9.あなたの子どもじゃないの(カリスト)
赤毛に翠玉の瞳、生き生きとしたくるくる動く表情が魅力的な彼女の名は、リズといった。
今代の魔法伯の名がイリスであり、愛称呼びがリズとなることから、その名を持つ者は多い。
数か月前はどれだけ探しても見つからなかった彼女だが、今回はすぐに調べがついた。
王都の一角、下町で流行っている仕立て屋夫婦の、姪だった。
王都の隣領である魔法伯の治めるアルベニス領の住人だ。
出会ったカリストが忘れられず、叔父夫婦の店の手伝いも兼ねて、ラルナ騎士団の見学に訪れたのだと言う。
カリストは、騎士団の遠征で訪れた北の森で、リズに関する調査結果を受け取った。
遠征は、北部の湖に現れたサーペントの群れの討伐任務だったが、ちょうど収束を迎えた頃だった。
予定よりも早く終わり、騎士団は撤収の準備に入っている。
けが人がほとんど出なかったこともあり、騎士団内は和やかな雰囲気に包まれていた。
調査結果を読み返していると、幕舎にロナンが入ってくる。
目敏くカリストの手に持つ調査書に目を留める。
「お、例の子の調査結果、出たのか? そういや、あの後どうしたんだ? あの子、しっかりしたなかなかいい子だったじゃないか」
ロナンは、お茶を持っていくと称して、あの日、応接室にリズの様子を見にいった一人だ。
わざとやけどをして、リズの反応を見たのも知っている。
「……結婚することにした」
「ああ、結婚ね。……って、はあ⁉ 展開早すぎない⁉」
「彼女は、妊娠しているらしい」
「え? ちょっと待て! だって、お前、それって」
一月ほど前、執務室で話した会話を、ロナンは覚えていたのだろう。
「ああ、俺の子じゃない」
「いやいやいや、ちょっと待て。俺には理解できないぞ。それって、明らかに財産狙いってことだろ? わかってるのに、なんで結婚するんだ⁉」
「……俺のものにしたかった」
「何その論理? 思春期のお子様⁉」
自分から、リズを奪い取った奴が許せなかったし、奪い返してやりたかった。
(財産? そんなもの、くれてやる)
「うるさい。俺は、俺のものを取り戻しただけだ」
「いや、何それ。怖いだろ」
「俺の勝手だ」
「いやいや、言わせてもらう。お前、それ、絶対後悔するぞ。相手はお前をだましてるってことだろ。財産狙いじゃなかったとしても、そもそも信頼関係が破綻してるだろ」
「きっと、何かどうしようもない理由があるはずだ。そうまでして俺を頼ってきたんだ。俺は、彼女を助ける」
「俺だって、あの子が悪い子じゃないって思ったさ。でも、そんな理由があるんだとしたら、それを正直に言って、お前に助けを求めるべきだろ。子どもの父親が誰かを隠すなんて、絶対にダメなやつだろ。っていうか、お前、彼女の子どものこと──愛せるのか?」
「うるさい。ここから先は、もう、俺がいなくても大丈夫だ。お前に副団長の指揮権を渡す。俺は、先に王都に戻る」
「うおい!」
カリストは、まだあれこれ叫んでいるロナンを残して、幕舎を飛び出した。
(俺だってわかってる。こんな関係、おかしいってことは)
彼女のことになると、途端に理性が働かなくなる。
でも、彼女も同じで、子どもを守るために必死で、理性が働かなくなっているだけかもしれない。
(ひどい男に出会って、彼女は頼るあてもなく、放り出されたのかもしれない)
倒れた彼女を診た医者は、彼女が妊娠していると言った。
カリストは、はっとする。
(妊娠しているとも、俺の子どもだとも、まだ彼女の口から聞いていない──俺は、まだ、嘘をつかれているわけじゃない)
カリストは、リズとの関係にわずかに希望の灯を見出して、王都へと単騎、馬を走らせるのだった。
◇◇◇◇◇◇◇
その夜、エクスデーロ公爵邸の本邸、公爵夫人の私室で、アイダは、メイドのセーラからリズに関する報告を聞いていた。
「なんですって。あの女が来たですって?」
「はい、最初は和やかにお話しされていたのですが」
「リズの性格を測っていたのね。マウントをとって従わせるべきか、情に訴えるべきか……本当にしたたかね」
夜着を着て、専属のメイドに髪を梳かせながら、アイダは、目を細めた。
「で、彼女は情に訴える作戦で来たのね」
「はい」
「それで、リズは今どうしているのかしら?」
「ビビアナ様がお帰りになられてからずっと、泣いていらしたようです」
「ビビアナが来たのか」
不意に声をかけられて、アイダは、鏡に映る男をにらみつける。
「カリスト、戻ったのね。帰ってきたなら、ちゃんと挨拶なさい。それに、ノックぐらいしなさい」
「なんで泣いている? ビビアナは、喧嘩をするような性格じゃないだろう? リズのほうが気が強いくらいだろう」
挨拶のくだりをまるっと無視したカリストにため息をつきながらも、アイダはそれ以上とがめなかった。
普段の彼は、こんなふうに礼儀を無視することはなかったからだ。
よほど焦っているに違いない。
それよりも、義弟の女を見る目のなさへのあきれのほうが大きかったからだ。
「……あなたの前での二人は、少なくともそうなのね」
「リズと話したいんだが、客室にいない。部屋はどこに移したんだ?」
「離れよ」
カリストの驚く顔を見て、アイダは少し満足する。
離れは、将来結婚するであろうカリストの新居として建てられた建物だ。
カリスト自身もまだそこで暮らしているわけではない。
そこに率先して入れるということは、カリストの妻になることをアイダが認めたということに他ならない。
「ねえ、カリスト。あの子、悪くないわ。離れに入れてあげてもいいと思えるほどには」
「義姉さんがそういってくれるなら、よかった。安心した」
それより、とアイダは義弟に念のために確認しておく。
実の弟の親友でもあるこの男とは、幼いころから付き合いがあるため、実の弟以上に心配な存在なのだ。
「カリスト。ビビアナ、婚約破棄したんですって。それで、あなたのところに会いにきたのよ」
「ビビアナが? まあ、ビビアナなら、すぐに次の相手が見つかるだろうから、心配ないだろう。それより、離れは、ずっと人がいなかっただろう? リズは妊娠してるんだ。ちゃんと使用人はそろってるのか?」
「心配ないようね」
「何が心配ないんだ⁉」
「離れには十分な数の使用人が配置されているから大丈夫よ。それより、あなたが離れに行くのは、明日よ。まずは、汚れを落としてきなさい!」
アイダは、カリストの反応に満足すると、カリストを部屋から追い出した。
◇◇◇◇◇◇◇
本邸にある私室で身支度を整えた後も、カリストは遠征の興奮で寝付けなかった。
机の引き出しから、あの日、リズが落としていった深い青色のイヤリングの片割れを取り出した。
いつもなら、それを見ていると落ち着くのに、今日はどうしても落ち着かない。
空が白み始めた頃、寝るのをあきらめて、カリストは離れへと足を向けた。
こんな朝早くに使用人を起こすつもりはないので、外から様子を見るだけだ。
(これは重要なことなんだ。これからリズが住む場所が、夜間安全かどうか確かめる必要がある)
警備のしっかりしている公爵家で、いったい何が心配なのか。
心配を言い訳にただ近くに行きたかった、というだけに過ぎないのは、カリストも気づいていた。
「本当に、どうかしている」
中庭からリズのいるであろう女主人の部屋を見上げると、カリストは癖の強い金髪をがしがしとかいた。
「戻ろう」
そして、女主人の部屋を中庭から見上げ──バルコニーで、その人影と、彼を送り出すリズの姿を見てしまった。
◇◇◇◇◇◇◇
眠れない夜を過ごした翌朝、リズは、カリストの来訪を告げられた。
討伐任務が早く終わり、遠征から予定より早く戻ってこられたらしい。
熱く腫れぼったい目は、セーラが冷やしてくれた。
応接室でカリストを出迎えるまでには、きっと気づかれない程度になっているだろう。
カリストに会うのは、「結婚してやる」と告げられた、あの街中の公園以来、一週間ぶりのことだった。
遠征帰りのカリストは、心なしかやつれているようだった。
「おかえりなさい。けがはない? 遠征って魔物討伐でしょう? 騎士団や住民の方に被害は?」
「……ああ。早めに動いたので、被害は軽微だった。騎士団や住民に大きなけがをした者はいない」
「あなたも?」
「ああ」
「よかった」
カリストが早く帰ったと聞いて、一瞬、けがを負って早期帰宅したのかと心配してしまったのだ。
とりあえずホッとする。
「お前は?」
「?……ああ! 急に倒れてしまってびっくりしたでしょう? 久しぶりにあなたに会えて調子に乗ってしまったの。おなかに赤ちゃんがいるのに、だめな親だわ」
カリストの表情は、暗いままだ。
子どもの話を聞いて、よりいっそう表情が冷え込んだような気がする。
(私は、公爵家の財産狙いの女だと思われているんだわ。それに、ビビアナ様の婚約が破談になったことも当然聞いているわよね)
きっと、子どもがいなければ、ビビアナと一緒になれたのだと、リズと過ごした一夜を後悔しているに違いない。
ここから関係を築くのは、もう無理なのだろう。
(だって、私とこの子は、彼にとって、邪魔者でしかないのだもの)
「ビビアナ様が、いらしたの。婚約破棄されたそうで、あなたに会いたがっていたわ。今度、なぐさめて差し上げてね?」
「今は、その話はしていない」
(隠さなくてもいいのに)
「リズ、本当のことを知りたい」
「何を?」
「俺は、お前と結婚するつもりだ。だから、真実を知りたい。お前の口から」
リズの口から語る真実とは、なんなのだろう。
リズが魔法伯であること。
リズが、初恋のカリストを忘れられなくて、自分勝手に、魔女の父親に選んでしまったこと。
変わってしまった法律のせいで、リズは、おなかの子どものために、夫を必要としていること。
それから、カリストの初恋の少女もリズだと言うこと。
全てこれから、ビビアナと幸せになるカリストの妨げとなることばかりだ。
だから、この後、リズは、嘘しか言うつもりはない。
カリストには幸せになってほしいから。
(でも、たった一つだけ、カリストに伝えてもいい真実はあると思う)
「カリスト、私はあなたが好きなの」
「……信じられない」
リズの言葉は、カリストには届かなかった。
自嘲にも似た感情がリズの胸を曇らせていく。
「ねえ、カリスト。結婚しようと言ってくれたのは、どうして?」
「それは、お前が妊娠してるから」
「じゃあ、その理由をなくしてあげる」
リズは、精一杯のほほ笑みを浮かべた。
「カリスト、この子は、あなたの子どもじゃないの」




