6 エクスデーロ公爵家
リズが目を覚ましたのは、一目で、貴族家の客室とわかる部屋だった。
きっと、カリストの実家のエクスデーロ公爵家の客室なのだろう。
リズは昨夜、カリストにひどい誤解をされた直後に気を失い、倒れてしまった。
(動揺したせいで、きっと、体の保護魔法がとけてしまったんだわ)
今もカリストの言葉を思い出すだけで、胃が重くなる。
体を起こすと、見計らったようにノックの音がする。
はい、と答えると、メイドが頭を下げて入ってきた。
「よくお休みになられましたか?」
にこやかにほほ笑むメイドは、快活な雰囲気の女性だ。
てきぱきとカーテンを空け、リズの身の回りを整えるための準備を始める。
「昨夜は、カリスト様が、倒れたリズ様を邸までお連れになったのです。皆、びっくりしたんですよ。カリスト様が女性をお連れになるのなんて初めてだったので」
(好きな女性に一途だったってことよね)
もうリズは誤解したりはしない。
「あんなに慌てたカリスト様、久しぶりに見ました」
「お騒がせして、申し訳なかったわ」
「まあ、そんなことございません。お医者様にも診ていただいて、軽い貧血だということがわかりました。おなかのお子様のためにもご無理はなさいませんよう」
「あ」
リズのおなかに子どもがいることは、ごく自然に受け止められているらしい。
彼女は、親しみやすい笑顔でほほ笑むと、リズに水を差しだしてくれた。
メイドの名前はセーラといった。
妊婦に気を使って食べやすい食事を準備してくれたが、昨夜のことを考えると、やはり喉を通りそうになかった。
リズは、明らかに失敗してしまったのだ。
カリストの家は、公爵家だ。
平民のリズでは、どう考えても、財産狙いにしか見えない。
早々に、自分が魔法伯爵だと言うことを打ち明けて、少なくとも財産や地位を狙ったものではないということを明らかにしておくべきだった。
リズが変な欲を出してしまったばかりの失敗だ。
──カリストがリズに優しかったのは、リズの本当の狙いを突き止めるためだったのだ。
泣きたくなるが仕方がない。
(あの人が、私のことを好きだなんて、私が都合よく膨らませてしまった妄想だったんだわ)
カリストは、リズが妊娠した責任をとるため、結婚をすると言ってくれた。
少なくとも、自分の子どもに対しての責任を放棄するような人ではなかった。
きっと、それだけでも十分だと考えるべきなのだ。
(目的は果たしたわ。これでこの子が私生児になって、爵位や財産を継げなくなることはない。領民も守ることができるわ)
もともと魔女は、一人で子どもを育ててきた。
リズも当初そのつもりだった。
だから、書類上の父親になってもらうだけでも、いいのかもしれない──。
結局、食事にはほとんど手を付けられずに、スプーンをテーブルに戻した。
ドアの外が急に騒がしくなる。
セーラは「お待ちください」と言って、外に様子を見に行ってくれた。
カリストが来たのかもしれない。
(どうしよう、ゆっくり考えている場合じゃなかった)
カリストに会って何を言うか決められていなかったリズは、少し焦る。
けれど、慌てるリズに、セーラは、意外な人物の訪れを告げた。
「いらっしゃい、リズさん」
にこやかな笑みを向けるのは、公爵夫人──カリストの義姉だ。
三十代半ばほどの夫人は、真っ赤なドレスが似合う迫力のある美女だった。
目元の泣きぼくろが、絶妙な色気を醸し出している。
ちなみに、表情はにこやかだが、目が笑っていない。
「この度は、義弟があなたに不便をかけたわね」
「いえ」
ちなみに、全く悪いと思っていなさそうな、にこやかな笑みのままだ。
リズは胃が痛くなりながら公爵夫人の向かいのソファに腰を下ろした。
(きっと怒ってるわよね。平民の女が、公爵家の令息をひっかけたって。カリスト以上に、怒って当然だわ)
リズは、怒鳴られるのを、なんだったら、ひっぱたかれるぐらいの覚悟をして姿勢を正す。
「食欲がないんですってね。妊婦の体によいというお茶を準備させたわ。どうぞ」
けれど、リズの緊張に反して、公爵夫人は、リズに怒鳴りも手を上げたりもしなかった。
目の前には、湯気を立てた、黄色のお茶が注がれる。
リズは、恐る恐る手を付ける。
お茶を口に含むと、さわやかな味が口に広がった。
「おいしい」
公爵夫人は満足そうにうなずく。
「食欲を増進する効果もあるのよ。私もつわりがひどいときにお世話になったお茶なの」
「おいしいです。ありがとうございます」
リズは、飲み終えたカップをテーブルに戻す。
公爵夫人は、そんなリズの様子をじっと見つめていた。
「私、リズさんに伝えることがあってきたのよ。カリストは、今朝早く騎士団の遠征に行ったわ。二週間は帰ってこないの」
「え」
「あなた、それまで離れに住みなさいな」
それだけ告げると、呆然とするリズを置いて、公爵夫人は赤いドレスの裾を翻して去っていった。
「二週間」
「カリスト様がいらっしゃらなくてお寂しいですよね。でも、離れは素敵なところなんですよ。公爵ご夫妻が、カリスト様の新居にと建てられたお邸なのですから。明日引っ越しますから楽しみにしていてください」
(本宅だと目障りだから追い出されたんじゃないの?)
楽しそうなセーラの様子を見ていると、あまりそうは見えない。
自分の立ち位置がよくわからなくなって、リズは眉をしかめる。
(でも、カリストに会う前に、考える時間があってよかったかも)
せっかくなので、この時間をもらって、リズは、今後のカリストとの関係をどうすべきか、ゆっくり考えようと思うのだった。
◇◇◇◇◇◇◇
その夜、邸の女主人、アイダ=エクスデーロは、部屋にメイドのセーラを呼びつけた。
セーラは公爵夫人の前に立つと、深々とお辞儀をする。
「ねえ、セーラ。あの子平民じゃないわね。貴族の娘ね」
「はい。そう思います。奥様」
アイダは、昼間見たリズの所作を思い出す。
あれだけ緊張していたのに、音もなくお茶のカップに口をつけ、ソーサーへと戻した。
ソファへ座る様子一つとっても、きちんと教育された貴族の娘だった。
「あの子、悪くないわね。なぜ身分を偽ってるのかしら? 没落貴族の娘? 陛下の隠し子? 隣国の王族との関りが? ああ、秘密のにおいがプンプンするわ。素敵っ、どうしましょう⁉」
「……奥様、全部ないと思います」
「……わかってるわ、言ってみただけよ」
ごほん、と咳ばらいをするアイダに、メイドは胡乱な目を向ける。
「とにかく! カリストが興味を示す女なんて、初恋の少女以来よ。ぜったに逃がしちゃだめ。囲い込むわよ。使用人たちに伝令。わかったわね、セーラ」
「はい!」
こうして、リズとカリストがあずかり知らぬ間に、事態はおかしな方向に転がっていくのだった。




