2 魔法伯爵
アルベニス魔法伯爵家のタウンハウスは、美しい庭園が自慢の、趣のある石造りの邸宅だ。
庭では、生命力溢れる花々が、季節に抗うかのように咲き乱れている。
命を司る、アルベニス家の魔法によるものだ。
建国以来、アルベニス家は、この国の豊穣を支えてきた。
初代魔女は、王国各地を巡り、魔力によって痩せた土地に命をもたらした。
その功を認められ、魔法伯爵に叙爵されたのがアルベニス家の始まりだ。
以降、アルベニス家に生まれた魔女は、魔力によって大地を生命力で満たし続けてきた。
一方、その裏で地道に取り組んできたのが、土壌改良と植物の品種改良だ。
それが功を奏し、この数十年ほどで、魔力にほとんど頼らず豊かな実りを得る地域が増えてきていた。
近年、魔力による恩恵は薄れつつあったが、魔女は、未だに王国の民から崇拝の眼差しを向けられている。
イリスは、執務室で決裁書類に目を通していた。
最近、花瓶を全て片付けてしまったので、執務室の中は殺風景だ。
書類をめくっているうちに、机の上の銀のトレイに置かれた青琥珀のイヤリングが目に入る。
ついつい手に取って、光にかざして、深い青色の奥に光る、キラキラとしたかけらをのぞき込んでしまう。
片方なくしてしまった、一つしかないイヤリングだ。
──あの日、カリストにもらったもののうち、二番目に大切なもの。
『ねえ、これ買ってくれる? あなたの目の色にそっくり』
『こんな露店で買える安物が俺の目にそっくりなわけが……』
店主ににらまれながら無理矢理買わせたイヤリングに、カリストは不満げだったが、イリスにとっては、唯一無二の宝物だ。
けれど、あの日、邸に着いた時には、イリスの耳には、イヤリングは片方しか残っていなかった。
片割れは、どこに行ってしまったのだろう。
(ある日、ポロっとカリストの目の前に落ちてきて、あの女か、なんて思い出してくれるかな?)
捨てないで、引き出しの隅にでもしまっておいてくれたら、ちょっとうれしい。
きっとどこかの道端に転がっているんだろうけれど、その事実には考えないことにして、イリスは、想像を膨らませる。
誰にも言えない、イリスだけの秘密の妄想だ。
開いた窓から、庭の花の香りが部屋の中へと流れ込んできた。
吐き気がしてしまい、イリスは眉をしかめた。
(花の香りがだめになる日がくるだなんて)
イリスが窓を閉めようと立ち上がった時、廊下を足早に近づいてくる音が聞こえてきた。
普段なら、彼がそんなふうに、大きな足音を立てて廊下を急ぐことは、まずない。
ノックと同時に扉が開くのを見て、イリスは、片眼鏡の執事、兼幼なじみ、兼兄、兼……といくらでも肩書がつきそうな相手に首をかしげて尋ねた。
「一体どうしたの? ビダル」
「本日、ある法案が議会を通りました」
いつもは血が通っていないかと思わせるほど冷静な執事の見せる、焦った様子に、イリスは眉をしかめた。
「続けて」
「法案は、私生児に対する、相続上限を四割に制限し、主たる爵位の相続を否認するものです」
「それって……」
「はい、起案は王弟殿下によるものです」
「……っ!」
(やられたわ!)
イリスは、自らのお腹に手を当てた。
あの日、カリストにもらった、一番大切なもの。
それは、イリスとカリストの私生児として生まれてくる予定のお腹の子どもだった。
魔女は結婚をしない。
それは、過去の不幸な出来事がきっかけとなっで踏襲されてきた不文律だった。
魔女はその血を継ぐために、子供を作る。
女系にのみ受け継がれる魔力と、積み重ねられた魔法と研究成果を後世につなげるためだ。
けれど、それには必ずしも夫は必要ない。
歴代の魔女たちは、自らの血筋に最高の胤を落としてくれる夫を見繕い、必ず一夜で身ごもる命の魔法を自らにかけて、ことに及ぶのだ。
──先日のイリスのように。
魔女の父親が誰かは、公にされない。
詮索しないのも貴族社会の暗黙のルールだ。
父親に似た容姿で生まれれば、父親が誰かなどと噂されはするがそれだけだ。
男性はむしろ、魔女に選ばれたことは、自らの価値を認められたと捉え、名誉なことだと受け止めるらしい。
イリスにも、父親だと噂されている貴人がいるが、母は父が誰か教えてくれない。
もちろんイリスはそんなことに興味がないし、その人に会ったこともない。
だから、魔女の娘は、必ず私生児となるのだ。
そして、国民の誰もがそれを自然なことと捉えていた。
(それなのに)
魔女が、婚姻せずに血をつなぐ方法を、尊重しない輩がいた。
王弟だ。
今年二十六になる王弟殿下は、どういうことかイリスにご執心で、ここ二年ほど、ことあるごとにイリスに結婚を迫ってくるのだ。
品のある美しい容姿で、芸術や学術活動に積極的なこの王弟殿下は、国民人気が非常に高い。
ただ、イリスは、この王弟殿下を、どうしても好きになれずにいた。
面倒なので、適当にあしらっていたら、こんな搦め手できた。
仕事ができる人物だということをすっかり忘れていた。
イリスは、大きくため息をつく。
「私生児の判定は、どういう基準なの?」
「子供が生まれた時に、父母が婚姻関係になければそうみなされるそうです」
「そう……。議会に働きかければ味方してくれる貴族はたくさんいるわよね」
「はい、例外を認める条項などの追加は可能でしょう。協力してくれる貴族も、民の後押しもあるでしょう。……しかし、時間が足りません」
ビダルは、イリスのおなかを見つめた。
この子が生まれるまで、あと八か月だ。
それまでに確実に法が変えられるという保証がない。
(この子が私生児になってしまったら……。お金はいいわ。でも、爵位を取り上げられたら、子どもだけの問題じゃない。この魔法伯爵領の領民がどうなってしまうかわからない……)
「イリス様。力不足かとは思いますが、どうぞ、私に夫の役目をお命じください」
「すべての事情を知ってるビダルなら安心だけど、あなたには、お相手がいるでしょ。こんなことであなたが犠牲になる必要ないわよ」
「犠牲などではありません。我がコンデ家の存在は、アルベニス家あってのものです。主家存続の危機に、これ以上の優先事項はありません。それに、婚約が進められていたのは、コンデ家存続のためです。私の代わりは一族にいくらでもおりますから」
イリスは、苦笑する。
幼なじみのビダル=コンデは、アルベニス家を支える代々の封臣の一族だ。
彼自身もイリスに忠誠誓約を行っている。
でも、それを理由に、彼にこれから訪れるかもしれない、幸せな結婚をあきらめてもらうのは忍びなかった。
「そうねえ。どうしようもなくなったら、あなたにお願いするかもしれないけれど、もう少し、何か手がないか考えてみるわ」
そして、考えに考えた末にイリスが出した結論は。
──再び、カリストに会いに行くことだった。




