第一章 篁(たかむら)さん家(ち)のお嬢さん
「それじゃお母さん行ってくるねー。帰りは八角のおじさまの所に寄ってくるから。遅くなるようならちゃんと省吾さんに送ってきてもらうね」
「あら、今日八角さんと省吾さんの所によるの?頼まれてたカリン酒が出来たから持って行ってもらおうと思ったのに」
そう言ってカリン酒の入った一升瓶を片手に母が玄関まで出てきたが、流石に私も肩をすくめる。
「…いくらなんでもこれから登校しようとする娘にそれは持たせないよね…?」
ちょっと疑いの目で見た私に母がかんらかんらと豪快に笑った。
「いくらなんでもそれはないわよー。仮に持っていかせるならわからないように水筒に持たせるって!」
「………」
やりかねない。この母ならやりかねない。
過去、必要とあればどんな手段を使ってでも目的を達成して来た人であるからして、思わずサイドバッグに入れた水筒の中身を確認してしまったのは仕方がないだろう。
「だって夜には省吾さん来るんでしょ?その時に渡すから大丈夫よー。あ、でもこれは先に持っていってー」
そう言って母に渡されたのは瓶詰めされた果物らしきもの。
「この前、八角さんに頼まれてたのよ。千早ばあちゃんお手製の桃蜜漬け。この前おすそ分けしたらはまったらしくて、千早ばあちゃんに直接頼み込んだらしいわよー」
八角のおじさまってば…確かに千早おばあちゃんの果物漬けは美味しいけどわざわざ岡山まで行って頼んでたのか…。まぁ、そこまで楽しみにしているなら持っていくしかないよね?
ちなみに八角のおじさまというのは実際に血のつながりのある伯父ではない。
八角財閥という財閥の会長様らしいのだが、3年前にちょっとした事件に巻き込まれて知り合って以来の親友(?)なのだ。
まぁ、おじさまからしてみると孫みたいなものなんだろうケド。
省吾さんというのは八角のおじさまのボディーガード。
そして私が猛アタックしている意中の男性である!
省吾さんはちょっと複雑な生い立ちをしていて、子供のころは施設にいたそうだ。
その省吾さんを引き取り、息子同然に育てたのが八角のおじさま。
大学卒業後、おじさまの関連会社に入社すると思われていたが、今まで育ててもらった恩を一番身近で返したいと大学時代にアメリカでSPの訓練を受けていまじゃおじさまの秘書補佐兼主任ボディーガードとなった。
そんな八角のおじさまは息子同然に信頼しているボディーガードの省吾さんに孫同然の私が猛アタックしているのを見て「いけいけごーごー!」とばかりに旗を振って応援してくれているし、うちの家族も最初は渋い顔をしていたが今は公認してくれている。
後は本人を落とすのみ。…なのだが、如何せん省吾さんは非常に堅物で融通の利かない人だった。
うーん、この際一つなにかドッキリなイベントでも起こらないかな…
そう、例えば二人して異世界トリップしちゃうような!
……なに馬鹿なこと考えてるんだろう私。そんなことあるわけないよね。
頭に浮かんだ妄想をぷるぷるっとふって消すと改めて学校に行くため玄関を出ようとした。
「あー、さーや待って!!」
呼び止められて振り返れば階段を下りてくる三の兄の顔が見えた。
「おはよう、せいちゃん。なんか急ぎの用?」
3つ上の兄、晴明は双子でうちにはもう一人同じ顔の孔明という兄も居る。
さらに言うなら6つ上にも兄、亮がいる。
……名前の由来は、まぁ、言わずとしれたというところなのだが両親曰く
「明るく爽やかな名前を付けてあげたかったのよ!私たちもそうだしねっ♪」
とのことだ。
(ちなみに母は晴季父は光輝という)
そんな訳で篁さんちの家族はやたらとキラキラしいイメージの名前がついているのであった。
「これ、ようやく仕上がったから持っていきなよ」
そう言って渡されたのは緑色の石のついた小さな指輪だった。
「さーやの誕生石のエメラルドを嵌め込んである。お守り代わりにね」
徹夜したらしい兄の目元には端正な顔に似合わないクマがうっすらと浮かんでいる。
指輪のデザインもかなり精密なものだし本当に嬉しい。
「一日早いけど、誕生日プレゼント。亮兄さんやコウのやつも何か気合入れて準備してるみたいだから楽しみにしてやって」
そう言って後半苦笑いしたところを見るとこーちゃんが何を準備してくれているのかがいささか不安になるよ…。
りょうちゃんは一番の常識人だから多分、一番普通のプレゼントを用意していると思うんだけど…ね。
「ありがとうせーちゃん!大事にするね。っと、まっずい、バスに遅れちゃう!それじゃいってきまーす」
篁 爽香、16歳まであと一日。
いつもとそう変わらない日の始まりだと思った。
だけど、それはトンデモ世界へと続く日々の始まりでもあったのかもしれない。
兄弟の名前は亮と孔明が三国志で有名な諸葛亮より。亮は「明るい」孔明は「はなはだ明るし」という意味です。(確か)
晴明は平安時代の陰陽師 安倍 晴明より。読んで字のごとく「晴れて明るい」という意味で使っています。
紅一点、末っ子で今作品のヒロイン爽香ちゃんは「爽やかに風薫る季節に生まれたから」という言うことで「爽やかに香る」という名前になりました。