第2話「初めてのカッパ相撲」
数日後、颯太は商工会館の和室に呼び出された。そこには町のおじさんたちが十人ほど集まっていて、みな期待に満ちた目を向けている。
「颯太くん、今度の祭りでカッパ相撲大会をやろうと思っとるんよ」
中心に座っていた先日の商工会の男性——山下が声を張り上げた。
「ワシらがカッパに変身して、川べりの特設土俵で相撲を取る!観光客も子どもも喜ぶはずや」
部屋のあちこちで「面白そうやろ」「でも恥ずかしかなあ」と笑い声が上がった。
颯太は思わず苦笑した。相撲大会といっても、素人のおじさんたちの余興に過ぎないだろう。だが彼らの顔に浮かぶ楽しげな光が、妙に眩しく思えた。
「そこでな、君の出番や。普通の着ぐるみや仮装やなくて、本物みたいなカッパにしてほしかと」
山下の目が真剣になる。
「わしらに命を吹き込んでくれんね?」
——命を吹き込む。
その言葉に、颯太の胸がざわめいた。メイクで人が別の存在に変わる瞬間。かつては何よりも好きだった感覚。だが事故の記憶が脳裏をよぎり、思わず拳を握った。
「……分かりました。やってみます」
自分でも驚くほど、声はあっさりと出ていた。
祭り当日。
簡易の控室に集まったおじさんたちは、どこか緊張した顔をしていた。
「ほんとに変身できるとやろか……」
「子どもに笑われたらどうしような」
颯太は道具箱を広げ、無言で作業を始めた。
肌色の地に緑の特殊塗料を重ね、質感を出すために樹脂を塗り込む。鼻にはわずかに鉤爪のような影を、目元には黄色のアイラインを走らせる。額に貼りつけたラテックス製の皿は光を反射し、水気を帯びたように輝いた。
メイクが完成するたび、おじさんたちは鏡をのぞき込み、「おお……!」と声を上げた。冗談半分だった彼らの顔が、本当にカッパになった自分を信じる子どものように輝いていく。
「颯太くん、これ……本物やん!」
「ワシ、今日から川に帰らなあかんかもな!」
控室は笑いでいっぱいになった。
やがて相撲大会が始まった。川辺の土俵の周りには、子どもからお年寄りまで人だかりができている。最初の取組で、緑色のカッパ二人が土俵に上がると、観客から大歓声が上がった。
「わぁー!ほんとにカッパや!」
「こわいけど面白い!」
子どもたちが笑い転げ、スマホをかざす若者たちが次々に写真を撮った。
おじさん二人は本気でぶつかり合い、転げるたびに水しぶきを上げる。
「きゅうりパワーやぁー!」
と叫んでキュウリを振りかざす者まで現れ、観客は爆笑の渦に包まれた。普段は無口で知られる大工の藤田まで、土俵で豪快に笑いながら相手を投げ飛ばしている。
颯太は観客席の端でその光景を見ていた。胸の奥に熱いものが込み上げる。
——笑ってる。自分の手が生み出したカッパたちで、人が心から笑っている。
事故以来、ずっと忘れていた感覚。取り戻したくても取り戻せなかった瞬間。
最後の取組が終わると、会場は拍手と歓声に包まれた。おじさんたちは汗だくのまま、誇らしげに胸を張っている。子どもが駆け寄り、「カッパさん、写真撮って!」と手を引く姿もあった。
その様子を見ていると、颯太の目に涙がにじんだ。
「……俺、まだできるのかもしれない」
呟いた声は、川のせせらぎに溶けていった。