第2話『織士の門』
その建物は、旧い酒蔵を改装したような姿をしていた。
黒羽迅に連れられた柚葉は、久留米市街地の裏路地にひっそりと佇む《織守》久留米支部の扉の前に立っていた。
「ここが……織守……」
「そう。お前のように“布”に選ばれた者たちが集まる場所だ」
分厚い木の扉を押すと、かすかに油と焦げた布の匂いが鼻を突いた。中は広く、天井には古い梁が残され、奥には道場のような訓練場が見える。
廊下を歩く者は皆、身体に特殊な織物を巻き、緊張感を漂わせていた。
「久絣柚葉。お前を《見習い織士》として迎える。……手続きは、後だ」
迅に案内された部屋で、柚葉は一枚の布を渡された。
それは火のような色をした久留米絣。彼女の魂に反応して現れた“属性布”だった。
「織士は、“布”と魂の適合率で属性が決まる。お前は火。気性も熱いようだし、妥当だな」
「……これで、あの化け物と戦えるの?」
「布だけじゃ無理だ。制御と技術がいる。だから、教官をつける」
そのとき、道場の戸が勢いよく開かれた。
「新入りか! おい迅、お前また変な奴連れてきたんじゃないだろうな?」
声と共に現れたのは、赤髪の青年だった。
半袖から覗く腕には、焦げたような布が巻かれている。目はギラつき、歯を見せて笑っている。
「火渡翔麻。火属性のB級織士にして、ここの訓練教官だ」
「お、お世話になります……」
「へぇ、礼儀はあるな。だがな、久絣柚葉。織士になったからって、いきなり強くなれるわけじゃねぇ。お前が火布に選ばれただと? そんなのは始まりにすぎねぇよ」
翔麻は、道場の中央に立つと、足元の絣を手に取った。その瞬間、布が炎のように舞い上がり、刀の形をとった。
「これが、布刀《焔斬》だ。火布を武器化したものだな。お前もいずれこれを扱えるようにならなきゃ、雑魚カッパにも殺られるぞ」
柚葉は黙って、手にした火の布を握りしめた。まだ重く、意思も形も持っていないそれは、彼女の決意を試すかのようにじっと沈黙している。
「……弟を、目の前で喰われたの。私は、助けられなかった」
その言葉に、翔麻の目の色が一瞬だけ変わった。
「そうか。なら、そいつの仇は、お前の手で取るしかねぇな」
その日から、柚葉の修行が始まった。
基礎体力の強化から、布との適合訓練、布の具現化、属性の制御まで。
翔麻は容赦がなく、時に怒鳴り、時に笑いながら、柚葉を徹底的に鍛え上げた。
「火布は、お前の感情に反応する。怒りも悲しみも、全てを力に変える布だ。だが、それを制御できなきゃ、自分ごと焼き尽くすぞ!」
「わかってる……! でも、やるしかないのよ!」
何度転び、何度火傷しても、柚葉は起き上がった。
春翔の笑顔が、夢に出るたびに、胸が痛んだ。
でも、それが彼女の動力だった。
夜、一人布を広げて座禅を組む柚葉に、翔麻が呟くように言った。
「……あいつもな。昔、妹を喰われたんだ」
「えっ……」
「迅だよ。あいつは冷静に見えて、心ん中じゃずっと燃えてる。だからお前を拾った。お前なら……“絣の継ぎ手”になるかもしれねぇってな」
「絣の継ぎ手……?」
「それは、まだ先の話だ。今は目の前の火を制御するだけでいい。焦るな、柚葉」
火の布が、小さく揺れた。まるで彼女の心に、寄り添うように。