20 王女からの招集
ガシャンと花瓶の割れる音に、侍女の悲鳴が重なる。
「姫様っ!」
「出て行って! 一人にして」
第二王女エウラリア=グティエレスは、テーブルの上の花瓶を薙ぎ払うと、そう叫んで侍女たちを追い払った。
普段の王女にあるまじき荒れように、侍女たちは一様に動揺したが、成人した王族に逆らえるわけもない。
王女がけがをしていないことだけを確認して、侍女たちは、王女の私室から退出した。
エウラリアは、一人になるや床に崩れ落ちた。
あまりにショックで涙すら出てこない。
「どうして、なんで?」
数か月前、自らの成人の式典でエウラリアはカリストに告白をした。
『今のあなたは、その方に夢中かもしれないけれど、将来のあなたは違うかもしれないもの。私は、きっと、あなたを振り向かせるわ』
それなのに、なぜエウラリアが何も知らないうちに、カリストが来週挙式を迎えるなどという話を聞かなければならないのだろう。
成人を迎えた王族が異国を回るのは、この国の慣習だった。
きっと、カリストに熱を上げているエウラリアの目を覚まさせるために、父である国王が、エウラリアに何も知らせぬまま、国外に出したのだろう。
国王は、エウラリアを、隣国の王家に嫁がせたがっていた。
「だけど、こんなやり方ってないじゃない」
だまし打ちのようなやり方だった。
外遊が延びに延びて、帰ったらこの有様だ。
「私は、勝負の舞台にすら上げてもらえなかった」
カリストに好きな人がいるのは知っていた。
ビビアナ=ベラスケス伯爵令嬢。
辺境伯と婚約し、それを破棄してまたカリストの元へと舞い戻ろうとしているカリストの幼なじみだ。
エウラリアが成人するまでは、彼女が婚約破棄できないように少しだけ手を回したが、それは、正々堂々と同じ立場で勝負するためだった。きちんと勝負して、本当に自分の負けだとわかったら、自分自身で幕を下ろすつもりだったのだ。
「魔法伯? どうしていきなりそんな人が出てくるのよ⁉ ……おかしいわ。そうよ、きっとそうだわ。何か裏の事情があるんだわ。カリストは、きっと断れなかったのよ。カリストを助けてあげなければ」
──お力になりましょう。
視線を上げた先、バルコニーの端に、暗い色のローブを身にまとった男が立っていた。
普段のエウラリアなら、そんな怪しげな者に窓を開けることはしなかった。
その声になど耳を貸さなかったに違いない。
けれど、絶望の最中にいた王女は、たやすくその声に導かれた。
「あなたは、私に、何をしてくれるの?」
こうして、恋に破れた王女は、その声に、絡めとられてしまった。
◇◇◇◇◇◇◇
「イリス様! 旦那様! これをお持ちになってください」
「うわーっ。ほんとにかっこいいー」
「ねえ、旦那様、王都の騎士団のえらい人なんでしょ。すっげー」
お忍びで街を歩くはずだったカリストとイリスだが、街に出た途端に、すぐにばれてしまった。
街で呼び止められ、果物屋の店主にはリンゴのかごを渡され、寄ってきた子どもたちはカリストの腕にしがみつく。
普段のイリスも街を歩くとこんなものだから気にも留めなかったが、カリストは感心したような顔でイリスを見る。
「イリス嬢、いや、イリス。君の領民は随分、人懐こいんだな」
「あっ、申し訳ありません」
慌てるイリスをカリストは押しとどめる。
「いや、そうじゃない。うらやましいんだ。それから、領民に慕われている君を見るのが、純粋に楽しいし誇らしい」
「あ、領主様、顔があかーい」
「あ、あああちょっと今日は日差しが強いから!」
カリストの笑顔にやられて動揺してしまった。
思わずごまかそうとしたのだが、イリスは方向性を間違えてしまった。
「それはよくないな」
カリストがあろうことか、イリスを抱き上げたのだ。
バランスを崩しそうになって、思わずおなかをかばうと、カリストは、イリスの手の上から、自らの手を重ねる。
そんな風にカリストにおなかに手を触れられたのは初めてで、イリスは戸惑いながらカリストの顔を見上げた。
(え?)
「邸に戻ろうか、イリス。おなかの子に障るとよくない。そこの少年。イリスの荷物を持ってくれないか?」
「はいっ‼」
カリストに選ばれた少年は、得意げにイリスがもらったリンゴのかごを持ち上げる。
笑顔で少年と話しながら、イリスを抱いたままカリストは、邸へと向かう。
領民を安心させるためとはいえ、いくら何でも、抱き上げたまま邸へ戻るなんてやりすぎだと思う。
しかし、今更反対するわけにもいかず、イリスはカリストの胸にもたれかかった。
その間中、カリストは終始笑顔だった。
だから、イリスは、さっき一瞬垣間見えたカリストの表情が、本当にそうだったのかわからなくなってしまった。
(一瞬悲しそうに見えたのは気のせい?)
イリスとカリストは、結婚式後の一週間、イリスが妊娠中なこともあり遠出をせず専ら領内を歩き回った。
その間中カリストがやりすぎなほどイリスに優しく接するので、王都の騎士団の副団長の人気はうなぎのぼりだ。
イリスも、この時ばかりは愛されている新妻の気分を満喫させてもらった。
このせいで、騎士にあこがれる若い女性が増えてしまったことは、領の男性にとってはありがたくなかっただろうけれど。
しかし、そんな平和な日々は長く続かない。
カリストへ、翌日からの任務を知らせる早馬が届いたのは、王都へ戻る前日のことだった。
「第二王女殿下の護衛……ですか?」
「隣国から、急に貴賓が訪れることになったようです。人手が足りず、ラルナ騎士団からも人を出せとの通達がありました。私が出ないわけにはいかないでしょう」
カリストは、気が重そうだ。
カリストとイリスが結婚したことは、外遊から戻ってきた王女殿下の耳にも入っているはずだ。
イリスは、エウラリア王女が、考えていることがわかる気がした。
「王女殿下とは、あの夜会以来、お話をされましたか?」
「いいえ」
「では、あなたのことを心配されているのでしょう。魔女に選ばれたあなたは、やむなく私との結婚を承諾したと、思っているでしょうから」
「違います! 私はあの時、自分からプロポーズしました」
「ありがとうございます。ただ、周りからは、そう見えるということです」
カリストに気を使わせてしまっているのが申し訳ないが、今はそのことは置いておく。
「ですから」とイリスは、カリストの前に指を立てる。
「カリスト様、王女殿下の前で、できる限り、幸せそうに、惚気てきてくださいね」
イリスは、カリストが領を出発する日の朝、外でカリストを見送った。
使用人にあまり迷惑をかけたくないというカリストの希望を受けて、カリストの出発する時間は、誰にも伝えていない。
一人で発つというカリストに、道中の無事を祈るためのお守りを渡す。
青銀の宝玉を埋め込んだ、銀のメダリオンだ。
「守護の魔法をかけてあります。風と大地の魔法があなたを守ってくれます。貴方が身の危険を感じた時、守りの力が働くでしょう。できるだけ身に着けておいてください」
「それは心強いですね。あなたの守護魔法はなかなか強力ですから」
「……その節は、申し訳ありませんでした」
今となっては遠い過去にも思える、王宮舞踏会での一幕をお互い思い出しているのだろう。
くすくすとどちらともなく笑いが漏れる。
それから、とイリスは、羊皮紙と皮袋に入れられた鍵をカリストに渡した。
「これは?」
「別邸を、あなたが使えるように整えました。連れてきたい方がいるのなら、住まわせても構いません。あなたの自由に使ってください」
「それはっ」
「そういう契約、ですから」
イリスは、できるだけなんでもないことのようにほほ笑んだ。
(私は、カリストがそばにいることに慣れすぎてしまった。でも、甘えてはいけないわ。カリストと私は、契約で結ばれた関係でしかないなのだから)
だから、イリスは、あえてここで明確な線を引いた。
契約を口に出し、それを思い出させた。
イリスは領地に、カリストは、王都に。
それは、当初から決められた契約だったのだ。
カリストは、言いかけた何かをやめると、イリスの肩に手を置いた。
「王女殿下の護衛任務の期間は二週間です。それを終えたら、また休暇をもぎ取ってきます」
「え?」
(どうしてそんなに早く戻ってくるの?)
二か月後の感謝祭までは、特にアルベニス領での用事はないはずだ。
不思議に思うイリスに、カリストは考える暇も与えずに、言葉を続けた。
「行ってまいります。またすぐに戻ってきますから!」
「……おかえりをお待ちしています。お気を付けて」
カリストは、イリスに近づくと、額にキスを落とした。
イリスは、半ば呆然とカリストを見送るのだった。
「何をしているのですか?」
執務室でごそごそと荷物をひっくり返しているイリスを見て、ビダルは眉を顰める。
「決まっているわ。王都へ行くのよ」
「はい?」
「ゆっくりできると思っていたのに、二週間で用事を済ませて帰ってこなくてはならないわ。それも、内密に」
ビダルはため息をつく。
イリスのマイペースさに振り回されるのはいつものことだが、今回ばかりはなんだかわからない。
先ほど夫であるカリストが王都へ行くのを見送ったばかりだ。
「これよ。この方と、一度、腹を割って話さなくてはならないと思っていたの」
「これは……」
二日前、王都から届いた手紙は、もう一通あった。
それは、王弟クレメンテからイリスにあてられた手紙だった。




