第三の試練
回廊を歩く足音は、四つだった。
アリーシャ。
カノン。
ターニャ。
サシャ。
誰も喋らない。
第二の試練の泥と油の匂いが、
まだ身体に残っている。
そして、ひとつ欠けた気配。
ナナはいない。
あの場で退いた。
騎士の部屋から聞こえた短い声と、
何かが落ちる鈍い音だけが、まだ耳に残っている。
やがて、回廊の先に鉄の扉が見えた。
重く、ゆっくりと開く。
中は円形の広間だった。
高い天井。
冷たい石の床。
中央に、一本の柱。
その前に――
一本のレバー。
それだけだった。
ターニャが低く言う。
「……なんだこれ」
サシャが不安そうに言う。
「試練……でしょうか」
カノンはレバーを見つめたまま、黙っていた。
そのとき。
壁の向こうから声がした。
「姫!」
ギルベルトの声だった。
アリーシャがすぐに言う。
「聞こえているわ」
「無事か」
「当然よ」
アリーシャは胸を張る。
「わたしは第一王女なのよ」
ギルベルトが小さく笑う。
「そうだったな」
別の声もする。
「カノン」
シャロンだ。
カノンは少し息を吐く。
「聞こえてるよ」
「ご無事で何よりです」
「うん」
ターニャの方にも声。
「ターニャ」
ナルタル。
ターニャはぶっきらぼうに言う。
「生きてる」
サシャの方には、ニーロウの声。
「サシャ様」
「……いる?」
「ええ、ここにおります」
そのとき。
高い場所から拍手が響いた。
パチ、パチ、パチ。
姫たちは見上げる。
王がいる。
玉座のような席に腰掛けている。
王はレバーではなく、姫たちの顔を一人ずつ眺めた。
それから言った。
「第三の試練だ」
それだけだった。
説明はない。
沈黙。
そのとき。
床に淡い光が広がった。
石の床が水面のように揺れ、
やがて景色を映す。
幻だった。
まず、サシャの前。
小さな家。
木の扉。
煙突から上がる煙。
窓の奥に暖かな灯り。
中には食卓があり、
湯気の立つスープが置かれている。
母が笑っていた。
「サシャ」
優しい声。
「帰ってきたのね」
サシャの目に涙が浮かぶ。
母の隣には男が立っている。
ニーロウだった。
鎧ではない。
落ち着いた服。
母が言う。
「この人があなたを守ってくれたの?」
ニーロウは丁寧に頭を下げる。
「ええ」
母が笑う。
「もう大丈夫よ」
「怖いことは終わり」
次に。
ターニャの前。
戦場。
土煙。
旗。
剣の音。
ターニャは鎧を着て剣を掲げている。
兵士たちが叫ぶ。
「英雄ターニャ!」
「勝利です!」
「国を救った英雄!」
後ろにナルタルが立っている。
傷だらけの盾を持っている。
ナルタルが言う。
「あなたは、本当に強い」
ターニャは笑う。
「当たり前だ」
次に。
カノンの前。
城の庭。
午後の光。
白いテーブル。
紅茶の湯気。
向かいに座るのはシャロン。
鎧ではない。
穏やかな服。
「今日は暖かいですね」
シャロンが言う。
庭では子どもが遊んでいる。
兵士たちも笑っている。
戦争の気配はない。
ただ平和な城。
カノンは紅茶を飲む。
「うん」
小さく笑う。
「平和だね」
シャロンが言う。
「それが一番です」
風が庭を通る。
最後に。
アリーシャの前。
舞踏会。
黄金のシャンデリア。
輝く床。
豪華なドレスの貴族たち。
アリーシャは中央に立っている。
美しいドレス。
宝石。
誇り高い姿。
周囲の貴族が頭を下げる。
「アリーシャ様」
「なんと気高い」
「この国で最も高貴な貴族」
そして少し後ろに立つ男。
ギルベルト。
礼装。
老貴族が言う。
「見事な護衛騎士ですな」
ギルベルトが言う。
「勿体ない言葉です」
アリーシャが言う。
「当然でしょう」
貴族たちが笑う。
「アリーシャ様に栄光を」
アリーシャの瞳が、わずかに揺れた。
そのとき。
王がレバーを見た。
「選べ」
それだけ言った。
沈黙。
アリーシャが壁の方を見る。
「ギルベルト」
「なんだ」
「この先で私が死ねば」
「お前も処刑されるの?」
少し沈黙。
ギルベルトが答える。
「……さあな」
「だが姫が負ければ、俺も終わりだろう」
アリーシャはレバーを見る。
そして言う。
「わたしは第一王女よ」
小さく息を吐く。
「騎士を道連れに死ぬほど、恥知らずじゃない」
ターニャが叫ぶ。
「待て!」
カノンも言う。
「アリーシャ!」
しかしアリーシャはレバーを引いた。
その瞬間。
王は――
笑っていなかった。
ただ、静かに見ていた。
ガコン。
金属音。
壁の向こうで鈍い音。
沈黙。
アリーシャの顔が青ざめる。
王が、ゆっくり笑った。
肩を震わせる。
「くく……」
そして高笑い。
「ははははは!」
広間に響く声。
王が言う。
「言っただろう」
口を歪める。
「欲望の試練と」
姫たちは凍りつく。
王は楽しそうに言う。
「人は選択する」
「だが」
ゆっくり言う。
「その選択の根源は」
王は笑った。
「欲望だ」
沈黙。
兵士が入ってくる。
アリーシャの肩を掴む。
彼女は静かに言った。
「……そう」
王を見る。
「やっぱり」
小さく笑う。
「みんな」
「わたしに嘘をつくのね」
剣が振り下ろされた。
ゴトン。
広間は、また静かになった。
残った姫は三人。
カノン。
ターニャ。
サシャ。
回廊の空気は、冷たかった。




