番知りたいぜ。
【ま、その真相は直接カオル様にお聞きください。私はそろそろ殿下をお連れして失礼します】
あ、逃げるなこいつと、思いつつビクトールを見ると、やつは軽くだが肩で息をしている。そういやこいつさっきからずっと時間止めてたんだっけ。無駄話をしている体力はないって事か。
そして、王子を魔法で宙に浮かせたビクトールは、王子が着ていたパジャマを脱がせ俺に渡して着るように促す。王子の着ていたものをそのまま着るのはあまり気が進まないが、一瞬で違うものを着ていたことになるので別のものを着るわけにはいかないかと、さっさと着替えて、それまで着ていたスーツはとりあえず丸めてロッカーに放り込む。
そして、時間を止める前と同じように薫をベッドの脇で俺とキスする様に顔を傾けさせると、俺はドッペルの寝ていたベッドに滑り込んだ。
俺は、無防備な薫の首根っこをしっかりと抱いて、その唇に食らいついた。どうせお前、寝てる俺にキスするつもりだったんだろ、薫。なら俺からしてやるよ。
ビクトールがくすっと笑ったのが聞こえた。
【では、鮎川様、このたびは本当にお世話になりました。鮎川様もどうかお幸せに】
そして、ビクトールはそう言うと、宙に浮かせたままの王子と一緒に景色に泥むようにすーっと消えていった。