12 イリスの求婚
今日王宮で開かれるのは、第二王女エウラリア殿下の成人の式典だ。
イリスは、式典の会場に向かうため、馬車に乗り込んだ。
今年十八歳になる王女は、亜麻色の髪と、オレンジの瞳を持った、美しい女性だ。
少し勝気な性格だとは聞いているが、王族の務めは精力的に果たす、しっかりとした方で、国民の人気も高い。
ただ、王女には一つ、気になる噂があった。
(あの噂がなければ、もっと純粋に殿下の成人を祝えたのに……いいえ、今の私には、関係ないことだわ)
噂の内容に、イリスは少し複雑な気分になるが、すぐにそれを頭から追いだす。
(それよりも今は、考えなければならないことがあるもの)
出発前のビダルとのやり取りを思い出す。
「お子様の生まれる時期を考えると、そろそろ結婚の決断をしなければなりません。王弟殿下にあきらめていただくための理由も必要ですから」
王女殿下の式典に出発する前に、ビダルが、久しぶりにこの件について触れた。
子どもの生まれる時期は、社交嫌いのイリスのことなので、領内に閉じこもっていれば、多少はごまかせる。
けれど、多少、という程度だ。
そろそろ夫を決めないと面倒なことになる。
「ビダル、私の夫になるにあたって、妥当な婚前契約書を準備しておいて。それから、家門の誰かで……その契約書にサインしてくれそうな人を見繕っておいてくれる? 私は、奥様を亡くして、もう子どもに爵位を継がせて隠居された方がいいような気がするの」
「イリス様。私は……私では、」
「続きは、式典が終わってから話しましょう」
私では、いけませんか? そう言葉が続きそうな雰囲気を察して、イリスはビダルの言葉を遮って馬車へと乗り込んだのだった。
(私は、誰かと結婚しなければならないの。アルベニス家のためを思ってくれて、書類上の父親になってくれる人なら、誰でもいいの。そんな役目をビダルに押し付けるわけにはいかないわ)
馬車の窓から流れる景色を見ながら、イリスは、目をつぶる。
(結婚なんて、ただの契約なのよ。何も迷う必要なんてないわ。むしろ、迷っている時間がもったいないくらい)
あとはもう、イリスの決断次第なのだ。
久しぶりの社交界は、イリスにとって、鬼門だった。
墨を流したようなまっすぐな黒髪、赤い瞳は、魔女にしかない色だ。
よって、イリスはとても目立つ。
久しぶりに社交の場に出てきた人付き合いの悪い魔女に話しかける人は少ないが、それでも、物好きはたくさんいる。
そのうちの一人が、王弟殿下だ。
式典が終わり、続けて舞踏会が開かれると、式典で壇上に縛られていた王族も自由に会場を歩き回ることができる。
イリスは、彼の目を避けて会場の中を移動した。
そして、今回はもう一人、イリスが避けたい人がいる。
イリスの初恋の人で、子どもの父親で、イリスが失恋したばかりの──騎士カリスト。
彼の姿を目にするのが辛くて、イリスは彼の姿が目に入らないように移動した。
(私は、何のために来たのかしら)
二人から逃げるように会場を移動するのは厳しいものがある。
早々に王女殿下にお祝いを告げて、舞踏会を退出すべく、イリスはエウラリア王女の姿を探すことにした。
王女がテラスにいるという情報を聞き、イリスは、二階の端のテラスに向かった。
テラスに入ろうとして、話し声に足を止め、とっさにカーテンの陰に隠れる。
男女の声だ。
男性のほうには、聞き覚えがある。
(王女殿下が、カリストに懸想しているという噂は、本当だったんだわ)
テラスの話声は、王女殿下とカリストのものだった。
「私、大人になったわ。あなたに求婚できるぐらい。少しは考えてくれる?」
「申し訳ありません、殿下。私には、好きな人がいます」
「命令することも、できるのよ?」
「命令ならば従うしかありませんが、心を差し上げることはできません……殿下は、それをよしとする方ではないでしょう?」
「本当に、私のことをわかってるのね。なら、私が簡単にあきらめられないことも、わかってるわね?」
「……」
「今のあなたはその方に夢中かもしれないけれど、将来のあなたは違うかもしれないもの。私は、きっと、あなたを振り向かせるわ」
「殿下……」
王女殿下の言葉一つ一つが、イリスの気持ちをかき乱した。
イリスには、彼女の気持ちが痛いほどわかった。
少し前までのイリスがそうだったから。
(でも、殿下。カリストには、想い人がいるんです。手に入らないものを、わずかな希望にすがって待ち続けるのはとてもつらいものです)
そこへ、王女殿下の侍従が、控えめに声をかける。
王女は、わかったわ、と侍従に声をかけて、その場を後にした。
その目の端に涙が光っていたのは、イリスの見間違いではないはずだ。
「なぜ、誰も幸せになれないのかしら?」
その言葉は、ぽろりと口の端から零れ落ちてしまった。
テラスに佇むカリストが、はっとしたように顔を上げ、「誰だ」と誰何の声をあげる。
イリスは、口に出してしまったことを後悔しながら、カーテンの陰からカリストの前へと姿を現した。
会いたくなかったのに、こうなっては仕方ない。
「アルベニス伯爵」
「ごめんなさい、お話が聞こえてしまって」
「お見苦しいところを」
「いいえ」
イリスは、離れた場所で会話を続けるわけにもいかず、カリストのそばへと歩を進めた。
会場から漏れる薄明りに照らされるカリストの顔は、イリスの記憶より、だいぶ憔悴して痩せてしまっているように見えた。
「好きな方と、ご一緒にならないの?」
「事情がありまして……すぐには」
(ビビアナ様の婚約破棄は進んでいないのかもしれないわね)
「でも、その方と一緒になりたいのね──ねえ、私たち、お互いに助け合えないかしら」
その言葉が、なぜ出てきたのかわからない。
「どういう意味でしょうか」
「実は、私も困っているの。王弟殿下に求婚されていて」
理性はやめろと言っている。
けれど、止めることはできなかった。
その言葉は、あふれ出てしまった。
「エクスデーロ卿、私と契約結婚しないかしら?」




