10. 初恋1
──十五年前の冬。イリスが八歳の頃。
魔法伯である母は、王の要請を受けて、王城で温室の建設に携わっていた。
イリスも一緒にタウンハウスに来ていたが、あまり外出をさせてもらえなかった。
魔女の子どもは、十歳ごろまでは魔法が安定しないため、隔離されるのが常だったのだ。
そのせいもあって、イリスには、一緒に遊べる友達と言えば、ビダルくらいしかいなかった。
ビダルは、少し特殊な訓練を受けているため、イリスに何かあっても、対処できるのが理由だ。
といっても、ビダルは六つも年上なので、一緒に遊ぶと言うよりお守りである。
イリスはそれなりに物覚えがよかったので、八歳の頃には魔法も安定してきていた。
そうなると外出させてもらえない理由も説得力がなく、イリスは日に日に不満を募らせていった。
タウンハウスの子ども部屋で足をばたばたさせながら、イリスはビダルにぶつぶつとこぼす。
「つまんなーい。お外に遊びに行きたーい」
「そのようなお行儀では、貴族のお邸に遊びに行くのは難しいですよ」
「いいもん。どうせいけないんだから!」
「本当にそう思います?」
ビダルが意味ありげに笑っているのを見て、イリスは、がばっと起き上がる。
「ひょっとして!」
「はい。ご当主様がそろそろ王都で貴族のお友達を作ろうとおっしゃっていました。三週間後には、ご当主様の手が空くので、年の近いお嬢様のいらっしゃるお宅へご一緒されるそうですよ」
「お母様が! ほんと?」
「はい、実は、イリス様にあてた招待状もたくさん来ています。こちらに」
「見たい!」
ビダルの差し出したトレイには、色とりどりの招待状が並んでいる。
「うわあ。すごいよビダル。イリス=アルベニス嬢──私宛だよ!」
イリスは、夢中になって招待状をめくっていく。
全てに参加するのは難しいし、応じられるのは、母の日程が合うものだけと聞いているが、イリスは楽しみで仕方ない。
他の貴族家に行くのは、何せ生まれて初めてなのだ。
その中で、一つだけ気になったものがある。
ピンクやオレンジの明るい色の中に、一つだけ、青に銀の縁取りの招待状が混じっていた。
イリスは、その一つを手に取る。
(カリスト=エクスデーロ公爵令息の、十二歳の誕生日パーティ!)
公爵家が、イリスの家よりもお金持ちで、位の高い家だと言うことは、イリスも知っている。
いったいどんなパーティなのだろうと、わくわくする。
「さあ、イリス様、礼法の先生がいらしゃいましたよ。三週間後を目指して頑張りましょう」
「あ、う、うん、頑張る!」
とっさに、招待状をポケットに隠してしまったが、ビダルには気づかれなかった。
冬の王都は、何日か大雪が降った後は、決まって晴れ渡る。
その日も、数日前に雪が降ったばかりだった。
冬だが日差しは温かく、街の大通りの雪は解けていたが、日陰にはまだ雪がだいぶ深く残っている。
──そんな天気の良い過ごしやすい日、イリスは、「公爵家」の中庭にいた。
招待されたエクスデーロ公爵家のパーティーは三週間後だ。
メイドの話から、イリスの住むタウンハウスと公爵家の敷地が近い場所にあることを知ったイリスは、がまんしきれずに、こっそり、偵察に来てしまったのだ。
いつも一緒にいるビダルが不在の日、イリスにしかできない方法で、家から抜け出して、公爵邸へと忍び込んだ。
すなわち、土魔法を使って、石の塀を柔らかくしてすり抜けたのだ。
招待状を見せられたあの日、イリスは、思わずポケットの中に、エクスデーロ家の誕生日パーティの招待状をしまい込んでしまった。
一人になるたびに取り出して眺めていると、どうしてもこの家に行ってみたくて我慢ができなくなってしまったのだ。
もちろん、建物の中に入ったりはしない。
敷地の端からちょっと入って、庭をちょっとのぞくぐらいのつもりだ。
そのつもりだったのだが、公爵家のレンガ造りの壁を柔らかくしてすり抜けると、そこは、森しかなかった。
あまりにつまらなくて、何かないか捜し歩いていると、おもしろい物を見つけるよりも先に、金髪の少年を見かけた。
金の巻き毛で、整った目鼻立ちのとてもきれいな少し年上の少年だ。
彼は木の枝に降り積もった雪を、手に持った木の棒でたたいて、周り中に雪を降らせる遊びをしていた。
初めは隠れて通り過ぎるのを待っていたのだが、イリスの目の前で、少年は、なんと、跳ね上がった木の枝で、頬をざっくり切ってしまった。
「いたっ。なんだよこれ」
「こすっちゃためだってばーっ!」
手袋をした手で頬をこすろうとする少年を見て、イリスは、思わず飛び出してしまった。
「誰?」
「はっ‼」
それが、イリスとカリストの出会いだった。
「もう、せっかくきれいな顔なのに、こすったらだめっ」
イリスは、少年の顔に、ポケットから出した薬をペタペタと塗っていく。
少年は年上だが、ビダルと遊びなれたイリスに、臆するところはない。
「君は、誰?」
「私? イリス! お兄ちゃんは?」
「僕はカリスト。君は、ここに住んでる使用人の娘さんかな?」
「……ないしょ!」
「ふーん。ま、いいか」
イリスは今更遅いかもしれないが、とりあえず、ごまかすことにした。
それよりも、目の前にいる男の子が、三週間後の誕生日パーティーの主役「カリスト」だと知ってうれしくなる。
少年の青銀の瞳を見て、あの招待状の色が、男の子の瞳の色を模していたのだと思い至る。
「ねえねえ、お兄ちゃんお誕生日会する人でしょ」
「よく知ってるね」
「うん。お誕生日会、楽しみだよね!」
「そうなんだ。毎年、いろんな人が遊びに来てくれて、とても楽しいんだ。ただ、一つだけ残念でさ」
「なんでえ?」
「僕、庭師のじいがきれいにしてくれてるこの庭や、林や池が大好きなんだけどさ。僕の誕生日、冬だろ? 冬は、雪に埋もれちゃって何も見えないんだ。夏はすごいんだよ。誕生日が夏なら絶対にガーデンパーティーするのにさ」
「お花! 私も好き。そんなにすごいの?」
「うん。ちょうどこの辺りにはね去年は、きれいな紫のリナリアが咲いてたんだ」
「そうなんだ」
カリストの話を聞いているうちに、イリスもその花を見てみたくなってしまった。
雪で覆われた花壇の下に、きっと種が埋まっているはずだ。
イリスは、花壇の雪に手をかざして、呼んでみる。
(お花さん、出ておいで)
イリスの呼びかけに応える声があった。
「ねえ、お花ってこれ?」
イリスが雪をかき分けると、紫色のきれいな花が現れた。
「え? 何これ? すごい、魔法みたいだ!」
「ふふ」
(魔法だもん)
それからも、カリストが花壇で夏に咲いていた花を思い出すと、イリスが雪の中からかき分けて、花を探し出した。
イリスも、カリストの好きな花がわかってうれしくなる。
いくつか、雪の下から花を探し出し終えると、カリストが、イリスの手を握りしめてくる。
「?」
「イリス、寒いだろ? 薄着だし」
理由がよくわからなくて首をかしげるが、カリストは真剣な表情だ。
イリスは、自分が、魔法のかかった衣類を着ているから、ちっとも寒くないことを思い出した。
邸では、イリスがそんな衣類を着ていることを知っているから、寒いかなんて気にしてくれる人は誰もいない。
「ね、イリス。また会いたいな。僕の誕生日会に、来てくれる?」
そう言うと、カリストは、イリスに招待状を手渡した。
宛先のない招待状。
イリスのポケットにも招待状はあるけれど、直接手渡されたそれは、何倍も素敵なものに思えた。
「うん、行く!」
そして、イリスは、カリストに送られて、正門から公爵邸を後にしたのだった。
ちなみに、帰るときは、家の塀にあけた穴からこっそり戻って埋め戻しておいたので、その日のお出かけはビダルにすら気づかれていない。
そして三週間後。
イリスは、失敗してしまったことに気づいた。
何かというと、公爵家からの招待状をイリスがポケットに入れてしまったために、イリスの母もビダルも、イリスがエクスデーロ家に招かれたという事実に、誰一人気づかなかったのだ。
よって、カリストの誕生日のその日、一緒についてきてくれるはずの母もいなければ、かわいいドレスもプレゼントも、送り迎えの馬車も、何も準備できていなかった。
そのことに気づいたのは、誕生パーティーの前日だった。
後悔したが、今更どうしようもなかった。
あまりかわいいドレスは着ていけないが、仕方ない。
でも、プレゼントのお花なら、たくさん準備できる。
それに、招待状があるから、今日は、表から堂々と入っていける。
イリスは、授業を抜けだし、家の塀に穴を開けて、再び、公爵邸へと向かったのだった。




