表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
絣戦記   作者: やしゅまる
6/48

第6話『蛇目の視線』

夜明け前の筑後川支流。川面にうっすらと立ち込める霧が、岸辺の世界を柔らかく包んでいた。久絣柚葉は泥にまみれた訓練服を川で絞りながら、ようやく整った呼吸で空を見上げた。


 「──やれるじゃねえか、柚葉」


 火渡翔麻が手ぬぐいを肩にかけて、にやりと笑った。訓練の仕上げに行った模擬戦闘で、柚葉は初めて火布を暴走させずに制御し、模擬カッパを仕留めることができたのだ。


 「……でも、怖かったです。火布が言うことを聞いてくれなかったら、あたし……」


 「そりゃ怖ぇよ。布に喰われるか、敵に喰われるかの世界だ。だけど、怖いままで立ち向かった。それが織士だ」


 火渡の声には、焔のような温度があった。理屈じゃない、芯に火を灯す言葉。


 柚葉は小さくうなずく。「……ありがとうございます、火渡さん」


 翔麻は鼻をこすりながら、ぽつりと呟いた。


 「けどな、柚葉。今のお前が倒したのは、せいぜいD級。織守が本気で対処する相手ってのは、あんなもんじゃねえ。上には“七柱”って呼ばれる化け物がいる。今はまだ、お前の敵じゃねえ……けど、いずれはぶつかるかもな」


 「七柱……」


 柚葉が繰り返すように呟いたとき、不意に背中に“刺さる”ような感覚が走った。


 ──視られている。


 何者かの視線。鋭く、冷たく、獣じみた敵意すら孕んでいる。


 「……っ」


 慌てて振り返る。だがそこには、朝靄の向こうに揺れる川と、ざわつく水音しかなかった。


 「どうした?」と火渡が眉をひそめたが、柚葉は首を振る。


 「……いえ。ただ、なんか、誰かに……」


 


 その頃。


 筑後川を下った石垣山のふもと、苔むした洞穴に、ひとつの影が佇んでいた。


 その姿は人に似て非なるもの。灰泥のような皮膚、濡れたように光る体躯。顔の中心にあるのは、鋭く細い、蛇のような双眸だった。


 「……ほう。あれが“火布の新適合者”か」


 視る力に長けたその異形は、静かに舌を鳴らす。


 「女の火。粗いが、目を持っている。……使えるかもしれんな」


 その名は――蛇目じゃのめ。夜河連《七柱》の第一柱。


 視覚を操り、人の心を覗き、傷を穿つ異能の使い手。冷酷で、狡猾で、残虐。その足元には、既に一人の人間が転がっていた。


 死体だった。織守の制服を着た若い男。階級章はC級――おそらく、哨戒任務中に殺されたのだろう。


 「愚かだな……布を纏っても、心が揺らげば死ぬ」


 蛇目は死体の頬を指先でなぞり、薄く笑った。


 「時期は近い。かつての“封”もほつれ始めている。深淵は、じきに囁き出す……」


 蛇の目が、再び遠くの川上を見やった。


 「見せてもらおうか。“火の娘”……お前の“心”をな」


 霧が濃くなる中、蛇目の姿はすうっと溶けるように消えた。


 


 その頃、柚葉はまだ訓練場にいた。体に疲労がまとわりつくのを感じながらも、火布のぬくもりをじっと感じていた。


 彼女はまだ知らない。


 自らが関わることになる戦いが、単なる弟の仇討ちではなく、久留米という地に秘められた“深い因縁”へと繋がっていることを――。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ