13 カリストの求婚
「実は、私も困っているの。王弟殿下に求婚されていて」
馬鹿なことをしている自覚はあった。
「エクスデーロ卿、私と契約結婚しないかしら?」
カリストは、呆然とイリスの目を見返す。
「好きな方と結婚したいんでしょう? でも、その方は、王女殿下の求婚を断れるだけの地位や力を持っていらっしゃるかしら?」
「……いいえ」
「ならば、それこそ駆け落ちでもしない限り、エクスデーロ卿は、王女殿下の求婚を断れないわ──でも、相手が私ならどうかしら。魔法伯の地位は、王族にすら軽んじられるものではないわ。私なら、結婚して、ほとぼりが冷めたらそのあとで離婚してあげられる。再婚なら、あなたもきっと、その好きな方と結婚出来るわ」
魔法伯は、伯爵の名を関しているが、他の伯爵家とは一線を画す。
この王国にたった一つの家門であり、建国以来、この国の豊穣を司ってきた唯一の家門だ。
魔女の血を継ぐことは王国にとっての繁栄と同義であり、その意向は、王族ですら無視できるものではない。
明らかにされてはいないが、アルベニス家には王族の血も混じっているのだ。
「心配しないで。あなたに、魔女の子どもの父親になってほしいと言っているわけじゃないわ……私、もう子どもがいるの」
おなかに手を添えると、イリスの頬に、自然と笑みが浮かぶ。
「法令が変わったでしょう? 私には『父親』役をしてくれる相手が必要なの。エクスデーロ公爵家のあなたが相手なら、王弟殿下も、結婚を迫ることはできないと思うの。私の提案は、あなたの好きな方も、一緒に守ってあげられるわ。私は基本領地にいるし、あなたは、今のまま王都にいて──恋人と一緒に暮らしてもいいし、好きにしていいわ」
一息に言い切ったイリスの前で、カリストの視線が伏せられた。
「申し訳ありません。大変ありがたいお申し出ですが、私には、自分の心に背く選択をすることができません」
カリストは、考えこむこともなく、すぐに答えを返した。
イリスの肩から力が抜ける。
けれど、それは、悲嘆ではなく安堵からだ。
(よかった……断ってくれて)
イリスが自分が心底ほっとしていることに気づいた。
この話を始めてしまった時から後悔していた。
一時の感情に流されて、馬鹿なことをしてしまうところだった。
だいたい、愛を貫くために、他の女と結婚するだなんて、逆の立場なら絶対にやってほしくない。
それにもう、イリスはこれ以上カリストには関わるべきではないのだ。
カリストは助けたいけれど、それを行うのはイリスなんかでなく他の人間のほうが絶対にいい。
「そうよね。騎士であるあなたに、失礼な申し出だったわね」
カリストは王家の騎士だ。
王家に命令されれば従わざるを得ない。
けれど、イリスの提案は、命令ではない。
騎士は、己の精神に対して誠実なるを是とする。
偽りの関係とはいえ、彼女への裏切り行為はできなかったのだろう。
(私は、ビビアナ様を思うカリストの愛に負けたんだわ)
嫉妬心すら起きないほどの完敗だった。
「ごきげんよう」
イリスは、むしろすがすがしい気分でテラスを去ろうとカリストに背を向けた。
と、テラスの床の敷石の隙間につまづき、少しふらつく。
カリストは即座に両手を伸ばしイリスを受け止めようとした。
ビュッ。
その時だった。
イリスの体を包むように風が舞い、カリストに襲いかかる。
カリストは目を見開くが、イリスに差し出した手を引くことはなかった。
風は、容赦なく、カリストの頬、伸ばした腕を切り裂く。
風に逆らうように、カリストはイリスに手を差し出し、片膝をつきながらどうにかイリスを受け止めた。
(魔法がっ)
イリスがいつもより念入りに自身にかけた保護魔法が発動してしまったのだ。
生命保護の大地の魔法に加えてかけた、守りのための風の魔法だ。
片膝をついたカリストは、イリスを全身でかばうようにマントの下に抱え込む。
「襲撃か⁉」
「違うの! ごめんなさいっ。子どもがいるから、いつもより念入りに自分への保護魔法をかけてしまったせいなの。あなたにけがをさせるだなんて」
「あなたの命が狙われているのでなくてよかった」
張りつめていたカリストの顔に笑みが戻る。
思わずどきりとしてしまい、それどころでないと首を振る。
「ごめんなさい、手当てをするわ」
「この程度放っておいても平気です」
「平気じゃありません! 私に、魔法伯の務めを放棄させるつもり? 騎士の手は国を守るためのものよ。そのけがを放置するのは、国益を損なう行為だわ」
アルベニス家は、建国時から国と民を守り、国を富ませることで魔法伯の地位を授けられた。
国のための、民のための家門だ。
人のために生きよ、その家訓はアルベニス家に代々受け継がれており、もちろんイリスの中にも生きている。
イリスはポケットから薬を取り出すと、イリスの魔法で傷ついた、カリストの腕と手の甲に薬を塗った。
最後に、その頬についた傷へと手を伸ばす。
カリストの青琥珀の瞳が、イリスの顔をじっと見つめていた。
(私は何をやっているの⁉)
イリスは、自分がカリストに近づきすぎていることに気づいて、はっとする。
カリストの頬にさっと薬を塗ると、薬をカリストに押し付けて立ち上がった。
「魔女の薬よ、よく効くわ」
「待っ……」
テラスを後にしたイリスは、廊下を足早に通り過ぎ、舞踏会場の方へと向かう。
徐々に会場の喧騒が戻ってくる。
イリスは誰にも気づかれないよう、舞踏会場の入口を抜けたところで、壁に向かって手をついた。
「はあ」
(王女殿下に挨拶をしてすぐに帰るつもりだったのに、私は何をしているのかしら)
もう、急な体調不良を訴えて帰るしかない。
王女殿下には失礼だが、あとで、手紙を送ることにしよう。
そう思い、振り返ろうとした時、背後に人の気配を感じてイリスは動きを止めた。
「ここにいらっしゃったのですね、イリス」
涼やかな、落ち着いた声が、イリスの背後から聞こえる。
イリスは、観念するように目をつぶって大きく息を吸った。
振り向きながら、スカートの端をつまみ、深く腰を落とし、礼をとる。
「はい、ご無沙汰しております。王弟殿下」
さらさらと滑らかな銀糸の髪を束ね、気品を兼ね備えた線の細い美貌を持つ青年は、やわらかにほほ笑んでいた。
会わないようにとずっと気を張っていたというのに、カリストの件で、すっかり頭から抜けてしまっていた。
「クレメンテ、と名前で呼んでほしいといつも言っているのに」
彼は、イリスの手をとると、その指先に優雅に口づける。
上目遣いにイリスを見上げる彼の瞳を、イリスは、苦い気持ちで見下ろす。
優しげな容貌の彼が外見通りの男でないことを、イリスはよく知っている。
イリスが結婚しなければならない原因となったあのやっかいな法案も、イリスを困らせるために、この王弟クレメンテが仕組んだことだ。
彼がそばにいることで、イリスの周囲が徐々に注目を帯びてきた。
「私には恐れ多いですわ」
「なぜ? 私があなたに夢中なのは、誰もが知るところです。そして、あなたに求婚していることも」
「殿下、私はお断り申し上げたはずです」
「ええ。でも、私はあきらめません。それに、新しい法律では、魔女の血を継ぐために結婚が必要でしょう? 私は、よき夫になれると思うのです」
(それを、あの法案を通した、あなたが言うの?)
「脅し、ですか?」
声を押し殺して言葉を返すイリスに、クレメンテは、胸に手をあてて訴える。
「心外です。私は、こんなにもあなたに愛をささやき続けているのに」
後半、わざと声を大きくする。
会場中の貴族たちがこちらに注目しているといっても、過言ではないだろう。
(こうやって他の貴族を味方につけるのね)
イリスを愛していると言いながら、イリスの逃げ道をふさいでこうして追い詰める。
この男が、本当にイリスを愛しているとはイリスにはとても思えなかった。
(熱のこもった目で私も見つめているけれど、私を本当に見ているわけではないわ)
クレメンテがイリスを求めている理由が何か、イリスには、わかる気がしていた。
(この男が求めているのは、おそらく、私の体──正確には、『魔女の血肉』)
「私には、過分なご厚情です」
「わかりました。それでは、ダンスだけでも」
クレメンテは、再びイリスの手をとり、ダンスへと誘う。
「申し訳ありません。体調が悪く、もうお暇したいのです」
イリスはそう言って手を引き抜こうとしたが、逆に、その手はしっかりとつかまれる。
イリスはさすがに抗議しようと顔を上げると、王弟は、イリスを引き寄せるように顔を耳元に近づけた。
「お疲れの原因は、身ごもられたせい、ですか?」
瞬間的に体が反応してしまった。
「あなたが既にその身に子どもを宿していることは知っています。そして、あなたにまだ、夫候補の影も形もないことも」
「……っ」
「早く夫を持たないと、あなたの子どもが不幸になってしまいます」
「あなたが、あんな法案を通したからでしょう!」
「素敵な法律でしょう。あの法律からあなたとあなたの子どもを守る方法を、あなたはもうご存じなのでは?」
イリスは、今すぐこの男を魔法で吹き飛ばしてやりたくなるが、どうにかこらえて、その胸を押し返した。
「さあ、どうかあなたを恋い慕う男に、情けを」
聴衆を味方につけるような大きな声に、イリスは、唇をかみしめる。
(恋しているなんて、絶対に嘘だわ)
恋しているなら、他の男の子どもを身ごもっているという女を、変わらぬ笑みで見下ろせるはずがない。
ただ、イリスを求めているのは、事実なのだろう。
きっとこの先、イリスが結婚しようとしたら妨害してくるだろう。
イリスの将来の結婚相手に、この男の悪意が届く未来が、簡単に予想できる。
(きっと、私の夫となる男性たちに多大な犠牲を強いてしまうわ)
「殿下。イリスの手を放していただけますか?」
その時、凛とした声が、イリスの背後から届く。
誰の声かなんて、振り返らなくてもわかる。
正義感の強い騎士である彼は、女性が困っている場面を見過ごせないのだ。
ひょっとしたら、さっきイリスが王弟殿下に困っていると伝えたから、結婚を断った罪滅ぼしのつもりかもしれない。
でも、理由などどうでもよくて、ただ彼が助けようとしてくれているという気遣いがうれしかった。
「エクスデーロ卿。見てわからないのか。卿に出る幕はない」
「いいえ、あります」
クレメンテは、ほんのわずかに、不快そうに眉をひそめた。
カリストは、イリスのすぐ脇まで来ると、王弟の瞳をしっかりと見据え、そして、頭を下げた。
「殿下。申し訳ありません。既に、彼女は、私の子どもを宿しているのです」
会場中に、ざわめきが走る。
イリスも、衝撃に言葉をなくした。
彼が、そこまでするとは思っていなかったのだ。
頭を上げたカリストは、イリスの前でひざまずいた。
イリスの手をとり、その指先を額に当てる。
「魔法伯イリス=アルベニス。どうか、私と結婚していただけませんか?」
「カリスト」
イリスが受けた、二度目のプロポーズだった。
涙が零れ落ちる。
その涙は、周囲にはどう映ったのだろうか。
けれど、王弟の求愛から逃げきるには、答えは一つだった。
「はい」
イリスの頬を滑り落ちる涙が、カリストに取られた手の上に、ぽたぽたと落ちる。
愛する人との結婚が、こんな自責と後悔に満ちたものになるとは、イリスは、想像すらしていなかった。




