あーあ、地雷踏んじゃった 2
お、終わらない……
『ねぇ、阪井くんって、阪井って名字だけど、実は社長の息子さんなんですってよ』
『それ、ホント』
『なんでもね、今回のプロジェクトが上層部参画の試金石らしいわよ』
『ふーん、だとしたら、高田さんうまいことやったよね。彼女、阪井くんと付き合ってるらしいよ。入社したときから、手取り足取り熱心だったもんね。ま、あたしたちには会社でなりふり構わず大人の色気を振りまいて手玉に取るなんて芸当できないけどね』
ちょっとした用事で元の部署に行ったときに給湯室から聞こえてきた下卑た笑い。悪いけど、その台詞はあんたたちにそのまま返してやるよ。目当ての男性社員が現れただけで声のトーンまで変えるくせにさ。
そうか、女の子たちが妙に色めきたっていたのは、爽太の容姿だけじゃなく、そういう側面もあったからなのか。
第一、私は爽太が社長の息子だなんて知らなかったし、6歳年下の彼は本当に最初は対象外だったのだ。
私が彼に仕事を教えたのは、会社から教育係として任命された、つまりそれが私の仕事だったからだ。断じて下心を抱いて近づいたんじゃない。
それに、私たちは付き合っちゃいない。爽太から何度か付き合ってほしいと言われてはいたけど、私はそれを適当にはぐらかしてそれまで返事しないできていた。私も爽太のことは嫌いじゃない。寧ろ……本当は好き。父親の会社だということもあるだろうけど、彼は何事にも学ぶ姿勢を忘れない。その態度にこちらが教えられることも多かったから。
だけど、私が付き合いを承諾してしまえば、ほら見たことか、やっぱりお局様の手練手管は違うとか、爽太の親衛隊から陰で囁かれることは必至だ。そんな中で仕事を続けていける自信、正直私にはない。かと言って今立ち上げたばかりのこのプロジェクトを放り出してしまうなんて私にはできないし、第一三十路を迎えた女の再就職がおいそれと行くわけがない。だから、私は返事を先延ばしにしてきたのだ。
だけど、もう中途半端ではいられない。私は覚悟を決めて爽太を呼び出した。
「係長、私考えたんですけど、あの話はお受けすることができません」
初の私からのアプローチににこにこやってきた爽太に、私は開口一番そう言った。すると、爽太はきれいな顔をゆがめて、
「真澄さんは僕のことが嫌いですか。それに、係長は止めてください。以前みたいに爽太って呼んでくださいよ」
と言った。
「いえ……嫌いではないですよ」
嫌いと言ってしまえば良かったのかもしれない。けれど、それでは明日からの仕事に差し障るかもしれないし、爽太はそんな狭量な男ではないけれども、絶対に気まずいだろうから。それに、やっぱりそこだけは嘘をつきたくなかったということもある。すると彼はすかさず、
「嫌いじゃないならお試しということで始めてくれても良いんじゃないですか。まずは、お友達からっていうのもよくあることでしょう?」
と返す。だから私は、
「それは、仕事のボスとしてです。それに、今は成果を試される重要な時期なんでしょ。そんな時期に私みたいな女にかまけてて良いんですか」
仕事に託けてそう言ったのだが、爽太はその言葉を聞くと急にムッとした表情になり、
「それを誰から聞いたんですか。そのことは恋人になったら自分でちゃんと言うつもりだったのに。真澄さん、どこまで知ってるんですか」
と聞いてきた。
「えっ、係長が社長の息子さんだってことと、今回のプロジェクトの成果で取締役会に入るとか……」
と私が答えると、爽太は頭を抱えて
「ほぼ全部じゃん」
と小声で言った後、盛大に溜息を吐いて、
「確かに、僕の父は結城総一郎です。だけど、阪井という姓から分かるように、婚外子です。兄姉と共に認知はされてますよ。でも、それだけです。ちゃんとGMという嫡男がいます。彼、最近結婚しましたし、そのうち子供も産まれるでしょう。僕なんて元々お呼びじゃないんですよ。
ちなみに兄は、会社には入らず、家具職人をしています。僕は兄のように手先が器用じゃないから職人になんてなれないし、だからといって、他の会社に就職するのはなんだか拗ねてるみたいだと思われると思ったから、YUUKIに入っただけですよ。
それで、その何が僕との交際にブレーキをかける要因なんですか」
と、質問してきた。それに対して私が答えられずにいると、
「ええ、大体解りますよ。真澄さんのところまで僕の素性が聞こえてきたんなら、きっとそいつに何か言われたんでしょ。阪井爽太は社長の息子と知ってて色仕掛けで捕まえたんだろ、なんて風に。誰なんです? 言ってください
個人情報を悪意に利用するなんて最低です。ただじゃ置きません」
と、まくし立てた。私は慌てて、
「通りがかったときに、たまたま小耳に挟んだだけで、誰だったかはわからないです」
と返した。本当は声で誰が言ったのかぐらいわかっているけど。で、
「それにそれって、少なからずみんながそう思っているんだと思うから。
第一、この歳になるとまずその……結婚を視野に入れないとお付き合いなんてできないし……そんなの若い係長には重いだけでしょ」
と、私が続けると、爽太は、
「爽太、これ以上役職で呼んだらお仕置きしようかな。それに年が気になるようなら、最初からこんなこと言ってませんよ」
と、怖くて鳥肌が立つほど美しい笑みを浮かべた。
「嬉しいな。それって、真澄さんが僕をちゃんと結婚対象として見ていてくれたってことでしょ。
さっきも言ったように、僕自身の立ち位置がこんなだから、もちろん結婚前提ですよ。父のように30年も母を日陰に置いておくような事はしません。
あ、なんだったら、このプロジェクトが終わったら結婚しちゃいましょうか。陰で言う奴には言わせておけば良いんです。
要するに、僕たちの気持ちがちゃんと重なっていればそれで良いことだと思いませんか。で、僕の思い違いじゃなきゃ、真澄さんも僕を好きでいてくれてますよね。じゃぁ、何の問題もないじゃないですか。
じゃ、改めて……高田真澄さん、僕と結婚してください」
爽太はそう続けて店のテーブルに三つ指をついて頭をさげた。
爽太、こんな名前なのに、何気に黒いです。ま、あやつの義弟ですから、さもありなん。
そう、この子は『あの作品』の陰の御曹司です。