第二十話「静水の刃」
夜明け前、嘉瀬川の支流は、霧に沈んでいた。
薄くたなびく水煙の中を、一人の織士が静かに進む。水城 凪。銀白の髪を一束に結い、目元には冷たい光が宿っていた。
「……ここね。流れが、淀んでる」
彼女は布を指先から解き、地を這わせるように広げる。布は蛇のように水を吸い、その先へと伸びていく。やがて、川底から濁流が膨れ上がり、ぬるりと異形が浮かび上がった。
「織士……たべる」
C級のカッパが三体。加えて、異常な肉腫を持つ強化個体が一体。全身が粘液で覆われており、腐臭すら放つ。
だが、凪は一歩も引かない。
「“水”は恐れない。流れて、削って、全てを貫く」
彼女の布が一閃。水を巻き込み、空中を走る。
「流縛の鎖」
布が水蛇となり、三体のカッパを一瞬で絡め取る。鞭のような布が締まり、骨の軋む音が霧に響く。凪は無言のまま、布を翻す。
だが、強化個体は抵抗を見せた。粘液で自身を包み、布を滑らせて拘束を逃れると、跳躍して凪に襲いかかる。鋭い爪が空を裂き、頭上から振り下ろされる。
その瞬間──
「……“映して”、返す」
凪の足元の水が揺らぎ、鏡のように光を反射する。
「水鏡封陣」
強化個体の爪が、水面に触れた瞬間、反射された“斬撃”がそのままカッパ自身の胸を裂いた。自分の攻撃が、自分を貫く。
凪は一歩も動かず、ただ静かに敵を見据えていた。
「……終わりよ」
布が最後の一閃を描き、強化個体の首が滑るように落ちる。あたりは再び、濃霧と静寂に包まれた。
* * *
倒れたカッパの体内から、不自然な“結晶”が覗く。血の塊が凝固し、宝石のように脈動していた。
凪はそれを手に取り、しばし見つめる。
「……この反応。まさか……」
銀髪の隙間から垣間見える瞳に、一瞬だけ痛みが宿った。
遠い記憶。血に染まった河原。手を伸ばしても、弟の笑顔は戻らなかった。
「まだ……終わってないのね、あの“血の怪物”は」
* * *
一方その頃──夜河連の奥地。濃い血の湯が、ぶくぶくと沸き上がる。
その中から、太った異形がゆっくりと立ち上がった。
「……クク、来るか。お前も……“水の子”も、俺の血に還る時が来た」
それは、第参柱・葬濡。血を喰らい、血を操る最悪の怪物。
彼の舌が血の湯を舐め、ひどく嬉しそうに歪んだ。




