第7話『封の地、囁く』
筑後川の下流域。早朝の川辺に、冷たい風が吹き抜けた。
「……やられてた。織士だ」
火渡翔麻は、血の気の失せた顔でうつ伏せに倒れている織士の遺体を見下ろした。制服の袖には、くっきりと《織守》の刻印。C級の若手隊員だ。
全身に掻きむしったような裂傷、そして胸元には深々と爪痕。人間の仕業ではない。
「カッパ……やはり奴らが動いてるか」
火渡は唇を噛んだ。近ごろ多発する行方不明者、そして川辺の異常な気配──全てが繋がりつつあった。
「こんな川下まで……夜河連が本格的に動き出したってことか」
男は拳を握りしめ、無言のまま川面を睨んだ。
その頃──
さらに下流、石垣山のふもとの洞穴では、濃密な霧の中、数体の影が集っていた。
「……人間どもがまた川を汚し始めた。ゴミも薬剤も……際限がない」
低く、くぐもった声。
夜河連《七柱》のひとり、第壱柱・蛇目が、湿った地面に腰を下ろしながら話していた。
「昨日の殺し、やりすぎだって言われるぞ。あれじゃ警戒される」
そう言ったのは、第弐柱・鬼雫。白い顔、血を流すような赤い目。声は鋭いが、感情は見せない。
「見せたかったのさ。人間に、“境界”を。これ以上、川を汚すなら死ぬと──」
蛇目の目が細くなる。蛇のような、冷たい視線。
「火布の娘……出てきたな。あのまま眠ってりゃ良かったものを」
「適合したのか?」
「火渡翔麻の下で鍛えられてる。炎の制御はまだ甘いが……あの娘は“心に火を宿してる”。間違いなく、脅威になる」
柱たちは一瞬沈黙した。焚き火もないはずの洞穴で、空気だけが揺れる。
やがて、第参柱・葬濡がくぐもった声で言った。
「俺たちの目的はただ一つ……環境を破壊し、川を腐らせた人間どもを殺し、緑に満ちた世界を取り戻すこと」
「その通りだ。カッパの古き楽園を、人間は“開発”という名で踏みにじった。山を切り、川を汚し、空を濁らせた」
蛇目は立ち上がり、霧に煙る川面を見た。
「俺たちは戻すだけだ。かつての地上を、緑と清流に満ちた、本来の姿へ」
「そのために殺すのか?」
問いかけたのは第五柱・ウロ。若く、細身の男だ。
蛇目は振り返らずに答える。
「殺さなければ、奴らは止まらん」
その言葉には迷いがなかった。理想と暴力が、ゆっくりと重なっていく。
「火布の娘も、いずれ立ち塞がる。だが……焼き尽くす前に、“視る”価値はある」
蛇目の瞳が、遠く久留米の空を射抜くように細くなった。
「芽吹く前の種は、美しい。……だが、不要な種なら、間引くまでだ」
霧が一層濃くなる。
久留米の空が、静かに不穏さを帯びていた──