おともだち
その日、夜が更ける前に案の定ミシェルは発熱した。
「心配しないで、ちょっと興奮しただけだから」
と言いながらにわかにぐったりしてしまったミシェルをクラウディアは彼の部屋に運ぶようにてきぱきと城の者に指示を出す。指示を受ける側も心得たもので、同時にフレデリックにも連絡がいっていたらしく、あまり時をおかない内に彼が到着した。
「何かお手伝いすることはございませんか」
そう聞いたビクトールに、フレデリックは
「では、薬を飲ませるのを手伝ってもらえるかな」
と言った。熱に浮かされているとはいえ、6フィート近い『天使』に薬を飲ませるのは至難の業だ。いつも飲まされているミシェルはその薬の不味さをよく知っているので、
「おくすりイヤ~」
と、首をブンブンと激しく横に振る。それに、熱があるためにあまり強い力で押さえつけると関節が痛み、
「イタイイタイ」
と泣かれてしまうのだ。召使いたちは王子に泣かれるのには弱く、つい力を緩めてしまってなかなか飲ませることができない。また、魔法で拘束できないこともないが、それをすればミシェルは存外の力で拘束されることの恐怖でよけいに泣き叫ぶため、人の力で抑える方がましなのだという。
(ああ、こんな時ニホンのあの投薬できる管があれば……ミシェル様もすぐ良くなるのではないか)と一瞬ビクトールはそう思ったが、もしあっても飲み薬とは中身が違うかもしれないし、縦しんば同じものが使えたとしても、ミシェルが長時間寝たままでその治癒法を受け入れられるとは思えない。
何か気を引けるものはないだろうか、そう思ったとき、ビクトールは部屋の隅の椅子に座っている古ぼけたぬいぐるみを見つけた。3~4歳の子供くらいの大きさだ。
「この子の名は?」
と近くにいた侍女に小声で聞く。
「あ、それはシェリルでございます。ミシェル様が幼い頃から大切にしている、『おともだち』ですが」
では、その『おともだち』の力を借りよう、ビクトールはシェリルをミシェルのベッドの枕元で浮かせる。その様子に魔法を持たないものはギョッとしてそれを見るが、彼はそれには構わず、前足部分にコップを浮かせ、まるでそのぬいぐるみがコップを持ってるかのように貼りり付けて、ビクトールはその後ろに回り込んだ。
「セルディオ殿?」
その様子に首を傾げたフレデリックに人差し指をたててうなづくと、ビクトールは子供っぽい声音を作ってミシェルに呼びかけた。
「やぁ、ミシェル」
「……シェリル?」
「そうだよ、僕はシェリル」
「シェリル、おはなしできるの!」
「今だけだよ」
ミシェルは無生物な縫いぐるみが言葉を発する不条理さに全く気づかないで顔を輝かせた。そして、
「あそぼ、シェリル」
と言って、高熱でふらふらする体を起こそうとする。慌てて周りのものがそれを止めに入ろうとするが、フレデリックが黙って両手を広げて、それをやめさせた。
「ダメだよ、ミシェル。僕はいま熱があるんだ。頭が痛くて遊べないよ」
シェリルはコップを持っていない方の前足で頭を抑えてそう言う。
「シェリルもおねつ? だいじょうぶ?」
ミシェルは大切な「おともだち」が熱を出していると聞いて泣きそうな顔になった。
「大丈夫じゃない。だから、お薬を飲むために今動いてるんだ」
「シェリル、おくすり、のむの?」
「うん、元気になりたいからね」
シェリルはそう言ってコップの中身をごくごくと飲んだ。とは言っても、入っているように見せかけているだけで、中身は空なのだが。
「あー、体が軽い。。ミシェルもお薬飲みなよ。すぐ、元気になれるよ」
シェリルはそう言いながら体操する。ミシェルは一旦口を尖らせてイヤそうな顔をしたが、拳を握りしめてうなずくと、
「ホント? ならぼくものむ」
と言ってフレデリックの持っていたコップの中身を一気に呷って、散々な顔をする。吐き出すかと周りは危惧したが、ミシェルは目を堅く閉じて何とかそれを飲み下した。
「シェリル、ぼくおくすりのめたよ~」
そして、誇らしげにそう言った途端、彼は眠りに落ちた。完全に飲み下したのを確認してビクトールがSleepの魔法をかけたのだ。どんなに速効性であったとしても、飲んだ途端に効果をあらわす薬などどこの世界にもないし、身体は薬だけで治すものではない、休息も必要だ。それに、このシチュエーションではミシェルは自分が直ちに治ったと思いこんで動くシェリルと遊びたがるだろう。それを見越しての彼の判断だ。
「見事だな。後は夢の中でミシェルとシェリルを遊ばせるか」
と感心した表情で言うフレデリックにビクトールは、
「いえ、さすがに夢の中にまでは私は介入できません」
と答えた。
「いや、たぶん長年の友達と話せた喜びと薬を自分から飲んだ達成感で、きっとそういう夢をを見ていることだろう。貴殿は子供の扱いに慣れているのだな」
「いいえ、子供などもうずっと見てさえおりません」
そして、続けてそう言ったフレデリックに、彼は苦笑しながら首を振りそう答えた。子供どころか、大人も寄りつかない森に暮らしていると。
幼い日、怖がられて誰も寄りつかなかった頃の一人遊びを再現しただけのことだ。ビクトールは己が作り出したまやかしの「おともだち」に縋っていた幼い自分とミシェルを重ねていた。
ただ、ビクトールは幼いながらもそれがまやかしだと解っていたが。だから、それを素直に受け止められるミシェルを本当にうらやましいと思っていた。
(懐かしい人物に出会って、少し感傷的になっているのかもしれないですね)ビクトールはこめかみに手を当てふっとため息をついた。