14 契約結婚
エクスデーロ公爵家から、イリスの元に求婚状が送られてきたのは、舞踏会の翌日のことだった。
舞踏会場での求婚の後、カリストは、涙を流すイリスを守るように馬車まで送ってくれた。
カリストは困ったようにほほ笑むと、求婚状を送ります、とだけ告げて馬車のドアを閉め、イリスを邸へと見送ってくれたのだった。
イリスの頭の中は、彼への申し訳なさでいっぱいだった。
カリストが、一度は断った契約結婚をすることになったのは、イリスのせいだ。
気を抜いたイリスが、王弟につかまってしまい、彼の前でイリスの無様なところを見せてしまったせいだ。
正義感の強い騎士である彼が、目の前の女性を助けないという選択肢はなかったのだろう。
(謝っても謝り切れないわ)
そして、舞踏会後初めての週末の今日、カリストが、イリスのいるアルベニス魔法伯家のタウンハウスに求婚の挨拶にやってくる。
イリスが応接室に入ると、カリストは、椅子から立ち上がってイリスを出迎えた。
イリスの手に口づけると、カリストは顔を上げる。
「あの日以来ですね。今日は、顔色のよいあなたに会えて、うれしく思います」
「エクスデーロ卿のあの日のご配慮には、どれだけ感謝を申し上げても足りません」
カリストは、求婚の挨拶に訪れた者らしく、正装に近い装いで、アルベニス家を訪れている。
しかし、それは表向きのことだ。
「私たちは、これからのことについて話し合わなければなりませんね。紹介しておきます。彼は、アルベニス家の執事のビダルです」
席に着いたカリストに、イリスは、背後に立つビダルを紹介した。
ビダルは、無表情に、カリストに頭を下げた。
「彼は、私たちの事情にも通じておりますし、これから作る婚前契約書の作成も彼に任せるつもりです」
「婚前契約書?」
「ええ、文章にした方がご安心でしょう? もちろん、公にはいたしません」
「……はい、わかりました」
イリスは、居住まいを正す。
「まず、始めにお詫びをさせてください。一度お断り頂いたのにもかかわらず、あなたにこのような選択をさせてしまったことを申し訳なく思っています」
「いえ、そのようなことは!」
イリスはゆっくりと首を振った。
「エクスデーロ卿は、私がテラスであのような提案をしなければ、あるいは、舞踏会場で私と王弟殿下のあのような場面に遭遇しなければ、私に求婚をすることはなかったでしょう?」
「そう……ですね」
それは、当然の答えだったが、イリスにとっては胸が痛くなる内容だ。
けれど、ここを避けては通れない。
「はっきりさせなければ。あなたは、私の事情に巻き込まれてしまっただけなのです。巻き込まれ、被害にあわれたあなたに、私は、できる限りのことをしたいのです……具体的には」
イリスは、ビダルに差し出された契約書の素案をカリストに差し出す。
カリストは、内容を確認して、顔を上げた。
「……私の事情をご配慮くださりありがとうございます。この契約を受け入れます」
イリスは、ほっとして笑顔になる。
契約の内容は、こんなところだ。
・二人の婚姻期間の期限は、イリスの子どもが生まれて一歳になるまで。
・イリスの子どもは、対外的に、カリストの実子として扱うこと。
・イリスはカリストの交友関係に一切口を挟まない。
・婚姻期間中は、王都にあるアルベニス家の別邸をカリストの自由に使ってよい。
・婚姻期間終了後、アルベニス家の別邸は、カリストに譲り渡す。
アルベニス家の別邸は少し郊外にあるが、十分な広さがある洗練された建物で、恋人を住まわせる別宅にしても、資産としても悪くないはずだ。
「私も、あなたの提案を少し考えたのです。王女殿下の求婚を断るためには、あなたの求婚を受けいれるのが一番かと」
「そう言ってくれると、心が軽くなります。それに、再婚ならばある程度自由がききますから、好きな方とご結婚しやすくなりますもの」
(よかった。カリストもこの結婚にメリットを見出してくれているのね)
同時に、それは、彼とビビアナ嬢二人の関係を公認し、たびたび目にすることを肯定したのと同じだ。
(仕方がないことよ)
イリスは、カリストにほほ笑みながら、テーブルの下で、両の手を握りしめる。
いつになったらこの胸の痛みに慣れる日が来るのか、イリスにはまだ見当もつかなかった。
どんよりと落ち込みそうになる考えを振り払い、イリスは、気を取り直して、会話を続ける。
「それから、私たちがどのように出会い子どもを持つに至ったか、なのですが、こんなのはいかがでしょう。私が、魔女の夫としてエクスデーロ卿を選び、子どもを授かった。もちろん当初結婚をするつもりはなかったが、先日成立した法案の影響を鑑みて、アルベニス家の今後を憂い、婚姻を結ぶことにした。そしてとうとう先日の夜会で公にすることになったと」
極力恋愛感情を除いた内容だ。
ビビアナの婚約破棄の件は、まだ公にはなっていないようなので、イリスと離婚をした後、カリストとビビアナが結婚することになったとしても、きっとさほどカリストが非難されることはないだろう。
「そう、ですね。それでいきましょう」
話がスムーズに進んでイリスは、ほっとする。
そのあと、結婚式は、三か月後、イリスの領地であるアルベニス領で行うことを決め、それに向けての準備などについて話し合った。
「結婚式の準備は、こちらで進めておきますね。なるだけエクスデーロ卿に、ご迷惑をかけないよう……」
「カリスト、と」
「はい?」
「舞踏会の時のように、カリスト、と呼んでいただけますか?」
(舞踏会の時? 呼んだかしら? まあ、いいわ)
「そうですね、婚約者になるんですもの。カリスト様、とお呼びいたします」
「では、私はイリス嬢とお呼びします。それから、結婚式の準備ですが、私が必要な時には、遠慮なく声をかけてください。必要がなくても週に一度はお会いしましょう。これから結婚するのですから、なるべく一緒にいてあなたのことをもっと知りたいのです」
「で、でもそれではエクスデーロ卿にご迷惑が」
「カリストと。貴方のことを詳しく知らずに周りに惚気の一つも言えないことのほうが困ります」
「カリスト様。は、はい、わかりました」
カリストは青琥珀の瞳を細めて、ほほ笑んだ。
「一度、エクスデーロ公爵家にもおいでください。家族があなたに会いたがっていますので」
「……はい、お伺いします」
イリスは、カリストの義姉によくしてもらったことを思い出し後ろめたさに一瞬ひるんだが、結婚するのに挨拶もいらないというわけにはいかない。
これも、避けては通れない道だ。
「あの、アルベニス家のほうですが、母と挨拶していただくのは、結婚式になりそうです。国外に行っており、戻るのが難しいそうなのです。ただ、当主は、すでに私に代替わりしておりますので、この決定が覆ることはないのでご安心ください」
「そうですか。前魔法伯にお会いするのは、実は初めてなので、楽しみです」
「……そう、なのですね」
カリストは、十五年前のあの冬の日、イリスの母に命を救われたことは覚えていないようだった。
「それではまた来週、イリス嬢。お体をお大事になさってください」
「ありがとうございます。カリスト様も、……お気をつけて」
最後に、イリスは、ある内容についてカリストに伝えるかどうか迷い、口を閉じた。
(取り越し苦労かもしれないもの。王弟殿下が、まだ、私をあきらめないかもなんて)
──後に、この決断を後悔することになるとは知らずに。




