6-1.剣鬼/Swordsprincess
商工会本部前の広場。ホワイトベル・ファミリーによって住民の避難誘導は済み、無人となったその場所で、クローディアはオルランドと対峙していた。
「弱い、弱すぎる」
クローディアは肩で息をしているが、対するオルランドは溜息を一つ吐いただけで、汗一つかいていない。
エルヴィスとマルセルはすでに一蹴され、深い傷を負って戦線から離脱しており、この場に残されたのはクローディア一人のみだった。
その手に握られたミスリルの剣は、刀身が真っ二つになっている。
「この程度で、俺に勝つつもりだったのか? 話にならねぇにも程がある」
齢五十を超えるはずだが、その剣には些かの衰えもない。
その戦闘能力は、連合最強の“円卓の騎士”、あるいは旭花帝国最強の“十二星将”すら凌ぐとの前評判は、決して偽りではないことをまざまざと見せつけられていた。
「まだ解消されていない疑問が残っています」
「ああ?」
クローディアの唐突な言葉に、オルランドは不機嫌そうに眉をつり上げた。
「黒鉄とホワイトベルとの抗争を引き起こす。あなたはそれによって何を得るのですか?」
それは先程の推理からは導き出せなかった問いだ。
なぜそれをしたのか。そもそもの動機。
オルランドはくだらないことを聞かれたとばかりに鼻で笑う。
「はっ、なぜ俺がそんなことを……」
そこまで言って、ふと思い直したように言葉を区切る。
「いや、いいだろう。勝敗はすでに決している。冥土の土産だ、話してやろう」
オルランドは暗い笑みを湛えており、普段の豪放な印象とは真逆の、陰鬱な凶相だった。
「なに、そう複雑な話じゃない」
そう前置きしてオルランドは話し始める。
「黒鉄とホワイトベルが武力衝突に至れば、この都市は帝国派と連合派に二分されるだろう。元々、お前らのどちらかについて甘い汁を啜ろうって議員は腐る程いるからな。そいつらが互いの正当性と相手への非難を訴え、この都市全体が帝国と連合の代理戦争の場となる。そうなれば勝敗が決着し、どちらかが支配者となるまで争いが止まることはない」
それは想像に易いことだ。黒鉄とホワイトベルの抗争は、堰堤に堰き止められていた水が流れ出すように、大きなうねりとなって、この都市を大きな闘争に呑み込むだろう。
「そして、その天秤がどちらかに傾きそうだと帝国と連合が判断すればどうなる?」
「……本隊を送るでしょうね。今の世界にとって、カシーヤの重要性は今さら語るまでもありません。そして、そうなれば武力行使の正当性はほとんど問題にすらならない。帝国も連合も、すでに戦いが始まってしまっているのであれば、その題目がどのようなものであれ、主張し、押し通すでしょう」
「ああ、そうだ。そして、戦端が開く。各地にいる同胞たちによって、そのための工作を行う準備はすでに整っている」
オルランドは描かれた筋書きを滔々と語る。
「世界を分かつ二勢力の全面戦争、“世界大戦”が始まる。それこそが俺たちの目的だ」
“世界大戦”。クローディアはその言葉を初めて耳にしたが、言い得て妙だった。
旭花帝国と西方諸国連合間の全面戦争。それは属領や同盟関係にある諸国すら巻き込んだ、世界規模の戦いになるだろう。
しかし、そのようなことを望むなど、正気の沙汰ではない。
「俺たち? それが商工会の目的だと?」
「はははは、商工会? 無論、違うとも」
クローディアの問いに、オルランドはどこか薄ら寒い笑みを浮かべる。
彼女も大方そうだと予測はしていたが、やはり黒幕は商工会ではなかったらしい。その裏にもっと別の組織が存在している。クローディアの脳裏に、昨夜、斬雄が口にしていた名前が思い浮かんだ。
「では、風魔教団ですか?」
「ほう知っていたか」
風魔教団。クローディアはその名をかつて帝都ニンアンナにいた頃に聞いたことがあった。他国ではそれほど知られていないが、クライシュ国内では演劇の題材になるようなポピュラーな伝説だ。
「……なぜ教団がそのようなことを?」
風魔教団には血生臭い逸話もあるが、基本的にクライシュを守護する存在として伝わっている。その教団がクライシュに混沌を齎すような狂気的な行為をする理由がわからなかった。
「世界の解放さ」
「解放、何からですか?」
「決まっているだろう、帝国と連合からだ」
クローディアにとって、彼が語る言葉は理解し難いものばかりだった。旭花帝国と西方諸国連合間の戦争と、その支配からの解放に一体如何なる因果があるというのか。
「今や世界はこの二つの勢力の闘争の舞台と化している。隷属されている国々はその地の資源と労働力を搾取され、そうでない多くの国々もいつ自らの土地を蹂躙されるか。怯えながら暮らしている。俺たちが目指すのは、そんな帝国と連合の支配から世界が解き放たれること」
陶酔するような滑らかな語り口。
「だが、この二勢力を相手にして、正面から適う国も勢力も世界には存在しねぇ。ならばどうするか。……答えはシンプルだ。互いに潰し合ってもらえばいい」
その言葉でようやくクローディアは彼らが目指さんとしている所を理解した。
「そうして帝国と連合はその腐り切った欲望の果てに、自滅する。その末路に相応しいだろう?」
「しかし、ひとたび戦争となれば、その被害は帝国と連合だけに留まることなどあり得ません。その解放される国々そのものが傷つくことになります」
「ああ、だろうな。だがそれは、テメェらのクッソタレな支配から解き放たれるためには必要な犠牲だ。隷従し、誇りすら奪われて暮らすよりは、よっぽどマシな結末だろうさ」
反駁に惑う様子すらない。それが正義だと信じ切っているのか。──あるいは。
「この都市を見ろ」
オルランドは両腕を広げる。その言の葉に滲む情念とは裏腹に、渇き切った軽々しさが響く。
「東西の移民に溢れ、街の様相は一変した。独自文化を誇った都市の誇りはたった七年で、ここまで蝕まれた」
およそ七年前、黒鉄五輪がカシーヤに来て以来、この都市の商流は旭花帝国によって急速に掌握されていった。それは黒鉄会が、本国の支援を受けながら、技術革新による効率化でクライシュ帝国に、より安価な物流網を齎したことに起因する。本国への航路も含め、流通を牛耳った彼らは旭花帝国の関係者を厚遇し、格安でその流通網を利用させ、物資を供給する。そこで生まれた原価の差がどういった結果を生むかは想像に難くない。土着あるいは他国の商人はこの都市から一掃され、寡占的な経済圏が構築された。そこで旭花帝国の一人勝ちにならなかったのは、そのスキームを盗み、対抗するもう一つの経済圏を構築したアリスター=ホワイトベルの辣腕故だった。
だが、その結果として、この都市は急速な移民受け入れと共に、その大部分が他国の文化圏に飲み込まれることになった。それはさながら世界の縮図でありカリカチュアに相違なかった。
経済的利益を得ているのだからそれでいいだろうとは軽々に言うことはできない。そもそも、その恩恵のほとんどは列強に収奪されている。残り粕のような恩恵の代償に、都市はもはやかつての姿を失ってしまったのだ。
「……風魔教団の目的は理解しました。しかし、私が聞きたいのは、あなたの目的ですよ、オルランド・スパーダ」
「あ?」
その理念に嘘はない。彼は真実、世界の在りように憤っている。
だが、それは同時にオルランドという男の火種を、正しく映してもいなかった。
「それらしい理屈を並べ立てても、それはあなたの瞳に映る憎悪の説明にはなっていません」
それは彼とこの都市で初めて会った時から、クローディアがずっと気になっていたことだった。その瞳の奥底に垣間見える黒い焔の正体が何なのか。
「はっ」
オルランドから渇いた笑いが零れる。
「憎悪? 憎悪だと?」
それは冷たく深く暗い激情の前触れだった。
「ふざけるなよ、連合! 貴様らが憎まれる道理など、説明する必要があるか!?」
激するままにオルランドは言葉を吐き出す。
「ニンアンナの大火で、貴様らと帝国が何をしたか!」
憤怒と怨嗟。澱のように沈殿する感情が爆発する。彼の目には七年前の惨禍が今も鮮明に蘇る。
クライシュ帝国の宮中は二つの勢力による血みどろの権力争いが続いていた。
旭花帝国派と西方諸国連合派。即ち、どちらの傀儡として生きていくかの争いだ。勝者は後ろ盾となった勢力の庇護下で、後の世の権勢を謳歌することができる。その利己的な欲望の果てに、彼らは自らの主筋たる皇太子すら弑するにまで至った。
そして、それらを扇動し、時にその手で奸計を企てて、その後ろで操り糸を引く諸悪の根源こそ、旭花と連合に他ならなかった。
「くだらん権力闘争で、皇族を殺し、帝都を焼き、その逆巻く火で多くの市民を虐殺した! そして、俺の妻と息子を焼き殺した!!」
妻子を殺されたことへの復讐。
単純かつ明快で、これ以上ない程の原始的な動機。
「……復讐。それであの実験を許容したのですか?」
ぴくりとオルランドの眉が動く。
「利己的な復讐のため、他者を踏みにじる実験を継続し、まさに憎むべき連合と同じ存在に堕してなお、自身の行いが正義だと?」
黒鉄とホワイトベルの抗争を煽る方法は他にいくらでもある。あの実験は風魔教団にとっては必要な何かであったのかもしれないが、オルランドの目的にとっては、そうでなかったはずだ。にも関わらず彼はそれを看過した。
「小娘が」
その指摘にオルランドは奥歯を噛み締める。
「正義? 俺たちの行為が正義か、だと?」
嗚呼、なぜこの女はそんな馬鹿なことを問うのだろうか。
「そんなはずがないだろう!!」
血を吐き出すような叫び。
「俺たちは悪だ。人を殺し、殺させ、世界に死と不幸を撒き散らす悪逆の使徒!」
知っていた。知っていて見逃すことを選択した。復讐のためには教団の力が必要だったから。その途中で行われた凄惨な実験の全てに目を瞑ったのだ。
「だが、それでも俺は止まらない、止まれない、止まってはならない」
あの日、見た炎がずっと瞼の裏に焼きついて離れない。
「……あの日は、俺の息子の誕生日だった。だが、皇太子殿下暗殺の直後だ。皇妃殿下の傍を離れるわけにはいかない。しかし、優しいお方だった。事情をご存じだった皇妃殿下は、俺が帰ることをお許しになられた。俺は急いで宮殿を出た。ケーキを買って、プレゼントを持って、あいつの誕生を祝うために。だが、俺が見たのは燃える家と、焼け焦げてシミになった妻と息子の姿だった」
燃え残った床には、黒く焦げた、折り重なって息絶えたであろう残滓だけがあった。
一年で最も祝福された日は、その日から最も呪われた日に変わった。
そして、クライシュはその災禍を迎えても何も変わらなかった。あの火災を前にしてなお、自らの地位と富に固執し、政争に勤しむ貴族ども。皇太子を失ってなおそれを諫められぬ皇室の力のなさ。商人も民も、帝国と連合からの慈悲で自ら歩く力を捨て去り、隷従の道を良しとした。国が腐っていく。オルランドは自らの妻子を焼いた末のその光景に絶望して、出奔した。
その先で、教団の盟主たる三賢人の一人、“パラケルスス”に出会う。
そして、彼は復讐者となり、カシーヤで時を待った。自らの本願を遂げるその日を。命を踏みにじる世界を、踏みにじってなお変わらなかった世界を、跡形もなく破壊し尽くす呪いとなったのだ。
クローディアはその言葉を前に、目を伏せた。
帝国と連合の争いが生み出した惨禍を彼女は知っている。
悲鳴と慟哭。煙と肉の焼ける臭い。あの日、あの場所で、クローディアは目の前の男と同じ地獄を見たのだ。
悲劇を止めることができなかった自身が、彼の感情を否定する権利など持つはずもない。持とうとも思わない。
真っ二つに刃先の欠けた剣をカランと投げ捨てる。
「そうですね。おかしなことを口にしました」
旭花帝国に対抗すると嘯きながら、第三国での連合の行いが、時に侵略者と何ら変わらない事例があることを彼女は知っている。
わかっていたはずだった。自らが決して正義などではないことを。
「元より、他者から正義と認められることを求めていない私が、相手にそれを問うのは、愚かでしたね」
それでも彼女の戦う理由は揺らがない。
故に、ただ余計な問いを投げかけたことだけを悔いた。
腰に差した予備の剣の柄に手を掛ける。
人の選択に善悪の彼岸はある。
しかし、その選択が常に正しいものでいられるとは限らない。
「私はあなたのやり方は認められない。最初からただそう言うべきでした」
例え目の前の強者を踏みにじっても、あの悲劇を二度と起こさせない。
言葉を紡ぐ時間は終わった。
故に、後は剣を取るだけだ。オルランドに立ち塞がる“悪”として、彼を討つ。
剣を抜き放った。彼女の剣はまだ残っている。
「は、そうかよ。……それで、満足か?」
オルランドの渇いた声に、クローディアが微笑む。
「ええ、いい時間稼ぎになりました」
「……!」
同時、オルランドは背後の空気がわずかに揺れ動くのを感じて、その大剣を振り払った。
「不意打ちとは、随分、姑息な手を使うじゃねぇか、黒鉄斬雄」
気配を消してからの背後からの奇襲。渾身の突きを防がれた斬雄が殺意を剥き出しにする。
「ああ、昨日のお礼参りに来たぜ、オルランド・スパーダ」




