第二十六話『血と記憶の擬体』
任務帰りの夕暮れ。
火渡翔麻と久絣柚葉は、筑後川の支流沿いに立っていた。風に揺れる木々と、濁った水面に、微かに重なる異様な“布の波動”。
「……なんだ、この感覚」
翔麻が眉をひそめ、炎の布を構えた。
「いや……これは、布の気配じゃない。もっと……生々しくて……」
柚葉の声が震える。胸の奥が、ざわついていた。どこか、懐かしく、切ない気配。
そのときだった。
竹林の向こう、濃い影の中からひとりの少年が姿を現す。
白い肌。黒い髪。素足で、制服のような布をまとっていた。
柚葉の心臓が、一瞬止まった。
「……はる、と……?」
聞き間違えではない。そこに立っていたのは、あの日、目の前で命を奪われたはずの――弟、春翔だった。
「姉ちゃん……?」
その声も、仕草も、すべてが本物の春翔そのものだった。
「なんで……どうして……生きて……?」
柚葉の足が勝手に前に出る。腕が、抱きしめようと伸びかけた瞬間――
ふっと背後に立つ影が現れた。
「やあ、柚葉ちゃん。驚いた?」
そこにいたのは、第伍柱・雨露ウロ。まるで少年モデルのような端整な顔に、薄い笑みを浮かべていた。
「君の“記憶”、ちょっと借りたよ。筑後川の支流で見つけた血液サンプルからね。見事な素材だったよ。家族の記憶って、本当に強い情報を秘めてるんだ」
「やめて……そんなの、弟じゃない!!」
柚葉が叫ぶと、雨露はあくまで穏やかに首を傾ける。
「じゃあ、どうして震えてるの? 君の“火布”は、ちゃんとあの子に反応してる。魂は違えど、形と記憶は“春翔”そのものさ。なにせ、君の深層意識ごとトレースしてるからね」
春翔――“擬体”がまた微笑む。「姉ちゃん……また一緒に、帰ろ?」
柚葉の膝が崩れそうになる。
「やめろ……もうやめてくれ……!」
翔麻が前に出ようとした瞬間、雨露はすっと手を振る。
「今日は戦わないよ。見せにきただけさ。“おかえりの儀式”ってやつ。姉弟の再会って、やっぱり感動的だね」
一瞬の後、雨露と“春翔”の姿は霧のように消えた。残されたのは、柚葉の震える肩だけだった。
「柚葉……大丈夫か?」
翔麻が声をかけるが、彼女は何も答えられなかった。
心に空いた傷口が、また開いていた。
(ほんとうに、春翔だった……? 違う……でも、心が……)
火布が揺れていた。熱ではなく、迷いで。
「――私は……あれと、戦えるの……?」
水面に映る自分の顔が、見たこともないほど脆く、弱かった。