8 幼なじみ来訪
カリストの幼なじみの女性。
伯爵令嬢ビビアナ=ベラスケス。
淡い赤毛に優し気な緑の瞳をした、儚げな容姿の彼女は、侍女を一人だけ連れてエクスデーロ公爵家の離れを訪れた。
応接室のソファに座ると、セーラの入れたお茶を手に取りリズに優しくほほ笑みかけた。
「お会いできてうれしいわ。リズさん」
彼女は、カリストが想いを寄せていた女性だ。
そして、カリストが失恋した女性でもある。
(半年前、ビビアナは、カリストを置いて辺境伯と婚約したから)
「私もお会いできて光栄です。ビビアナ様」
「そんなにかしこまらないで。リズさん。幼なじみのカリストの奥さんになる方だもの。仲良くしたいわ」
「ありがとうございます。心強いです」
ビビアナは、その後、リズの体調を気遣いながら、当たり障りのない会話を続けていく。
妊娠中の女性や、生まれてくる子供の衣食住にかかわる流行や最新情報、それを手に入れられるお店など、リズの興味を引く話題を振ってくれる。
リズの知らない公爵家の話やカリストの話をすることはない。
リズを気遣ってくれているのだ。
(すごく、いい人だわ)
だから、最初に、話題選びを間違えてしまったのはリズのほうだった。
リズは、彼女がここに来た理由を、しっかり考えていなかったから。
「ビビアナ様は、辺境伯様とご婚約されて、辺境伯領でお過ごしになっていると伺っていました。今日は、里帰りですか?」
リズの言葉に、ビビアナは、表情をゆがめて、目を伏せる。
「ビビアナ様?」
ビビアナは、そのまま動かない。
「あの、お加減でも?」
沈黙にどう対応していいかわからず、問いかけたリズに、ささやくような返答があった。
「……って……たの」
「はい?」
「破談に……なってしまったの」
「え」
「辺境伯様には、見抜かれていたのね。私が、カリストを忘れられなかったことを」
ビビアナは、リズとの会話で、初めてカリストのことを口にした。
リズは、はじめ、彼女の言葉が理解できなかった。
(だって、ビビアナは、カリストのことが好きじゃなかったから、辺境伯と婚約したんでしょう? ビビアナに失恋したのは、カリストのほうよ?)
いやな予感に、胸がざわざわする。
この先は、聞くべきではないと、本能が警告を発しているのに、リズは、その問いを口に出してしまった。
出さずには、いられなかった。
「あの、ビビアナ様は、カリストのことを?」
ビビアナは、リズのほうを見ると、儚げにほほ笑む。
「ごめんなさい。私、ずるいの。カリストに告白するのが怖くて、別の方に嫁ぐ決心をしたのに、結局忘れられなくて。またここに来れば、カリストなら慰めてくれると勝手に期待してたの。でも、カリストには、もうあなたがいるのね。あなたが、うらやましいわ」
(告白が怖くて……結局忘れられなくて……カリストなら)
ビビアナの言葉の意味を理解すると同時に、心臓に軋むような痛みが走る。
(それって、それって、カリストとビビアナ様は両想いってことじゃない)
「あ、ごめんなさい、こんなことを言うつもりじゃなくて。カリストの顔でも見ていつもみたいに、楽しくおしゃべりをして、離れでお茶を楽しんだり、中庭や池の周りを散策したり、そうすれば気が紛れるかと思って、何も考えずにここに来てしまっただけなの」
リズに向けてほほ笑もうとするビビアナの目から、不意に涙が零れ落ちる。
緑の瞳からこぼれる大粒の涙は、とても美しくて。
リズのまがい物の瞳とは違うのだと、現実を突きつけられている気がした。
カリストの気を引くために、ビビアナに似せた、自分の赤い髪と翠玉の瞳が、たまらなくみじめだった。
ビビアナは、指で、自分の涙をぬぐった。
ビビアナの侍女が、そんなビビアナの頬にハンカチをあて、リズをきっとにらみつける。
侍女の口が、『泥棒猫』と動くのを、リズは、確かに見てしまった。
(そうよね。本当に泥棒猫だわ。この二人は両想いで、私がいなければ、私が行動を起こさなければ、これから幸せになれるはずだったのに)
気づいてしまった。
(ビビアナの帰る場所を奪ったのは、私なんだわ)
リズが、カリストの失恋の弱みにつけこんで、子どもを作るようなひどい真似をしなければ、この二人は今頃幸せになれていたかもしれないのに。
『──中庭や池の周りを散策したり』
(カリストと一緒に、あの池を見た相手は、きっと私だけじゃない)
「カリストには、あなたという奥様になる方がいらっしゃるのに、こんなこと言ってごめんなさい。いやだわ、私、混乱しているみたいだわ。本当にごめんなさい。これで失礼するわね」
ビビアナは、真っ赤に泣きはらした目のまま立ち上がり、去っていった。
初恋の少女が自分だったと舞い上がっていたのが、恥ずかしい。
希望に満ち溢れて頑張ろうと意気込んでいた自分は、なんと滑稽だったのだろう。
初恋は、「過去」の通過点にすぎない。
「今」のカリストの本気の恋の相手は、リズじゃない。
さっきのビビアナなのだ。
◇◇◇◇◇◇◇
ビビアナが離れを訪れた日の夜、リズが眠れずに、何度も寝返りを打っていると、窓ガラスにこつんと何かが当たる音がした。
その合図の仕方には、覚えがある。
リズは、上着を羽織って、こつんと音がしたベランダに続く窓へと向かった。
カーテンを開けて外を見ると、目立たない黒い衣服を着た青年が、窓の外へ立っていた。
執事のビダルだ。
彼の一族は、アルベニス家を支えるための、裏の顔も持つ一族だ。
もちろん魔法は使えないが、三階建ての建物に忍び込むぐらいの隠密の訓練は受けている。
「どうしたの? ビダル。家に何かあった?」
「急ぎ決裁を頂きたい書類があり、お持ちしました」
「そう。入って。書類を見るわ」
窓を開けてビダルを中に招き入れると、リズは、ランプの灯りを灯した。
書き物机に座る前に、ビダルがリズの手首をつかむ。
「一体、どうされたのです⁉」
(気づかれないわけないよね)
リズの目はおそらく真っ赤だろうし、まぶたも顔は、ひどくむくんでしまっているに違いない。
鏡なんてみなくてもわかる程度には泣いてしまった。
「この邸の者たちが、イリス様にひどい扱いを⁉」
「違うの! 違うのよ、ビダル。落ち着いて」
リズが、ビダルに昼間の出来事を話すと、ビダルは、リズの頭をそっと撫でてくれた。
この執事は、こうやって、イリスが本当に弱っている時だけ、幼なじみに戻ってくれるのだ。
「だからね、この家の人が悪いとかじゃなくて、私が、全ての元凶だっていうことがわかって落ち込んでるだけなの」
慰めの言葉を口にせず、ただ話を聞いてくれるビダルの存在が、ありがたかった。
「ねえ、ビダル。幸せになるのって、どうしてこんなに難しいんだろうね」
空が徐々に明るくなってきた。
もう少しすると使用人たちが起きだす時間だ。
「もう行った方がいいでしょう」
「そうね」
「イリス様。先日の申し出は、まだ有効ですよ」
「え」
「あなたを幸せにする役目は、私にお申し付けください」
そう言い残すと、ビダルは、薄闇の中へと消えていった。
その姿をカリストに見られているとは、リズも、ビダルも気づいていなかった……。




