虎の穴?
「そうなのよ、夕方渋谷でね。お腹空かせてたからとりあえず連れてきただけなの」
トールがさっさとカミングアウトしちゃうもんだから、私も渋々真相を爽太に告げる。
「じゃぁ、何で息子だなんて言ったんですか」
「だって、そうでも言わなきゃ係長諦めないでしょ」
「爽太です! 役職では呼ばないでくださいって言ってるでしょ」
爽太は、私が係長と呼ぶことをいつものように怒った後、
「真澄さん、正直に言ってください。僕のこと、ホントは迷惑ですか?」
ものすごく悲しそうな顔でそう言って深くため息を吐いた。
「よくよく考えたら、僕のしてることってパワハラですよね」
と、マジで落ち込んでいる。
「迷惑とか、そんなじゃないわ」
迷惑だなんて思ったことはない。ただ、自分が大会社の御曹司に見初められるほどのもんじゃないと、そう思うだけだ。するとトールがいきなり、
「逆です。マスミは、ソウタが好きだから離れようとしてるんですよ」
と口を出してきた。
「トールっ!」
よ、余計なこと言わないでよ。私がたぶんものすごい顔で(自分の顔は自分では一番分からないもん)睨んでいるだろうに、ちっとも動じない様子で、トールはさらに続ける。
「貴族でも王家に嫁ぐのは勇気が要るのです。市井からならなおさらだと思いませんか」
爽太は、そんなトールの言葉に、
「王族とか調子狂うなぁ、だから、そんなご大層な家じゃないって。確かに、本家のばーさんは旧華族らしいけど。別に気にしなくて大丈夫、大体、俺たち母子がばーさんには認められてないんだから。ああそうだ、側室と言えば君も理解できる? 僕の母は側室なんだよ」
と返した。その言葉に、トールは一瞬びっくりしたようだけど、すぐに得心した顔になった。それを見た爽太は呆れ顔で、
「まったく、どんだけファンタジー頭なんだよ」
と独り言のように呟いた後、
「僕は親父と同じ轍は踏みたくない。親父もお袋もある意味被害者だと思うし。僕たちのことはきっと応援してくれるはずだから」
と私の手を取り、
「僕には真澄さん以外考えられないんです。僕のこと何とも思っていないのなら仕方ないですけど、トオル君の言うように少しでも想ってくれてるのなら、もう一度考えてみてくれませんか」
その取った手の甲にキスを一つ落とすと、
「真澄さん、僕と結婚してください」
と改めてプロポーズしてきた。
「ホントに、わ、私で良いの?」
いきなりトールのファンタジーが乗り移ったようなその仕草に、私は若干噛みながらそう聞く。
「ええ、新人研修のときから僕にはあなたしか見えてませんでした」
そう言った爽太の顔はさっきとは打って変わって自信に満ちている。私が嫌ってないと確信したのだろう。そして、
「マスミ、思い切って飛び込んでしまいなさい。日本では、そう言うのを『虎穴に入らずんば虎児を得ず』と言うのでしょう?」
と、トールまで私の背中を押す。『虎穴に入らずんば虎児を得ず』? ちょっと意味は違うと思うけどな。
「うん……私で良いなら、その……結婚しても……良い……」
私がやっとこさでそう言うと、爽太は私をぐっと引き寄せて、
「それホントですね。もう、撤回なんてなしですよ。ああ、やっと捕まえた」
と言って顔を近づける。それにしても顔近すぎっ! 横でトールが見てるし。それでなくてもここは脇道ってっても往来で、ジモティーはこぞって抜け道に使ってるんだよ。私の頭が真っ白になったその時、
「真澄、おめでとー!! 阪井くん、やったじゃん」
私の後ろからいきなりそんな声がした。千絵だ。爽太も驚いて、慌てて私を解放する。いつから見てたか知んないけど、今はちょっと千絵に感謝だ。
バツの悪かった爽太は、
「それにしても、その例えはないんじゃない? ウチはいくらなんでも『虎の穴』ほど酷くないんだけど」
と、トールに八つ当たりしている。トールの日本語の教科書がアニメとかだと踏んだんだろう。だけど、実際アニメなんか絶対に見たことがないトールは、ポカンとしてそれを聞いている。私は、千絵と(今日何度目だろ)顔を見合わせて、盛大に吹いた。
「でも、トールってホント子供らしくないよねぇ」
千絵が笑いながらそう言うと、爽太が
「そうだよ、君、一体本当はいくつなの?」
としかめっ面でトールに尋ねる。
「11です。もうすぐ12にないますが」
「12って、それでもまだ小学生じゃん……」
それにしちゃ、君のしゃべり方って、およそ小学生じゃないよねと、爽太が言う。でも、トールは小学生という言葉にも首を傾げる。それで、
「あれ? トールの世界には学校はないの?」
と千絵が聞くと。
「ありますよ。ですが、学校にはもう行ってません」
と言うトール。
「えっ?」「へっ?」「はぁ?」
トールって実は引き籠もり? と思ったとたん、私たちは続く、
「全ての課程を履修したので」
という彼の答えにぶっ飛んだ。
「「「はぁ~っ!!?」」」
私たち3人があんぐりと口を開ける中、トールは
「時々王城にいく位で、あとは自宅で魔法の研究をしてます」
と、別に何でもないことのように言ったのだった。
あっちの教育事情は分かんないけど、それって地球で言えば飛び級して博士号でもとってるってこと!?
そりゃ、いきなり話せるようにもなるかもしれない。私はそれを聞いて逆にそう納得してしまったのだった。