第3話『布と血』
火は、心に宿る感情を映す。
その言葉の意味を、柚葉はまだ理解できていなかった。
火渡翔麻の厳しい訓練が続く。体術、呼吸、布の流し方。すべてが難しく、息をつく間もない。
だが最も厄介なのは――柚葉の「火布」が、怒りや焦りに反応して暴走することだった。
「まただっ!」
訓練場で、柚葉の布が荒れ狂い、床板を焦がす。火の鞭のように暴れて止まらない。
翔麻が飛び込み、自らの火布で柚葉の布を抑えた。
「落ち着け! 怒るな、焦るな、燃えるなッ!」
「そんなの、無理よ……!」
柚葉はその場に崩れ落ちた。手のひらに焼け跡ができている。それでも涙は見せなかった。
弟を喰われた悔しさも、自分の未熟さも――全部、燃やしてしまいたいと思った。
「へぇ、これが新入りちゃん? 随分と派手に暴れるのね」
軽やかな声が背後から聞こえた。振り返ると、絣の着物風の訓練服をまとった少女が立っていた。
髪は肩で揺れ、目元はおっとりとしているが、その奥に毒のような気配があった。
「織部紅子、D級織士。同じ訓練生よ。よろしくね、火の子ちゃん」
「……火の子?」
「だって全身から火花出てるもの。まぁ、私みたいに毒を流すよりは派手でいいけど?」
そう言うと、紅子の絣布が花びらのように舞い、仄かな風と共に紫の煙が漂った。
布の毒に含まれるのは麻痺作用。訓練用に抑えてあるとはいえ、動きが鈍る。
「やってみる? 実戦形式で、お互いの布を確かめ合いましょう」
「……いいわ。遠慮なんてしない」
試合が始まると同時に、柚葉の火布が焔を上げた。
紅子は風に乗せて花布を飛ばし、柚葉の動きを封じようとする。
(この子……風の流れと毒の範囲、両方読んで動いてる……!)
だが柚葉の火布は荒ぶり、敵味方の区別もつかない。床板を焼き、紅子の足元にも火が迫る。
「ちょっ……ちょっと待って!? この火、止まらないの!?」
「私だって止めたいのよッ!」
二人とも距離を取って布を引いた瞬間、翔麻の声が響いた。
「柚葉、聞け! 布は心の写し身だ! お前の怒りが、布に流れてる!」
「でも……!」
「春翔はお前が暴れることを望んでるのか!?」
柚葉の視界に、春翔が楽しそうに遊んでる姿が浮かぶ。
柚葉は、深く息を吸い込んだ。
「……お願い、少しだけでいい。私の手で、あなたを燃やさせて」
火布が、ふわりと静かに揺れた。
炎が形を成し、細い紐のように腕に巻き付く。制御の兆し。暴走は止まっていた。
「へぇ……やるじゃない、火の子ちゃん」
試合は引き分け。けれど、柚葉にとっては十分だった。
初めて、火布が自分の中に“寄り添った”のを感じたから。
「少しだけ、布と話せた気がする……」
「上出来だ」翔麻が言った。「布と心は一心同体。お前が穏やかになれば、布も穏やかになる」
火の力に飲まれるのではなく、共に歩むこと。
それが“織士”への第一歩だった。